堀井On-Line



2871、 構造改革路線の罪

2009年02月13日(金)

最近買った「文藝春秋・三月号」や、昨日の読売新聞に、構造改革推進派だった
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が、新自由主義からの「転向」宣言を寄稿している。
*まずは三菱UFJリサーチ&コンサルティングのブログに、彼のコラムが載っていたので、
 要所をコピーしてみる。
 ー
「なんでも市場に任せるべき」「国がどうなるかは市場に聞いてくれ」という新自由主義的な発想に基づく
「改革」は、無責任だし、危ないのではないかということを強調したいのである。
実際、グローバル資本主義は巨大なバブル崩壊を招来し、世界経済に多大の損害を与えたし、
平等社会を誇っていた日本もいつの間にかアメリカに次ぐ世界第2位の「貧困大国」になってしまった。
そのほかにも、医療難民の発生、異常犯罪の頻発、食品偽装など、日本の「安心・安全」が損なわれ、
人の心も荒んできたように見える。これを放っておいてよいのかという問題意識である。
 新自由主義的改革においては、「個人の自由」を「公共の利益」に優先させ、あとは小さな政府の下、「市場にお任せ」
すれば経済活性化が可能になるという考え方をとるが、それが上記のようなさまざまな副作用を生んでしまった。
したがって、「改革」は必要だが、それはなんでも市場に任せておけばうまくいくといった新自由主義的な発想に基づく
「改革」ではなく、日本のよき文化的伝統や社会の温かさ、「安心・安全」社会を維持し、それらにさらに磨きを
かけることができるような、日本人が「幸せ」になれる「改革」こそ必要であると考えたわけである。
そのための方向性はもっと勉強しなければならないが、とりあえずは、「貧困大国」の汚名を返上する改革が必要だろう。
底辺を底上げし、貧困層が社会から脱落していくのを防ぐこと。 このことが重要なのは、
「日本の奇跡的成長の原動力であった中間層の活力を回復しないと日本の将来はない」と考えるからである。
日本が富裕層と貧困層に2分されてしまえば、社会は荒み、日本の良さが失われるだろう。
 もう一つは、明治以来の中央集権体制を解体し「廃藩置県」に匹敵する位の大きな制度改革を断行することである。
中央官庁に集結した優秀な官僚が今度は疲弊した地方を再生させるために地元に戻り、彼らに自分の故郷が文化の
香り豊かな元気いっぱいの地域にする術を死にもの狂いで考えてもらう。 これくらいの大改革が必要だと思う。
 
 ー以上だが、
彼は懺悔の書として「資本主義はなぜ自壊したのか」を出版したが、その巨大な「牙」が負わすであろう「傷」に
対する認識を持たないで、グローバル資本主義を更に押しすすめることが愚かであり、危険と指摘。
「傷」とは、第一に「バブル崩壊と世界大不況」、第二に「貧困層の増大と社会の崩壊」
第三は、「地球環境破壊の加速」をあげている。 これからグローバル資本という「モンスター」を
どうやって鎖をつけるかが問題としている。 日本のバブル崩壊時において、アメリカ属国だった日本が
新自由主義に追随せざるをえなかったのは仕方ない。しかし大きな転換期であり、更なる破壊が日本には必要ということ。 
 方向はダウンサイズである。 無理をすることはない、身の程を知れば良い。 チマチマした島国の知恵がある。

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2008年02月13日(水)
2506, 新・知的生産術 −1
                 ≪( \(・ω・)/ )≫オハヨゥ☆
 効率が10倍アップする
新・知的生産術 ―自分をグーグル化する方法 ー
                  勝間 和代 (著) ダイヤモンド社

