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2010年11月24日(水)
海難で生きるために三人が一人の人肉を食べてしまった事件で、多くの問題が出された。 海の遭難現場での異常事態で、どの答えが正しいとはいえないが、これをヒントに正義を論じ、考えることは可能である。 次にサンドル教授は、「イチロウの年俸は高いか?」を問題定義をしている。 イチロウの年俸は15億円。 それに対し、日本の教師の年俸は400万、400倍。オバマは3600万だから、その40倍になる。 イチロウの年俸が高すぎるという意見と、妥当という意見を生徒から導き出して、議論を進めていく。 これも、美徳と貢献などの問題を提起し、議論を導き出していく。何でアメリカ大統領の40倍の報酬が妥当か、 逆に、それは不当すぎるほど高いと言えるのか等々を・・・・ この問題には自由と平等・公平の問題が含んでいる。 二時間目からは「戦争責任について」である。そこで生じた道徳的義務と責任は *個人的なものと、*集合的なものと、 分けて考えられる、としている。カントは「責任は自分自身の自由意志と、選択によって生じる」という立場、 要は純粋実践理性よって生じるという。 道徳の根本原理によって、普遍原理に達することが出来る、という。 アリストテレスは、「責任は、よき生についての私たちの考えによって成立する」という立場である。 次に「義務」について、「殺人を犯した家族を警察に突き出すべきかどうか」を事例に議論を進めていく。 家族の立場をとるか、社会を優先させるべきか、当然に意見が分かれてくる。互いの議論の中から問題を捉えていく。 彼の授業は、古代哲学者や近代哲学者などの思想を現代の問題に結びつけるやり方で、対話をしながら考え方そのものを 教えていく。 先に書いた私の学生時代のゼミの授業の進め方、すなわち「自分自身で考えること、それを進めることが、 本当の教育」であるということだ。判断、決断する前に、独りで考えを進められる能力が教養である。 我われは、誰もが哲学をしている。そのレベル、効率化の向上は可能である。パソコンから類推すると、解りやすい。 哲学(考えることを考える)は、全ての人にとって最も重要である。何故、生きるのか、何故死ぬのか?人生に意味があるか? ・・・・・・・・ 3155, 「 2012 」 2009年11月24日(火) * シネマ 「2012」 その迫力の凄さの予告をみて、初日の幕開けを観てきたが、期待以上の内容であった。 現在のCGの技術をフルに生かした映画であり、次から次へと想像を絶する破壊の画面が続く。 映画館の大画面と音響で観るから良いのである。 特に後半は次から次へと都市破壊の映像が映し出され、 思わず座席にしがみついてしまうほど。都市破壊の場面や大津波は圧巻!エベレスト山頂近くまで洪水が押し寄せ、 ワシントンのホワイトハウス、自由の女神、ハワイ、ローマのバチカン、エッフェル塔などが、 次々と破壊していく場面などは観るだけの価値はある。 これを映像で観ている自分が不思議に感じた。 「マイケル・ジャクソン」と同じく、上映中に、いま一度見たいと思えたから、お勧めである。 ーまずはHPの紹介文からー 2012に世界が終わる!マヤ文明の黙示録的予言を描いたSF映画である。 天文学や数学に長け、高度に発達しながらも謎に包まれたまま消滅した古代マヤ文明。 マヤ人のカレンダーであるマヤ暦は極めて正確なものとして知られているが、その暦は西暦2012年12月21日で 突如終わっている。 いつのころからか、その理由は「2012年には地球が滅亡する」というのが西洋世界では通説となり、 多くの書物が著され、数多くの人がこの説に現実的な恐怖を抱いている。 この2012年を舞台に、その終末世界と人類が 生き残れるかどうかを描いたデ超大作が『2012』である。『ID4』『デイ・アフター・トゥモロー』など、 過去幾度も“地球的危機”を描いてきたエメリッヒ監督がついに地球の滅亡を描き出す! 〜 2009年。太陽の活動が活発化し、地球の核が熱せられた結果、3年後に世界は終わりを迎える。 この驚愕の事実をいち早く察知した地質学者エイドリアンは、すぐに米大統領 主席補佐官に報告。 やがて世界各国の首脳と一握りの富裕層にのみ事実が知らされ、人類を存続させる一大プロジェクトが極秘に開始される。 そして2012年。売れない作家のジャクソンは、子供たちとキャンプにやってきたイエローストーン国立公園で、 政府の奇妙な動きを目撃。世界に滅亡が迫っていることを、偶然知ってしまう…。 ―― 後半は、これでもか、これでもか、というほど次々と都市破壊、地球破壊の場面が続く。 最後のオチが、これまた面白い! 選ばれし者の乗ったノアの箱舟は、宇宙船でなく、近代的な箱舟で、 隆起した南アフリカに向かうところで終わる。