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2011年04月11日(月)
これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を感じるかと思いきや、それが全くない。 恐らく10年以上、一日2〜3時間を集中し、蓄積してきたこのHPのためである。事象の変化に対して、脳の外部化した基地が、 ここにあるためだろう。 ある人に「HPに偉そうに書いているが、現状のその様は何だ!」と、酒席で言われたが、その通り。 その時に「少なからず経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、他の人から忠告された 言葉を思い出した。 毎日の記憶をHPの中のブログに記録したり、読書の感想を書き残したり、毎日一文を書き始めた時から 何かが確実に変わっていった。 脳の外部化で、因縁のある人の何人かと繋がっている実感があるのが心を広く明るく自由にする。 心は言葉である。毎日、言葉として表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。 毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、全責任はトップにある。 何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。 ギリギリのところで、 表現を注意していても本音が表出してしまう。 しかし、その何倍も、書き出し、公開することの効果を感じ取っている。 だから 偉そうに! と言われても、その通りと認めざるを得ない。初めから覚悟をして書いている。5年、10年後から振り返ったとき、 書いた時々のマイナス、プラスなど、如何にでもよいことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、 「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がしをされかけた事があった。その上に、いわれのない? 数百万を強奪?されたことがあった。 それなりに、書き、表現していると周囲に波を立てることになる。しかし、その蓄積が、 このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。 先月末を持って、数ヶ月、節目ということで、休もうとした。しかし、あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。 結果からして、心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・・ 2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い
・・・・・・・ 3303, 人みな骨になるならば ー10 2010年04月11日(日) * 死の不安の克服は可能か ー まずは、その部分の抜粋 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力があまりに大きいため、われわれはそれと正面切って 対決するよりは、なにかで紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで紛らせようとするが、 人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。 不安や恐怖に対して、 そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは 中高年期以後に精神障害に陥るように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を直視したり 対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだとしたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうが はるかにましな選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段なのであろう。少なくとも、 病気はそこからの回復という一時の目的を用意してくれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、 最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げあぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、 猛獣そのものが消えてなくなるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の関心や活動の全ては、 死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けのもの ばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が 空虚を埋めてくれるレパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流分析の祖、E.バーンは 「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かの いずれしか許されていない。・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、それほど恐れる べきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。・・・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたか どうかはさだけではないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。・・もちろん、われわれは 多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんでいると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、 そこで安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。 〜〜 あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らしてきた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、 70歳代に入ると前方より迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての気を紛らわせる 手段でしかないとは・・・ 死は本人にとっては、無だから、そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、 そういかないのが、言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくっておく必要があるから 宗教が最後のよりどころということか。 最後のレッスン=学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、 一日一日を精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、新しい経験をすること、愛すること、 楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間の予定を立てて入れていく)をすること位しか無いのだろう。気を紛らわせるために。 ・・・・・・・・ 2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7 2009年04月11日(土) それでは、実際の演習をしてみる。 ー「会社役員」ー 子=会社役員 父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。 会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして父の姿を反映しているか? ということになるが、何か書きながら赤面してしまうから、・・・ ー設計事務所ー 子=設計事務所 親=会社の理念、創業者の積み重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。 社会の変化と、新しい技術、そして 精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。 ーソフトハウスー 子=ソフトハウス 親=ニーズとされる人材の確保と、 〜〜 ー保険事務所ー 子=保険事務所 親=万一の危険に対する対応のニーズ。 危険を金で分散をしておくノウハウ 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?ドッキとするだろうが。 ・・・・・・・・・・ 2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1 2008年04月11日(金) 以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、いやに、その画面が目に焼きついている。 猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。それは感動という心の働きではないだろうか?それを猿が持っている?等を考えた。 しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、その不思議を 感じていたが、猿も、その美しさに見とれていたのである。 ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。 まずは、その一節を書き写してみよう。 〜〜 ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて並んで座っている。 その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を浮かび上がらせる。 ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと 台地の向こうに去ってゆく。「光への憧憬、意識に対する憧憬」「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・。 〜〜 この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきた ときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、 アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、 谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。 (字数制限のためカット 2010年4月11日) 〜〜〜〜〜〜〜 2007年04月11日(水) 2199, 歌舞伎町シノギの人々 オッ(*^○^*) ハ〜ヨウ ー読書日記ー 新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い! (字数制限のためカット 2010年4月11日) ・・・・・・・・ 2006年04月11日(火) 1834, 壁際の名言−2 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) −読書日記ー 唐沢俊一著の「壁際の名言」が面白い!この本は、「まえがき」と「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。 老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて図書館から借りてきた。内容は馬鹿馬鹿しい?が、シビアで 現実感がある。