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2008年09月04日(木)
不景気が外食産業を直撃している。 アメリカではスターバックスが苦戦している一方、マクドナルドが好調という。 数年前までは、マクドナルドのコーヒーは不味くて飲めたものではなかったが、最近は格段と美味しくなった。 スターバックスのコーヒーが4杯ドルに対して、マクドナルドが1ドルと4倍も違う。 そのため不景気とガソリンの高騰で、コーヒー好きのアメリカ人は低価格のMcにながれているようだ。 二年前の株価を見ると両者とも35ドルと拮抗していたが、現在ではスターバックスは、その半値、 Mcは2倍になり、4倍の開きが出来てしまった。 皮肉なことに、売価が逆の倍率になってしまった。 4倍といえば、味が大して変わらなければ、Mcに流れるのは当然のこと。 そこでMcは低プライスのコーヒー専門店チェーンにも乗り出した。
日本国内でも、不況の煽りで、スターバックスとドトールも売り上げが前年割れをしており、 それに対しMcは売り上げを伸ばしている。 通勤途中の長岡駅周辺にスターバックス、Mc、Uccコーヒー、 ドトールがあるが、 最近、Mcとドトールには客が多く、コーヒーの値段が400円以上のUccと、 スターバックスは客が少ない。 また新潟駅と長岡駅にパンとコーヒーに絞ったカフェテラスがあるが、両者とも好調。 この20年来、個人経営の喫茶店がほぼ消滅した。ところが新潟の事務所の真前にコーヒー専門店が二年前にできた。 それ以来、週に1〜2度はランチを食べに行くが、基本に忠実なコーヒーを出してくれる。
コーヒーは、良い豆を使って、基本に忠実に出し続けることが要求される。その維持がなかなか難しい。 この不景気の中、身近なランチや、コーヒーから節約をするもの、安いコーヒーに流れるのも仕方ない。 自動のコーヒー販売機のコーヒーがプロ並みに美味しいのに行き当たった。 コインを入れてから、コーヒーを炒って出す?ので、時間が4分ほどかかる。 月に一度新潟駅の至近距離にある専門店ビルの地下のイオン内にある、カフェテラスの自動販売の カプチーノが美味い。月に一度は行ってパンとコーヒーを飲んでいるが、目当てはカプチーノである。 Sサイズで150円、Lサイズで200円だが、充分満足できる
昨夜のニュースで、昼飯に弁当持参が復活していると報じていた。 何か、身につまされる思いである。でも、暗い感じでないのが救いであるが・・・
・・・・・・・・ 2007年09月04日 「エーゲ 永遠回帰の海」 −1 −読書日記 * 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社
ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読んで、今年の旅はギリシャ・エーゲ海の旅を思いたった。 (次男が「ギリシャに行って良かった」と言っていたのもあるが・・)面白いもので、いざ決定すると、 写真も文章が違ってみえてくる。 三日間のエーゲ海のグルージングとギリシャ本土の遺跡をまわると、 また違って見えてくるが、それもまた楽しみである。
世界の遺跡の主だったところを見てきたが、遺跡の真只中に立つと何とも不思議な感覚になる。 数千年前に住んでいた人たちの気配を感じるのである。生活の跡に立っているのだから、当たり前といえば当たり前だが。 初めにハッとしたのはエジプトの遺跡群をまわった時である。行く先々、感動と驚きの連続であった。 遺跡を造った皇帝の意志と、当時の人達の息づかいが伝わってくる。
生々しいのが2000年前に一瞬のうちに埋没したイタリアのポンペイの遺跡。 火山灰がパッケージになったため、殆ど完全に近い形で街と、店舗と、住宅がそのまま残っていた。 また死者の体を包んだ灰の中が空洞で残っていて、そこに石膏を入れた「人間の型」が気味が悪いほどリアルに並んでいた。 そこに立っていると、タイムマシーンでポイと瞬間移動してきたような気持ちになってしまうのである。
この本は立花隆と写真家の須田慎太郎が、1982年に40日かけて行ったギリシア、トルコ取材をもとに出来た本である。 (出版までに20年以上を要した理由については本書にその経緯が記載されている。) 写真家の須田氏の美しい写真と、立花氏の紀行文がなかなかよい。
