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2011年04月26日(火)
「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 昔ほど、生甲斐という言葉を言わなくなったが、そのかわり、「好きなことを見出し楽しめ」というようになった。 生き甲斐は、それなりの覚悟と追求のエネルギーを要するが、「好きなことはを楽しむ」には、それほどの重さはない。 生き甲斐について、著者は以下のように納得できる説明をしている。 * 生き甲斐の探究 【 私たちは、この世の中を生きるとき、なんらかの形で、生き甲斐を求めている。生き甲斐のない人生を好んで求める人は、 考えることができない。 生きるということは、みずからが、そこに意味を見出し、なんらかの有意義性の成り立つことを 信じることのできる道程を発見して、そこに自分の人生の基盤を据えて、自己の時間的な生成過程と、振幅を含んだ多様な遍歴の道を、 辛苦や労苦を越えて、歩み進もうとする覚悟にもとづいて初めて成立する。 それを可能ならしめるものが、生き甲斐にほかならない。 むろん、その生き甲斐という問題は、さまざまな局面を含んでいて、けっして単純ではない。 けれども、生きる意味を信じ、 自分の人生を肯定できる道程を発見し、そこで自分の人生の充実を図って生きる、という構造を含まないような人生設計や 人間活動というものほ、人間の生き方として、考えることができない。意味や有意義性は、ディルタイがすでに指摘したように、 私たちの生を構成する最も基本的なカテゴリーなのである。 そうした生き甲斐とは、それを最も強い形で言い表せば、 自分の死に場所を発見することと同じだと言えるであろう。 その道を突き進んで、その果てに自分はもう死んでもよいと 言えるような生き方とその内実を発見したときに、その人は自分で自分の人生の充実を図って生きる、こういう構造を 含まないような人生設計や的活動というものは、泰然自若、自己であることに安らうはずである。 たしかに、 「人生、いたるところに青山あり」、である。しかし、ほんとうに死んでもよいと思える場所と生き方を、最終的に見出すことは、 けっして容易ではない。何人も、迷いを免れがたいからである。けれども、人間は、最後には、自分を捨て、 そこに自分を埋めてもよいと覚悟できる人生の住処を求めている。】 〜〜 「生き甲斐とは、自分の死に場所を発見することと同じ。その道を突き進んで、自分はもう死んでもよいといえる生き方と、 その内実を発見したときに、泰然自若、自己であることに安らう」は、納得する。 本当に自分の好きなことを見つけ、 全霊を傾けて自分のエネルギーを叩きつける時に、生甲斐が生じる。 それがない人生は、空虚な喪失感が付きまとう。 しかし生甲斐は、そう簡単に得ることはできない。極限の中にこそ、生じてくる。生甲斐を感じているときが、自分の心の芯に いる時であり、自分である時である。家族の為に我を忘れて必死に働いている時にこそ、振り返ってみた時に、生き甲斐を 見出すのである。そこには、意味も意義も充分にある。 全身全霊をかけて対象に取り組んでいる中に生き甲斐が生まれてくる。 ・・・・・・・・ 3318, 悲しみ、苦しみは人生の花 2010年04月26日(月) 「悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花咲かせ、楽しむことの発見、 これはあるいは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。」これ坂口安吾の言葉である。 それなら喜び、楽しみは果実というところか? 60数年の人生を振り返り肯定的に眺めれば、そうかもしれない。 私の実感は、悲しみ、苦しみ人生のレッスン=学びである。 近代の発見とは、目標の発見と解釈できる。 また花咲かせるとは、目的、目標の達成である。 目的達成のプロセスこそ人生の花というのも肯ける。「花も嵐も踏み越えて」 という歌の文句があるが、人生とは挫折を乗り越えてこそ、その先の喜びも大きくなるもの。「悲しみ、苦しみは人生の花!」は、 なかなかいえない言葉だからこそ、心に響くのである。 自分の子供に先だたれた親に、この言葉が当てはまるのだろうか。 それも運命と割り切って受けとめることも人生なのだろうか。 「災い転じて福と成す」これが人生の真髄というが。 大きな時代のウネリの中でこそ、味わいたい言葉である。 過去を振り返ると、一番のどん底の時ほど、周囲の人の苦しみや 悲しみに対して鋭敏になり、優しい言葉をかけていた。 その時ほど多くの人と心が通いあっていた。 言い換えると 「どん底の時期は人生の花の時期」。「一番苦しかったけれど、一番楽しい時だった」と、気づくかどうかである。 私の場合は「人生、面白かった〜!」が実感だが。「喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる」で、それなりに人生、色いろある。 「人生、当たり!」と自己暗示するしかないか〜 「悲しみ、苦しみは人生の花」と、心の底から思えたら、それは一種の悟りだろう。 あれが花? ・・・・・・・・ 2943電動式ステッパー 2009年04月26日(日) スーパーやホームセンターで、「自力式のステッパー」を見ていたが、知人が毎日使っているが、非常に良いとは聞いていた。 ところが電動式ステッパーを家電店でみつけたので売り場で使ってみたが、なかなか良い。 足の部分が勝手に動くものだが、 しかし13万円もする。数ヶ月前に電気ウエーブ・マッサージを見つけたが、12万円もする。そこでネットで廉く小さいのを探したら 1万4千円のものがあった。さっそく買って使っているが、これが大当たり。 朝晩使っているが腰と胃腸と血流に非常に良い。 それなら電動ステッパーも廉い簡易式のがあるはずと「電動ステッパー」と検索を入れたら、アマゾンやビックカメラのネットで、 29800円のものがあった。さらに価格ドット・コムで調べたら最低価格が7665円(送料別)があったので、さっそく注文した。 (字数制限のためカット 2011年4月26日) ・・・・・・・・ 2579, 連鎖する大暴落 -2 2008年04月26日(土) (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ サブプライム問題は、予測できることであった。だから、逆張りも出来たはずだが、それも振り返ってみればの話。 オバマが大統領になると断じているところが面白い。民主党は(クリントンは新鮮味がないので)オバマとしても、 共和党のマケインとは互角だろう。しかし民主、共和党が10年ごとに交代することに話がついている、というのも肯けること。 この本の通り、日本がアメリカの属国と割り切ってみると、日米関係が改めてシビアに見えてくる。 世界中の物資を、ドル、アメリカ国債などの紙切れの偽札モドキで交換しているに過ぎない。 特に日本などは、それで高い兵器を言値ねで買わされているのだから哀れなもの。この本を読むと、ドルが60円台、 株が3000ドルも、なんら不思議ではない。ー前著同様に、この目次だけでも内容が充分に要約されている。 [目次] 第1章 私の予言はなぜピタリと的中したか ・サブプライムローンの破綻はすでに2007年の5月にははっきりしていた ・アラン・グリーンスパンFRB議長は2005年に警告を発していた ・ニューヨークもこれから三ヶ月ごとに大暴落していく ・返せそうもない人々に無理矢理お金を貸し付けたのがサブプライム 第2章 大暴落がこれから3カ月ごとに襲い来る ・専門家と称する詐欺師たちが金融の八百長をやってきた (字数制限のためカット 2011年4月26日) ・・・・・・・・・・・ 2007年04月26日(木) 2214, 中国人移民の話 <(_ _)> オハヨウゴザイマス 去年、新宿周辺を知人の車で案内してもらった時、青梅街道などに韓国人商店街や、中国人商店街が出来ていたのには驚いた。 アメリカをはじめ、何処の国の首都には中国人街がある。 朝鮮人街も時には見かけるが、日本人街は殆ど見かけない。 中国人街を見るたびに、中国人の海外居住者は何人いるのだろうか?という、素朴な疑問を感じていた。 ー先日の毎日新聞に中国人の移民の記事があった。 それによると、海外在住移民の数が3500万人! こんなもの?と思ってしまった。 シンガポールや、インドネシアが果して入っているかどうかは、この記事には無かったが。 総国民の3%が多いか、少ないかだが。「イタリアのミラノ市で、移民と警官隊が衝突」という見出しであった。 これによると、ミラノでは1平方?の地区に500軒以上の店がひしめき、20年前の500人のミラノ在住中国人が13000人と、 26倍も膨れ上がったという。イタリア人は欧州でも働かない国民性で、中国人の「勤勉・活気」に妬みと軽蔑の気持ちが強く、 互いの軋轢が出てきている、という。 その横の関連記事として、中国人の移民の実態のレポートがあった。 その内容を要約すると、 ・大陸出身中国人は、151ヶ国に3500万人 ・2000年から2005年間だけで、アメリカへの移住者が35万人。 ・カナダ在住中国人は1988年の3万人から、2002年に30万人に激増。 ・日本では、韓国、フィリッピンについで28000人 ・観光などの旅行により中国本土からの出国者は昨年で3450万人で、2001年の3倍近く拡大したという。 旅行先では、「世界中には、何処にいってもネズミと中国人はいる」と言われていて、飲食街では殆んどの都市で 中華料理店を見かける。それが、また美味しい店が多いの。(日本料理は外れが多いが、中華料理店は外れは少ない) いずれにしても、世界の人口の2割を占めていて、バラバラの国民性が携帯などでネット化すれば、侮れない存在に なっていくだろう。