|
2008年08月20日(水)
二十年ほど前か、「人生は神様からの借り物、何を焦っているのか! 借金も資産のうち、 その資産も借り(仮り)でしかない。自分自身も大自然からの借り物でしかない。 借りの世界と言う人生では、何事も真正面から目を離さなければ、それだけでよい!」と、 視点を見据えたら気持ちの重みが半減した。所詮、娑婆は生きているうちの幻想でしかない。 「色即是空、空即是色」ということだが、それもこれもレンタルと思えば、それでよい。 宇宙からの俯瞰からみる宇宙的人間論も必要な時代に差し掛かったのである。
ーネットにあった「レンタルの思想」の松井教授の‘インタビュー’の部分をコピーしたー
・夜半球の地球を宇宙から眺めると煌々と輝く光の海が見えます。 この光の海を "地球システムを構成する人間圏という構成要素"としている。 ・大気が見えるとか、海が見えるとか、大陸地殻が見えるとか、森林が見えるとかと同様に森林は生物圏です。 ・我々が一万年前か農耕牧畜という生き方をしている。狩猟採集"と"農耕牧畜"という生き方を宇宙から 見るということと同じですが、地球システムという見方で比較すると、この二つはまったく違う。 "狩猟採集"というのは、"生物圏"という地球システムのサブシステムに閉じて生きる生き方です。 動物がやってる生き方なんです。我々人類が700万年ぐらい前に類人猿から分かれたといっても、 狩猟採集をしているうちは基本的にほかの動物と変わらない ー人間は、生き物の一種にすぎなかったー ・人間は生物圏の中の種のひとつとして生きているということなんです。 食物連鎖に連なって、生物圏の中の物やエネルギーの流れを利用して生きる生き方。 いろんな人類が生まれては消えたという歴史の中で、現生人類も1万年前まではそういう生き方をしていた。 その"農耕牧畜"という生き方を地球システム論的に考えてみる。例えば、森林を伐採して畑に変えると、 太陽から入ってくるエネルギーが地表で反射される割合が変わるわけです。 これは、太陽のエネルギーの流れを変えてるわけ ・雨が降ったときに大地が侵食される割合も、森林に覆われているときと農地とでは全然違うわけです。 それが土砂として海に流れていく。これは、地球における物質循環を変えるということでしょ」 これはすなわち、地球全体のエネルギーや物質の流れに関わって生きるということです。 それを地球システム論的に分析すると、"人間圏"という新しい構成要素をつくって生きる生き方ということになる。 その結果、地球全体の物やエネルギーの流れが変わったということです」 ー"人間圏"というのは、我々が生物圏の中から飛び出して作った新たな構成要素ー ・1万年ぐらい前に生まれて、どんどん大きくなって今に至ると。その発展段階での違いも分析することができます。 すると今の人間圏の問題点も浮き彫りになってくるわけですよね。 そのシステムが何であれ、システムを記述するときにはその構成要素が何なのか、構成要素間の関係性が何なのか、 これを特定するとそのシステムの特徴が分かるわけです。関係性とは駆動力が何なのか、によっています」 地球システムの場合で言えば、構成要素とは先程述べたようなさまざまな物質圏です。その関係性とは例えば、 海から蒸発した水が大気中で雲を作り、雨となって落ちて大陸を侵食して……といった循環ですね ・人間圏の場合だと、産業革命のころまではその誕生以来、基本的な変化はありません。 駆動力という意味では、地球システム固有の自然のエネルギーを使っていたということです。 すなわち、地球という星全体の物やエネルギーの流れを人間圏にバイパスさせていたということです。 日本だと江戸時代まで、ずっとそうなんです」 ・体にしたって、皆さん自分の体だと思ってるでしょ。でも、自分の体じゃないよね。 生きている間、地球から借りてるだけだよね。 ・元々地球を構成している元素の一部をたまたま体として利用している。 我々が生きるときに身体という物が重要なんじゃなくて、それぞれの臓器が重要なんです。 人体というシステムを構成する構成要素ですが、その臓器がそれぞれの機能を発揮して、 人体というシステムを作ってる。重要なのは、その臓器の機能なんですよね ・これはどういうことかっていうと、実は身体という物を所有するんじゃなくて、レンタルしてるということです。 