|
2009年09月08日(火)
一昨日の日経新聞の最後の紙面(「私の履歴書」の隣コーナー)に「富豪と世捨て」というテーマで、 作家で法大教授の島田雅彦が書いていた。昔の富豪の身の処し方と使い方で、西行や千利休などを取上げていた。 井原西鶴の作品の中の‘世之介’は、現在では500億円位の資産で、生涯をかけて色事に追求し、 花魁を次々に身請けをしたが、それでも使い切ることが出来なかった。 また日本人の昔の粋な生き方として、世捨てを紹介している。死を前にして身軽になることが含意されているが、 不祥事で失脚した時のリセットで、政治家などが清貧を気取る場合がある。その辺が人間の面白さである。 富豪は、その富のために悩みが多いが、人のためにそれを使うのが、一番の悩みを消す効果があるとする。 資本主義の覇者は資本主義によって滅びた物を復活させて、その罪を償う義務がある。失われた神仏を買い戻し、 廃れた神社仏閣を復活させたことなどである。 それが「歴史からの使命」と結論づける。 何代か続いてきた金持ちは、その使い道さえ無頓着で淡々としている人が多い。 金を使っての快楽など知れたもの? 金を気にしないで済む生活こそ豊かさである。 で、金を気にしないで済む生活は、幾らか。 そう考えると、人様々である。 平均すると、家一軒があって、 蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間400万ぐらい? ところで、直接、両親の生き方をみてきて、合理的散在?を学んだ。 定額を見定めて、平均して使うことである。 持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。 私の親戚に「清貧を自認した生きかた」をした人がいた。 90歳後半で亡くなった時には、3千万近くの蓄財があった。その人の収入からみたら奇跡的ですらある。 もし、年間300万を65〜75歳の10年間を使っていたら、面白かっただろうに思うのだが。 私は、それを40〜50歳代後半の二十年間で使ったから、わかる。 といって、年間、150万なら散在ではない? 貯めるのも難しいが、それを後悔しないで散在するのは、もっと難しい。貯めるは努力、使うは芸術というが。 ところで、100億を10年で浪費で必ず使うことを約束して神様から貰ったと仮定して考えると面白い。 浪費というところがポイントだが、50億の船を買って世界中をまわったとして、 年間5億×10年=50億のコストとみると、大したことではない。 それなら世界の豪華クルージングの 最高級クラスの部屋でサービスを受けた方が良いか? まあ、それも2〜3年で飽きる。 でも、面白そうだ。 しかし「それが如何した」という内なる声も湧く。 そうこう考えると、一日を真剣に遊ぶ能力こそ重要ということか。 問題が山積みの中、ストレス解消のために遊びに使う散在こそ、価値があるということ? しかし、富豪はそれを超えた世界があるのだろう。 経験しないものには分からないだけ?
