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2011年11月19日(土)
ギリシャが何とか目先の命を繋いだが、これも解決したわけでなく問題の先送りをしただけ。その直後に、待ってましたと イタリアがマナ板に上がり、IMFの管理下に置かれて徹底的な国家の合理化が図られる。 イタリアには一度就職をすると 簡単に人員整理が出来ない法律がある。イタリア人は、それを逆用して働かないで給与を貰う体質が染み付いている。 グローバル化の世界では競争力がなくなり破綻するのは当然。 IMFの厳しい合理化にイタリア人気質が耐えられるか?というと、 非常に難しい。 ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルという一時代を築き上げた国が次々と国家破綻の瀬戸際になっている。 リーマンショックがキッカケで、世界の多くの国が積年の矛盾が噴出し、一挙に激変の様相になっている。 それに対して指導者は、その対策が全く立たない事態で、その場限りの対処しか考えられないのが現状。あとは何時何処で火を吹き出すか。 1999年からG7にロシアを加えた蔵相会議が開催されてきたが、リーマンショックを契機に世界の主な国の12ヶ国を加えたG20が 年に1〜2度のペースで開催され、その対策が検討されている。そこで何とか恐慌を食い止めているが、それも秒読みになってきた。 イタリアに続いてスペインの国債利回りが7パーになろうとしている。ここもIMFの管理国になるのだろうか。 ギリシャ危機の9月のギリシャ国債のりまわりが136パーセントというから驚き。現在の32パーも、危機ラインを遥かに超えている。 日本だったら1千兆の利回りだから、329兆円の利回りになる。国家収入の10倍になる。そのギリシャと程度が同じで、数年後には、 似た状態になるとしたら、ここで叫び続けていることは、まだ楽観的範疇。 例の国の国債の利回を見て、呆然。近未来が見えている。 <10年もの国債の利回> ぷかぷか煙草を吸いながら川辺で車に寄って引き潮を見ていた東北大震災の被害者の姿が目に浮かぶ。 ・ ギリシャ 32.29% ・ ポルトガル 11.52% ・ アイルランド 8.22% ・ イタリア 7.28% ・ スペイン 6.43% たまたま、この数年来の同月同日に予告編?を書いていた。 ・・・・・・・ 3525, 死に至る地球経済 2010年11月19日(金) [死に至る地球経済」浜矩子 著 ー内容紹介ー ギリシャ危機に端を発するソブリンリスクを抱えたEUや、人民元の動向が注目される中国など混迷が続く世界経済。 長期低迷を続ける日本経済も、デフレ、資源価格の高騰、財政危機というトリプルショックを迎えている。 今、進むべき道はどこにあるのか。グローバル経済の新しいあり方を視野に入れ、現状を分析し未来を模索する。 (第1章)では、G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界を論じ、「成長に優しい財政再建を目指すこと」 の困難さについて述べている。 (第2章)ソブリン・ショック=国家破綻の脅威についてで、グローバル時代の恐慌は、いったん始れば国家財政で 押さえ込むスケールを遥かに越え広がり、セスキュー隊員を遭難させ、その隊員の遭難が更に恐慌を深める (第3章)終焉近い基軸通貨体制 ートリフィンのいわゆる「流動性ジレンマ」論を踏まえての基軸通貨システムへの 代替論の提示)、どうしても「地域通貨」に一つの解答を見出したくなるという (第4章)ポスト・リーマンのグローバル金融の模索、ー再暴走か、大縮減かの瀬戸際に立つ緊迫状態 (第5章)中国は果たして救世主になれるか? 世界経済における中国の存在意義とそれが生み出す諸問題、 経済活動は、成長と競争と分配を三辺とする三角形。中国は、はなはだ歪で成長だけの一輪車。正念場はこれから。 (第6章)そしてわが日本はどうすべきか。総中流に向けて忙しく働き、皆が豊かになっていく時代の状況は変わってしまった。 「下流社会」という言葉も出ている中、誰もやらないことをやるのが政策の仕事である。 ▼ 著者は、辛口の経済学者として著書、雑誌で度々みかけ、その論調も痛快である。エピローグで、ここで再び世界を 不安感が覆いはじめていると警告。その不安を呼び覚ましている言葉を二つあげている。その一つが「財政破綻」。 二つめが「二番底」という。財政破綻は、国家破綻を意味している。その二の「二番底」は「死に至る危機」が襲う恐ろしいこと。 