こういうふうに物事を考えない限り、地球システムと調和的な人間圏は作っていけない こういう方向に動いていかなきゃいけないけど、これは基本的には資本主義経済とか市場主義経済とかと矛盾するよね 「例えば江戸時代だと、領地にしても家屋敷にしても、所有しているのではなく、貸し与えられているだけですね。」 「そのころは、もともと所有なんて概念はない。みんなレンタルだった。加えて駆動力をその内部にもたないから、 江戸時代に環境問題なんてほとんどない。これは地球システムと調和的な人間圏。 そういうことを考えてみれば、わたしの言ってることはそんなに荒唐無稽じゃないんだけど」 ーーーーー 一万年来の、大転換期に差し掛かっているのは解っていたが、それは情報化時代の到来が起因と思っていた。 それが人間圏の膨張による限界点を超えたことによる、とは。 地球のシステムが間違いなく人間圏を破壊する。それが温暖化による天変地異や、これから間違いなく 数千万規模の死者が予測される鳥ウィルスの流感や、エイズである。 それを目の当たりに見ているのである。 ミャンマーのサイクロン、中国の四川省の大地震、至近では中越大地震、中越沖地震、これは始まりでしかない! 人生の元を取っている?ので、諦念でとらえているが、しかし5年〜10年スパンのことではない。 50年〜100年単位で、いやもっと大きなサイクルだろう。20世の人類は何をしたのか?未来の人類に。 ・・・・・・・・・ 2007年08月20日(月) 2330, 「ぼくの血となり肉となった500冊」 ー読書日記 (`・ω・。)っノXXXXXXX>C 才ノヽ∋― 「ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊」ー著者 立花隆
昨日の「株価暴落の意味するもの」で引用したが、この一ヶ月は隙間時間があると、この本を読んでいる。 彼の猫ビルにある3万5千冊の中から選んだ数百冊の本のミニ・ダイジェスト。 数行から数十行の内容が キラリと光っているものばかりである。 ランダムに面白そうな部分を抜粋しながら考えるに丁度良い。 『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』の続刊的な本である。 この本がキッカケで、彼の著書「エーゲ 永遠回帰の海」を買って読んで、今年の旅行ははギリシャと決定した。 更にウィトゲンシュタインの「90分でわかるウィトゲンシュタイン」を買った。 彼の本は、読書のナビゲーター として割り切って読んでいる。まずは、彼の彼たる所以である特徴の部分から抜粋してみる。
−−− *フィクションからリアル世界へ (P−64 ) 立花: 小説などフィクションの世界は、ぼくにとってリアルな世界の外にあるものなんです。 幻の世界は人間がいつでも作ったり消したりできる仮象の世界です。 しかし、リアルな人間社会の存在物のほうは勝手に消去できないじゃないですか。 そういう意味において、前者はもちろん後者も、「神様が作った被造物の世界」 のほうに属しているとぼくは思っています。つまり二つの「リアルな世界」 (自然世界とヴィーコ的人間社会の産物)は、どちらも神様が作った世界、人間が完全コントロール できない世界といっていいと思うんです。神様の構想力と想像力は、いい意味でも悪い意味でも 人間の構想力と想像力をはるかにこえた高みに達しているということです。
リアルな世界を取材して書くという仕事をつづけていると、取材が深まるにつれて、前にはとても 見えなかったすごい世界が見えてきます。 リアルな世界の極限部分は、あらゆる意味において通常の人間の想像力をはるかにこえたところにあります。 ぼくの取材仕事の半分くらいは、科学技術の世界にありますが、 その世界でも同じことがいえます。極限部分は人間の想像力をこえます。 人間的世界の悪の世界においても、人間精神の高貴さの点においても、 あるいは数多の自然科学的世界の自然現象のパラメータにおいても、 あるいは人間が作った工学的世界のパラメータにおいても、途方もないものが、 この世の中に存在するというのが、リアルな世界の面白いところです。 極限世界を見る経験が積み重なるにつれて、ぼくの中で自然に、 フィクションの世界とノンフィクションの世界の間の価値の逆転が起きました。