ゼウスと人間の女の混血児であるディオニュソスの不完全な不死性と、イエスの復活神話や「一粒の麦もし死なば」 という教えとの相似性。 アジアの地母神信仰がギリシアのアルテミス信仰に変容し、それがさらにキリスト教の マリア信仰に姿を変えたこと。新約聖書「ヨハネ福音書」の「初めに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。 言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。」というくだりが、 新プラトン主義哲学のロゴス論を下敷きに書かれたことなど・・。 ギリシアの神々は、一神教である キリスト教の成立や普及過程において、形を変えてしぶとく生き残っていったということが、この本を読むとよく分かる。
・・・・・ 2006年09月04日(月) 1980, ある首斬り役人の日記 −2 \(^▽^*)おはよう −読書日記 HPで「首切り」と検索したら、イラクの首切りの生々しい映像が出てきたのには驚いた。 さすがに首切りの場面は見なかったが・・ 更に、次の内容があった。 ー日本の首切り役人のことを書いた内容であろう。
罪を犯したある男が首切り役人に首を刎ねられる羽目になった。 この男は最後の最後まで抵抗し、たとえ首を切り落とされても執念でお前を末代まで恨んで、祟ってやると罵った。 首切り役人は、「そう思うのなら切り落とされた首で自分の草履をくわえてみよ。それが出来たならお前の言葉を信じよう」 と言った。 刎ねられた首はコロコロと転がり、男の言ったように草履をパクッとくわえた。 その形相の凄まじいこと、 この世のものとも思えなかったという。 周囲の人々はこの様を見て怖れおののき、これは祟りがあるに違いないと感じた。
事実その後、そんな噂が広まった。ところがこの役人はこれをせせら笑って、「そんなことがあるわけがない」 と全く気にしなかった。あまりの自信に何故怖くないのかと尋ねると、 「あの男は最後の怨念を草履をくわえるということに使い切った。だからもう私を恨むことは出来ないのだよ」 日本では「首切り浅右衛門」が有名である。 事実は、小説より奇なり!である。 ーー 298の項目からなる書の中から、印象的な項目を抜粋してみる。 38、1579年8月6日 ハンス・ビューヒュナー、ーファレンバッハ出身。 ゲオルク・ガーブラー、ー シェーンフェルト出身。 ミュッヘル・ディーテリヒ、 ーベルニッツウィン出身、別名・辺境伯。三名とも泥棒。 打ち首の上、車裂きにした。 哀れなのは辺境伯の妻。 哀れな引き回しの罪人を見ようとして、その中に自分の夫を見てとった。 彼女は夫の首っ玉に抱きついて、口付けをした。自分の夫が捕らわれ、そのような一味であったのを知らなかったのだ。 ーこれを読んでいると、数百年前の欧州の片田舎で起こった悲劇が目に浮かんでくる。 大悪人の処刑を見ようとしたら、まさか自分の夫とは! 立場が一瞬にして大逆転をしてしまった悲劇は、ドラマのようである。 82、1584年7月7日 バイエルシュタインの妻アンナ、ニュルンベルク市出身、 別名モーザー・アンネラ。彼女は夫ある身なのに、いかけ屋という名の父親や息子といかがわしい行為に耽った。 そのほか同じように妻ある男や若い職人たち21人といかがわしい関係を持ち、彼女の夫がそれを助けた。 その件で立ったまま打ち首の刑に処した。 その夫はムチ打ちの刑を受けた。 彼は聖ペトロ教会の彼女の墓近くの石塀に、白墨で次の文句を書きつけた。 相手の親父も息子も、女房と同じ目にあわせてくれ。とりもちの男にもそうしてやれ。 あの世に皇帝と王様を呼び出して、いかなる処刑も行われないよう訴えてやる。 私、哀れな夫は罪もないのにここに居合わせた。 さらば、お休み。 ーこの夫の嘆き、無念の文ーこころを処刑人が書き取っていたのも、何かドラマ仕立てである。 女房は打ち首、自分はムチ打ちの刑。それに引き換え、相手の男達は何も罰せられない矛盾を嘆いている。 87、11月17日 フライの妻アンナ、ニュルンベルぐの織物縫い工の妻。彼 女は以前、夫があったが、アムプロジウスと称する刀鍛冶職人との間に子供を生んだ。 この子は二歳の男児であったが、彼女は修道院近くの泉に、この子を投げ込み、溺死させた。 その後、彼女は穴牢獄に入れられたが、当地にて打ち首の刑に処された。 ー次も、幾つかの日記を書き写してみる。 つづく (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月04日(日) 1615, アメリカインディアンの教え −3
