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2010年12月23日(木)
* 「生が終われば、死も終わる」 ある「死」の特集の雑誌にあった言葉「生が終われば、死も終わる」が、心に残った。 「一人称の死」を砕いた言葉である。身ちかな二人称の死はあっても、一人称=私、の死はない。 したがって「私の生が終われば死も終わる」ということ。それを一言で言い表した言葉。 このことから「生が始り、死も始る」という理が見えてくる。 生があるからこそ、死がある。 「死んでしまえば、それまでよ」という言葉もある。父が親戚の葬式で何時も言っていた。 これは生者の目線の代表的な言葉である。その言葉の背後には、「他人の死から、生きているうちが華。 人生を可能な限り生きなければ」という、思いがある。 * 人間の死因 日本では、毎年大よそ百万人が亡くなっている。死因は、病気、自殺、他殺、そして災害による。 そのうち、95パーセントが病死、自殺は3パー、交通事故などの災害と他殺が残りになる。 もっとも、それは死のキッカケであって、真の死因は産まれてきたこと。いずれにしても死ぬ。 百万人が産まれ、百万人が死んで人口は減りも増えもしなかったが、数年前から人口減が始った。 * 同じ年代の死 私の同学年の男性では、平均して2割ほど亡くなっている。中学は25パーセント、30年来の高校三年の同級会の 出席者の20パーセント、大学のゼミの同期6人は0である。 進学につれて死亡率が低くなっている。 従姉妹で父方をみると、兄姉を含め30人の従兄弟(従姉妹)がいるが、平均年齢が72歳で12人が亡くなっている。 4割である。私の兄姉も私含め9人のうち4人が亡くなっている。生存している平均年齢は70歳。 父方は癌系で、糖尿は少ない。40過ぎてからの死亡が殆どそれ。 死を恐れるのは「やり残したことがある」が、「虚無」への不安と並んで心の底にある。 やり残したことを、やり尽くしたところで同じでしかない。虚無になりようもないのに、そのイメージを恐れる。 プッツン、いや、プチ! か?それは。 これもイメージ。 ・・・・・・・・ 3184, 久々のジョーク ー7 2009年12月23日(水) たまには、全く下らないと一笑される駄洒落も良いだろう。 * 駄洒落問答 問 使うとき使わないで、使わないとき使うものは? 答 風呂のふた。 問 かけるときにひくものは? 答 電話帳。 問 同じものだけど、見る人によって違うものは? 答 鏡。 問 東京の上野公園にある西郷さんの銅像。 東向きでしょうか西向きでしょうか? 答 夏向き 浴衣を着ていたから 問 トンボとハチが東西に分かれて戦争しました。どちらが東軍だったか? 答、トンボ。 2×4が8 (西がハチ)。 問 シユーベルトの好きな飲み物は、どんな果実から作られている? 答 ミカンセイ 問 年を取ればとるほど若くみえるものは? 答 アルバムの写真。 問 寒くなればなるほどあつくなるものは 答 氷。 問 世界中でいちばん赤ん坊の多い国はどこ? 答 ニュージーランド(乳児ランド)。 問 トイレに咲く花は 答 スイセン。 問 モ一ゼの好きなお酒? 答 水割り。 問 ビールにもあつくしたものがある。何というビール? 答 缶ビール(燗ピール)。 問 飲むと感動する酒は? 答 ジン。 問 笑いがとまらなくなる酒は? 答 エピスピール。 ー面白くない? それでは! 夜行列車の乗客が切符を失くして大騒ぎをしている。その前の席の男、私の切符を10ドルで買いませんかと持ちかける。 何分の一なので、喜んで目の前の男の切符を買うことにした。 買った男、前の席の男に「あんたは、どうするんかね?」 と聞くと、「まあ、何とかします。そのかわり、切符に私の名前を書かせてくれ」と言い、切符の一部に名前を書き込んだ。 