・・・・・・・・ 2713, コピペ 2008年09月08日(月)
先週のNHKの「クローズアップ日本」で、コピペを取り上げていた。「コピペ」とは パソコンのコピーと、ペースト(貼り付け)の略語である。 なかなか考えさせられる内容であった。 ーまずはNHKの番組紹介を、コピペしてみよう。 * コピペ 〜 「ネットの知」とどう向き合うか〜 インターネットで見つけた文章をコピー&ペーストして、自分の文章にしてしまう"コピペ"。 ある大学では提出されたレポートの半数近くがコピペで作成されていたという事実が明らかになった。 夏休みには小中学生向けに開設された「コピペで書ける読書感想文」のサイトがアクセス数を伸ばし、 大人の世界でも、役所が募集したパブリックコメントに大量のコピペの「組織票」が提出されるなど、 コピペは今、社会全体に広がりつつある。 「コピペは人間の考える力を弱める」と批判の声が上がる一方、 「新たな知の技法」として肯定的に捉えるべきだとの意見もある中、私たちはネット上に広がる膨大な情報と どう向き合っていくべきか考える。 (NO.2623) スタジオゲスト : 茂木 健一郎さん (脳科学者) 〜〜 以上が概要だが、コピーと、貼り付けは、デジタル社会では当たり前になっている。 私も、随想日記で書くネタがないときは、キーワードの検索で情報を集め、要点をコピーして、張りあわせもする。 そのプロセスで思い浮かんだことを書き込み文章の体裁を作り上げることもある。 学生時代のゼミの論文も振り返ってみれば、彼方此方の本から抜書きをしたものを繋ぎあわせたものだった。 それだけで精一杯だった。随想日記を毎日書く目的は、自分の日々の情報を第三者に公開することで、 まとめ上げることだから、それでよい。せっかくだから、自分の脳を通して情報を濾過して公開をするようにしている。 そうしないと、何年後に自分の文章を振り返って読んでも面白くない。最大の読み手は明日(将来)の自分である。 自分の情念と苦労が見て取れる内容にしないと、後年に字数の関係でカッの対称になる。 実際に、毎日、(字数の制限がレポート用紙15枚分しかなく)カットしているが、自分を切り裂くようつらい。 それだけ、汗水を流しているのである。 この番組で、コピペの反対派と、賛成派が出てきて話していた。 賛成派の野口悠紀雄は、情報化の時代に、どんどんコピペをして、そのプロセスで考えればよい。 時間節約になるし、効率よく情報を吸収すべき、という。反対派の人は、自分で考えることを放棄している。 自分でジックリと考えることで、情報は身に付く。安易に情報を集め、張り合わせるのは、いかがか?という。 両方とも分かるが、それぞれの人によるだろう。私は野口悠紀雄の説で、どんどん情報を吸収すべきである派である。 使い分けをすればよい。ネット上の日記のほかにもアナログの日記帳も書いている。自分の手で字を書くことも重要である。 これはコピペではないが、結構、レシートとか貼り付けている。
・・・・・・・・・・ 2007年09月08日(土) 2349.ベナレス・・・5 ー多様なるインド世界ー インドは日本のおよそ九倍にあたる三二九万平方キロメートルの面積を持つ。 これは西ヨーロッパの面積にほぽ等しい広さである。そこに現在十億を超す人びとが暮らしている。 多言藷・多民族の国家であることは言うを待たないが、宗教もまた多様である。 古代から育まれてきたヒンドウー教のほかに、仏教やジャイナ教が紀元前五世紀頃に相次いで生まれた。 紀元後ほどなくしてキリスト教が伝わり、ハ世紀には唯神アッラーを信仰するイスラーム教が本格的に到来した。 またヒンドウー教とイスラーム教双方の教義を批判的に融合したスィク教も十五世紀に興起する。 ヒンドゥー教と仏教は輪廻や解脱の思想を共有する、いわば兄弟のようなものである。兄たるヒンドゥー教は 古来からの儀礼やしきたりを守つてきたが、そのためさまざまな迷信や俗信をも抱え込むことになった。 一方、弟の仏教はそういう兄を理詰めで批判し、外の世界に広がっていったが、インドでは十三世紀にイスラーム教徒の 仏教僧院破壊を機に、すたれてしまった。仏教がインドで復活するのは二十世紀半ばのことである。インド亜大陸では 現在でも宗教問の争いが絶えないが、それは主として政治的不安定に起因する。