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2012年03月20日(火)
* 意志の確定 倒産から一年経つ。 過ぎてしまえば、アッという間だったが、ハードランディングであることは間違いない。 一年間は頭を冷やすということで事業総括をしなかった。 9・11テロ以来の10年間の年計グラフの数字が、時代の大きな断絶、 「20世紀型既存業態の事業は全て終わった」と、語りかけていた。 ネット世界が、もう一つ、現実世界の上に出来上がり、 グローバル化を促進、NO・�気靴�事業として成立しえない世界が現れてきた。そう見極め判断すれば、割り切るしかない。 そして、 リーマンショックと、東北大震災である。 私にとって40年近い事業が、この結果に終わったことは致命傷。 しかし事業人生の総括を一年経った現在、しておかなければならない。 元々、実家が商家であり、終戦直後に生まれた時から、 創業の真っ只中が幼児期だったため、激しい日々が3つ児の魂に刻まれていた。 そして20歳の時に、自分も創業をしたい! という気持ちが立ち上がってしまったことを以前ここで書いていた。 まずは、そのコピーから * 20歳の頃ーある教授との出会い-1 2002/02/25 ≪ この頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い 「自分に目覚め始めよう」としていた時期であった。キリスト教倫理の教授に「将来の自分の設計」というテーマを夏休みに与えられ、 「生まれて初めて」に真剣に将来を考たレポートを出した。 その内容に対し心の入った文章の返事が返ってきた。200人の学生に対し、 これだけ長い心のこもった返事を書くもかと感激をした。それとも「自分の熱意を込めた内容に対する特別の返事」だったのか? 鈴木教授という名前と、授業内容が心のこもった内容であった事を憶えている。 私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容。 初めて第三者に自分の心情を書いた。いや書かされたのかも知れない。 要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさ厳しさに しり込みをした。そして安易な生き方を選んだが、自分は父の生き方を選ぶことにする。 今になって特に「父の生きかた」 に男として魅力を感じるようになった。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎ不幸な死に方をした」ことも書いたかもしれない。 心のこもった返事とは「その中で、よく父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方の決心が心から嬉しい。 貴方が自分自身で考え抜いて判断したこと、そのことが素晴らしい!」というな内容。この時点で自分の生き方が変わった。 いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。 俄然それから目標がハッキリした。 「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!≫ ▼ それから45年後に倒産に至ったが、傷は、それほど深くない。ハッピーエンドとしても、大して変わりがないというと、 虚勢になるが、しかし私の人生は肯定するしかない。しかし充実はしていた。これを書いた夏休み以降から俄然、日々が面白くなった。 まずは、自分づくりが始まった。 志を立て、目標を持つと人生は変わる。そして授業の科目を見渡すと、全てが、そのための学問。 そして、寮の先輩も同僚も、全てが個性的人間に見えてきた。 丁度、将来に目覚める時期だった。 ・・・・・・ 3646, これまでの人生は何だったの? 2011年03月20日(日) 地震 ―つれづれに 二題 ー9 * これまでの人生は何だったの? 九死に一生を得て、避難所に来た人のインタビューが生々しい上に哲学的である。 ある中年女性が、「全ての生活を失ってみて、これまでの生活と人生は何だろうか考えてしまった」と呆然自失とした言葉が印象的。 死など考えてもみなかった人が突然、「あと数ヶ月」と宣告されて、これまでの人生を振り返った時の言葉と同じである。 これまでの生活全て目前で喪失してしまった純朴な人が、走馬灯のように現象世界を呆然と振り返ったとき、 「人生50年夢幻」の実感がみてとれる。 これは、まる一週間前に起きてしまった日本という国にとっても同じこと。 この日を境に日本は、大きく変わってしまったのである。この事実を見極めないと、判断を間違ってしまう。 また、「現在起こっていることが、いまだ現実として受け入れられない」という言葉も、悪夢としてしか受けとめられないのである。 空ろな顔をした少女が行方不明の母親を探しながら絶望的な声で「オカーさん」と叫んでいる姿は何をか言わんである。 一瞬で大津波が生活に襲ってきたとき、ただヒタスラ逃げるしかない。そこで助かった人は、身ひとつしか残ってない。 家族と家など全て失い、避難所で何もなすすべが無い人が多く見かけられる。 