で、その切符を買った男が改札口を出てから、その男、切符を出さずに、改札口を出た。駅員が驚いて追いかけて切符を 出すように言うと、その男は、さっき出したと言い張る。駅長室で言い争っている時に、その男「そういうことも、 あろうと、切符に自分の名前を書いてある。調べてみたまえ!」 * 名前を書いておいた札を、他の席の素知らぬふりをした仲間に先に支払いをさせ、 その後、支払った支払わないというトラブルをおこして、逆に強請る古典的方法があるが。 ・・・・・・・・ 2819, 閑話小題 2008年12月23日(火) *ジャストインタイム トヨタのジャスト・イン・タイムこそ、派遣社員の存在理由だった。それが現在の不況からみえてきた。 ある評論家が言っていたことだが、「必要な時に、必要なだけ、それ以外の在庫を持たない」が、ジャスト・イン・タイムのシステム。 それを自動車の部品だけでなく、労働の部分に当てはめたのが派遣社員のシステム。それが決して悪いことではない。 そのニーズを満たす機能が「派遣会社」なのである。これは、そのニーズが十分あるのは良いが、恐慌に入ろうとしている現在、 彼らは一挙に職を失い、街に溢れかえることになったのである。 近くに彼らのアパートがありバス停で見かけるが、何ともいえない雰囲気が漂っている。 *巣籠りが、この正月のキーワードだと 新潟などの雪国では、冬季では当たり前のことだが、この金融恐慌で日本中が巣籠りという。 知人が「この正月、配達の寿司屋の予約が異常に多いらしい。巣籠りを決め込むみたい」といっていた。 そういえば、国内でクリスマス・ソングをTVや街角で一度も聞いてない。 もちろん、デコレーションケーキも、みていない。 巣篭もりとは、鳥が巣に篭ることをいう。 住まいは、巣舞いが語源。人間は巣から出たきたことだから、10年は巣篭もりでジッとするのもよい。 問題は、そこで何をするかだ。 本を読みましょう、本を! 「総 閉じこもりかい〜!」 *ネットで買うと 二月ほど前に髭剃りをネットで買った。ネットで一番人気で18000円だった。 事前に通勤帰りに新潟駅のヨドバシカメラで何種類かを見た上でネットを買った。 そして一昨日、長岡・川西にあるSCに行ったおり、ジョウシンなど三軒の全国チェーン店で調べたら、 32000円から割り引いて28000円とあった。こうして楽しむのも面白い。平均してネットで買うと、2〜3割は安い。 ・・・・・・・・・ 2007年12月23日(日) 2454, 「ブログ」について 一年前にブログを2つ開設したが中途半端の状態にしていた。しかし「ブログ」への移行への焦りがあったが、 何かタイミングを待っていた。ブログへの移行のキッカケは、第三者の悪戯だろうと思っていた。 (作り上げた特製のHPに対する愛着もあったが)そして「バード・ウォッチング」へ?H系のサイトの書き込みがあった。 丁度良いと腹をくくって、まずは、それから移行することにした。問題は、どのサイトのブログを選ぶかである。 検索で「ブログの選び方」「ブログ」と入れたら、人気のサイトが多く出てきた。そこで数分で開設できるものならと 片っ端から開設してみた。7〜8以上である。まずは去年開設した、「ヤフー」と「goo」の機能を見直し「ココログ」 「FC2」「楽天・インフォシーク」「はてな」「グーグルのblogger」「exsiteblog」等々、開設してみた。 まず私の適正からみて「ヤフー」がベストと判断、「バードウォッチング」を切り替えた。 次に旅行の写真のサイトは「exsite」に、そして次の切り替えは「はてな」を予定している。 どれが良いかではなく、どれが自分に適しているかが選定基準ということである。 この一〜二ヶ月間のブログの選定と使用で、この機能の凄さを感じ取った。 (字数制限のためカット09年12月23日) ・・・・・・・ 2006年12月23日(土) 2090, 人生は生きるに値するか? b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯ 『人生が生きるに値するかどうか』は、哲学上最大の問題になる。 値しないとして自殺した作家も多々いる。 思想家ではショーペンアウアーは『生きるに値しない!』と言い切った。しかし彼は長寿であったが・・・! ショーペンハウアーのように値しないというなら、生きているだけ無駄として捨ててかかるしかない。 「生きるに値しないからこそ、価値あるものへ転換することが人生である!」という情熱が湧いてくるか? それぞれの考え方があるだろう。私の場合は、もちろん『生きるに値する』であるが、どうも世の中、 そうでもない人が多くいる。 生きるに値するかどうかは、その人の生きかたであり「生きる意味を求めていけば、 人生は生きるに値するのは当然」。意味=価値であるから、「人生に意味をもとめること=人生に価値をもとめること」 になり、「求めよ、さらば与えられん」のとおりの価値が出てくる。 「よく働き、よく学び、よく遊ぶこと、そして常に‘一歩日常から外に出る時間を持つこと’。 この4つのそれぞれに価値を見出し、冷静に掘り下げていくこと」このことが「私の生きるの値する」。 まあ、そんな難しいことを言わないでも、「人生なんぞ『飯食て、糞して、死ぬだけ』じゃないか、 こんなもの!生きるに値してもしなくとも、それが何ほどのもの。生前があり、生まれ、そして生き、生前に戻るだけ、 他に美味い酒を飲んで、上さんの顔を見て幸せと思い、寝て、楽しい夢でもみて、仕事を楽しんで、人生の価値など考えなければ、 それで最高ではないか!」でよいものを。 そこでだ、「お前さんの人生は生きるに値した?」というと難しいから、 「人生で元とった?」と近くの遊び人だった不動産屋の親父(10年近く前に亡くなったが)に聞いたことがあった。 よくぞ聴いてくれたという顔をして(´ー`)y-~~ 「とったとった十二分にとった!」という返事。 同じ質問を呆けて亡くなる前の母親に同じ頃に聞いたところ、やはり「充分すぎるほどとりました!」との返事。 「生きるに値するか」と、「生きた元をとったか」は確かに違う! しかし、「生きるに値するか」の質問よりも人生の価値を 考える時に深い問いになる。 人生の元をとったか?はー充分人生を生きたか?と同じ。ショウペンハウアーは、人生は生きるに 値しないという嫌世家だが、その慰めは芸術で一時期でも紛らわせることができるとした。このような難しい問題を気楽に扱うこと 自体に問題がある。答えなどある訳がないのも解っている。しかし、これは生涯自問自答していかなければならない問題である。 しかし、あと三ヶ月の命と宣言され逃れようもない事態に追い込まれて「貴方の人生、生きるに値したのですか?」と、 あと一週間で間違いなく死ぬ人に問われたら、真実どう思うだろうか?「 」しかないないだろ ( ^3)〜♪ 《 生きる価値があるかって?「真剣に生きてきた事実の前にそんな愚問は質問に値しない!クソして寝ろ!この馬鹿野朗!!」 というのが、私の現在の答えである。《本当か?本当にそんなことが、いえるのか? 》 《たいして真剣に生きてこない御前に相応しくない》と、心の奥の声が聞こえてくるが Ψ(`∀´)Ψケッ! ほんじゃ、ばいばい! o(^-'o)♪☆(o^-^)o〜♪ ・・・・・・・・ 2005年12月23日(金) 1725.一年経てば全て過去 オハヨウゴザイマス o┐ 「一年経てば、すべて過去」どこかで聞いた言葉だが、全くそのとおりである。 感情面を入れると、実際のところは三年であるが。 (一世一代?の失恋とか、連れ添いの死は治癒期間は三年) 去年から、10年日記に心情を書いているが、前年の分が上段に 書いてあるので、嫌でも目に入る。それをみると、一年経てば殆どが過去のことである。 