堀井On-Line



6259閑話小題 〜さらば金沢

2018年05月03日(木)

『金沢・富山バスツアー』への参加した際の手記をここで書いた。また先日、
<『トランジション』ウィリアム・ブリッジズ(著)>をテーマに書いた。
金沢「いとはん」時代と、その前年の産能大時代が、私には「ニュートラル」
状態の時節。気持ちは空虚で隅に追いやられた窮鳥状態だったが、その一つ
ずつの決断は、私には人生を大きく左右することばかり。時代は大きく揺れ
ながらも、右上りの潮流が流れていた。しかし、「ニュートラル」状態は、
目先が真っ暗闇で、何も見えない真っ黒なサングラスをかけたよう。一部の
秀才?を除いた司法試験の受験生のようなもの。合格までは、タダの引籠り。

ジャスコを辞めて入った産能時代に、千葉郊外の千葉県第三セクターが造成
した5万人の新興住宅地のど真中の商業地の売出し広告を見て応募して、当選。
土地を確保し、購入条件に二年半後までに着工条件が入っていた。まだ実務
経験不足を補充するため、金沢に期限限定の見習いとして入ったが、そこは
厳しさで有名な会社。今でも、夢に出てくるほどの厳しい現実と、逆に甘い
誘惑が行き交う動乱の修羅場。西武流通グループと資本提携。先が全く見え
ない事態なればこそ仏も存在する。居場所がない状態が自ずと仏心が滲み出る
が故に、様々な邂逅も多くある。2年半と割切っても割切れない空虚感が漂う。
「枝葉を切って根を養え」の時節。創業の志は実に逞しく響くが、派手な?
学生時代を生きてきたものにとって、その段差は非常に大きい。 

もう二度と、金沢に行くこともなかろうと『金沢・富山バスツアー』に
参加した。そして、当時を思いだすにつれ、この辛さこそが、当時に、
経験しておくべきことだった。 縮んだ状態と、オデン屋で独り酒?の
味が何ともほろ苦かった… そう思うのは、物語の再構築のためか。
人生、恵まれていたとして、面白かったとしても、違った生き方もあった… 
はず。でも、気にいった人生のデザインと色彩でもある。 人生、二度無し! 
人生を振返り、物語ると、自らを癒すことになって色彩が明るくなってくる。
 
後記:以下を読返し、物語、行蔵として書き残す秘儀とはとはかくあらんと… 
 書いておかないと、忘却の彼方に… それもまたよいが。私が消え去っても、
刻印として、残るって感覚は、実存の根が、残っているようである。