まさにホームレスの状態である。 「私一人が生き残ってしまったが、それが良かったのかどうか、今でも分からない」 は、厳しい! * TVを見るたびに、絶望的な事態になっていく! ホウレン草と牛乳に基準値を超える放射能量が検出されたのに続き、今度は水道から放射性ヨウ素が検出された。 福島の、この時期のホウレン草はビニールハウスでの栽培というし、牛乳の中にというと、タダゴトでない。 かなりの放射能が既に放出されているという事実を表している。最悪に向かってことが進むと、本州は壊滅するというのが。 決してデマでないことになる。 死の雨が農産物に行渡れば、我々に待っているのは言わずと知れたこと。 だから在日の外国人は、そそくさと帰国していったのである。函館か、九州にでも長期旅行と考えてもみたが、 何を今さら・・・ 充分に生きてきたから、数年早いか遅いなら、ジタバタすることもない? この数年、地球破滅を取り扱った映画を何本かみてきてが、直面するとは、今でも信じられない日々である。 ・・・・・・・・ 3281, 5千台、トヨタ車販売をした人の死 2010年03月20日(土) 会社の車の保険の更新が毎年、この時期にある。いつもトヨタの営業の人から電話がある時期にかかわらず、 電話が来ないので事務の人が電話をしたところ、「二日前に急に具合が悪くなり病院に行ったが、肺炎で昨日亡くなった」という。 そういえば去年のいま時分、数年ぶりに事務所に訪ねてきたが、ビックリするほど痩せこけていた。本人が言うには、 「インドに行って帰ってきたら歩けないほど目眩がしたので病院に行ったら、何か訳の解らない奇病。 半年間、入院をしていたが命にかかわる病だった」という。 「たまたま紹介をしてもらった先生が良かったので助かった」とか。 初めに見てもらった病院の先生が好い加減な先生で、処方箋の薬を貰いに行った薬局の窓口に人が、「あの先生は当てにならない、 他の病院に行った方が良いですよ」というので、知人の紹介で新しい医者に行ったところ、奇病が分かって半年間、 入院して命が助かったという。 この中に現在の医師問題など多くの医療問題が隠されている。 で、昨日の地元紙の朝刊に、 本人の死亡広告が出ていたが、アッサリと人は亡くなるものと驚いた。 加齢とともに、こういうことが多くなるのだろう。 (字数制限のためカット 2012年3月20日) ・・・・・・・・ 2906, ユングの世界のような夢 2009年03月20日(金) 最近不思議なユング的?な夢をみる機会が多い。夢自体が不思議であるが。 ーその一つを披瀝してみよう あるビルのような場所にいて、右の数メートル先にエレベーターがある。そのエレベーターは、違う次元へ上がるようで、 危険なイメージが漂っている。ところが、上からエレベーターが下りてきて、数人の人間がドアから出てくる。 ところが全身何も着てない上に、全身が全て皮膚だけのノッペラの人間のカタチをした一団。 階上から逃げてきたようで、私が反対にある違うエレベーターに彼等を誘導し下界に連れて行く。 その後そこに戻るが、禁断の上階へのエレベーターに乗ってみたくなる。思い切って乗ると、いつの間にか異次元の天空に 自分がいる。 時は40年前の20代前半である。そこには当時の懐かしい人がいる。何もかも解放された天空の中で、 全てが許されて洗い流されている。しかし自分は、ここいることに疑問を持つ。もしかしたら、あの皮膚だけの人たちと 同じように、自分のそれからの過去が消されるのではと不安になる。 そのあたりで夢から醒める。 ▼ 出来すぎたユングの世界ともいえる内容である。死と生の二つが重なりあった内容とも解釈できる。 上階へのエレベーターで上がっていった先は時空を超えた純粋意識。 下界へのエレベーターは現実社会の世界で、横に流れている日常である。 面白いのは上階〈上界)から降りてきた人がノッペラの皮膚だけの(個性を削ぎ取られた)人間集団である。 その彼等を違う下り専用のエレベーターというところも面白い。心の構図ということか。 この随想日記で、人生をビルに喩え、10年単位でフロアーを分けて何をすべきか云々を書いたのが影響したのか。 その時に屋上から見える外界のイメージが天国へと一歩踏み込んだ場所だろうか。 ・・・・・・・・ 2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) ー2 2008年03月20日(木) ・交通事情 *東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、パラシュート姿の機長が出てきた。 「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」 *新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。 船内放送「乗船の皆様方の中で、 切符を分割払いでお求めになったお客様。 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」 ・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。すぐに来て下さい!」 