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2012年01月27日(金)
* マイウェイ マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。それが面白い。 自分が、あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中戦線、独ソ戦線、ノルマンディ上陸の場面も 圧倒的な戦闘場面の連続。またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。この映画を本当に韓国がつくったのか、 ハリウッド映画ではないかと調べたら、やはり韓国産。ただ驚きである。 ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人がいた。 その男は朝鮮人で、日本兵、ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。 それにしても、凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 当時の日本兵の朝鮮人に対する蔑視は、 彼らからみて現在でも忘れることが出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。 戦場での人間の露な動物的な生存に対する 希求と友情が滲み出ていた。 戦争は避けるべきである。 何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。 あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。そうこう考えると、丁度良い時代に、日本に生まれたと、ただ感謝。 * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃の絶好のチャンス この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、 影響を受けるのが日本である。 原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、欧州が即座に 攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄があるので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで 原油の不足と高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が停止している現在、非常に際どい事態になる。 とはいえ、アメリカも金融恐慌のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は別次元である。 イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に 何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目をペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。 そうこう考えると、ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。 ・・・・・・・・ 3594, 教養とは何か? 2011年01月27日(木) これまで、何回か教養について書いてきた。一番に納得したのは「18歳までに洗脳された思い込みから自由になるための 知識と経験の蓄積」である。 塩野七生著の「生き方の演習」の中に次のような一節があった。これも面白い。 「生き方の演習」 塩野七生著 P−45 ≪ 立花隆さんが東大で「東大法学部の学生は教養がない」と言ったら、法学部の学生たちが、「先生、教養とは何ですか」 と問い返したそうで、それに怒って、彼の考える教養とは何かを『文藝春秋』にかいたんです。立花隆さんは私の友人でもあり、 たいへんに尊敬しておりますが、やはり考えが違う時は違う。彼は「教養はまず役に立たないものである」と言っていますが、 これは、私に言わせると十九世紀的な教養の概念だと思うんです。 十九世紀というのは、ヨーロッパの有産階級ができ上がった時期。 その人たちは有産階級ですから、お金があって、家もあった。働く働かないにかかわらず裕福だったわけです。そういう人たちが、 「教養は役に立たないものである。しかし、教養は大切である」っていうことを言っていたわけです。けれど、私の関心の的である、 それよりも以前のヨーロッパへ行きますと、そうではないんです。たとえば、ルネサンス時代には、教養というものは役ところが、 ルネサンス時代は、専門の技術だけではだめだったんです。当時、フィレンツェでとくに盛んだったのが工房でした。 ミケランジェロもそこで修業しているし、レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。