その箱舟には選ばれし者以外の人の値段が一人あたり1千憶。 ・・・・・・・・ 2790, 閑話小題 2008年11月24日(月) *金融危機 あれこれ AIGが8兆円を使い切り、追加支援をいれて15兆円に拡大しているが、米国政府も見切りをつけなければなるまい。 見切りをつけたと同時に本格的な恐慌になるので、手の打ちようがなく果てしなくドル投入しなければならない事態。 当方の保険は日本のアリコに入っている。 日本は大丈夫というが、日本の保険会社の何処も買収に腰が引けている。 他にも、政府系のファニーメイが赤字2.9兆円。 更に家電チェーンのサーキットシティも倒産(負債2,300億円)。 現在は、ビッグスリーのGM、フォード、クライスラーも倒産の秒読み、全米の銀行ナンバー1のシティも重体という事態。 その中で、十一月になってからホテル宿泊も影響が出始めてきた。 やはりタダゴトではない状況になってきている。 日々、事態は深刻度を増しているのに日本政府の機能は混乱しているというから、どうもこうもない。 *定額給付金の愚挙 定額給付金について、全国世論調査では反対が、賛成の二倍。決定のニュースを見たときに思わず咳き込んでしまったが、 それは私だけではなかった。あの人の知能レベルが、定額給付金の愚挙になったということ。怒りより日本の行末の方が心配。 日本中は、この時期に、この程度の人物が首相と呆然状態である。 100年に一度の経済危機と言いながら、 その対処が目先の選挙対策の苦し紛れの金ばら撒きをしている姿は何だろ?。 これで、自民党政権は全くのレイムダック。【医者は社会的常識に欠けている】は、よく言ってくれたが・・・ *散歩の光景 一年ほど前から、朝のウォーキング途上(冬場を除いて)80歳位のオジイサンが土手に立って、 通りすがりの人に親しそうに話しかけている。 軽い痴呆が入っているようだが、それでも一人で来て、帰っていく。 毎日、色いろな人と会うのが楽しみのようで、多くの人と立ち話をしている。何度か声を掛けられたが、挨拶だけにしている。 痴呆の人は歩き方が小またで、蟹股のようになる。母親の晩年がそうだから分かるのである。 兎に角、人懐こく挨拶をするので、誰もが彼の世界に引きこまれるようだ。人品卑しからずの雰囲気があり、 少年のような顔が良い。 犬を連れた子供からも何時の間にか友人のようになっている姿が、愛嬌がある。 痴呆症の人にとってはゴールデンタイムになるだろう。 時に姿を見かけないと、心配になるほどだ。 *猫派、犬派? 先日の朝のTVで、「あなたは猫派、それとも犬派?」という話題を取り上げていた。 犬派が44%、猫派が16%、どちらも同じぐらいが40%との結果であった。大よそ三対一ということになる。 犬は素直で、従順が良いというし、猫は独自性があり、クールのところが良いとのこと。 私は犬が好きだが、家内がペット全てが嫌い。少し珍しい人種である。 ・・・・・・・・・ 2007年11月24日(土) 2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] ーまずは、私の感想文からー 人間は自分の弱さをカバーするため、そして知識を持ったために神をつくった。 それは他の生物から見たら、人間にとって都合の良い空想の産物でしかない。 ある雑誌に載っていたレポートを 読んで考えさせられてしまった。19世紀に始まる進化論が人間は動物でしかないと主張、それまでの人間理解を根本から 大混乱させてしまった。そこで人間と動物の違いが問題になった。動物の中の人間を浮き上がらせている諸特性ー例えば、 計算合理性、言語能力、抽象化能力などが浮かび上がらせて、我われ人間の根拠となり始めたのである。 しかし20世紀半ばから出現したコンピューターは、動物とは違う、人間を理解する新たな<他者>になったのである。 それが人間たらしめている特性を凝縮したものときているから、問題は更に人間とは何かを考える問題提起になる。 動物とは逆の立場のコンピューターから人間が照射されて、動物と人間の差異を見ると、浮かび上がるのは何だろう? さらに、人間とコンピューターが融合してきたため、人間とコンピューターとの差異も見えにくくなってきている。 その意味で現在の人間は哲学的に見ても大きな曲がり角に来ているのである。 さらにコンピューターは人間の能力の概念を変えようとしている。 ーー 「人間とは何かを逆照射する新たな他者 ーコンピューター」 黒崎政男(哲学者) *自分を理解するために他者が必要* いま見てきたことからも明らかなように、現代科学技術の最先端を意味する〈コンピューター〉と、古代ギリシャ以来、 古色蒼然と続いてきた〈哲学〉との関係を論じることは、決して突飛な思いつきでも奇妙なことでもないことは明らか。 