「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。 いいですか?人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」 「はい、その通りです。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」 ・「酔っぱらうってどういうこと」「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」 ・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」 「これ、腕時計だよ」 ・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。 落ちながら男は思う、 「神様、私はなんて愚かなのでしょう!彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、茶でも飲んでいれば....。」 ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。 体を起こし、汚れを叩き落として、「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」 ・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。 「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴もこぼさずに命中させてやる。 これに50ドル 賭けよう。 ただし、こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、 小便をバーの中全体に撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。 バーテンダーは訊いた。 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドルを賭けたのさ。 このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」 (字数制限のためカット 2012年3月20日) ・・・・・・・・・ 2007年03月20日(火) 2177, ゆとり・個性化教育って何だったの? オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 以前にも個性について書いたことがあるが、 現在の小・中学校の教育現場の荒廃をもたらした「ゆとり・個性化教育」の 誤りを確認するために、いま一度個性について考えてみよう。 大失敗に終わった「ゆとり教育」の目的は、 「個性的な人間」を育てることであった。 そのため、現在の子どもは幼児の頃から「意図的に個性的でなくては!」と 、刷り込みがされてきた。 そのためには、それぞれの特性にあった教育をすべし!ということだった。 しかし、個性化とは何だろうか?と少し考えてみると、明らかに間違った理解をされてきたことが解る。 「珍気な子を作るのが個性である」という先入観が、教育現場の興廃を招いてしまった。先生も、その珍奇な子供のなすがままに、 自信を失い学級崩壊を招いているのが現状である。人生経験の少ない子供に個性化など求めること自体が無理がある。 お笑いバラエティーに「将棋少年」とか、「エレキ少年」とかいう珍気な子が出てきて、天才少年と煽て上げて笑いの対象にしている。 あれは個性的でも、天才的でも何でもない珍奇な子供でしかない。習い事に「守・破・離」という原則がある。 まずは、基本を身につけて、乗り越え、新しい技・個性を身につける。個性的性格は、30年、50年かけて作りあげるもの。 職業とか、趣味とか、色いろな経験が織りなす輝きを個性という。長年の生き方が、その人らしさを作り、「らしさ」が 味として滲み出るのが個性である。「珍奇な早熟の生き方」を幼い子供に押し付けること自体、中味のない珍奇な生き方を 強要していることになる。最近になって教育現場の惨状に政治家も腰をあげ、教育制度に根底から変えようとしているが・・ 「仲の良い両親が温かく子どもを見守る明るい家庭こそ、子どもの人生の基盤になる」と言われている。 それは長年かけた家庭の結果でしかない姿である。大きな波風の中で、結果として明るい温かい家族ができたのであって、 そのプロセスこそが子ども教育になるし、個性の芯になる。その時その場の「いま・ここ」で与えられた課題を、 一つずつこなしていけば、その永年の積み重ねが個性になるのである。別に個性的でなくても、いいじゃないか。 そう、砂利同士がカタチは丸いとか四角とか言っているのと同じ。そんなこと気にすることはない。でも変わったのに眼がいくか? 社会ルールを壊さない程度で好きなことをやっていればよい。個性なんぞ考えることは、人との比較をしていることになる ゆとり教育とは、ゆとりのある親が公立でなく、私立の小・中学校に子供を入れることに結果としてなってしまった。 ブラック・ユーモアなんてものじゃないのが、現状である。 