人口が多いほど、個人の存在が小さく思われがちだが、逆に個性的でなければ、生きていけない。 没個性的な日本人とは、相性が悪いのは致しかたがないことである。 Σ( ̄∇ ̄||| バイ! ・・・・・・・・ 2006年04月26日(水) 1849, ローマから日本が見える?6 ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ 第三章 共和制は一日にしてならず ー王から執政官へー 紀元前509年、尊大なタルクィニウスを追放し、王政を廃止するに至った中心人物はルキウス・ユニウス・ブルータス。 これより460年後にカエサルを暗殺したマルクス・ブルータスとは血縁は全く無い。王を追放したブルータスは、ローマ市民を集めて 「今後一切、ローマ人はいかなる人物であろうとも王に就くことを許さず、いかなる人物もローマ市民の自由を侵させない」 と誓わせた。ーここからが面白い!ブルータスが考えたのが、「執行官」という最高指導者である。 王と同じく、市民集会で選ばれて、ローマ内政の最高権力を握ると同時に、有事では指導者として軍隊を率いる。 とはいえ、アメリカの大統領とは違い、当時は実際に最前線で指揮をとるのが常であった。このような大きな権力を与える一方、 執行官が将来の王にならないように歯止めをかけた。その制度とは「執行官はかならず市民集会によって二人選ばれ、 その任期を一年とする」ということであった。これでは王のように振舞えないと考えた。 しかも、執行官を二人にすることで、 更に保険をかけた。二人の執行官には上下がなく、それぞれに拒否権が与えられていた。 しかし、これには弱点もある。 任期が一年なので、長期の政策ができなくなる。そこでブルータスが考えたのが、元老院の機能の強化であった。 100人の元老院を三百人に増やした。 当時、三百人まで増やすということは、殆どの有力者を網羅することになった。 まあ、茶でも!~~旦_(-ω-`。) ー「ノブレス・オブリージュ」ー 著者の塩野は、ローマ帝国1000年を支えた根本は「ノブレス・オブリージュ」だったと強調している。 ローマの貴族は社会的責任を負わなければならないという考えが強かった。戦争が起これば貴族は率先垂範して 最前方に出て戦い、公共の利益をためには貴重な財産を社会に快く提供したという。ローマの元老院は真の意味で 「貴族精神」の持ち主であった。「知性ではギリシャ人より劣り、体力ではケルト人やゲルマン人より劣り、経済力では カルタゴ人より劣っていたローマ人が、永らく巨大帝国を維持できた原動力は社会指導層の役割だった」と主張した。 辞書にはノブレス・オブリージュの意味を ・身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。 ・高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者には それに相応した重い責任・義務があるとする考え方。 ・もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意とある。 (´Д`;)/ヽァ・・・ ー「リキニウス法」の驚くべき内容ー 紀元前367年といえば今から2373年以前。日本は歴史以前、中国では戦国時代に入ったばかりの時期に、 ローマ人が成立させた法律「リキニウス法」。この法律でローマは国政の中枢に貴族の賛成の上に平民を受け入れを決定。 (流血もなく平民の受け入れを決めたのは驚くべきことである。)この目的は貴族と平民の対立の解消にあったにせよ、 この改革は英断であった。その賛成をした大部分が元老院の大多数を占めていた貴族であったから、尚のことである。 それも彼らが選んでのは「全面的な開放」という道であった。つまり、共和国政府のすべての官職について、 貴族であろうが、平民であろうが、ローマ市民なら誰でもなれるようにした。「機会の平等」という他にない。 平民と貴族の結婚さえ合法化されたのである。ローマ人は、30年前の紀元前404年にアテネがスパルタに 敗れさった事実を見ていたからだろう。この事実が、[[近現代史の教訓」として強く刻まれていたからである。 当時のトップランナーであったアテネが民主主義の暴挙を許したがゆえに凋落してしまった姿を見たためだろう。 ーーーー 果てしない戦いの中で『共和制』の体制の基盤を作っていったローマは、『機会の平等』という民主主義と自由主義に 似た考えに辿りついたのだろう。指導者に「ノブレス・オブリージュ」を失えば、その国は滅び去るしかない。 どこかの国にもいえることだ。いや組織にも! ーつづく ・・・・・・ 2005年04月26日(火) 1484, 24歳の日記ー2 ー1970年3月22日 朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。