哲学者たちが長い間考えてきたことを知ることは、人工知能にとって決して無駄ではないし、現代科学技術の最先端で、 何が問題になっているかを知ることは、新たな発想のきっかけとなるだろう。 さて、それにしても、コンビューターという機械の研究と、人間の知識の研究が、かくもリンクするのはなぜだろうか。 それは、コンビューダーが、人間とは何かの問題を逆照射してくれる存在だからである。 われわれは自分を理解するために、他者を必要とする。だから、19世紀から始まる〈進化論〉の主張が、人間の自己理解に 大きな混乱と変動を引き起こすことになったのは当然である。自分とは動物ではないものであったはずなのに、自分は動物だった、 と知ったら、自己を浮かび上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。 そこで、通常動物には欠けていると考えられる諸特性因たとえば、計算合理性、言語能力、抽象化能力などが、われわれ人間の アイデンティティの根拠となりはじめたのである。そして20世紀の半ばに出現してきたコンピューターは、人間を理解するための 新たな<他者>となったのである。人間ではないものが動物だったときには、人間と動物とが共通に有している能力よりも、 知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されていた。しかしコンピユーターは、この「論理的能力」を特化した 存在であるので、今日では、人間とは何か、を考える場合、その知的・論理的能力は、人間固有の特徴としてクローズアップ されにくくなってきている。むしろ、動物と共通する能力のほうが、逆照射されはじめている、といえるだろう。 だが、コンピューターと動物という二つの〈他者〉から、同時に自己を隈界づけ、確定しようとすると、この両者に挟まれて 人間の自己理解は深い困難を抱えこまざるをえない。動物という<他者>によってわれわれを逆煕射しようとすると、 コンピューターと我われとの差異が見えないし、コンピューターという<他者>によって 動物とわれわれとの差異が見えにくくなるからである。 ○(´・ω・)ノ ホン ヂャァネッ ・・・・・・・ 2006年11月24日(金) 2061, 虐めについて (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん! ‘虐め問題’の解決などあるはずがない、家庭内の不和が原因にあるからである。 自分にかかった血を学校の弱者に塗りつけるのが虐める方の理由である。情報化により弱肉強食社会の傾向が 強くなればなるほど、家庭内へストレスが持ち込まれざるを得ない。 総下流社会化の傾向の中で、そのストレスの捌け口が弱者に向かうのも当然である。 振り返ってみれば、小学校、中学校で酷い虐めがあった。虐めっ子は家庭内が壊れていたためか、 その後の人生をみると不遇の人が多い。逆に虐められていた方が、まともになっている方が多いのは面白い現象だ。 ただ潰されないことが前提だが。こういう時代になったら、「ギブアップ・システム」をつくり、虐められっ子の転校を しやすい環境をつくってやることも必要だ。数年前のことだが、中学校時代に殺してやりたいほど憎んだ男が、 40数年ぶりの同窓会で隣の席に座った。隣に座るまで「殺してやりたいほどの憎しみ」を忘れていたから、 大したことはなかったのだろうが・・ 酔った勢いで、「お前は中学校時代に理不尽なことで頭を殴っただろう。 小中学校時代で殺してやりたいほどの男の7人のうちの一人だ」と言ったところ「あの当時、両親の不和で自分でも大荒れで、 誰見境なく喧嘩をうっていた。野球部でも、俺がいたため何人も辞めていってしまった。 ところで7人のうちの何番目?」 とのこと。「三番目!」他のクラスだったが、そのネジレの酷さは私の耳にも入ってきた。 今さら指摘されることもないという風。集団社会に住んでいれば、何処でも相性の合わない人が一人や二人はいるもの。 四苦八苦の中にも「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」があり、娑婆にいる限り避けて通ることはできない。 だから、小中学校時の虐めも、娑婆ー社会に出たときの火の出るような虐めに対する予行演習でもあるといえるが・・・ 袋叩きにしたいのあまりにも多い。 誰も加害者であり、被害者でもあるのが娑婆である。 でも人生は、嫌なことの数百倍、よいことがある。探し求めればだが! −− 朝日新聞の一面に〈いじめられている君へ〉「すばらしい瞬間必ず来る」が連載されている、なかなかよい。 短い人生論のようでもある。 その一つをコピーしておこう。 ーあさのあつこ さん 2006年11月14日ー (字数の関係でカット2008年11月24日) ・・・・・・・・・ 2005年11月24日(木) 1696, 辺境へ −2 この本で紹介している星野道夫の「人を通して風景を見る」という言葉がよい。 