「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生きかた方」 ー著者・加藤諦三 加藤諦三とは懐かしい名前である。 20歳代の頃、よく彼の本を読んだ。 心が休まる内容だったことを憶えている。現在は「心の癒し」系の本は多いが、当時は殆ど見当たらなかった。 癒し系の日本の先がけだった。 心理学系の先生で、理づめであったためか、解りやすく納得のいく内容であった。 彼の本を手に取るのは三十数年ぶりだが、履歴をみるとその後も多くの著書を出しつづけていた。 彼はこれまでも、「インディアンの教え」のシリーズも何冊か書いている。 (このHPでも、過去に二回インディアンの教えについて書いている。) この本の構成は、アメリカインディアンにとっての ・生きるということ、 ・死ぬということ、 ・自然という存在 の3章になっていて、それぞれアメリカインディアンの根底に流れる哲学に関して記述されている。
冒頭に「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生きかた7か条の教え」が書かれていたが、心に沁みてくる。
ーword 1 変化は必要です。もしあなたが不幸なら、何があなたを幸せにするかゆっくり考えて、必要な変化を受け入れなさい。 -word 2 あなたの喜びは私の喜びである。だから、あなたにすることは私の負担になるはずはありません。 -word3 誰かに判断をくだす前に、その人のモカシン(インディアンの革靴)を二週間は履いて歩いてみましょう。 -word4 あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りは笑っていたでしょう。 だから、あなたが死ぬときは周りが泣いていてあなたが笑っているような人生を歩みなさい。 -word5 魚は水のことを考えません。インディアンは死のことを考えません。 -word6 生きることと死ぬことは ひとつのサイクルです。だから、死ぬことは 季節の移り変わりのように素晴らしいのです。 -word7 自然は、正しい者の上にも、悪い者の上にも同じように甘い雨を降らせます。 仏教もアメリカンインディアンも、ともに人間にとって死に関しての死生観がはっきりと現わされている。 この根底には、アメリカインディアンにとっての基本原点は自然であり、この自然に溶け込むことによって、 そこからエネルギーを得て心身ともにリフレシュするような感覚であることが分かりる。
アメリカインディアンは自然の中のすべてのもの、例えば木とか岩が「神の存在」として扱われます。 さらに、あらゆる物に精神が宿るとしている考え方がある。
また、アメリカインディアンの宇宙観として、全体あるいは「統合」という考え方が基本になっている。 即ち、生と死がペアーであり、夜と昼がペアーであるように、あらゆるものの間にはこのようなペアーの 考え方による宇宙の秩序があり、これらを反映したものと考えられている。
シェイクスピアは生まれるという「生」に関して、「人間は泣きながらこの世にが生まれてくる」 という言葉を残したが、その対極にある「死」に対して笑って死んでいくというアメリカインディアン的な 考えはなかったようで、この考え方は東洋的な考えである。
アメリカインディアンは、そのルーツを探ると我々東洋人と深い関わりがある。 氷河時代の終わりごろアジアに起源する集団の一部がベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸へ移住した。 1987年、日本人の一部と北米インディアンが、DNAの比較から明らかになったことが研究成果として発表された。 彼らの自然崇拝の背景には、同じような感覚がDNAとして残っているとも解釈できる。四季を考えてみて、 春は花が咲き、秋が来ると木々は紅葉し、散って行きます。この様を見て死というものを考えてしまいます。
アメリカインディアンは、これらの自然の繰り返しを見ながら美しく死んでいくことを教えていると理解する。 死は最後の人生経験との位置づけで、アメリカインディアンは、死は我々の魂の再生であるとの考え方に立っていて、 仏教の輪廻転生の考えに近い。 アメリカインディアンは、死は人生の最後の経験であり、 自然界の中のサイクルの一つでしかないとみているのです。
ー以前に書いたインディアンの教え」をコピーしておきますー 2005/02/27 −1426, アメリカインディアンの教え−2 (字数の関係でカット08年09月04) ーー 租借と熟慮をしていない分だけ、アメリカのドローシー・ロー・ノルトの「子供が育つ魔法の言葉」の方がよいが、 数時間かけて考えれば近いのは作れる?! インディアンの教えと、ノルトの言葉を声を出しながら何回か読んで 頭に何か浮かぶのを待てばよいのだが。 この位で止めておく。
・・・・・・・・ 2004年09月04日(土) 1250, 巨人がパに行けばよい!