嫌なことを忘れるのが上手い方だが、 それでもつまらないことに気を使っている自分が解る。〔一年経ったからこそいえることだろうが〕 反面、30年も前のことが昨日のように感じることもある。年齢を重ねるとは、そういうことかとツクヅク思う。 殆どのことは、「一年経っても問題だろうか?」と、自問自答すれば良い。 自分の存在は過去の総合である。数10年経っても心に残っているのは自分にやましい何かがあるためだ。 しかし人間は過去の総合態〔体〕である。記憶を全て喪失した人間をみればわかるはずだ。 過去も未来も、言葉でしかないのだろうか? ( ゜Д゜)⊃旦 < 茶飲めや ~旦_(-ω-`。) ドモドモ ・・・・・・・・ 2004年12月23日(木) 1360, 金に泣く人笑う人 −1 藤本義一のこの本は「面白い」という点では抜群である。この人は、金銭と欲と詐欺にからむ小説を多く書いている。 雑学を多く知っていることに感心をする。一冊の本を書くために、多くの人とインタビューをするから尚更である。 この本の中にも、ナルホドと唸る面白い話であふれている。 ーその幾つかを抜粋してみるー 12章の「騙しのカラクリ」が面白い。 ーペテンの技法・香具師の商法ー 香具師の語源は 武士→野武士→野士→野師→香具師と考えるとよいだろう。 武士になれない野武士が武器を取り上げられて、野士になり、武器を持たないので既に ‘士’でないので野師になったと考えればよい。野師は口先三寸で啖呵売をして騙す方法を考えた。 つまり、言葉巧みに香具(仏具)を売る方法を考えた。この巧言を説明するとこういうようになる。 香具師は最低二人組む。 一人の場合は単なる啖呵売りであり、これは詐欺行為でなく、大道芸人の一種と考えてもよい。 例の「男はつらいよ」の寅次郎を考えればよい。二人以上で組織されるのが香具師の原則である。 原則的な香具師は一人が山伏姿になり、いま一人は仏具を商う仏具士に化ける。 先ず山伏に化けた男が京の方から里に下りてくる。錫杖を手にして高下駄を鳴らして歩く白装束は誰も目立つ異様さ。 そして、山にこもって修行したという人という印象から村人達は尊敬の目を向ける。 昔も今も詐欺師たちは魅力的な特色を持っていなくてはならない。 この山伏は悠然と村を通り過ぎようとする。 が、一軒の家の前で、急に立ち止まる。家は村の庄屋の場合が多い。庄屋でなくとも、村長と思われる豪勢な屋敷前である。 山伏はその場で急変する。全身を痙攣させ、口から泡を吹かんばかりの苦しみ方をする。 村人たちは仰天をして、庄屋を呼びに行く。 庄屋は水を与えたり、苦しみを鎮めようとする。ようやく一息入れた山伏は苦しい息の下からいう。 「この家の前に通りかかった時に、急に悪霊に取りつかれて身動きが出来なくなってしまった。出きれば、この家の仏壇を拝ませてほしい」 庄屋は、これを拒むことはできない。自分の屋敷内に悪霊がいるといわれれば、恐怖心で招き入れる。 仏壇の前で山伏は狂ったように祈りつづけて、やがて上半身を前にして気を失う。 (以下字数の関係でカット2008年12月23日) ーつづく ・・・・・・・ 2003年12月23日(火) 993, 「魔女は夜ささやく」ー読書日記 長編小説を読むのは久々である。一昨日家内が親戚の葬式で不在であったので、一気に読み終えてしまった。 「あ〜面白かった!」というのが実感の言葉である。新聞の書評で激賞をしていたのを読んで、早速インターネットで取り寄せた。 新幹線の中で読むことにして、約2ヶ月かかった。上下800頁で、読みがいがある。 初めから一気に緊迫場面の連続で、 ロバート・マキャモンの世界に引き込まれてしまった。主人公の青年マシューの真実を追究する姿勢は好感が持てた。 一人の青年の成長過程をみるようで、読み終えて爽やかさが残った。 内容は 18世紀直前の植民地時代のアメリカ。 