写真も、同じことがいえる。 やはり現地人の入った写真は背景をひきたてる。 そのことに最近になって、やっと気がついた。人生も同じである。全く今まで何をしていたのか?ヽ(゚Д゚;)ノ!! 旅行記はおおよそ、飾らない真実の言葉で綴られている。写真と共に読むと、その場に吸い込まれてしまう。 最後の章の[忘れえぬ人々ーあとがきにかえて]の中の、著者の言葉がよい。 ー世界をあちこち歩いたことで、たくさんの経験を積み、さまざまなことを考えさせられる機会を得た。 しかしなんといっても、ヒマラヤを旅をする中で得られたもの、ひと言では表現できない「気」のようなものが自分の中に、 あるいは取り囲まれるように存在するのを感じる。ヒマラヤの高みは天に近く、心安らかになり容易に俗世間を思うことが出来る。 麓にはその山を敬う人々が暮らし、心優しくたくましい。そんな世界を歩き、体験した中で、いい[気]を感じる。 下界では絶対に出会えない心洗われる風景、永遠なる宇宙の時間の流れ、すべてを許すことのできる大きな心、 世界には多くの宗教があるが、それらの底にある根源が少しだけ実感できたようだ。自分の目で見て、 体で感じた自然や秘境の大きさは、いかに人間が小さく儚いかを教えてくれて、地球にいる自分の姿勢を正してくれる。ー シ──(-ω-)(-ω-)(-ω-)──ン ひと言ひと言が、ズシリと胸の奥に響いてくる。この言葉の数分の一を味あうために、旅行に出ている。 秘境の地に行けほど、人々が優しく、文明の地ほど、人がけばけばしいのは、如何いうことか? 都会は、その典型として現出している。 人類は何をしてきたのだろう。 (^_^)/~~ ・・・・・・・・ 2004年11月24日(水) 1331, 相撲に思う 数年前までは、 ・学生相撲 対 序の口からの叩上げ相撲の対戦であったが、現在では ・外国勢士 対 日本勢、 ー異種格闘技化 ・古参力士 対 新鋭力士 対戦を見ていると、その分類に7割は入る。 (字数制限のためカット2010年11月24日)) ・・・・・・ 2003年11月24日(月) 964,「アルビレックスの優勝」 今日13時から新潟で、地元のアルビレックス新潟と大宮アルデージャの一戦が行われた。 アルビレックスが1−0で勝ってJ2の優勝を決めて、サッカーのJリーグの一部昇格を決めた。 (字数制限のため、カット 09年11月24日) ・・・・・・・ 590, 愚か者と馬鹿者 - 2002年11月24日(日) 宗教学者の対談の中で、愚か者と馬鹿者の定義をしていた。 ・愚か者とは社会一般の常識しか知らない者。 ・馬鹿者とは一般社会を離れて見ている者。 そう見ると、世間様は愚か者の世界そのものだ。 見るところ80?が愚か者? 愚か者の目で見たら、超越している人は正しく馬を鹿という 文字どうり馬鹿者だろう。「馬鹿になれ!」とかいうのは愚か者に対する宗教者の視点である。 教養はその視点を時間をかけて積み上げた経験と知識をいうのか。私などは愚か者に馬鹿が加わった馬鹿愚者である。 それすら気が付かない愚か者よりマシなのか、それ以下なのか?社会常識を元々知らない事と、知った上で離れてみる 視点を持つことは別だが。愚か者はその識別さえできない。私の知人のある匂いを持った愚者の群れは一番嫌う人種だ。 嫌うという事は、自分もその匂いを持っているという事だ。何か誰にもいえることだから、誰もが考えてしまう問題だ。 「男はつらいよ」の映画の場面に印象的な場面があった。ある地方の少し頭の軽い男に誰かが「この馬鹿!」といった。 言われた男が「馬鹿に馬鹿というのが一番馬鹿だ!と母ちゃんが言っていたぞ!」 よく考えてみたら、自分が一番愚者だった!!? 気がついているか、いないかの差だろうが! ・・・・・・・ 11月24日 (日曜日) 1968年 10時に起床。 ある部屋で、朝っぱらからダンスの模擬講習会をしていた。面白そうなので早速参加をする。 ジルバとルンバとブルースを一通りマスターはする。15時に市川さんが部屋に来る。その話をすると「自分にもダンスを教えてくれ!」 ということで、今度は私の部屋で講習会みたいになる。 そういえば昨日スナックで飲んでいたとき、三年の植本くんが「(同じゼミの同期の)田島さんが、 私について評価をしていた」といっていたと教えてくれた。「堀井はいつも人を冷静に見て平等に 公平に評価をしてくれる」といっていたという。また反面「自分が傷つくのが恐くって構えている。 それが堀井の壁になっている」ともいっていたとか。 なるほど鋭いものだ。 そういえば深井にも同じようなことを言われた。「絶対にわき道にそれることはない。 (字数制限のためカット2010年11月24日))
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