少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。 ーあとがきーの文章がよい! 老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。今は詐欺師に身をおとしているが、 京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、大正時代の上流家庭の子女を篭絡させていった手管や失敗談は、 一冊の本にしたいほど、スリリングで抱腹絶倒させた。 そして彼は私の周りをウロチョロして、一円の金もとれずに消えてしまった。 ・・・ それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」 と聞いてみた。すると、彼はうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。 「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもいいと?」 「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」 逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、「内面なんてみせかけだもの」という言葉のインパクトは、 ずっと私の心に残った。それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。(もちろん、仕事上である) そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、それのみを自分の価値観として生きていて、 ビジネス的な話が理解できないところか私に内面の美しさを要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、 と強要し、こちらはホトホト困窮した。一方、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、 此方がわ(芸能プロダクション)が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、 プロの論理できちんと応えてくれた。その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。 ー 以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、著者の言いたい一部分は 理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。子供の時から、それを意識をしているから、 その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)美人の泣き所があるし、寂しさである。 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。そんなことは、どうでもよいこと。 顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。 ーーー ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、その中から幾つかの言葉を選んだ。 「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」 (尾崎紅葉) 「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」 (ジョジョの奇妙な冒険) 「貧乏人は安いものが好きだ。 金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。だから金持ちになったんだ」(マツモトキヨシ) 「立派な芸人になりたかったら、まず人にたかれ。それから女に貢がせろ。それも出来なかったら・・ 泥棒しろ」(立川談志) 「談志師匠は、人格最低、芸最高」 ( 弟子たちによる談志の評価) 「生まれることは不幸であり、 生きることは苦痛である。死ぬことは厄介である」( 聖バーナード) 『楽観論者は失望しか味わえないが、悲観論者は「意外な幸運」を味わうことが出来る』(唐沢俊一) 「よいお世辞があれば、2ヶ月はそれで生きられる」 (マーク・トウェイン) 「新聞に載るオレのコメントな、一人称がオレって言うてんのに、なんでワシになってんねん」(清原和博) 『人に限らない。 国も企業も、世間は実体よりイメージを先行させる』(唐沢俊一) 「純粋なバカ番組はふつうのバカ番組を駆逐する」 (キットマン) 「詩。1人の心に灯をともす 別の一人に欠伸をさせる」 (堀口大學) 『人間の最も恥ずかしい瞬間は、若い頃書いた詩を、後年読み返すときである』 (唐沢俊一) ー唐沢俊一 「壁際の名言」 海拓舎 長岡中央図書館 ・・・・・・・ 2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い 徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。人生には確かにそういえる部分がある。 特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を 言いあらわしている。人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。 常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、 努力と技術で可能になる。いつも書いていることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイント。 荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、 重圧が全く違ってくる。そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。 海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。 慣れれば15分で可能だ。気持ちが、落ち着くのだ。 これは人生の荷物にもいえることである。 (字数制限のためカット 2010年4月11日) ・・・・・・・・ 2004年04月11日(日) 1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1 以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」 の言葉が根付いてしまった。単純といえば単純だが。朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、 「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。 この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。 (字数の関係でカット2008年04・11日) ・・・・・・・ 2003年04月11日(金) 737, 若い人の価値が下がってしまった 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。 周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。 フリーターか、準社員の勤めとのこと。何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。 会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。ある程度育て上げると、訳のわからないことを いって辞めてしまう。余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を下げざるを得なくなってきた。 いくらでも良質な準社員やパートを採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。 会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。 それと若い人の間でも、勝ち組と 負け組みの質の差がはっきりしてきた。あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方が得策になる。 「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」ということが、過去会社経営してきて身に沁みて解った。 十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。ただ呆然として聞いたが、こうなると 血筋のレベルの問題だ。他人事でないか?今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。時代は変わった! ・・・・・・・ 2002年04月11日(木) 373, 何故マイナス思考になるのか ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。その失敗の経験がマイナス思考を生み出す。 あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺! ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの! どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。現実に溺れて(下と横だけを見て)?? 子狐がいるせいもあるが。 この子狐不景気になってきたら急に元気になった。周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか? いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。 犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは 事件は起きない。それはニュースにならない。めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。 それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。それに気づかないから、どんどん マイナス思考に落ちてしまう。「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。主語が消えた後、 他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」 というが、この年になると実感する。といってマイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。 人は他人の不幸をどういうわけか好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。目が見えない分だけ、人の気持ちが 良くわかるという。不幸の話をしている人の声が弾んであるという。幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。 他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。いやその前に自分が幸せと芯からえなくてはならない。 まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。それがプラス思考の第一歩。以前にも書いたが、家内が 「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、 典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を身に付けてない典型の例だ。
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