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2011年07月16日(土)
* 集合的無意識と、元型 潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験にとどまらず、個人を超えた 「普遍的なもの」とアクセスする場合がある。この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、 人類の長い歴史や文化という大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。 ▼ 時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型> 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識」 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している無意識層があり、ここに、時代、国家、 地域、 民族、文化、さらにはすべての人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点を「集合的無意識」とした。 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似たような人物を見出したりする。 また時代や地域の異なる宗教に真理を見出すことが出来ある。 時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な位置を理解することができます。 〔3〕元型 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で 「普遍的なイメージパターン」を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 厳格に教え導く 父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分(男性像) である「アニムス」、 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成する過程で 発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー(影)」などがある。 〔4〕自己 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。 これは「完全なるもの」「最高なるもの」を意味し、この元型から 生み出されるイメージパターンは、悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後にある光の輪、 あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な(尊い、神聖な)意味などが挙げられる。 「自己(セルフ)」の元型は、自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに感じられる時に、 生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していくための力となったりする。 ◎我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。その共通するものがあるからこそ、 我々は自分とも他人とも対話したり、つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、 それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識があるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは? ・・・・・・・ 3399, おテレビ様と日本人 ー3 2010年07月16日(金) * 限定的な陰謀、対極的な陰謀 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。 その典型が、その世代の10代後半から30歳半ばの青年たちは、中国、韓国の若者達に大きく差がつけられてしまった。 その上に携帯電話という思考停止マシーンで育っているから目が当てられない。哀れというしかない! 他人事でない? ーまずは、その辺の部分を記してある部分からー (P/177) ≪ 第二次大戦以降だろう、「地球エリート」とでも名づけたい一部の集団が確立して、具体的な行動に取り掛かったのは。 人類に一定の知性しか持たせない「総白痴化陰謀」である。エリートを揺るぎないエリート化するということは、結局その裏返し、 それ以外全員を非エリート化することで、全員を無知蒙昧のバカ者に仕立て上げておくということなのだ。・・・ 何しろ人類を支えるあらゆる種類の「資源」には限度がある。食糧だけの問題ではない。知的資源にも飽和限界というものがある。 たとえばすぺての人間がデスクワークを望むようになれば、肉体労働者はいらなくなるか、常に闘争が激化する。 バカをバカのままにしておくことは、人類未来に必要にして不可欠な状態なのだ。 人類全体の知的啓蒙、教育浸透は、 昔単純に考えられていたほどに素晴らしいことではなのである。 個人的な人生の幸福論から考えても、これに近い解答が出る。 人間は考えれぼ考えるほど、知れば知るほど不幸になり、苦しみも増える。それより、「考えても仕方がない、知らないほうがいい」 という結論が出る。 これを全人類、その時代時代の人間全体に置き換えても真理なのだ。「人はみな、部相応に生きるのが もっとも幸せである」という結論だ。 背伸びをするほど、求めれば求めるほど、不満と不幸はつのる。無関心こそ幸福への扉なのだー、 と、少数エリート集団は見極めている。 間違っていない。正しい。 豚には豚のエサがある。豚にライオンの食物を与えても 食べられない。 もし与え続ければ、豚は餓死するしかない。 であれば、豚には豚の好物を与え、ライオンに近づかせないことが 豚の幸せであり、ライオンの幸せでもある。 大衆にテレビを与えよ。 その番組内容を、できる限り豚のエサに近くせよ。 間違ってもライオンの食事を横取りしたいなどと考えさせるな。彼らの幸せのために! この種の陰謀はイラクから軍隊を撤収するか しないかとか、アフガンの今後をどうするかなどといった陰謀とは、まったく性格を異にする陰謀なのだ。 白人から見た黄色人種、 なかんずく日本人は、豚の中の豚である。 人間のエサは決して与えてはならない。 人間のエサとは、何か? 考えることである。 思考力である。 これだけは絶対に食わせてはならない。 多少ビタミンが入っていてもいい。 ミネラルも少しは混合しよう。 タンパク質もごく少量。だが、思考力は絶対ダメだ。そんなエサがあるか? ある。テレビだ。 思考力を阻害する最善策。 忙しくさせておくこと。 時間を与えないこと。 子供には勉強、部活、いじめ、そしてテレビで充分に時間がなくなる。 ≫ ー現在の日本の世界に先駆けての恐慌も、ブタ化の結果である。リーマンショック以来、その弱点を一番初めに曝け出してしまった。 それが現在の政治であり、経済の惨状である。更にケッタイな日本的な街中無差別テロである。あの虚ろな目をした若者たち。 ・・・・・・・・・ 3024,明治・大正と昭和・平成の符号説 2009年07月16日(木) 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 〜2 【憂国の時代】 ー関川夏央ー *明治・大正と昭和・平成の符号説 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。 ーその概要をまとめるとー 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の符号説というのがある。 「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、 明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。 第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、 その崩壊、平成不況と阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦ということになる。 これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか? (字数の関係でカット 11年07月16日) ・・・・・・・・・ 2659, コールド・リーディング 2008年07月16日(水) 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。 そこで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみたら面白い。 ーー ・コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことを よく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」 という意味である。詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できるものであり、 必ずしも悪の技術とは言えない。 ・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。 ・コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。 「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。 *「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。 そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容 (実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。 *「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」 *「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、びっくりしたり 思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。 これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への 信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって 「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、 心理学とコールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。 ーーー 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。 (字数の関係でカット 11年07月16日) ・・・・・・・・・ 2007年07月16日(月) 2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1 ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、彼女への追悼文を、 ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、 あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。かた方の変人の雄の池田と知り合いで、 その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に 戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てている ところが、彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。 とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。 哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。 哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。 初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。 まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・ ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより P-152 ーー 池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、 私は翌三日の朝日新聞社会面で知った。昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、 彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、末期ということはわかったが、 こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、その日大学にいても 彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に 携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。 池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが 「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。 池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。そのころ彼女は三十歳位であり、 とびきり美人であることは誰の眼にも明らかだったが、そこにいた参加者たちはまったく無視していた。水玉の(?)袖が長めの 白っぽいワンピースを着ていたように記憶している。池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、 まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、ほぼ無名であった。そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治・・など、 いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、当時彼らは哲学界という狭い世界の中では評価されていたが、 誰も世間的には有名ではなかった。
永井さんが有名になったのは『〈子ども〉のための哲学』あたりからであり、それが講談社のPR誌『本』に掲載されて いたとろから評判であった。そして、一九九五年の夏に『ソフィーの世界」が大ペストセラーになると相前後して出版界は 「哲学ブーム」という軽薄な掛け声と共もに浮かれ出し、池田さんの『帰ってきたソクラテス」(新潮杜)、 永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)、木田元さんの「反哲学史」など、それぞれ部数を仲ぱした。・・(中略) (字数の関係でカット 10年07月16日) ・・・・・・・・・・ 2006年07月16日(日) 1930, 二つ目のブログ ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ! 新しいブログを二つ開設した。一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。 (字数の関係でカット 09年07月16日) ・・・・・・・ 2005年07月16日(土) 1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。 一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。 当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、 このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。丁度、ホテル建設から10~24年経っており 建て替え時期になっているので、プラスになるだろう。また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。 10〜30パーセントのアップが見込める。(朱鷺メッセと、至近の東横インの入っている再開発ビル工事で実証済み) 総事業費が1445億というから、新潟市にとっては巨大プロジェクトになる。この事業構想から13年も経つが、やっと具体的な 動きになってきた。年度内計画決定を目指すという。事業完成目標は平成25年というから、決定をすれば工事は急ピッチになる。 今までの大きなプロジェクトとして ー県事業として ・万代島再開発事業で 290億円 ・サッカーの新潟スタジアムに 300億円 (字数の関係でカット 10年07月16日) ・・・・・・・・・ 2004年07月16日(金) 1200, ロマン・ロラン ー哲学についてー16 (以下、字数の関係でカット2008年7月16日) ・・・・・・・・ 2003年07月16日(水) 833, 孤独について ?2 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。経営者は孤独でなくてはならないとか、 孤独であるという。特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。山の中の孤独というより、街の中の孤独である。 街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。お互いの距離をおくことである。 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。 1 独想 2 独学 3 独行 4 独遊 5 独創 6 独楽 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。 独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、 途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。そしてその起承転結を楽しむ。しかし実際はつらい孤独業である。 つらさと楽しみは裏表であること知る。二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。孤独に耐えるためには、 宗教が必要である。日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。欧米では自分が 気違いだと言っているに近いことになる。スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚していない為である。 ーつづく ・・・・・・・・ 2002年07月16日(火) 458,一期一会 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。 それも字のとおり「一期一会」である。 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、全てを曝け出し、そして別れていく。 「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。平気で自分を曝け出せる場でもあり、 人生の学問の場でもありうる。お互いの人生の通知表を見せ合える場であり人生の決算書を携えて来ているともいえる。 色々な人生があるものとつくづく思う。遠藤周作の「深い河」というインドのツアー参加者のそれぞれの人生を描いた小説が あったが、正しくそれである。直にそれを見れるのも、一種独特の圧縮された社会がその期間に形成されるからだろう。 特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。 ・・・・・・・・ 2001年07月16日 旅行中
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