庶民は心の底から平和を祈っているのである。 解)それにしても、3千年前にアーリア人がインドを征服した時に、地元民との混血が、自分達の存在を脅かすと 考え創った物語が三千年の時間をかけて白・赤・黄色・黒の人種の垣根をつくり、それぞれが交わることなく 現在に至っている。今でも露骨な人種差別ーカースト制度ーが社会を支配している。人間は平等です? そんなことは有りえない! それはあくまで奇麗事という、インドの社会が正直に露出している。 考えてみれば平等などあるわけがない。それを実現しようとした社会主義こそ、そのウソ、建前を知らなかったのである。 優勝劣敗は哀しいことに、世の習いである。
・・・・・・・ 2006年09月08日(金) 1984, バイアグラ おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ねむ 6年前に、ある人からバイアグラ(精力剤)を飲んだ話を聞いた。 グァム島に行ったおりに現地で買ってきて飲んだところ効果てき面という。 当時は必要を感じなかったので聞き流していたが、この数年来、精力減退を実感するようになった。 精力減退の為か女性に興味がなくなってきたのには驚いた。この歳で感じすぎも困るが、何とも感じないのも・・ このHPを開いてから、朝方に気持ちが随想日記に集中!精力減退の一番の原因と思われる。それだけエネルギーをとられるが、 やはり歳からくる衰えだろう。知人に聞くと、結構その悩みを持っている人が多い。ある友人が数年来、常用していて 「効果が絶大」という。そこで一年前に、彼から10錠ほど調達してもらった。(一錠1500円・・)しかし何か不自然な気がして 一年間、一錠も飲まなかった。先日、そのバイアグラを思い切って飲んでみた。効果は? 飲んでから5時間ほどしてから 効果が出てきた。なるほど、こういうものか納得をした。「10年前の状態に戻った」というのが実感である。 飲んだ時間から24時間、その効果は持続した。その結果「一年前買ったときに飲んでおけばよかったのに」と後悔?をしている。 あるスナックのアルバイト・ホステスにバイアグラの話をしたところ、「お客に一錠もらい飲んでみたが、 欲情がでるとかの現象は起きなかった。 男と女は違うのでは?それと、女性用のものもあるみたい」と言っていた。 精力が溢れているようだから、同じということか。二年ほど前に、マカという精力剤を通販で買って飲んだことがある。 毎日、二錠ほど4日ほど飲むと、効果があるようだが・・・私の場合は殆ど効き目が無かった。 ただ、身体全体に精力が溢れるという感じはあったが・・バイアグラは、泌尿器科に行けば貰える上に、保険が利くという。 それを貰いに泌尿科に行く気力もない。これは、ネット上に書く内容?ではないが・・・ 品位の問題だろうが、今さらである! 精力減退は年齢を感じる! そして虚無的になる。 まあ、助かった! もう40数年前のことになるが、父親が、私と同じ年齢の頃、「九竜虫」という小さな虫を菓子箱の中に飼っていて、 生きたまま飲むと精力がつくと一年ほど飲んでいた。 あれは効いていたのだろうか? ヽ(●´ω`●)ノ。バイ! ・・・・・・・・・ 2005年09月08日(木) 1619, 閑話小題
ー書くとはー この随想日記で、 書くということは「自分に向かって語りかけている」ことである。第三者の目を利用して自分を駆り立てて書いている。 公開することは、日記を続けるためと、内容を落とさない手段である。日記の読者を巻き込んで自分に語ることである。 第三者の目を通して自分に納得しようとしている。第三者を意識しなくては、毎日これだけ書けるわけがないし、 意識すればこそエネルギーも出てくる。 ・毎日書くこと、 ・第三者の目に曝した文章こそエネルギーがでる、 ・一年~数年後の自分の目に対して恥ずかしくない文章にする、 ・新しい発見を自分に課せる、 ・私自身の言葉で人生を彩ることが書くことである、 ・何のために書くというのではなく、書くために書くのである。 ー電波歯ブラシー 電動歯ブラシを10年位前に買ったが、あまり使わなかった。そのため電波歯ブラシに興味があったが、買わなかった。 ところが、TV・ショッピングでのコマーシャルを見て欲しくなって買ってみた。 送料込みで8千円半ばの値段である。