これは当初からあったが、目先の緊急措置で当面の間、乗り切ったに過ぎず、根本問題の先送りをしただけ。その先送りの問題が、 再び、立ち上がってきている。「国家財政破綻」これが、恐ろしいのである。欧州では、理想的なEUが発足されたが、さっそく、 この金融恐慌で、その脆さが出てしまった。先行き、真っ暗で、世界恐慌への引き金を引きそうな事態になってきた。 ・・・・・・・・ 3150,「要は如何受け止めるか」である! 2009年11月19日(木) 「いやな気分の整理学」―論理療法のすすめ 岡野 守也 (著) 最近、どうもこうも不機嫌なことが続く。年齢的からみて誰もが通らなければならない60歳前半の欝症だろうか。 それまでは、いやな事があっても次の事象が起これば直ぐに切り替えが効いたのが、年齢的な衰えからから、 以前のように切り替えに時間がかかり何時までも引きずってしまう。 いやな出来事A(失敗・陰口・争い)→ 結果C(落ち込み・腹立ち)が生じると、それは失敗や陰口と思いこむ。 しかし論理療法のABC理論は、AとCの間にB(Belief)を入れる。 出来事・A → 考え・ビリーフ・B → 結果としての感情・Cとする。 「いやな出来事と感情の間に、それに対する受け止め方・考え方があり、それが感情的な反応を決める」 要は「どう受け止めるか」である。 Bで肯定的思考に変えることで、暗い性格から、明るい性格に換えてしまう。 論理療法の創始者エリスは「ねばならない」「であるべきだ」「であってあならない」「はずがない」という非合理な 思い込みが、不健康な否定的感情につながると指摘。「絶対にうまくやらねばならない」「私の人生は完璧であるべきだ」 「こんな不公平があってはならない」という思い込みが、いやな出来事Aをいやな気分に変換してしまうとする。 そこで、論理的な対話型セラピーによって、非合理的考え方、イラショナル・ビリーフを解消するのが論理療法。 *「私はまったく無力です」という人には「歩いてここまで来られたのですから、歩行能力があるんですよね?」と 話を持っていき、ご飯を食べたのだから咀嚼力も消化力もあるし、目が見えているから視力もあるじゃないですか という風に誘導。 人間の心はおもしろいもので、「自分は無力だ」と考えると、無力感が襲ってくる。 「微力としても、力はある」と考えると、少し力が涌いてくる。 思い込みの内容を意識して言葉として表出させて、 論理的な説得を繰り返すことで、感情の自己コントロールが可能な性格に変えようと持っていく。 肯定的思考法に似ているが、マイナス思考を無視するのではない。 *「落ち込み癖」を治すには ・「ダメな私」=自己非難 ・「かわいそうな私」=自己憐憫 ・「かわいそうなあなた」=他者憐憫を、まず止めること。 夫婦で慰めあっているのがいるが、まあ、「可哀想な貴方たち」ということだ。 そのうち、互いにダメな貴方になるが。 そのためにはミッション・ステートメントなど、自分の信念を箇条書きにして、それをビリーフにすればよい。 「出来事のうけとめ方」とは「自分で自分を説得すること」で、気分を合理的に整理する方向に持っていくことになる。 他にも気分を整理する働きとして、般若心教に、ウォーキング・セラピー(こんな言葉はないが)に、日記に、カラオケに、 秘境ツアーに、あげれば限がない。 私の場合は、嫌な気分の原因を集中して考え続けていると、ある時点で、消えていく。 その時間査定も、その中でしてしまう。初老性欝症状は軽く終わりそうだが、あと半年? その後は、慢性老人欝症かいな? ・・・・・・・・・ 2785, 恐怖指数 2008年11月19日(水) 11月17日付の読売新聞・一面の「編集手帳」が面白い。 【 アメリカで4年に1度、注目を集める経済指数がある。大統領選の行方を占う指標とされる「ミザリーインデックス」である ◆日本語訳は「悲惨指数」「窮乏指数」と悲壮感が漂うが、要は物価上昇率と失業率を足した数字のことだ。 これが10を超えると、米国民は経済失政に怒り、政権交代を望むという。 8年ぶりに民主党のオバマ氏が大統領選を制した今年、指数は6月から10を超えている。 歴代大統領では、指数が高かったフォード、カーター両政権は短命だ ◆ 政権交代との因果関係は定かでないが、指数が上がると政府の無策を嘆く人が増えるのは間違いない。 実は、日本も6を超え、1980年代前半以来の高さになっている。経済政策への不信感は、相当に強いに違いない (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日) ・・・・・・・・・ 2007年11月19日(月) 2420, サブプライム問題 ー1 新聞広告につられ年に2〜3度しか買わない週刊誌を先日買って読んでみたが、なかなか面白い内容であった。 