だけど、その工房では、ひとつだけを 専門にやっていたのではだめなんです。そういう人は助手の助手の助手ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。彫刻家であっても、 画家などの仕事にも通じていることが要求されたんです。というのも、彫刻でも、画家的な視点で人間を見れば、また別の見方が できると考えたわけ。・・つまり彫刻では、建築家は、彫金家ではどんなふうにするか、とすべてを押さえると、今度、絵を描く時、 それまでと違った絵か描けると、彼らは思ったわけです。そういうルネッサンス時代の教養が、教養の原点だろうと考えるのです。 ▼ 一つ穴を深く掘ろうとしたら、穴そのものを大きくするか、それなりの技術と道具が必要になる。 ダ・ヴィンチが、あらゆる分野に精通していたのは有名だが・・ 地球に何をするため生まれてきたか?の問いに、 「世界を知るため、その人しか創れないものを創ること、そして子孫を残すこと」と答えが出るが、 「その人しか残せないものを残したとしても、千年、一万年単位でみれば、泡でしかない。それを悟ることが教養」が、今日の落ち! ――― 3229, つれづれに ー閑話小題 2010年01月27日(水) * 情報化の進展が社会を変えている ツイッターには驚いた!と何度も取上げてきた。「これで更に情報化が進む」と、先日の朝のNHK番組「生活ホット」で取上げていた。 また、ニュースでも「最近、米や魚や酒が生産現地から直接ネットでの注文が増えていると報じていた。 我が家でも、時々「福島産コシヒカリ」などをネットで買っている。(メールの受付で知ったが)なぜ100m先のスーパーで 買わないのか? 値段と味には厳しいはずだから、「何か価値がある」のだろう。ちなみにメールによると、10キロ3400円 −ポイント400円=3000円。もう百貨店の売上げをネット売り上げが超えたが、百貨店の役割は情報基地としての商品提供。 それをネットが替わってしまったということになる。 書籍、健康食品、化粧品、ファッション品、健康機器と、我が家には 週に1〜2回は宅配が来る。 最近では宅配の人に「何時も有難うございます」と、挨拶をされる。 * 日本航空の破綻 「日本航空」が破綻したが、10年前など考えられなかった。それが、簡単に破綻してしまったのだから、驚きである。 政治的思惑で地方の赤字路線でも運航しなければならなかったことや、日の丸日本的な体質や、職種ごとの組合など、 複雑な内部事情もあったようだ。 更に欧米のような過酷な競争が少なかったこともある。 米国の航空会社が触手を出しているが、日本政府が主導権を持って立て直すようだが? 航空会社の世界的不振は、情報化により人的移動が劇的に少なくなったこともある。大小に関わらず、何処も同じか。 * 次世代TVの驚き 三日前の、NHKスペシャルで、東芝が生き残りをかけた次世代TVの開発のドキュメントをみた。 55インチの「CELLレグザ」である。開発しているメンバーが、自分でも笑ってしまうほど面白いTV。 100万近くの値段だが、それだけの録画と、操作性と、サウンドのよさと、画面の鮮明さがある。 ・8画面マルチ表示でメイン画面と、周りに7画面が同時表示が可能で、一画面で多くの情報を得ることが可能。 (10数年前のシャープのハイビジョンTVでは三チャンネルを同時に見ることが可能だったが) ・一日分のテレ地・8チャンネルを同時録画が可能で、画像が鮮明で、音響が自動最適化をする。 駅中のビックカメラのTV売り場の入り口近くに置いてあった。成るほど、これは今までのTVとは違う。 で、それどうした、といえば、それでしかないが。 ・・・・・・・・ 2854, 格差世襲 −2 2009年01月27日(火) リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。 ・特に教育方針に違いが表れている。 「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望むリッチ層に対して 貧乏父さんは、「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」「進路は本人の希望を優先したい」という。 自分の5年先も見えないのに、子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。 ・ギャンブルに関する回答も興味深い。事業ではリスクを負うことを辞さないリッチ層がギャンブルには興味を示さない。 それに対して貧乏層は一攫千金を夢みて、各種のギャンブルの体験を持つ傾向が強い。 事業というリスクにさらされている者にとって賭け事に興味がなくなるのは当たり前。 日常がギャンブルだから。 事業などのリスクの少ない人は、スリルをギャンブルで経験をしたくなるのも人情。 ・好きなTV番組では、お笑い番組が好きな非正規ジュニア、スポーツ好きな貧乏父さんの姿が炙り出される。 ・現在の階層・格差社会に対する見方は、貧乏層は「階層化しつつある」という方で、格差逆転の機会の平等も 機能してないと答えているが、リッチ層の三分の一が機会平等が存在していると見ている。 