(実際に買ったのは価格ドット・コムで調べたところだが) そして使ってみた。思ったより数倍は歯垢がとれる。電波の振動により、歯垢が飛ばされるような感覚で取れる。 これは、いけそうである。歯医者だけは行きたくないので、寝る前にしっかりと歯を磨き、その上に「モンダミン」 の水溶液で歯ぐきの間を注いでいた。そのためか、この5年間は全く歯医者にはいってないが。歯医者は大変だろう! ー自公圧勝?ー 昨日の産経新聞の一面トップで「自公圧勝・300席をうかがう!」と、あった。 勝ちすぎも困る。あの郵政族の露悪な政治家の面が良くない。それに民社党も一緒に括られた。 あまり勝ちすぎると問題である。また、利権亡者が悪さを始める。 しかし郵便局の役目は、とうの昔に終わっていることは明らかである。消滅しても誰も困らない。 メールと、コンビニ、そして電子決済の時代に、あの郵政の利権屋が堂々と出て来ること自体がお笑いである。 民社の岡田某が総理?何を寝ぼけを・・・ 政権交代はよいが、あまりにも民社には基盤がない。 それでも、政権交代が良いが、とにかく郵便局は次善でも民営化しなくては。
・・・・・・・・ 2004年09月08日(水) 1254, 自信喪失症に悩む韓国人
日経新聞の「地球回覧」の「自信喪失症に悩む韓国人」が考えさせられた。 日経新聞のソウル支局長の手記だが、なかなか鋭く現在の韓国事情を書いていた。 少しキーワードを変えると、現在の日本の地方の現状に酷似している。 ー概略を書いてみるとー 「景気や庶民の暮らしや考えを聞くにはタクシーの運転手が一番」。 駆け出し記者時代にそう教えられたが、 最近では、話をしないようにしている。景気やニュースの話になると「こんな酷い状態は初めてだ」と興奮状態になる。 「スリル満点の運転で悪名高いタクシーが暴走しかねない。 ー現在の韓国は以下の状態である。 ・韓国経済は今年も5?の成長率を見込むが、牽引役はサムスンなど一握りの輸出関連企業だけ。 内需不振が長引いて、景気は1990年代後半におきたIMF危機の時より悪い。 ・イラクで「死にたくない」と絶叫しながら、韓国人人質が殺されたり、 ・中国の政府系機関が古代国家「高句麗」を、中国地方民族政権と主張したり、 ・アテネオリンピックで、サッカーやマラソンで期待のメダルが取れなかった。 (字数の関係でカット 09年9月08日) ・・・・・・・・ 2003年09月08日(月) 887, バックナンバー -1
今まで書いてきた、テーマ随想日記のバックナンバーである。バックナンバーをクリックして内容を読めるソフトもあるが、 手間がかかるため今のソフトを使っている。書初めの頃は、サロンのコーナーと混同して空のものが幾つかあるが、 「宗親日記」が別にあるから、総数はこんなものだろう。それにしても、よく書いたものだ。 「間違い字」が所々見られるが、殆ど内容を忘れているので再度読んでも新鮮に思える。 それだけエネルギーを入れてきたのも事実である。とりあえず1千項目の目標は年内で達成する。 「自分史」であると同時に、「遺書」にもなる。まだ見ぬ子孫の眼も意識して書いている。 書いていて、初めの頃は戸惑っていたが、今は面白くさえある?習慣化が一番の要点である。 言葉にまとめることの重要性が書き続ければ続けるほど解ってくる。 そのうちに自分の心の構造が見えてくる。そして、その構造の建替えさえ可能になってくる。 社内報で旅行記や事業百訓を書いていた頃は、他の人の文章のドロボーもしたが、今はほとんどない? ー文章術などに「初めは他人の文章を盗め!」と、あった。プロなら問題ありだが、素人が上達する一番手取り早い方法だ。 書き続けていて、作家や学者の文章の深さや味がより理解できるようになった。 しかし随想とは「その人しか書けない文章にこそ、味わいと良さがある」という。 過去の文章を時々読んで見るのも楽しみである。(年一に丁度よい)誤字、意味不明を見つけて自嘲することを覚悟で。 「引き出し」の『バックナンバー』のコーナーを「その他・バックナンバー」から今日、独立させた。 ここに載せようとしたが原稿用紙20枚以内でないと拒否された。残りは明日載せるつもりだが。 可能な限り載せてみるが、『引き出し』コーナーで見てください。
・・・・・・・・・ 2002年09月08日(日) 513, 入試はクイズゲーム?