ホンジャ、バアア ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪ ・・・・・・・・ 2006年03月20日(月) 1812, WBCー日韓戦 が面白い! 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) 昨日のWBCの日韓戦が面白い試合であった! 勝ったから尚のことだったのだろうが。WBC戦で6勝全勝の韓国と、 三勝三敗の日本の戦い。おまけに日本は韓国に二戦二敗である。15日に韓国に敗れ99?諦めていた日本が、 米国がマサカの敗戦で生き返った。日本は負けて元々。全勝をしてきた韓国は負けられない戦いであった。 中盤までの緊迫した投手戦が、7回に日本の大量得点で勝ってしまった。 それまでは、日本が押し気味に進んでいたが、 チャンスにあと一押しがなく嫌な雰囲気であった。それが、福留の一発のホームランで流れが一挙に日本に傾いてしまった。 試合というものは、こういうものである。韓国にとっては二勝一敗の日本が決勝に進んでしまったことに、割り切れない無念さが 残ってしまっただろう。韓国に三連敗は許されない日本と、二連勝している日本に決勝に出すわけにいかない韓国の立場があり、 お互いに負けられないという緊張感がヒシヒシと迫ってきた。日本は決勝まで進めるとは思っていなかっただろう。 万一、日本がキューバに勝つようなことがあれば、日本の野球界にとって、神風?がふくだろう。冷静にみるとイチロウの存在が大きい。 『自分の野球人生で一番の屈辱の日』という言葉が、転がり込んできた準決勝で、チーム全体に火をつけた。 全員の目が据わっていた。韓国野球界はサッカーなどの影響で、ジリ貧の韓国野球の起死回生という、コンセプトがあって 万全な準備を続けてきたという。準決勝進出をすると兵役免疫という条件の選手が何人もいたため、日本戦の勝利で 必死だった緊張感が切れたのだろう。日本とすれば大リーガーの二人の松井と、井口をメンバーに揃えたようなもの。 これでイチロウ株が上がり、松井秀樹選手は大きな傷を背負ってしまった。日本という立場からみれば、悪役のアメリカの審判あり、 韓国戦の惜敗が二度あり、結果として劇的なWBC戦になってきた。これで白けていた日本のファンは、一挙に盛り上がってきた。 明日の試合が楽しみであるが、流れからいって、五分五分だろう! いや、やはりキューバが・・優勝すれば、冬季オリンピックで 惨敗のスポーツ界にとっても朗報。 いや日本全体にとっても。 ☆ミ(ヾ(≧∇≦)〃) )≧∇)ノ彡☆ *・☆グドバイ! ・・・・・・・ 2005年03月20日(日) 1447, ロシア人立てこもり 3日前の夜半に、シングルイン第二新館で大立ち回りがあった。 ー現場の人の証言から、内容は以下の通りであるー 深夜の0時近く、警察官が第二新館のホテルに宿泊しているロシア人をなだめながら連れてきた。 近くで騒ぎを起こして、通報されて連れ帰されてきた。警官が帰った後、何かが面白くなかったのか、 フロントの対応が悪かったのか、いきなりロビーに置いてある新聞に火をつけて火災報知器にかざし、 ロビーの椅子でバリケードをつくり外部から入れないように閉鎖。更に消火器で三人のフロントマンに噴射した。 火災報知器の音で降りてきたお客さんが消防に電話、消防士と警察官も含めて30人近くが駆けつけて一時は 騒然となったとか。隣の大きな飲食ビルの酔い客の野次馬も集まり、映画に出てくるような大騒動。 ホテル内には180人の宿泊客がいたが、大部分は気がつかず寝ていた。 (字数制限のためカット 2012年3月20日) ・・・・・・・ 2004年03月20日(土) 1081, ST訓練 ?2 去年の今頃に「ST訓練」について書いた。ー(後でコピーしておきます) 先日、二年ぶりに新入社員に対する「ST訓練」のインストラクターをした。30回近くしたことになる。 人の話をきっちり聞く事が出来ない人が意外と多いのに驚く。特に地方の馬鹿二代目に多い。 優秀な場合や、独りで超越した世界を確立してある場合は、人の話をむしろ聞かない方がよい場合もある、 しかし、それはまれである。今ベストセラーになっている「馬鹿の壁」というのは、人の話をきっちり聞けない事を言う。 まずは、相手の話を把握する事と、そして自分の話を相手に手短に話せる訓練をしなくてはならない。 日記を書く習慣のある人は、すでに身につけている。 今の若い人の言葉に対する感覚は10年?20年前に比べると格段の差がある。 不況の為、質が良くなっていることもあるが、言葉に対する感覚が鋭くなっている。 終了後、総括としてのレポートを書かせたが、全員がほぼ訓練内容を把握していた。 その一つを書きうつしてみる。 これで大体どういう内容か解ってもらえるだろう。 ーーーー 「ST訓練を受けて」 佐藤春美 ? 言葉について (1)言葉 今日の訓練で、いかに‘言葉’が大事であるかを改めて考えさせられた。人間が人間たるゆえんは言葉を使うことである。 (字数制限のためカット 2011年3月20日)
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