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閑話小題 〜金沢・富山バスツアー

 昨日は、数年ぶりに、観光バスツアーに参加してきた。
地元の越後交通(ゴールデンツアー)の日帰りコース。出発が長岡駅東口で、
早朝の7時20分発。地元到着が19時20分。値段が9500円(税込)。家内が長岡駅
への道すがらにある越後観光ビル内の案内所で見つけてきたツアー。 
・富山県北アルプスを背景にした『あさひ舟川・春の四重奏』の花見と、
・金沢市内の『金沢ひがし茶屋街・散策』
・『ホテル日航金沢のランチ食べ放題』のメニュー。
家内が、このコースに甚く気にいって誘ってきた。この数年、ライフワークの
秘異郷旅行に行ってないため、即座に合意し、参加した。 一つだけ誤算が、
桜の開花が一週間早くて満開の時期を逸し、半分ほど散っていたこと。それでも
、満足できる散策。その後、金沢駅前にある「ホテル日航」のランチが思いの外、
美味しかった。「ひがし茶屋街」散策を1時間ほどして、帰路についた。
金沢には、20歳半ばに一年半ほど、修行も兼ねて勤務をしたことがあった。
立場が立場だけに、気持ちがどん底だったが、ところは、「いとはん」という、
マナーに厳しいと定評のあったファッション衣料チェーン。人手不足の中、
女性専用のマンションが大うけで、若い女性が殺到していた急激な右上がりの
会社で知られていた。しかし、努めて半年もしないうちに、ドルショックが
起きて時代は一変し、売上は激減し、西武流通グループの傘下に入る激動の
最中。社長と、ナンバー3の人物の対立もあって社内は荒んでいた。
 しかし、3人に1人は、いわゆる金沢美人。仕事の半分は、様々な悩みの
相談相手と、イチャツキ。肩書が無い立場からこそ、気を許してくる。
最悪が故に、面白いことが多かった。寮内に、誰か茶道に通っている人が
居ないかと聞いたところ、寄宿していた寮の近くに、一般の家庭の主婦が
教えている茶道の家を紹介してもらい、1年程、通っていた。当然、そこに
数人、金沢美人が通っていて、週の二回、火曜日と、木曜日と、交互に通い
ながら、様々な地元美人と茶道の練習を楽しんでもいた。金沢は外モノには
優しく、仲間内にはキメ細かい暗黙の気遣いがある歴然とした階級社会。
男尊女卑が歴然と残っている男社会で、一歩も二歩も、女性が表立っても、
男をたてる世界。富山、福井、能登、飛騨高山が近くにあり、何はともあれ、
金沢に… 。当然、遊び場も、茶屋街に。芸者衆の集まる、茶屋街が、
「ひがい茶屋街」「にし茶屋街」「主計茶屋街」の三つが金沢藩の肝いりで
集められ、現在に至っている。その「にし茶屋街」に、何も知らずに店の
パンフレット配りをして、その奥深い世界を一端を見た時の驚きを忘れられ
ない。出あうのは今まで見たことのない御公家顔の美人ばかり。あれは、
芸子のスッピン顔だった、今回の散策で気づいたが、それは綺麗なはずだ。
 雑種の地方の寄り集まりの首都圏を除き、四日市、神戸、金沢、新潟市、
長岡市と仕事で、渡り歩いたが、こと美人とセンスに関しては、金沢が
一番粒揃いである。一番、影響を受けているのが、京都の文化のようだ。
北陸新幹線開通まで、あまり知られてなかったのが、他に、料理文化の深さ。
現在は、如何か知らないが、おでん屋、小料理屋、喫茶店に味わいの深い
店が多い。当時の金沢の話は尽きないほどあるが、どの場面も、青春の
真只中のような思い出は尽きない。時代は、経済が激動していても、
右上がりの、今となっては夢のような時代背景があった。
ドップリ、地元城下町の一角に沈んでいる自分に気づかされた一日だった。

追: これを書いた後に、20分後にポタリングに出発し花見をする予定。
 長時間バスの座席の固定で腰痛を心配をしたが、殆ど問題は無かった。
習慣の力だが、定時の3時50分に起床し、これを書上げ… 日常に世界。
一日とはいえ、この非日常の反動は、数日後に出てくることになるが…

追: これまた、いま現在、気づいたが、3年前に、以下を書いていた。
  少し出来過ぎだが、こんなものですか。話題の在庫が少ないだけだが。
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閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2

   * こんにちは、わが青春の金沢へ
 日帰りの『金沢、富山コース』。 国内のバスツアーは、十数年前に、、
夜行バスで行った『京都の桜・観光以』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と
とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主だった…
 その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、
国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて…
 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。
バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み
こんでないようだ。
今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、
「あさひ舟川」の花見』が主である。
『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。
写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で
着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、
観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の
若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。
 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の
3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが
悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の
団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端
に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。
 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある
美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。
それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り
歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る
ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。
何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!
  〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜
<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川
東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形
な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街
の1つである主計町がある。
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して
いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と
して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年
12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。>
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2001/12/21
[178] 忘れられない店ー4(金沢)
   ー平家ー鉄板焼き
 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。
4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで
しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。
落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。
今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで
ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が
油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような
親父で、その話を聞いているだけでよかった。
 当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、
必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。
「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。
何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で
大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴
を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。
それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。
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5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月
2015年04月11日(土)
  * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。

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2005/06/29
1548, わたしの酒中日記−11
金沢−7
1972年7月20日

明日で、金沢を去る。
一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。
片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。

「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、
昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。
二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。

ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。
夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。
ごりは、小さな川魚でゴツゴツした形である。
金沢で初めて食したが、良い思いでになった。

その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。
金沢市内を一望できる有名店だ。
同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。

金沢の夜も今日で最終になった。
一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。
気分的には屈辱の日々であった。
金沢は見方によれば、露骨な差別社会で、
そと者の社員は人間扱いはされない。

金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。
金沢は、派手なのだ。
背後には能登半島、福井、富山、高山を控えた観光地である。

対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。
比べること自体が問題であるが。

幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、
今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。
金沢に住んで、このことがよくわかった。

長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。
金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の??も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。
日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界である。

また、男は今でも自分のことを「わし」という。
相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。
箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。

とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。
外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。

さらば!金沢。

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