「入試にしても、資格試験にしても、暗記とか理解を捨ててしまえ! ーゲーム、パズルゲームゲーム、クイズゲームと割り切ってしまえ!」というある文章を見て固まってしまった。 「ゲームや遊びの類と割り切ってしまったら、真っ当に受験勉強をしないはずだ。 クイズゲームの能力のレベルを上げたいなら、過去のクイズゲーム(問題)の質問と答えを徹底的に調べて、 その傾向とか癖の調査を楽しめ!その為の準備を遊べ!」要するにゲーマーになってしまえということだ。 何事も遊びに昇華した時に能力が飛躍する、入験がそうだと。自分で試合を創れる男をゲーマーという。 ゲームとは「目標を決め途中に難関を置き、それを乗り越えながら達成するプロセスを第三者か、 自分自身と競う事を楽しむ事」という。 あるレベルを超えると、これが一番重要になる。 自分が事業を始めたとき、そうだった。自分の練り上げた計画を実行というプロセスを楽しむゲームと いう要素があった。そこまで計画を自分で内省した。 「計画お宅」といってよかった。 評論家がそれを非難した文を読んだことがある。「遊びで事業をしている馬鹿がいる!」とか、これは第三者の目。 そこまで練り上げると遊びになっているのが解らないのだ。いやそのはるか下のレベルの人を言っているのか? その差も解らないレベルの批評というと、その批評に対しても、同じレベルの目線という理屈になる。 高校時代に不思議に思っていた「同じ勉強をしてどうして全く違うのだ?」 それが40年経ったいま初めて気づいた浅はかさである。でも実際社会にでた時から、 実践でそれをやってきたから後悔はないが。あの受験の時の優秀?の人はゲーマーだったのだ。 まあ、それだけではないと思うが。本当にしたい事、なりたい仕事があったから必至に勉強したとかが本当のところだろうが。 パズルゲームか、あれは!!?クイズ??馬鹿馬鹿しいともおもえない。誰も教えてくれなかった、その事実を。 愚直に挫折をしながら、独り知恵を絞った事も事実である。それが力を創ったことも確かだ。 でも事業で両親から、その遊びかたを教わっていた!遊びになるまで集中しろ、継続しろ、努力しろという事だ。 彼らはそれを受験勉強で知っていたのだ・・・??人間はその人の範囲のレベルしか力はつかないものだ。のっけから、 真剣に望めば逆に能力が湧き出る。秘境旅行も「旅行道?というものがあるならば地球の何処を埋めていこうか?」 というゲームになっている?!!ところでこの随想日記はじつは危ないゲームになっている。毎日のネタさがしと、 その内容の構築がゲームでもある。全くの無の状態から探し、材料の構築はスリルでもある。
・・・・・・・・ 2001年09月08日(土) [138] 夢についてー10 ー今まで見た夢で印象に残っている夢をかいてみるー
・海岸線に飛行している夢ーこれは自己実現に対し欲求不満が原因らしい ・谷の間を飛行している夢ー最高の気分 ・お城の天井裏に姫と家臣が隠れ住んでいるイメージ ・白熊に追われ港のヘリに立っているイメージ ・長岡の大手通の店ー子供のころの3階の部屋の夢 ・どこかの町でトイレを探している夢 ・大学の時代いた寮の部屋の夢ー葬式の式段に自分の写真が飾ってある夢 ・5歳のころ一番上の兄が死んだとき白馬に乗って天に昇っていく夢 ・母が白い巡礼の服を着てーそれも7〜8歳の姿を、亡くなった不運の一生だった 叔母が見ている夢ー母の生前の10年前の頃 ・あまりに鮮明に見えるので確認のためもう一回みるとピンボケになっていた夢 ・お寺みたいな屋敷を入っていくと廊下があり、その向こうに池がある、その池が幻想的である夢
|
|
|