「巨人がパに行けばよい!」 昨日の毎日新聞の一面トップ記事で、読売新聞の渡辺恒雄前巨人オーナーが、インタビューに答えていた。 「一リーグ制に反対なら、パをもう一つ合併させて4チームにして、巨人が移動すればよい」と思っていたら、 前オーナーも同じ腹案を持っていた。 面白いものだ。 自社の読売新聞で書けば問題になるから、毎日新聞で書くところが何とも面白いが。 一リーグ制への揺さぶりだろうが、それにしても現実化すれば面白い。 マンネリのセリーグの試合より、巨人がパに移動しての試合はエキサイティングになる。 その後2〜3年してから、セを救済という意味で一リーグ制にすればよい。
大リーグを見てしまった現在、日本のプロ野球は二軍の試合を見ているようで殆んど見なくなってしまった。 渡辺恒雄オーナーがいう、千五百万の給料しかもらってないオーナーが、数億のプロ野球選手と交渉すること自体 おかしいというのも、肯ける。日本のプロ野球選手が、手前勝手な論理をかざしているのは自明である。 巨人大鵬玉子焼きの時代がまだ続いているなら、解らないでもないが。 サッカーや大リーグの放映などにより、プロ野球などアナザーワンになってしまった。 もし不満なら、大リーグに行けばよい。それ以下のマイナーの選手だから利権を守りたいのだろうが。 大リーガーになれない2流選手が自分の権益を守る為のエゴ行為に過ぎない。野球もグローバル化の時代に入った。
・・・・・・・・ 2003年09月04日(木) 883, 脅しの手口
こういう(ホテル)客商売をしていると、低脳ヤクザやチンピラの因縁付けの脅しが付きものである。 対処する一番厳しい場面になる。そこがマネジャーや支配人の仕事でもある。
何かに因縁をつけて脅し取ろうというのだから、手が込んでいる。 しかし、ホテルを脅して金にしようとするのは、非常にリスクが高い。 ホテルによるだろうが、ヤクザなどのプロはそのことを知り抜いているから、あまり脅しには来ない。 ホテルは警察の派出所に近いことを体験上知っているからだ。 それでも脅しの素人?が1~2年に一度位、「無知の涙」という感覚でくる。
ー今回の顛末を書いてみる やくざ風のアベック客の女が湿疹が出たと騒いだ。 深夜に支配人や副支配人やマネジャーまで呼び出されて、病院まで連れて行って、そこでさらに大騒ぎ。 翌日20万で手をうとうと本音を出してきたという。 警察に連絡したが、こういう微妙なクレーマーを装った 脅しには彼ら警察の方法・技術があるようだ。 ホテルの外で、そっと近づき 「ここの縄張りの組事務所に挨拶をして仕事をしているのか!これ以上騒げば、しょっ引くぞ!」と囁いたら、 二人は2度と顔を現さなくなった。刑事曰く「20年前の手口でしかない!」
この位の騒ぎは、大体が2年に一度ぐらいある。電話の取次ぎミスを演出をして、「数百万の取引の損を出してしまった、 どうしてくれる!」と凄んで暗に金をせびる手口が数回あった。彼等は責任者を外に呼び出して、決着を付けようとする。 外の呼びだしに出てくるかどうかが「金になるかならないか」の分岐点だ。
常に得体の知れないヤクザ?が泊まっており、現場は緊張状態にあるのがホテル業である。 因縁など如何でも付けられる因果な商売である。それでも暴対法ができて、殆ど目にはつかなくなったが。 支配人やマネジャーも大変といえば大変な仕事である。 これに自殺騒ぎが1~2年に一度の割りにある。
現場にいると、平岩弓枝の「御宿かわせみ」ではないが、色いろの人生が泊客の中で垣間見れるという。 流れてきたソープ嬢は、初めから自分の素性を明かすという。経験上、刑事に怪しまれるからだ。 夜出て行って、明け方帰ってくるからだ。また連れ込みを公然と入れるホテルには逆に泊まらないという。 仕事とプライバシー?をハッキリ分けてないと身が持たないのだろう。 数年間、泊り込みの客が2人いるという。アパートにも入れない事情があるようだ。 ホテルは刑事の仕事の宝庫だ。常に宿泊名簿とホテルの出入りの時間を調べている。そして尾行をするという。 本当に得体の知れない客が最近多いという。フロントの中には指名手配の写真が数枚張ってある。 素人はそのことを知らないのだ。 一年に2~3人は通報で捕まる、ホテルを出たところでだが。 しかし警察はあくまでも公務員であることも間違いはないが。
・・・・・・・・ 2002年09月04日(水) 509,株安の不気味
7〜8月の私の会社からみる景気動向をみると、非常に厳しいと「サロンコーナー」で書いていたが、 ここでそれが株安という現象で出てきた。 異常な状態であった。プラスの要素が幾つか重なっているにかかわらず、 昨年対比マイナスになったのだ。 特に一部上場会社関係の宿泊が激減した。 10月から何かがおこると予感していた。ここにきて、その前触れでかジワジワと株価が下落してきていた。 8千円の割れは時間の問題だろう。 10月半ばか?!! その時の覚悟はしておかないと。 でも株価の20年前は幾らだっけ?調べてみた! そこへんまで落ちるのが、目安だ。これからみると7千円だ! 土地もそれ以下に落ちている。物価は凡そ半分はそれ以下だ。 公共料金は落ちてないが。いいきなものだ。 そうすると銀行は多くが倒産?!しかしそれが現実だ。これからそのプロセスが始まるのか?不安だ。 何もオーバーな話しでない。昨夜のNHKの「道路公団の民営化」の内容をみていて、今の日本はタイタニックの世界である!!
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