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2009年08月21日(金)
逆説思考で思い出したことがある。 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、その感想を述べる課題が与えられた。 その前年の昭和42年に出版されて注目された本で、日本社会の特性をズバリついた内容。 現在でも日本社会を知る名著として知られている。 ーその概要をネットで調べてみると 《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を最初に提示した古典的な本。 初版本は昭和42年であるが、今でも現代の日本社会に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど日本社会における 普遍的な構造を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の要因を、資格(構成員に共通したもの、 例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、資本家、労働者、など)によるものと 場(一定の職業集団、所属機関、地域) によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が特徴づけられている。 日本は場により構成される社会であり、その中での順序:通常は年功序列、が重要な縦社会である。 日本のような縦社会は、分業が成り立たない社会(競合メーカーはフルセット戦略をとりがち)、能力平等という非現実的な 事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治構造を持つ社会、派閥の功罪の生じる社会、である。 一見すると縦社会であるということとの因果関係がわかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が原因であると、 分かりやすく説明されている。 また、契約精神の欠如のために、共通の目的・仕事の達成に責任感が乏しく、往々にして、 それ以上に感情的な人間関係が重要視される社会である。》 〜〜 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について社会人類学の観点から論じている。 日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、現在の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の障害になっている。 ここで、取り上げたいのは、その時の武澤先生の視点である。 「果たして、日本が縦社会という彼女の論は正しいのだろうか。日本こそ横社会ではないか、という論をたて考える必要がある。 日本ほど、肩書き=資格、出身大学、職業、などの資格に重心を置いている社会ではないか。 西欧=資格、日本=場(所属機関、地域)と決めつけている論を一方的に理解するのは、疑問である」と・・・。 中根千恵の論の明快な分析を盲信してしまった底の浅さと、読書の絶対量の少なさに衝撃を受けた瞬間であった。 学生時代の過ごし方が間違っていたのではないか?と、この辺から大きな動揺が始まり頭がグチャグチャになってしまった。 逆説思考でみると、このグチャグチャが良かったのだが。
・・・・・・・・・ 2695, 「レンタルの思想」−3 2008年08月21日(木)
「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。 ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー
《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、そして、更に一万年前に出来た人間圏である。 それまでの生物圏で採取、狩猟で生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。 そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、その結果としての人口の爆発的増加から始っている。 人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい5〜600万の人口が限度であった。 それが、その1000倍を超えた現在、地球のシステムは、人間圏を支えることが出来ない相転移点 (水が氷、水蒸気に変化すること)に、達っしてしまった。 現在の天変地異や、エイズ、鳥インフルエンザなどの世界の混乱は、その一現象である。 我々は、人間圏からみた哲学的人間観、生物的人間観だけでなく、宇宙から俯瞰した地球システムの中の 人間圏の中の人間観を改めて作らなければならない。 ここで、一万年前から始った牧蓄・農業のもととなる所有という欲望を、見直さなければならない。 それは、地球上の自然だけでなく、土地、そして我々人間すら、地球からの借り物=レンタルという視点である。 