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2011年05月09日(月)
* ジャズ、1000曲 私の知人がジャズマニアのSE。 先日、パソコンの不具合をみてもらった折、、 「自分の持っているジャズが1万曲あるが、そのうち1000曲をあげるよ」と言われた。 そして先日、その記憶媒体を通して私のパソコンに入力をしてもらった。 その結果、私の書斎コーナーのパソコンと、それに伴ないiPodには、一挙にジャズが1千曲が加わった。 先日、事務所から引き上げてきたステレオをパソコンと繋いでiTunesで聴けるようにしたため、部屋はジャズ喫茶のように BGMが常に流れる空間になっている。 ジャズなど知らない私でも、自分の好みのリズムのジャズを選んで聴いている。 それが、読書や、この随想日記の下書きをするBGMに非常によい。 自分の居場所を昔から作るのが好きだったが・・・ 本人は、ネットラジオと図書館の貸し出しのCDからコピーした曲というが、フリーの時代は、こういうことである。 * 問題は高速道路と新幹線が引っかかるため?・・ 政府が、汚染地域を拡大出来ないのは、広げると高速道路、次に新幹線の福島駅に引っかかるためではないか?と言われている。 もしアメリカの基準の80キロにしたら、新幹線と高速道路が不通になり、東北六県が大打撃になりかねない。 この原発事故の今後を考えると暗澹たる気持ちになる。海水汚染と、それに伴なう雨などで関東圏も、やられる可能性も充分にある。 それほど、この事故の根は浅くない。既に関東圏の不動産の暴落の噂が週刊誌などで騒がれ初めてきた。もちろん、地元の新潟県も 影響してくるだろうに。放射能測定器が6万から8万円で売られていて、飛ぶように売れているというが・・・ ・・・・・・・ 2010年05月09日(日) 3331、「ゲーム・キッズ世代」は、まだ見込みがあるが・・ 「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー4 *「ゲーム・キッズ世代」は、まだ見込みがある ーまずは、「ゲーム・キッズ世代」の部分からー Pー262 「少年ジャンプ世代」に続くのが「ゲーム・キッズ世代」である。「任天堂キッズ」「プレステキッズ」と言ってもいい。… ただし、このゲーム・キッズというのは、その世代の主流ではない。「少年ジャンプ」に熱中するよりはゲームに熱中した世代 ということでこう命名しただけだ。 この世代の先端は、すでに三十代半ばになろうとしている。この「ゲーム・キッズ世代」は 私が見たところ、「少年ジャンプ世代」よりはマシである。ゲーム・キッズ世代は子供のころから、ロールプレイングゲームを やってきた世代だけに、とにかく、何かをしてやろうという挑戦するメンタリティをもっている。ロールプレイングモデルの いいところは、少なくとも勇気を持って「新しいドアを開ける」「未知の世界に通じる洞窟に入る」などの選択をしなければ、 物語が進まないことである。 とはいえ、この世代は粘りがない。ゲームの展開が思わしくなくなるとすぐに、 ‘ゲームオーバー’させたくなる、つまり「オールクリアーしたい」と思ってしまうのだ。・・・・ この世代で活躍している人間を見ると、たとえばアメリカやインドに負けないIT人材が輩出されている。 彼らは日本のゲーム産業をつくった世代であり、「ウェブ2・0」の適応力はこの世代が一番高い。 彼らはネットの世界を通じて世界観を確立、これを本格的に利用した初めての世代である。 したがって、現在のサイバー社会に対する感覚は、世界でもトップクラスである。これは自明のことで、たとえば、 ここで30歳と45歳を比べてみれば一目瞭然である。30歳の多くは、12歳ごろからパソコンを始めているから、 パソコン歴は15年以上になる。 つまり、人生の半分以上を、パソコンといっしょに暮らしてきた。 一方の45歳は、30歳ぐらいでようやくパソコンを始め、メールを使い始めたのがここ7、8年。 ワードでの文書作成や ネット検索などを経て、最近4、5年でようやくエクセルやパワーポイントを使えるようになったレベルだ。 この両者のどちらが、いまのビジネス社会に対応できるだろうか? こう考えてみると、いまや若い人間が年上の人間の「先輩」 になる下克上の時代であることがわかる。 IT化によって古いスキルは廃れ、どんどん新しいスキルが必要とされている。 〜〜 それぞれの年代別の特徴が入りこんでいるから複雑だが、漫画からゲーム・キッド、そしてパソコン、携帯と、 IT化が、それぞれの世代の性格を微妙に変えている。この次の世代が携帯である。それは次回になるが、 ここでは、まだ書いてないが、ブログ、ツイッター世代、そしてiPad世代という括りも出てくるはずだ。 ・・・・・・・・ 2956,マッピングする視点 2009年05月09日(土) ある本に「マップする視点」という言葉があった。グーグル・アースが出来てから 《誰もが何時でも、宇宙からの写真を気楽に見ることが可能になった。》気楽にマッピング出来るのである。 「秘境ツアーにはまって世界中を憑かれたように何ゆえに行ったのか」というと、ストレスの発散であった。 軽い痴呆症の母と同居して、ストレス発散をしないと家庭が壊れるという危機感を持ち、家内と年に2〜3度、 秘境旅行に行くことで何とか乗り越えることが出来た。 自分の存在を異質空間に移動して実感として マッピングすることで、その時点の「今、ここ、自分」を括弧にいれ、旅行のストレスと相殺することだった。 遠くから「極限に近いストレス」の生活を眺めることによって乗り越えようとしていたのだ。 アフリカや南米の遠くからマッピングする視点を、自分たちの支えにしていたのである。 これが空間的なマッピング体験である。 ーーーーー―――――― 次に哲学に凝ったのである。初めは「ソフィー世界」など軽い哲学史から始めた。同時に哲学書入門。 学生時代には体験が少ないため、さっぱり解らなかったことも、経験の積み重ねで解ることが多いのが哲学である。 ギリシャ哲学から近代哲学、そして現代哲学を入門書を中心に読み漁ったのである。 その気になれば、ビジュアル哲学書などが、難しい話を砕いて誘導してくれる。 現在考えている自分は、ギリシャ時代から現在に至るまで、どういう経過をもって、このような思想の中にいるのか? 現在の自分は、時代の、思想の編み目にいて、どのような機能を果たしているのか。 そして、60年あまりの時間の中で、どの様な学びをして、結果としての現在の自分があるのか?・・・等々。 これが時間的なマッピングである。 ――――――ーーー そうこういっても、死んでしまえば数年もしないうちに忘れ去られてしまう小さな存在。 でも、人間は考えるがゆえに動物とは違うのである。 この十数年間は「時間、空間をマッピングすること」に費やしてきたといえる。 「グーグルアース」は地球だけでなく宇宙の星星に対するマッピングが可能な代物である。 この随想日記を8年の間、書き続けてきた。そして毎日、「8年間の同月同日の文章」を読み返すことは、 時間のマッピングであり、それぞれの日々のマッピングといえる。 これが主観マッピングである。 ・・・・・・・ 2592, 日本の国民皆保険は世界に誇るシステム! 2008年05月09日(金) 文芸春秋の4月号に、「日本の国民皆保険は世界に誇るシステム!」とあった。 当り前と思っていた日本の健康保険が進んでいる事実を初めて知った。 年間33兆円に上る国民医療費は、対GDP比でみるとOPEC30ヶ国中21位と高くない。 しかし、その質的レベルからみると世界に誇れるシステム。 それぞれの国によって、多くの規制があり、日本のように彼方此方の医者に気楽に行けないという。 ーまずは、その部分を書き写してみたー ーーー 医療技術、たとえばがん治療は世界でも最高の水準を誇っている。しかし一方で、納得できる治療を受けられずに 複数の病院を渡り歩く「がん難民」もあふれている。06年に近藤正晃ジェームス東京大学特任准教授らが、 がん患者1168人に対して行ったアンケート調査の結果、「治療説明時に不満、または治療方針決定時に 不納得を感じたがん患者」が53?を占めた。これを日本のがん患者128万人にあてはめれば、68万人が 「納得できる治療を受けていない」ということになる。保険証一枚あれば、いつでも、どこでも、誰もが平等に 医療を受けられる「フリーアクセス」を、日本の患者は当たり前に享受しているが、これはどこの国にでもあるものではない。 1961年に始まったこの目本の「国民皆保険」は、じつは世界に冠たる医療制度なのである。 ≪字数制限のためカット 2011年5月9日≫ ・・・・・・・・・ 2007年05月09日(水) 2227, 人生張っています ー1 (*´・ω・)ノおはよー ー 読書日記 「中村うさぎ」については、もういい加減にしろ!と思いながら、図書館で見つけると、つい借りてしまう。 エゲツナイ!の一言である。「人生張っています」は露悪という言葉など、はるかに超えている。 「無頼の女たち」5人と語った対談は、互いの最悪を引き出したエログロものである。 こういう話は、世間様の枠から遥かに出ていて中途半端なお笑いより面白い! 花井愛子、岩井志麻子、マツコ・デラックス、西原理恵子とくれば「たしなみ」など、ありえるわけがない。 「はみだし者」の世間の価値観におさまらないオバケのような妖怪女が普通人の「常識」と違う「異世界」 の話を展開している。 ≪字数制限のためカット 2010年5月9日≫ ・・・・・・・・・ 2006年05月09日(火) 1862, グーグル Google -2 ε(´',_c')オハヨウ! ー読書日記 8年前に設立した小さなベンチャーが、彼らが持っていた新しい検索エンジンのテクノロジーが卓越していたため、瞬く間に 15兆6千億の株式時価総額になってしまった。2004年の株式公開時には、500億円が一年足らずで300倍になったというから 驚異というしかない。しかし、その実体を知れば何も不思議でないことではないことが解る。この検索エンジンのお陰で、 地方の零細企業が再生し、彼らに新たな顧客と以前の数倍の売り上げを与えようとしている。この本は、その実体を 解りやすく書いてある。グーグルによって、地方と中央はかき混ぜられ、全く新しい産業構造が生まれようとしている。 ーー そこで先ずは、第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」の概略をまとめてみる。 (以下、字数の関係でカット2,008年05月09日) ー つづく バイ♪(ノ´∀`*)ノ ・・・・・・・・ 2005年05月09日(月) 1497, いま・現在についてー5 ー「私の」生成ー [どうせ死んでしまう] の読書日記に戻る。 この著書の中のー[私の]の生成ーという内容の意味と、[いま]を重ねて考えると、面白い。 ーその一部を抜粋してみるー 「この」身体や[この]心の状態を[私の]身体や[私の]心の状態に変形させるのはいったい何であろうか。 [いま]周辺を見回してもらいたい。そこには[私]は登場はしていない。そこに認められるのは[この]身体の状態であり、 [この]心の状態である。それは[私]の身体の状態・心の状態ではない。だが、一時間前の光景を思い出してもらいたい。 それを見ていたのは誰か。それは、いまこの光景を見ているものである。この光景を見ている者がさっきあの光景を 見ていたものである。現在と過去という互いに否定的な関係がここに登場する。世界は過去と現在に炸裂する。 そして、同時にそこに[私]がこの炸裂を繋ぐものとして登場してくるのである。 「私」は知覚においては登場してこず(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない) 川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。痛みですら、現在と過去との炸裂で了解される。 ≪字数制限のためカット 2010年5月9日≫ ・・・・・・・・・ 2004年05月09日(日) 1132, 「ライフレッスン」ー 12 ー 幸福のレッスン 不幸論なら書けるが、幸福論となると何か書きつらいものだ。幸せ感なんて一時の気分でしかないと思ってしまうからだ。 といって幸せを意識して求めてないと、その時間を知らないうちに過ごしてしまう。また、せっかくの幸せを得る機会を 失ってしまうことも事実である。ハッピーはハプニングが語源という。偶然におきた中に幸福を見出すセンスをいうのだ。 良い偶然を得たことを喜ぶ気持ちと感謝である。考えてみたら、生まれてきたことも、いまあることも偶然? 後にある抜粋の一番初めの「幸せを私たちは、不自然と感じ、それに値しないと思い込むように子供の頃から洗脳されている」 のかもしれない。しかし幸せ感を得ようとするなら、少しの訓練があれば、誰でも可能である。 心の底から「ありがとう」と言えているときが幸せなのである。 幸せの格言の中にも多くの幸せに対する示唆がある。 「幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。」 という萩原朔太郎の言葉が真髄をついている。それは、訓練でも可能になるのだ。いま私が実行していることは、 マイナスの気持ちや言葉が出てきたとき、自動スイッチとして「ありがとう」という言葉を繰りかえしていうことにしている。 お陰で「ありがとう」という言葉を繰り返しいうことになってしまった。知人に万年欝の人がいるが、 過去の生涯の嫌なことだけを記憶している人である。よく記憶していると感心するくらい憶えているのだ。 むしろ不幸にいることが、自分の存在意義であるようにさえ思える。やはり基礎的な知識を持ってないからであろう。 それだけ深い心の傷をためこんでいるいるのだろう。 「愚人は終夜睡眠し、昼間は交際を楽しむ。いったい、苦悩を消滅するのは何時のことか」という言葉もあるが。 ー抜粋ー「ライフ・レッスン」 ・幸福は人間の自然の状態なのだが、わたしたちは不幸な状態に安住するように訓練されている。わたしたちは幸福になれてないのだ。 せっかく幸福の状態にあるのに、それを不自然と感じ、それに値しない人間とおもってしまう。だからこそ、幸福の状態をいいことだと 感じる訓練や幸福になる為の訓練が必要になる。・幸福になるか不幸になるかは周囲におこることによって左右されるのでなく、 おこることにどう対処するかによって左右される。