ーそれはいつ頃の話ですか。 立花: その逆転がいつどこで起きたのか自分でもはっきりしないのですが、 かつては、将来いつかフィクションの傑作を書いてやろうと思っていたのに、 あるときからそのようなことを夢想することが全くなくなりました。 いまは、作りものの世界より、リアルな世界のほうが何層倍も面白いと思っています。 しかし文春を辞めたばかりの頃は、寺山が書いてくれたオビに 「てっきり小説を書くのだろうと思った」とあるように、確かにぼくの心は、 フィクションとノンフィクションの間でゆれていたんです。 というよりは、むしろその間にあるもう一つ別の軸、先に述べたような、 「哲学的な新しい世界認識を得ることの誘惑」の間でゆれていたんです。
ーしかし、ヴィーコなんていう妙な人のことをよく知っていましたね。 (字数の関係でカット2008年08月20日)
・・・・・・・・・ 2006年08月20日(日) 1965.事業百訓・・・�� 事業百訓ー1985年・1986年(3) S6001新年にあたり (字数の関係でカット2008年08月20日)
ーS6004事業百訓ー (字数の関係でカット2008年08月20日)
ーS6007事業百訓 ー 151 彼は何も知らないのに何か知っていると信じている。これに反して 私は何も知りはしないが、知っているとも思っていない。(ソクラテス) 152 序、破、急 153 暇を利用しない人は常に暇なし。 154 芸術とは、破壊の集積である。−ピカソー 155 三十才までで人生の大部分が決定する。それも二十才より二十五才までが人生の縮図と断定してよい。 156 “ひらめき”は集中力のきわみ。 157 万事を得んとすれば一事に専心すべし。 158 個性、個性といって、一つの石ころが他の石ころと違うことを 得意になってもお前さんがたを大勢一緒にあつめたら、ただの「砂利」ではないか。−広津和郎− 159 集中力とは、問題に対して注意を一点に集める能力。 160 問題解決の方法は「理ずめに考える−論理的に考える」 「比喩−たとえ××」の二つの方法しかない。
ーS6008事業百訓ー 161 ライバルは他社ではなく変化そのものだ。−イトーヨーカ堂− 162 一番危険な事は多少とも知っていることだ。 163 質の向上が自然と量の拡大になる。(質の追及は量をともなってくる。) 164 一つの成功は次の成功の入場券を手に入れたにすぎない。 −キッシンジャー− 165 “旅立ちは夜あけ前に!” 166 “常住戦場”“常住不況” 167 D・D・S(Deep・Discount・Store) 今までのディスカウント・ストアよりももっと安さを追求した店で、アメリカ流通業界の新しい業態の店。 168 怒らず、恐れず、悲しまず。 169 経験をしない者は、知ることができない。 170 人間は神様によって生かされている存在である。この認識の上に立つといろいろな事がみえてくる。 運にめぐまれ隆盛している人物がいる。彼は神につかわれているのである。 別の言葉でいうと、この状態はツイている状態である。 ……こうもいえる天地自然の法則にそって自然の流れに適応していく事が神様につかわれることである。 −伊藤昌哉−
ーS6010事業百訓ー 171 欧米社会の原型は“父性社会”であり、日本は“母性原理の社会”である。 (グレート・マザの潜在意識の中の存在・マザコン社会) 172 悩むのはお前の勝手! 自分が悩むのは自分を“神”より見せてもらっているのだ。 173 “情報化”とは“自由化”を意味する。(逆に“自由化”は“情報化”を意味する) 174 時代の流れで“高度化”と“高級化”を間違わぬよう。 175 順境は逆境のシグナル(逆境は順境のシグナル) 176 生徒(我々)と先生(お客様)はむかいあうのではなく 同じ方向に向いていなくてはならない。 177 一日十通の手紙を出す事を自分に課した七万通を既に出した人の話。 178 “商い”と“経営”のあたりまえの条件とは 「一人一人のお客様がきちんとみえること」 「一品一品の動きがきちんとみえること」 179 店や企業にとってのチャンスは外にはない。我うちにある。 180 真の価値は体質が生みだす。 お客様の選択は表面的なものでなく体質そのものにむけられているはずだ。 181 キューピーマヨネーズはマヨネーズだけであれだけ大きくなった。 182 店の「心」がときめいているか。そのときめきをお客様につたえるのだ。