地球システムは、このまま人間圏が膨張し、地球を汚染、破壊し続けると、人間圏に対してマイナスの エネルギーを発することになる。いや、既に発している。 それがミャンマーのサイクロンであり、エイズであり、鳥インフルエンザであり、世界各地で起きている大地震である。 それを解決するヒントの一つが江戸時代にある。江戸時代の支配階級の武士社会は、武士階級の土地の所有を認めなかった。 更に江戸時代の消費をするものの大部分が有機物の植物であった。 それは、自然循環するもので、廃棄物そのものが、殆ど出ないもので賄われていた。》 〜〜 以上が、私が著者のー地球をすくう「レンタルの思想」ーから理解した概要である。 著者は、著書の対談の中で、インターネットの社会は、地球外から俯瞰して考えてみると、危ないという。 情報が均質化され、個々人が過剰に主体的になりすぎるからである。 それが進むと、ビッグバンの状態に近い、混沌状態が生まれて、何が起きるか解らない事態になる。 これは、実感として解る。 現在の社会問題の多くは、これを起因しているといってよい。 この本を読み返し、そしてインターネット上で、彼のインタビューや、彼の著書の評論を読みながら、 考えているが、深い大きな示唆が提示されている。 人生観や信条が根こそぎ揺らぎだしてさえいる。 考え出して僅か一週間で、根っこが揺らぐのだから、私も知れたものだが、それだけのインパクトがある。 この百年の人口増加の比率が、今後3000年続くと、地球の体積と人間の体積が同じになるという。 それだけ20世紀は、人口が爆発的に増えてしまった。その一部の文明国?先進国が化石燃料を使い込んだため、 その汚染で地球システムは崩壊を始めたのである。僅か100年で、地球が数十億年かけて創りあげてきたシステムを 根こそぎ破壊したのである。この狂った猿は、「一人の人間の生命の重さは、地球より重い」と、のたまっていたのである。 隣の国では、狂った独裁者が今だ存在をして、将軍様と名乗り国を乗っ取っている。 しかし内向きという点では下手な資本主義より、地球のシステムにとって良いのかもしれない。 オウム教を肯定するのではないが、視点は宇宙からである。 オームとは、宇宙からの音波の音である。 地球システムに人間は従うべき?という思想があるかどうかわからないが、一度修行で、宇宙に出て、 再び現生を見直すことに関しては否定は出来ない。インターネットという、人類にとって一万年、いや十万年スパンの、 とてつもない手段を手に入れた人間は、時を同じくして地球システムの破壊という大失態をしてしまった。 以上だが、なるほどと、改めて納得する。図書館で借りた本だが、他の著書と同時にアマゾンで発注をした。 ー次は、印象に残ったの対談の内容を書いてみる。
・・・・・・・・・・・ 2007年08月21日(火) 2331, 「ぼくの血となり肉となった500冊」ー2 (*'▽'*)/☆゜'Good☆Morning −読書日記 「ハエとハエとり壺」は、哲学の意味の説明に解りやすい喩えである。 道理さえ解れば何とことがないが、知らない当人にとっては道理の存在があることすら解らない。 還暦過ぎたり、死の間際になって気づくことも、若いときに少し考えれば解ることばかり。 それが教養ということなのだろうが、若いときは人生経験が浅いので如何してもディズニーランドのキャラクターの ように頭でっかちになってしまう。しかし、それでもよいから教養を身につけることこそ必要である。 ーヴェド・メータ著『ハエとハエとり壼』ーの斬新さ 立花隆 ある日、何かの用事で「諸君!」の編集部に行ったところ、田中さんがちょうど外から、 帰ってきたところでした。いきなり「お前、ウィトゲンシュタインって知ってるか?」と聞いてきた。 「知ってるも何も、いま大学の授業でやっていますよ」と答えると、「じゃ、『ハエとハエとり壺』知ってるか?」と、 この本の話をもちだしてきた。ハエとハエとり壼というのは、ウィトゲンシュタインの有名な哲学の定義、 「哲学というのは、ハエ取り壷にはまってしまったハエに、ハエ取り壺からどうすれば出られかを教えてやるようなものだ」 (『哲学的探求』産業図書)から出ています。ここでいうハエ取り壺は日本のハエ取り器とはちょっとちがいます。 当時ヨーロッパで使われていたもので、大きなガラスビンを伏せたような形状をしていて、下からは出入り自由です。 ガラスビンの下のほうに置かれたエサにつられてそこにとまったハエが、そこから飛び立つと、ガラスピンにトラップされて 逃げられなくなるというものです。ハエは本能的に上に飛ばうとするからガラスビンにトラップされてしまうのであって、 一回下に飛んで、ガラスビンの下のフチをまわれば逃げられるのですが、ハエはハエの本能に従って上に飛ぼうとするので、 どうしてもつそれと同じように、哲学的難問はすべて、人間の知が構造的にかかえこんでしまっている弱点によって 作り出されたニセの問題(ハエと同じように逃げ道が発見できればたやすく逃げられるのに、 普通に頭を働かせている限り逃げ道を発見できない)だというのが、ウィトゲンシュタインの立場です。 本当はそこに問題そのものが存在していないということに気がつけば、 すべての哲学上の問題は解決されるというより消えてなくなる、というのがウィトゲンシュタインの 哲学のエッセンスです。 それを端的に表現したのが、ハエとハエとり壺・のエピソードのわけで (字数の関係でカット09年8月21日) ・・・・・・・・・ 2006年08月21日(月) 1966.事業百訓・・・? 事業百訓ー1987年・1988年(4) ーS6201新年をむかえて