本屋で何度か立ち読みをしたが、「自分をグーグル化する方法」という言葉が気になって思い切って買った。
買うほどの内容かどうかは人によるが、参考になる部分は多くあった。経済評論家・公認会計士として
活躍している著者自身が実践する効率的情報収集術だから、人脈形成術、読書術など説得力はある。
・IT機器を自身の脳の補助に使い効率を上げ、
・フレームワーク化・簡略化・階層化を駆使して絞込み、
・原理原則を組み立てて、
・GIVEの5乗で情報を共有し人脈作りに役立てるのは、情報化社会の
 流れを、そのまま実践した中で得た習慣であろう。
私自身、このHPを開いて、確実に10倍は知識のインプットと、アウトプットは増えた。
だからどうなったということはない! ただ、面白く、やりがいがあり、充実感があるから、
現在もつづけている。 その結果、この卑小な人間性を曝け出してしまった反面、
公開することで(私のレベルの)質を落とさないように維持をすることができた。
その結果、「考えざるを得ない日々」を作り上げたつもりが??・・で、この程度。
私が著者から学んだことは、ともかく月に15万円の本を買い続けて、1ヶ月に100冊の本を読み?、
そして、それから得たことをギブの5乗の気持ちで与える姿勢である。
良質な情報源(実体験、他者体験、良書)から効率よくインプットし、
各種手法(ピラミッド・ストラクチャー、MECE、ブログ)にてアウトプットする。
それを繰り返すことにより、自分の読み書き能力、情報処理能力が高める手法である。
「1%の本質の見極め」そこから
「具体的な目標設定と目標達成のための 無駄の徹底的排除」の見逃せない習慣である。

勝間流1%の本質を見極める6つの技術
  ・フレームワーク力をつける ・ディープスマート力で経験値を重ねる
  ・失敗力をつける      ・ベストプラクティスの共有で学びを分けてもらう
  ・自分の価値を出せないところはバッサリ捨てる ・本代をケチらず良書を読む
『ノートパソコンがある・なしでは、カーレースを車で走るのか、徒歩で参戦するかの違いがある』は、
  全くそのとおりである。奈良時代に、ジェットヘリの喩えと、同じである。
                        ーつづく
           (´・ω・)ノ゛ホナ!
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2007年02月13日(火)
2142, 世界で一番短い物語ーそれは名前
                 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ!
「世界で一番短い物語ーそれは名前」、ある本を読んでいたら飛び込んできた言葉である。
ん〜んそうっか〜と、唸ってしまった。
その人にもよるが苗字は何十代も渡って受け継がれ、名前は両親が愛する子供のために名づけた愛の結晶。
その二つが相まって、その人のブランドになっている。ただし、そのことに気づかないのは当の本人!
そのブランドを一生をかけてつくり上げていくのが人生である。その二つの重りで充分に物語である。
何度も苗字が変わる人もいるが! 多くの物語があるのだから、それはそれで、その人の人生である。
ジョン・F・ケネディー。 この言葉だけで物語である。ジョンという名前が、そこでもう物語を含んでいる。
ケネディー家の父親がつけたジョン・F君という名付けに思いがあり、本人のジョンが一生かけて、
自分の人生をつくりあげたのが「ジョン・F・ケネディー」である。
それは人の名前だけでなく、ファッションのブランドも、レストランの名前も、その名前の中にある意味が
物語をつくり上げていることになる。 子供の頃、自分の名前が嫌であった。
しかし、歳を重ねるごとに自分の名前が好きになってきた。自分の人生を気に入ってきたのと比例して好きになってきている。

父親の名前が、堀井誠作である。その名前が父の名前だけでなく私の物語の原点になる名前である。
誠を人生をかけて作り上げた自分の原点である。私は人の名前を直ぐに忘れる癖がある。
フルネームを憶えるのは人間関係の基本である!はず。名前負けしている人もいるが、本人にとって重要な言霊である。
人生で何十万回、いやもっと多く呼ばれる言葉である。それは自分の魂そのものと言ってもよい。
子供の頃「ハッちゃん」と、多くの人に笑顔で頭を撫でられたのが、人生の原点にあるようだ。
それと同じぐらい殴られもしたが、武器は泣くことだった。母が亡くなって、財産分与の話をしているときに姉に言われた
「あの可愛いハッチャン、何処に行ってしまったの」と!弟の分際なので心の中で、「あの優しい姉さんは何処に行ったの」
人は変わるのです、しかし魂は変わらない心の芯の部分。変わってはいないのだ。 変わったのは魂の外側の部分。
   今日を機会に名前をしっかり憶えようか!