おこっていることをどう解釈し,どう了解し、こころにどう対処するかが その人の幸福を決定するのだ。そして、ものごとをどう了解するかは、その人がものごとのかかわり方によって決まる。 ものごとからレッスンを学び、ものごとと自己との真実を想起するバランス点はそこにある。ものごとのや相手の状況の最悪の側面を みる傾向にあるか、最良の側面をみる傾向があるかによって、事態は大きく変わる。最良、最悪、いずれの側面をみるかの傾向も、 その人のなかで育ち大きくなる。 ・不幸への最短経路は、ものごとを比較することにある。比較というこの自己破壊な行為には、しかも比較する他者さえ必要でない。 過去または未来の自分と比較するだけで,おなじ惨めさが味わえる。ところが幸福は、だれと比較することもなくて、いまここで、 ありのままの自分を「これでよし」と感じるところからやってくるのだ。 ・人は矛盾のかたまりである。つねに『もっと』を望みながら、一方では、あるがままの自分をうけ入れ愛そうとしている。 自分が霊的な存在でもあることを知っていながら、世俗的な経験が織りなす現実を受け入れようとしている。苦しみながら、 一方で苦しみを乗りこえようとしている。わたしたちは多いものと少ないものの、優れたものと劣ったもの、足りないものと 豊かなもの、大きいものと小さいものに満ちた世界に住んでいる。その両極に気づいたとき、わたしたちは以前より豊かになる。 宇宙の中のわたしたちという部分はつねに、みごとにバランスを保っている。 ・・・・・・・・ ー幸福の格言 ・コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。 幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない ーF.M.ドストエフスキー ≪字数制限のためカット 2011年5月9日≫ ・・・・・・・ 2003年05月09日(金) 765, 流砂の民 いま中国を中心にSARS が猛威をふるっている。誰かが「これはソ連のチュルノブイノである」と言っていた。 なるほど、そうなる可能性が大である。孫文が中国人のまとまりのなさを喩えて流砂の民といった。 つかんでも手の指の間からサラサラと落ちていく。今までの共産党は、むしろ中国の発展にプラスに働いた。 ところがこのSARSで、その体制がソ連の崩壊と同じ道をたどるのではないかという指摘は的をえている。 いまの中国を頭の一部だけ赤い丹頂鶴に喩えたのも面白い。 あの磐石に見えた中国はこれをきっかけに、国として激動期に入る。恐ろしいことである。 昨日のニュースでWHOが死亡率が7?から14?5?に修正した。65歳以上だと50?という。 子供がかかるケースが少ないことも不思議な現象である。この成り行きによって世界は大恐慌に入る可能性がある。 ホテルなど誰が泊まっているか解らない。もしSARSの患者が出たら、ホテルとして即死?倒産である。 スーパーやデズニーランドも一人出たら終わりである。本当に恐ろしい時代になった。 ・・・・・・・・ 2002年05月09日(木) 401, 腰痛 昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、腰痛になってしまった。 母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、それがそのまま遺伝したようだ。 腰の骨が本当に左右にずれるのである。 その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。 大体が季節の変わり目に出る。その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、 精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。 人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。何かあったら歩くのが一番自然だ。 腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。 その結果、人類共通の持病になってしまった。歩行がその対策によいことは、15年続けての実績で解る。 しかし完治はしない。腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。 (母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。 医者には一度もかかったことはない。あとは腰痛と仲良くしていくしかない。
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