私の予測として今年より三年間が大激変の時と位置づけられます。その初年度として今年をみています。 世界経済が本格的に衰退期に入り、その風が日本に本格的にふきはじめる年です。 その現象として、アメリカが日本に対して本格的に政治経済面で攻撃をしかけてくるのは間違いありません。 また、国内的には間接税が来年より実施されれば、内部留保の厚い企業をのぞいて整理統合がはじまります。 その中で企業として生きぬくためには、より徹した損益分岐点の引き下げと、より特化した戦略の徹底が必要です。 ーS6201霊的体験ー 私には少し強めな霊的感覚があります。 今回より数回シリーズで実体験を公開します。 “A”さんが数年前になくなった時の事です。同じ会社仲間だった“B”さんと十日町の彼の家へおまいりにいきました。 その途中の車中で“B”さんと般若心経の話になりました。そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。 その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。何げなく“B”さんの顔をみると、彼の顔がまっ青になっているのです。 車中で“C子”さんの話をしていたのです。“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、 同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせたのです。 そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。 そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確立で彼女の家の前に車がとまったのです。 十日町に出店をした時、彼女の家の前を“B”さんが通って知っていたのです。 私がそこに“偶然”(?)車をとめてしまったのです。“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、 その時は最後まで信じられないという風でした。私自身またかというのが実感でした。その日一日“A”さんが ニコニコ私達を見守っていた、という何かを感じとりました。 ーS6203事業百訓 ー 224 偉大な人間とは自分の理想(像)の演出者をいう。 −ニーチェ− 225 苦しいときは人生で一番すばらしい時期―真正面に− 226 本気になったら自分が変ってくる。変ってこなかったらまだ本気になってない証拠。 227 本当にわかってない事が解る事が本当にわかること。 228 お金にも“強い金”と“弱い金”とがある。強い金とは自分が苦労を重ねて貯めた金。 弱い金とは浮利で得た金。 (事業にも株も強い金を使う事) 229 非常に健康的な人の共通点として“至高体験”がある。(非常にうきうきした絶対的な幸福感) 我々が至高体験をたびたび持つ事ができないのは“わき見”をしているため。 230 ともかく具体的に動いてみる。具体的に動けば具体的な答が出るから。 (相田) 231 アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。 −相田みつお− 232 この世で一番重要なことは他人の表情に最大のほほえみをうかべること。 −コーラン− 233 好かれる事は好く一面でしかない。 ーS6205事業百訓ー 234 母親の体内で30億年間の生命の進化の命をくり返して初めて人間になって生まれてくる。 十ケ月の間に30億年の生命の変化−つまり魚になったり等々(平沢興) 235 常に備えよ!(ボーイスカウト万国共通標語) 236 会社というものは何をやるにしてもまず儲からねば間違い。 利益が上がるようでないと仕事ではない。(西 順一郎 ) 237 頭で考える人は勝てない。 238 昔の築城主が城を築くのは今の建築家が家を造るの比ではなかった。 城を築けば、秘密を知る唯一の人として生命を召される事をしりながら城を築いて徒容と切腹……。 239 流水先を争わず。 240 成功とは九十九パーセント失敗に支えられた、一パーセントである。 250 お経の中に仏様がすんでいます。毎朝お経をあげるとすっきりするのは、仏様が頭の中を掃除してくれるためです。 251 (a)一歩は一円、 (b)一mは一円、(c)一ページは一円、 (d)一聞一円、 (e)一礼一円 252 ヘッドオフィスの考え方。 253 現実の自分が、もしかしたらなれたかもしれない自分に、悲しげに挨拶する。 ーS6207事業百訓ー 254 世間一般の仕事の八割は中学生でもできるといわれる。 (何故その分類ができないか、中学生でもできる八割の仕事ばかりしたがるのか?) 255 人生、いいように考える事がコツですね。人生を渡るコツです。 ……ニューヨークの大通りを観光バスに乗って見学していたら、私の近くの若い女がきれいに化粧をしてね、 花飾りのいっぱいついた帽子をかぶって、満顔に笑みをたたえ、みるからに幸福でたまらないという顔をしている。 よくみると両手から肩まですっぽり切り落とされたようになっているんです。 …「こんなに天気で気持がよいのに、両手がない位のことで、この私が幸福になってはいけない、とでも…。 人間は誰でも幸福になる権利があるんじゃないでしょうか」とでもいっているようにほほえんでいる。 あれだと思いました。(宇野千代) 256 アウシュヴィッツの強制所で絶望の余り自殺を決心した二人の囚人と語ったところ二人の共通点は、 二人とも「もはや人生から何も期待できない」という感情であった。 この時、コペルニクス的転回を、「人生が何を彼等に期待するか?」を説いてきかせる事が重要であった。 一人は彼を待つ家族のもとに必ず帰る事がどうしても必要であった。(フランクル) ーS6209事業百訓ー “宇宙と地球と人類”を大雑握にとらえまとめてみると− ? 我々の宇宙は百二〇〜百五〇億年前にラグビーボール大の素粒子がビック・バン(大爆発)により生じた。 ? そのひろがりは(a)二千億の太陽で一つの宇宙(銀河系)を形成 (b)その銀河が百億存在しているところまで確認され ? 地球誕生は四十五億年前であり、太陽のまわりの細かい隕石がぶつかりあって拡大して生じたもの。 ? 三十億年前に生命が地上に誕生 ? 数百数万年前、猿が誕生 ? 五万年前にホモ・サピエンス(今の人類)が出現 ? 文明は五〜六千年前以前にはじめてうまれた。 ? 宗教(仏教、キリスト教)がおよそ二千 五百年にうまれ ? 現在の地上の人類は五十億人であり、過去人類として出現した数は、およそ八百億人という。 ? その人間も五十兆の細胞で構成されており、脳細胞は百三十億である。 以上の背景を持っておよそ八十年間の寿命を全うする。 子供の頃、胸にワッペン、片手にお菓子をもって、好きな女の子をおいまわす。 女の子は大人をまねたママゴト。それを少し拡大した事を一生を通じて、何等不思議ともおもわずくり返す。
事業百訓ー1986年(5) ーS6101新年にあたりー (字数の関係でカット08年8月21日) ーーーーーーー 事業百訓ー1988年ーS6303 魂の色は何色 5才の時、一年間牧師が毎週家庭に説教に来ていた時の事である。 牧師の質問が“魂の色は何色ですか?”であった。姉兄等は当然答えられず、最後に私のところにきた。 一瞬考えた後の私の答が“魂の色は顔色”であった。牧師と両親のその時の驚きを、今でもはっきり記憶しています。 そこであの時の牧師の用意していた答は何だったのか、T氏と酒をのみながら話し合った事があるのですが、 結論はでずじまいでした。その時のT氏は“白光色”。私はおそらく“虹色”ではないかという意見だったようです。 もちろんこの話にはオチがつきます。五才の子供にこの言葉の意味がわかる訳がなく、肌色という意味で顔色という単語が でたのがそのタネあかしです。しかし絶妙のタイミングで、絶妙な答であった事は事実でした。 今の私にこれ以上の“答”をだす事は不可能です。せいぜい“目の色”“音色(ねいろ)”“夢色”“十人十色”です。 でも本当にすばらしい答は“肌色”かもしれません。 ーS6305ー 新井石龍禅師に学んだ事 ー1 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、 六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね春・夏休みになると滞在させていただいていた。 度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会が多々あった。 無知と若さの為平気で生意気な質問をした 私にいつも笑顔で答えていただいた事が、今では懐しい思い出になっています。 (私) −禅とは一言で言うと何ですか? (禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。 社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の夏休みでの雲頓庵の禅師との対話 (私) −世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。 (禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。世間も理屈もあるものか! (厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。 後者の時は頭を真二ツにわられてしまったというのが実感でした。 頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたきこわされ、 社会人の一員にやっと一歩踏み入った瞬間でした。
ーS6307ー 人生は雷光なり 二人で二百才になろうという人の対談の中で、過去百年をふりかえり、実感として“人生は雷光のようなものだ”
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