        (゚∇^*)ホンジャ、 バイバイ! ♪〜
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2006年02月13日(月)
1777, わたしの「夢ノート」 −2
  著者:中山庸子 出版社:三笠書房   (。・・)ノぉはょぅ♪
 (字数の関係でカット2009年02月13日)

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 2005年02月13日(日)
1412, 失敗学の法則ー読書日記

失敗学とは、事故や不祥事の原因を探る学問で、狙いは「再発防止」にある。
それだけでなく、それが逆に新しい発見を生むこともある。
畑村氏が、この「決定版 失敗学の法則」の中で
「『うまくいく方法』だけを学んだ学生たちは、既存の技術のまねや、過去に起きた問題への対応は上手にできても、
設計の分野でもっとも大切な『新たなものを創造する』という能力がなかなか身につかなかた。
(中略)行き着いたのが『うまく行かなかったやり方』、つまり『失敗』に学ぶことが、ものごとの真の理解につながる」

「生産活動には、事故や失敗は付き物である。これら、事故や失敗は小さなものから、
経済的損失につながるもの、負傷を伴う大きなもの、さらに多数の死傷者を出す大規模なものまである。
特定非営利活動法人「失敗学」は、こういった事故や失敗発生の原因を解明する。
さらに、経済的打撃を起こしたり、人命に関わったりするような事故・失敗を未然に防ぐ方策を提供する学問である」
と述べている。また、「失敗とは、こうなるだろうと思って行動したが、はじめに定めた目的を達成できないこと」
と定義している。そう考えると、誰も人生が大失敗になる?

失敗原因を「要因」と「からくり」に分けて考え、要因を失敗へと導く「からくり」を探ることで、
本当の原因を究明している。まだ記憶に新しいが、鳥インフルエンザの浅田農産(兵庫県姫路市)が、
隠蔽をして損害を最小限にしようとした為に大失敗をしてしまった。それと、三菱自動車。
三年半前にリコール隠しをしていた三菱自動車。今度は分社した三菱ふそうトラック・バスが、
脱落タイヤで母子を死傷させた事故から二年を経過して後、やっと欠陥を認めた。
その後も、似たような不祥事が後を絶たない。これは三菱というグループの体質が最も大きな要因である。
今でも、三菱というブランドに対するバッシング位としか考えてない。

このような原因には、敗戦でも国土のほとんどが戦場にならなかったように、本当に致命傷にならなかったため、
失敗を直視しない日本人の体質があると指摘している。三菱グループなど解体されるべき筆頭であったのだ。
「存在自体が問題集団であることを自覚していない」から、こういうことになる。
反対に、日本のエリート集団と勝手に思い込んでいる。そうだ、三菱系の麒麟麦酒飲むことを止めなくては!冗談だが?
実際のところ、成功より失敗から如何に学ぶかの方が重要な場合が多い。失敗モデルから、多くのことを学んだほうが
解りやすいことも事実だ。問題の設定を明確にして、その解決のシュミレーションを重ねて、失敗要因を取り除くことが
重要ということを、モデルは教えてくれる。 失敗は成功の元というが、余り失敗のとらわれることも失敗要因になる。
成功要因の本は、幾らでもあるが失敗を問題としてとり上げたのが、この本の成功のカラクリである。

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2004年02月13日(金)
1045、マ〜コー堀井正子に捧げる−2