大体が週刊誌は期待した半分も中身がないが、週刊文春の11月22日の発行の「50年に一度の『株価クラッシュ』が始まった!」 の特集は、どれも考えさせられるものばかりであった その中のアメリカのサブプライムの問題はもしかしたら大恐慌の引き金になるほど、根が深いようである。 「住宅の借り入れ金の範囲しか責任がない(借金を返せなくなったら、その物件を銀行などの債権者にひき渡せば、それで済む) のがアメリカのノンリコール制度。 この制度のおかげで、不良債権化した物件や債権を引き渡された銀行は、 担保割れの物件の山になる。 まだ住宅の相場良いうちは問題は生じないが、相場が崩れると、強気で貸し付けてきた銀行の 損失になってしまった。それが数十兆円、百兆以上?もあるというから尋常でない」これでは大恐慌になっても不思議ではない。 どうなることか? これに石油高騰と穀物高が重なったのだから・・・来年は、更に荒れる年になるのは必定! ーーー *まずは週間文春の一部を紹介してみよう* 日本人はつい日本の住宅ローンの常識によって物事を判断してしまう。 だがこれは大きな誤りだ。日本では、ローンを組んで買った住宅が大きく値下がりした場合、 家を売却してもなお借金が残ることがある。この時、借りた人間は律儀に残債を返すのが当然だと私たちは思う。 だからこそ日本では不況が恐慌に発展せずに済んだのだが、同時に十年以上も延々と不況が続いたのだとも言えるだろう。 日本の住宅ローンとは異なりつアメリカで一般的な住宅ローンはノンリコースローンである。借金を返せなくなった場合には、 担保、に入れていた住宅をお金の貸し主に渡してしまえば、それだけで借金から解放されるという契約なのだ。 日本の常識から見ると、アメリカの住宅ローンは、経営方針が大甘のカジノみのたいである。 金も持たずにやって来た客に対しても、喜んで賭け儲け金を貸してくれるという大甘の カジノである。 客が勝てば(=買った住宅が値上がりすれば)勝った差額を自由に持って帰ることができる。客が負けたら、 手元に残った残金だけ返せば(=担保となった不動産を引き渡せば)それ以上は責任を追及しないというカジノである。 こんな大甘カジノなら、客は殺到するだろう。大繁盛すること(=住宅の価格が高騰すること)間違いなしだ。 だがカジノが繁盛していることと、カジノが儲かっていることとは、まったく別のことなのだ。 住宅への需要が水膨れすれば、価格が高騰するのも当然であろう。 だが、どう転んでも客が損しないサブプライムローン の仕組みが成立するためには、住宅価格が右肩上が滑りで、今日よりも明日にはさらに高い値段になる必要がある。 ところがアメリカは昨年末には不況入りした。当然、住宅需要は減ってくる。 みんな、一斉に勝ち逃げしようと考える。住宅の売り物が増えてくる。価格は下落に転ずる。 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日) ・・・・・・・・ 2006年11月19日(日) 2056, あたりまえなことばかり −10 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 内語は、声を出すと独り言になるが、独り旅で内語というカタチでブツブツ言っている自分に気づくことがある。 毎朝のウォーキングも内語が活発化している。内語といえば、この随想日記の同月同日の数年分を読み直しているとき、 そうか、そうか、と読みながら独り発語しているのは内語の究極と思える。まあ、このHPも内語そのものと言えよう。 そう、今年の3月から始めたモーニング・ページ(起きざまに白紙のノートに思いつくまま書き出す)も、 自己対話の形式の内語である。この良さは、頭で考えていることは、ほぼ些細な事と鳥瞰できることだ。 まあ、砂金がたまに見つかるのが・・・ この自己対話で質問者と回答者の対立が深まると、分裂症状になるが。 近くの居酒屋の親父、厨房で頭に浮かんだまま声に出している。 私のことを一度「あいつ、俺には合わないんだよな〜」と、 言っていたか・・ ブログなど、内語だった地声?を、そのまま公開することである。内語は考えるほど面白い形式だが・・ ー孤独とは苦しいものなのか ー *「内語」と「孤独」について 「思う」とはどういうことだろうか。 何かを思うとき、思っているのは自分だが、思われているのは自分ではない。 