ーS6012事業百訓ー 183 企業内にあるのはコストセンターのみ。プロフィットセンターは外部にある。 184 経営の根幹は、 第一に徹底したプレーン・ストーミング。 第二にそれによる明快な戦略の確立。 第三に軍隊的な実行。 第四に公正な事業評価である。 185 一棟規模を思いきって大きく投資する事が経営のポイントである。 186 プライス力 四割 規模力 三割 駐車力 三割 187 企業の「三力」 「知力」「体力」「魅力」 188 予定挫折(人生マニアル化) 189 葉書の達人たるべし(葉書の活用いかんでその人の人生の充足度がわかる。) 190 人はこの世に神より封書をもたされておくり出されている。 35才を中心とする小十年の間にあけてみるべし。 191 “必要は発明の母”の時代より“発明は必要の母”の時代へ。 192 地方における最大の害悪は、農民感覚をマイナス面に作用させてしまう事である。 (毎年同じ作業をくり返す事がよい事であり変化は悪である。城下町はその典型。)
ーーーーーーー 事業百訓ー1986年 ーS6101新年にあたり (字数の関係でカット2008年08月20日)
ーS6103事業百訓 ー 193 ・性相近 ・習相遠(人間はうまれた時は能力に差はないが、努力の積み重ねでその差は無限となる) 194 今なる時はなかりけり。“い”の時くれば“ま”の時は去る。 195 べきときにべくる事をべきすべき。 196 創造とは伏従行為である。耳をすましてきこえない声を聞く。 197 生のほうから死をみると暗いが、死のほうから生をみると明るい。 198 五年あるいは五億が一つの壁、この壁をこえなくては並の中小企業か倒産かどちらかである。 199 今年はごまかしごまかしやってきた高度成長期の遺物が、かたずけられるといった程度の年。 200 感謝をすれば感謝のできる事が近よってくる。 201 現在の絶対的方向 (1) 国際化が進む事 (2) すべての面で自由化が進む (3) 都市の集中化が進行 (4) 人工の老齢化が進む (5) 科学技術の想像を絶した発展 202 “美”の本質を追求していくと秩序を内在している。 203 “美”とは誰がみても美しい不思議。 204 古今の名作はわかりやすい。(難しさはきえやすい)
ーS6107事業百訓ー 205 他人によってキズつけられるのは自分のエゴイズムだけである。 206 善き人におきる事は必ず善き事である。 (善き人には悪いことはおきない。) 207 みじめなということは低きところにおる人ではなくて、進むことのできなくなった人です。(八木重吉) 208 私みずからであること、それのみ絶対である。私みずからより大きい必要もない、自からである時のみ神を感ずる。 209 禅を通じて得たことは“徹すること”“こだわらぬこと”である。この二つがそのまま勝に通ずる。−川上哲治− 210 打破漆桶底(性の根底にある無明その底をぶち破る。その底がわれて仏とひとつづきになること) 211 もとはこちら、そのままけっこう(そのままけっこうがこの世の極楽である) 212 一日は一生の縮図です。それをさとって粛然たる思いがした時初めて人生の真実の一端にふれたようなものです。 213 人の幸福をともに喜び、ひとの不幸をともにかなしむ
ーS6109事業百訓ー 214 悟りということは 「如何なる場合にも平気で死ぬ事かと思っていたのは間違いで、 悟りとは如何なる場合でも平気で生きて居ること」であった。−正岡子規−病 六尺 215 平家を滅ぼすものは平家なり、鎌倉を亡ぼすものは鎌倉なり −徳川家康− 216 プライス戦争が最終的に勝てる条件である−そのための体質づくり− 217 大きくなるまでは専業できなくてはならない。 218 “量”の拡大は“質”の向上をうながす。(質が向上しなくて量の拡大を維持できなくなる) 219 “量”が70%、“質”が30%(量稽古を体験せずして、技術の向上なし…) 220 一流の結果を二流の選手が出しただけのこと(−野村元捕手の講演より−その為にあらゆる手段、頭を使いきった) 221 人間限界を知るようになると �〔槁犬茲蠍充造鬚澆襪茲Δ砲覆襦´▲離Ε魯Δ�はっきりみえる �F�をつかう必要性を知る(野村選手) 222 明確な他社との差別化こそ戦略のテーマ (→それは他社との闘いよりで得られるものでなく、(自社のお客様との闘いの中より勝ちとる事である) 223 人材とはある一面がすぐれている人をいう。 人物とは一つ一つはたいした事はないが、トータルとして重量感があり魅力・能力のある人のことをいう。
ーS61 12ー 今年度をふりかえって 以下字数の関係でカット2008年8月20日)
|
|
|