ー姉の3回忌(3日前)の供養のための思いを書く。亡くなってまだ二年だが、もうズット昔のような気がする。
20代の頃、遊び相手に丁度良かったのだろう、大学時代は東京、勤めている時は京都、金沢と訪ねてきた。
観光がてらに遊びに来たのだ。12歳違いの姉というので、気が楽だったのだろう。
亡くなる前年の5月に自宅に遊びに来た。本人も、最後かもしれないという気持があったのだろうか。
13時から17時近くまで4時間近く、一人話しまくっていた。その時の写真を、当時このホームページのサロンに載せた。
大手通の四つ角にいた頃のことや、亡くなった兄のことや、手術のことや、現在の病気の状態を話していった。
「大學を出てなかったことが一生に大きなハンデであった」と言っていたのが印象的であった。
特に芸大に行けなかったことが無念であったと。「取あえず父の死んだ71歳まで生きるのが目標で、あと4年は生きるつもり」
と言っていた。 まさか半年後に亡くなるとは本人は思ってなかったようだ。
「スキルス性(悪性)の癌ではないが、保険を有利にもらう為に、知り合いの医者が悪性の癌と診断書に書いてくれた」
と言っていた。その時ピンときたのは「実際にスキルス性ではないだろうか」という素朴な疑問であった。
数日後にすぐ上の姉に[直感だが、そう長く生きれそうもないから、理由をつけて、会えるうちに多く会って
おいた方がよい」と電話をした。そして、その年の10月に再入院後、翌年の2月に亡くなってしまった。享年68歳であった。
長女と末弟ということで気が合ったことは事実である。半分は息子のような気持ちがあったのだろう。
昔から「A型、長女、ウエット、お嬢様」タイプの女性が好きだったが、今から考えるとシスター・コンプだったのだろう。
家内には結婚してからシスコンと言われてきたが。4人も姉がいれば仕方がない。

大人数の末っ子は、兄姉に苛められる?反面、それぞれの生き様を直接見ることができる。
先生の悪口や、恋愛話?結婚話や、色いろな噂などなどが聞いていて、それぞれ見ていて良く解る。 
姉兄の中で、一番夫婦仲が良かった。長女と旦那が末っ子という組み合わせが良かったのだろう。
組み合わせも、夫婦の機微に大きな影響を与えるようだ。悪い例もあるが、具体的に書くと差支えがあるからを止めておく。
派手な、カリスマを持った、大姉御というのが正子さんの一生を貫いていた。
自分のステージを持った、本当に面白い人であった!

・・・・・・・
2003年02月13日(木)
680、自殺志願

昨日の朝のニュースで自殺志願を報じていた。
インターネットで知り合った若い男女3人が自殺をしているのが発見されたという。
インターネットの検索で自殺志願のキーワードを入れてみたら、あるホームページに、
すばらしい文章が載っていた。 以下をコピーしておく。
 ・・・
 私は死に場所を探していた。脱サラして始めたラーメン屋も、思うように上手くいかずに借金だけが残り、
40を過ぎてやっと手に入れたマイホームも、結局、手放す羽目になってしまった。
働き口も、そう簡単には見つからない。妻も私に愛想尽かして家を出て行き、弁護士まで立てて離婚を迫ってくる。
子供達も皆、妻の味方だ。今の私にあるのは借金だけで、他にはもう何もなかった。
夢も希望も、明日を生きる気力さえ残っていなかった。
「ここにしよう。」私は、自殺の名所で知られる、断崖に立っていた。ここから飛び降りれば、簡単に死ぬことが出来る。
一歩、足を踏み出せば、もう苦しむ必要はない。日が沈むのを待って実行する事にしよう。
沈む夕日は、私の心を穏やかにした。そして、この夕日が消えた時、私も人生を終えるのだ。最高の演出じゃないか。
「おい!」 私はビクッとして振り返ると、一人の老人が立っていた。顔を見て、更に驚いた。「親父!」
夕日のせいで、ハッキリとは見えないが、間違いなく親父だった。10年も前に死んだはずの親父が、
何故こんなところにいるのだ?「そう見えるか。」親父はそう言いながら、私に鞄を差し出した。
「5000万円入っている。使え。」私は訳が分からなかった。夢でも見ているのだろうか?
「これは貸すんだぞ。20年後に、ここに返しに来いよ。まったく、金のせいで命を捨てるなんて、
バカらしいと思わんか。」 夕日が沈み、辺りが暗くなると、親父の姿はもう消えていた。
だが、札束のギッシリと詰まった鞄だけは確かに残っていた。
それから私は、その金で借金を返済し、一生懸命に働いた。親父との約束を果たす為に。
妻とも一度は離婚したものの、数年後に復縁した。子供達も結婚して幸せな生活を送っている。
そして、瞬く間に20年の月日は流れた。私も70を過ぎ、物忘れが多くなったものの、親父との約束の日が
今日だという事は、ハッキリと覚えていた。私は必死で働いて貯めた金を鞄に詰め込むと、
あの時の断崖へと向かった。約束を果たす時が来たのだ。