今度の恐慌は、格差も含めて勝ち組とかも淘汰することになる。社会主義経済の実験で現れた「総下層社会」である。 インドのカースト制度では下流とはいわないで、下層という。固定化して、それに対して問題意識も無い社会。 ところで堺屋太一の寄稿 ー「健全な格差」とは何かーで、日本を覆う三つの格差を取り上げていた。 ・1つ目は、親の顔 ー人脈格差 ・2つ目は、正規社員と非正規社員、つまり大企業や官公庁の組織に入り込んだ「職縁人」と、そうでない「無縁人」職縁情報格差。 ・3つ目は、東京圏と、その他の地方の間の差別。今や日本は、東京の千代田区と港区に集中した「出島」からしか情報が入らなくなった 不便な社会になってしまった。 (字数制限のためカット 2012年1月27日) ・・・・・・・・ 2008年01月27日(日) 2489, 無くてはならぬもの ぉl£ょうヽ【・ω・】ノ 佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」 二十代半ばに挫折感に陥り、魂が放浪していた時に貪るように読んだ本を38年ぶりに手に取ったみた。 そして、その内容が現在でも自分の心の底に焼きついていることに驚いている。著者はプロテスタントの牧師で、 キリスト教の教えが底に流れているが、人生を如何に生きるべきかを理路整然と書いてある。 現在読んでも、そのまま通ずる内容である。それぞれの章ごとに印象的なところを書き出しながら、 昔に舞い戻ってみたい。 まずは当時、傍線をひいてある箇所をうつしてみる。 P−19 近代の思想は、ほとんど独白という姿勢からなされてきた。ようするにひとり言である。 みんながめいめいに、自分勝手にひとり言をいっている。そこでは、本当の意味で、交わりの生活を 作り出さなければならない。独白は創造しない。対話の中からのみ創造ということがはじまるのである。 対話とは何か。それは、人格と人格との出会いの姿である。人格と人格との出会いのないところに、 対話の成り立ちようがないのである。自己を主張する前に、他者の言葉に耳を傾けることである。 私たちの生活では、家庭においても、職場においても、あまりにも、対話の生活がなさすぎるのではないか。 P−23 サマーセット・モームのような人生をおもしろおかしく生きる道を選ぶか、意味のない現実をつくりかえて、 人生の意味を創造していく道を選ぶか、人生には二つの生き方がある。あなたはどちらの人生を選ぶのであろうか。 私は、意味の創造に自分のまずしい人生を捧げていきたいと思う。意味のない人生に意味を創造していくことこそ、 私にとって生きることの意味だとはっきり自分に向かって言いきかせたいと思うのである。 P−112 私は人格としてつくられている。それが、人間の条件の最も大切な要素なのである。私の人生は 私のほかには誰も代わって生きることは不可能なのである。だからこそ私はひとりなのである。孤独な存在なのである。 P−196 世界に何億という人がいようともこの「私」はたったひとりしかいないのであり、それは絶対に誰かに 代わってもらうことはできない、つまり「私」という人間に、代用品はきかないのだ、ということなのである。 私はあなたくらいのとき、思わず厳粛な気持ちになったことがある。人間の尊厳とか個人の尊さということは、 そこから出てくることなのである。・・人生は二度と繰返すことのできない一度きりの人生なのだ。そのことが、 ほんとうにわかっていないと、人生をどう生きるか、という問題は、真実に考えていくことができないのである。 (字数制限のためカット 2012年1月27日) ・・・・・・・・ 2007年01月27日(土) 2125, 顔筋マッサージ (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜 先日の中学校の同期会の二次会の写真を見て驚いてしまった。飲みっぱなしと、久々に同級生に会って気が緩んでいたのも含めて、 弛みきった初老の顔が、そこにあった。ところで、ある雑誌に代議士の加藤紘一の手記に「顔筋マッサージ」があった。 −その概要といえばー 「文藝春秋10月号の332ページを見よ」というメールが知人から入ったので、そこを捲ると、「顔面マッサージで男を磨け」 という記事に加藤紘一の名前が載っていた。そこには「 ・・・他に政治家で気になるのは加藤紘一さん。 真摯に生きているが、でも顔がどんどん横に広がって大きくなっています。マッサージでシャープになれば劇的に変わり、 本来の輪郭に戻れるでしょう。」とあった。・・・・そこで、そのマッサージ師を呼んで受けてみた。 ところが、わずか20分ほどのマッサージを終えると、鏡の中の顔の輪郭が引き締まっていた。その直後のTVの討論番組の収録で、 異口同音に「加藤さん、痩せましたか?」と声をかけられた。他人の目からみても効果があったのだろう。 私の顔でこれだけ変わるのだから、片山虎之助参院幹事長はいかほどだろうか。是非勧めたい・・・」という内容である。 (文藝春秋2,007年1月号より) (字数制限のためカット 2011年1月27日) ・・・・・・・・・・ 2006年01月27日(金) 1760, ウエブ上の「貨幣」は「キーワード」 ヾ(o′エ`o)ノ*:.。オハヨウ。.:* 産経新聞の「正論」のコーナーでの論客の公文俊平氏の「ポスト産業社会を担う知本主義」が面白い。 ポスト産業社会としての現代社会を「知本主義」社会と位置づけて論じている。 これまでの産業社会を資本主義を中心とした社会の対比して知本主義では、通職、智、智場、智民、 キーワードをあげている。 ( ・∀・)つ(:゚::) ミカン ドゾ♪ 資本主義社会ー> 知本主義社会 商品 −> 通識 富 −> 智 市場 −> 智場(インターネット) 市民 −> 智民 貨幣ーお金 −> キーワード 筆者は資本主義社会における貨幣が、ネット上ではキーワードと看破している。 web上の検索にキーワードを入れると、世界中のありとあらゆる智場から情報を得ることが可能だからだ。 智場から智ー富を何時でも瞬時に得ることの出来る人を「智民」というのも肯ける。(σ〃'ω')σ ゲッツ キーワード☆ 今後、豊かさの大きな位置を占めるのはこういう「智民」であるという。 日本は相対的にみると、 最も健全にネット社会が発達していると楽観的な見方をしている。「智」という言葉がキーワードになる。 検索で調べたら、「長い経験から納得して知る、すなわち腑(ふ)に落ちて知る」というのが智の意味とあった。 「情報を知識化、知恵化をして蓄積されている状態」ということだろう。 ネット上の裕福な人とは、多くの上質のキーワードを一瞬にして把握して、自分のHPにネットをはれる人? それと自分のライフワークをネット上にセットできる人? そのためには、教養が必要ということか? 今日、用がない?では、智は得ることはできない。この文章で初めて知ったのが、「WEB2.0」というキーワードである。 次の機会にまとめてみる。 ネット上も変化は激しい! (*´∀`)ノバイ ・・・・・・・ 2005年01月27日(木) 1395, 危ない格言ー3 ー読書日記ー 第2章 自己をめぐる右往左往 ・憎悪は人間を鋭敏にする、もっぱら敵の弱みについてだけど・・・ (my感想)ー敵だけでなくなるのが恐ろしいことだ。憎悪を感じる程度は、まだまだ! ・これまで獣や畜生と名指されてきて蔑まされてきた動物たちは、もとより人間どもが,自分達の事情で,こねあげた像を 押し付けられただけで、彼ら自身は動物として、他の生物や生命の世界にもとることは何ひとつやってこなかった。 彼らに押し付けられた像は、実際は、すべての人間の所業から捏造されたものだった。 動物の中で、獣のように振る舞い畜生のように行動してきたのは、要するに人間ばかりであって、他の動物ではなかった。 (字数制限のためカット 2010年01月27日) ・・・・・・・・・ 2004年01月27日(火) 1028, 大人のワッペンー勲章の意味 −2 「新リーダーの研究」 読書日記−2 「目次」の小項目と、それぞれのダイジェストを書き込んだ。 これで内容のほぼ90?を網羅している?。 書き込んでいるうちに、ほぼ理解?!をしてしまった。 現在の私にとって、内面の底から湧いて来る自身への声に聞こえてくる。 −以下は字数の関係でカット(2009年01月27日) ・・・・・・・・・・ 2003年01月27日(月) 663, 小売業売上げの推移 朝日新聞の経済欄で、百貨店とスーパーの「既存店の売り上げ」が6年連続前年割れと出ていた。 グラフで見る限りの6年間のダウンの数字合計が約20?であった。 これを見る限り既存店の多くの店が赤字という事になる。 それも開店した2年目からの店と勝ち残っている店の平均値である。これではスーパーなどは新規の店を出し続けないと維持できない。 (字数制限のためカット 2012年1月27日) ・・・・・・・・・ 2002年01月27日(日) 313,自分の為の文章作法 日記とか、随想など自分の思いを書いているときの決め事として「以下のようにしておくといい」と書いてあった。 ・誰かがこう言っていたとか、自分がこう言った場合は 「−−−」と言っていた。・自分がこう思った、考えた場合は <−−−>と思った。 これだけでも言ったことと、 心の中の思いを分ける事ができるという。いま一つはの分け方は、 ーこれは私が考えた分け方 1・自分の考え思いを<−−>と決め、 2・自分以外の考えや、言ったことや、書いてあった場合を「−−」と分ける。 3・信念、強い考えを[ーーーー]もつかえる。 4・希望、夢は(−−−)、 これを決めていれば、自他の区分がハッキリして自分の位置づけが解りやすい。上から重要順に書いてある。 <まず1、からこれを実行しよう>と思う。文章にいま一つ自分のシステムが入ってくる。 今日から実行だ。 ・・・・・・・・・・ 1月27日 月曜日 1969年 昼過ぎの2時に起床。 TVをみて、風呂に行く。21時から翌朝の4時まで勉強。 あと一週間で最後の試験に入る。 意外と内容は難しい。そう簡単に卒業はさせてくれない。
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