よく売れるのに驚かされる。 今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。 ただ驚きである。人間の一番美しい姿を見せてもらった。今日、一年の設計図の大枠を考えるつもりが何も考えられない。 どうしたことか、例の手紙のせいか気持ちが揺らいでいる。明日は病院に行って、精密検査をしなくては。 ー3月23日 午前中は、病院で検査である。 午後は設計図を書いたが、いい加減である。 早々簡単に書けるわけがないが。 焦りだけあって、何もできないのだ。 こういう時間をもらっていながら、 何もできないのが情けないが。といって時間だけは過ぎていく。一日一日、一歩一歩、歩むしかない。 走ろうとしても無理、歩くしかないのだ。自分と直面して解るのは自分の甘さと、いい加減さである。 ー 3月30日 今朝、急に父が8時半に居間に集まるように言われた。両親に、家の裏に住んでいる姉夫婦、兄の三郎、そして私である。 遺言の内容の言い渡しという。 急なことで全員が、吃驚する。 ー内容の概略は以下の通りであるー (字数制限のためカット 2010年4月26日) ・・・・・・・・ 2004年04月26日(月) 1119, 北朝鮮の怪? 今回の北朝鮮の大爆発の事件,何か不可解な事件である。数百メートルが瞬時吹っ飛んでいたのに、 どうして電線から引火をしたのが解るのだろうか?組織的な大掛かりのテロ?TVで「近くの中国側の街での噂で、 今回の事件は暗殺未遂といわれている」とか、「金総書記が通過する近くに、危険物を乗せた貨車があること自体不自然だ」とか、 報じていたが、異常な事件であることは間違いはない。北朝鮮は単純なミスと報じていたが、そんなわけがない事件である。 NHKでも、阪大の爆発物の専門の教授が出てきて「電線から引火は考えられない、爆発物によるものと考えられる」 と言っていた。中国から近い駅というと、アメリカのCIA?がとも想像してしまう。北朝鮮そのものが、援助目的の窮余の一策 ともいう仮説は少し無理がある。状況からみたら、軍部のからんだ大掛かりな暗殺未遂のテロとみるのが自然だろう。 これから、いろいろな情報が出てくるだろうが。スターリン型の国家が隣国に存在していること自体信じられないことだが。 現在の北朝鮮にピッタリの事件に思えるが、いつも犠牲になるのは一般大衆である。 ・・・・・・・・ 2003年04月26日(土) 752, SARSの不安 もしアルカイダーか北朝鮮のテロなら!と考えると、背筋がゾッとする。 発生源が特定しているからまだよいが、そうでなかったらテロと疑われパニックになるところであった。 単純な自爆テロなら、その範囲で済むが、火薬を細菌に置き換えたテロを彼らが始めたら大変なことだ。 中国の香港や広東州からばら撒くのが、世界恐慌を狙う彼らからみた時に、一番効果的である。あまりにも TPOSがよすぎる疑問が残る。もしアルカイダーの立場なら、自分を感染させてアメリカとか日本に行くのが効果的である。 (字数制限のためカット 2011年4月26日) ・・・・・・・ 2002年04月26日(金) 388, 温度差 3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で彼の講演がそこの主催で入っていた。 当然のことながら急遽中止なった。急なことで時間もとっていたし、飛行機の切符も送られてきたし,他の人との予定も 入れていたので、そのまま行ってきたという。それと札幌の雰囲気がどうなっているかみたかったという。 飛行場からのタクシーの運転手に話を聞いて思わぬ内容に耳を疑った。北海道中、特に札幌の道民は内心皆、喜んでいるとか。 彼らは北海道では超エリートで、威張り尽くしていた。永年のその鬱憤が一般の中に蓄積されていた。 確かに北海道経済にとってマイナスで、喜んでいられないが、道民感情は拍手喝采だという。 そして数日札幌滞在中、会う人全員がそういっていたという。これは実際現地に来てみなくては解らない情報である。 彼が言いたかったことは、実際マスコミに流れる情報と、そこの情報の差である。 「何事も現場の声を実際聞いてみなくてはわからない」ものだという事だ。反面ITの時代は、 こういう情報が瞬間流れてしまう。「それにしても、あれは何だったんだ?」ということだった。 そこまで嫌われる理由は?マスコミはこういう情報は間違っても流すことは出来ない。 こういう情報は現地で直接しか聞けない。どこかの県市でも、同じことが生じている。 気がつかないのは当事者だけ、破綻したときそれが表面化する。何処かの城下街のそれは時間の問題という。 リストラにあった元管理職や街の中から?? という話が生々しく聞こえてくる。
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