丁度、あの時と同じような夕日。本当ならもう死んでいたはずの自分が、こうやって、またここにやって来た。
何やら不思議な気分だ。そして、親父はまた現れるのだろうか。夕日が海に沈み始め、辺り一面がオレンジ色に染まる。
その中で座り込んで沈む夕日を見つめている男の姿が見えた。すぐに分かった。親父ではなく20年前の私がそこに座っていた。

ー感想を書いてみるとー
父親が現れて与えた5千万円は希望・意志ではなかろうか。
「20年後に約束どおりそこに行くと、若いときの自分がいた。
そして当時の自分に声をかけたのが父親でなく自分であった。」という落ちがよい。
死ぬほどの苦しみ絶望も、人生で経験しなくてはならない事だ。5千万に匹敵する事かもしれない。
丁度その時の彼にとって、苦しみを超えた意志こそが5千万の価値があったのだろう。
 ・悪魔の囁き・
ーこれを書いているのは宗教系の巧妙な餌ではないか?ともウガッタ見方もできる。
これを求めてクリックしていったところが、危ない商売の宗教の「??学会」だったり、
「??の科学」だったりする。カルトはやるから、そのへんは!!
自殺よりは、それでもいいかあたりがオイシイ餌だから。簡単に自殺など考えない方が良い。
「このカルト教団どもが、アフリカのエイズのボランテアをするか!」
自殺志願者は餌であっても救済の目的でない! 念のために!
 ・天使の囁き・
悪魔にだまされてはいけません! これは経験を積んだ人間しかいえない究極の救いの物語です。
この人にとっての究極の中から取った人生の真髄なのです。
もし貴方が「??学会」とかを自分の価値で切り捨てているならそれは間違いです。
それで救われるなら、その人にとってのベストなのです。それを乗り越えてこそ人生である。
のりこえる時の出会いがそれならそれで良いじゃありませんか!

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2002年02月13日(水)
330,真実の時

闘牛に「真実の時」という瞬間がある。闘牛士が最後の止めを刺す瞬間、牛もそれを悟り最後の力を
振り絞って突進しようとするその「一瞬の間」ーこれを「真実の時」という。
葬式の火葬場で最後に釜に最愛の人を入れる瞬間もそうだ。最も親しい人との別れの瞬間もそれだ。何回見ただろうか。
いや両親の経験をしている、叔母も。昨日もその場面を経験した。 感動の絶頂の時もそうだ。
バンジージャンプの落下している瞬間もそれだ。純粋に泣いているとき、笑っているとき、怒っているとき、
そして悲しんでいるとき、そして楽しんでいるとき、感動しているとき、をいう。

・・・・・・・・・
2月13日 1969年
11時に学校にいく。兼古と昨日の件で先生と話した内容を話す。
彼とは1〜2年の時親しかったが、このところは何か気持が通じなかったが、
何か以前の感覚になっていた。兼古とも、これが最後の話になるだろう。
一度だけの人生で、本当によい学生時代をおくれたことだ。

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