これは、よくよく不思議なことでなかろうか。「思う」というこれだけの出来事で、自他の区別はまったく不明瞭なのである。 あるいは逆に、「思う」ことによって、自他がそこで出合うのである。 孤独なもの思いにおいてこそ、人は世界へと開かれることができるという逆説、孤独な思索者の内なる饗宴である。 「内語」という現象にそれは極まるだろう。自分が自分に語りかけると、普通にわれわれは思っている。 しかし、自分が自分に語りかけるとは、一体どういうことであろうか。 もしも自分が自分として完結しているば、そこに語りかけるという行為は発生しないはずである。語りかけるとは、 問い尋ねる、確認する、疑念を発する、同意を求める等、本来的に他者へと向けられる行為である。 しかし、語りかけているそこには、目に見える他者など、存在していない。 すると、そこに語りかけているのは誰だろうか。なるほど「自分に」だと言うしかない。 だからこそ、他者として、語りかけ語りかけられている自分とは、自分にとって自分なのだろうか、 他者なのだろうかという問いが、いよいよ悩ましいものとして立ち上がることになる。 自分である、他者であるということは、自分であるという正にそのことにおいて、 いかにしても自明のことではあり得ないのだが、この場面において人は、目に見えるもののみ信じすぎる。 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日) (*^○^*)ノ ホンジャ!また ・・・・・・・・・ 2005年11月19日(土) 1691, ザ・マインドマップ−4 ーマインドマップのメリットといえば、 (字数の関係でカットー2007年11月19日) 〆(∀`*) ・・・・・・・・・ 2004年11月19日(金) 1326, 海外旅行ー履歴 今までいった旅行履歴である。あらためて、よく行ったと自分でも感心する。 60歳まで50回という目標は無理であるが、年二回のペースなら63歳に達成する。 この不況の中、年二回のペースを守れるかどうかだが?70歳まで、年二回のペースを守ると65回になる。 このくらい行けば、心の大きな財産になり、人生に対する悔いは残らないだろう。 ある地区に偏らないで、まんべんなく行っていた。 「オーストラリア、アメリカのグランドキャニオン、東欧、モンゴル、インドネシアの辺りが空いている」 が、今のところあまり行きたいとも思わない。 「43」北イタリア −2005・10 「42」オーストリア ー2004・08 「41」アイスランド ー2003・10 (以下、字数の関係上、カットー2011年11月19日) ・・・・・・・ 585, ある時間の断片ー12 - 2002年11月19日(火) 1968年 10月1日 9時半に起床、11時までボーと過ごす。 その後学校に行く。石川と入れ違いに兼子がくる。 一緒にコピーをとりに校外にでる。そこでフェステバルの行進にであう。かれの食事に付き合うーそれまで私は終えていたが。 彼も自分に対して自信を持ち始めたようだ。女性に対してかなり発展しているとか−同棲をしているとか。 彼とボーリング場に行くが満員で時間待ちということそのまま帰る。帰寮後、風呂に行き試験勉強を1時間半する。 キックボクシングを見た後、石川へ電話のため電話ボックスにいく。9時半より夜半の一時まで試験勉強。 精神がまだ甘いとつくづくおもう。 就寝。 1968年 10月2日 10時起床、11時に学校に向かう。食後図書館に行く。石川と隣り合わせで試験勉強をする。 途中に同級の雨宮がくる。彼と話をするが、外国に行きたいとのこと。 必死に将来を考えているようだ。兼子も来る。図書館の私が座っている場所が溜まり場みたいになっている。 今日の試験はまるで簡単であった。まじめにやりすぎたのが馬鹿みたいだった。 帰寮後、先輩の佐々木さんと高橋君と食事、その後後輩の駒村君と米林君と話す。駒村がのろける。 自分がもてるのに驚いているという。 そういえば今日昼の12時半に深井と会う。 彼が今度の土曜日に聖心女子大の彼女等と会うという。 私も行くことになるが、その前に小作とどこか女性と遊びに行く予定がドタキャンになる。 そう考えていると偶然の一致に彼と出会う。 面白いものだ。彼の誘いを断る。 ・・・・・・・・・・ 「232」人生の三つの坂 2001/11/19 人生に三つの坂があるという、「上り坂」「下り坂」「まさか!」 である。 (以下、字数の関係上、カットー2010年11月19日)
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