ー以下は字数の関係で中略(2008年12月23日) ・・・・・・ 2002年12月23日(月) 619,パタゴニア旅行記ー6 今回の添乗員が過去の添乗員の中でベストの人であった。大手銀行のリストラ組で、その後事業を起こして失敗。 バックの力と自分の力の差を読み違えたと言っていた。「バックとは何か?」の問いに、資金力と答えた。 それにしても、彼の知識量と見識の高さに驚いてしまった。これで添乗をどん底で経験すれば、人生という意味で大きいものを 掴むことができるのではないか?そう甘くはないが。前回は南アフリカ、今回の南米のパタゴニア、次回はウイーンの新年の恒例の ウイーンフィルの観賞の添乗だそうだ。仕事はテキパキとかたずけるし、質問には何でも完璧に答えるし。 凄い人がいるものだとつくづく感じ入った。特に英語がぺらぺらでイギリスに長年駐在していたようだ。リストラでこういう人が 多く職を失ったと思うと経営者の責任も甚大とつくづく思う。話しが違うが、秘境の旅で一人参加の人が多い。 そのエネルギーに驚かされるし、何か余白を埋めに来ている人が多い。ある人が何気なく言っていた。 [[帰ったら死ぬ心配をしなくては!いろいろの問題を引き出しの中にギュウギュウに押し込んで出かけてきた。 帰ったらそれが待ち構えている」人生の圧縮された言葉だ。 ・・・・・・・・ 2001年12月23日(日) 278 心の開放のために! 心の開放のために!-何からの開放????かんがえてみよう!「心を自由にする為に! 本当に自分がしたいことを見つけよう。これが一種の瞑想だ。これを探し出して、明確にしてそれを推し進める事が 本来の人間の姿だ。それが本来の価値であり、価値観といえる。」下記にコピーした要旨である。瞑想の意味が 今ひとつ解かってなかったが、逆に自分探しという意味で説得力があった。「仕事人間」を馬鹿にする風潮があるが、 本人が本心に楽しければ第三者の批判外である。自己実現こそ心の開放ということか。何事も考えているだけで解からない、 やはり積積的にやってみて初めて解かる。私が好きなのが早稲田教授のエジプト等の遺跡発掘の吉村作治氏である。 3年浪人して早稲田に入り、エジプトの発掘に自分の全財産と全人生を投げ込でいる。家族の生活費は大学からの収入で。 タレント活動の収入は全て発掘活動に使う。8000万だそうだ。それを種にして寄付等を願うと、その事実の前で 4〜5億の金が集まるという。「タレント教授」といわれても、本人は手段と割り切っているから「そのとうり!」 と開き直っているのがいい。大橋巨泉の生き方とレベルが違うと思う、それは私の価値観か! H6/09ーコピー ー自己実現のために-日下公人 心を自由にするために、こうするといい。自分は何が欲しいのか、どうすれば幸せに感じるのか、 人の寝静まった深夜に起きて、紙を広げて7つ書いてみなさい。そしてそれに優先順位をつける。終わったら忘れて寝る。 翌日生活していると、おりにふれて思い出す。友人、知人、有名人の言動をみて「あの人は自分の欲望の3番目をやっている」 とか。・・・そうしたら「実現の手段を考えよう。そして実現しそうなことより実行しろ」と。実行の優先順位をつけたら、 ほかの事はやらなくていい。そうすると他の人の話が生き生き自由に聴けるようになる。こういうような作業は一種の「瞑想」です。 ・・・・・・・ 12月23日 日曜日 1968年 11時過ぎに起床。 午後はTVを見たり、本を読んだりして過ごす。21時過ぎに、永田さん等が寮のOB会の 忘年会の帰路に寮による。高橋の部屋で飲み会にでてこいとのこと。 そこで飲んだ後、近くの「ヤマ」という居酒屋で飲む。 一年先輩の衛さんが隣でチョッとしたことで私に怒り出す。 初めは何とも感じていなかったが、怒りが途中からわいてくる。 (字数制限のためカット 2010年12月23日)
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