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2008年07月12日(土)
阪大総長の鷲田清一対談集「気持ちのいい話」に、なかなか含蓄のある話があった。 多田道太郎との対談の中で「気持ちがいい」とはなんだろうと考えたとき、 それは「いちゃつく」という言葉に行き着くという。 最近の若い人は、スローセックスというか、最後まで行かないプロセスをダラダラ楽しむ感じが、また良いと。 鷲田は、女子高校生同士が、ベッドで何となくいちゃついている光景が、一番イメージしやすいという。 だいたい飲みにいって、ママとかホステスに何となく酒を飲んでいるのは、横から見れば子供に帰って いちゃついている姿に似ている。 そういえば、私が以前に女性の職場に居たときのタブーは特定の人との親しい関係だが、 不特定多数と何気なく仕事の中でいちゃつくのは、誰も見てみぬフリをする。 それが女の職場の中の男の特権である。 誰とも目的無しに共同作業の中で引っ付いて、 適当に仲良くするのは、幸福の最たるものである(この本で気づいたことだが)。
この対談集の中に、 鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話として紹介している話が興味深い。 「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という。 これから考えると少女が他人の体でいちゃいちゃしている状態や、部屋の中にぬいぐるみをいっぱいにしている状態と、 宗教の解脱、救済と、きれいにオーバーラップするという。
鷲田は、自分はこれまでの人生で最も欠けていたのが、いちゃつき、といい、寝転んで誰かと飽きるまで、 とことんゲップをしそうになるまで、いちゃつき続けるのが、今の彼にとっての一番の幸せのイメージと 正直に告白している。 セックスになると、相手を満足させなければとか、社会的なこととか心理的な束縛がかかるから、 いちゃつきの方がイメージとしてよいとか。 阪大の総長という立場など、捨ててやってみれば! といいたいが、そうもいかないか。
いちゃつきは、酒の席の二次会では常道で今さら。5~6歳の頃、実家の商売上、若い綺麗な女性が入ってくると、 直ぐに擦り寄っていって、太ももに抱きついた思い出が、リアルな記憶としてある。 また4人の姉たちの中で育って、オモチャかわりに可愛がられたのも、 いちゃつきの一つだったのだろうか。そういえば姉さんタイプに惹かれたのも、その辺の事情か? 最近、いちゃつくということが、殆ど無くなってしまった! 家内とは?言葉でジャレテイル、それもいちゃつき? 〜〜 次ぎの鷲田の言葉がいちゃつきに対して、明確に説明している! 「だから、一人っきりじゃなしに、誰かどなんの目的もなしに引っついて、密着する。 そうやっていちゃついているような幸福のイメージを、僕なんかはポジティヴにとらえたいという感じがあるんです。 なにかと親密な関係にあることの安心感。その相手は、友だちじゃないときはぬいぐるみだって、毛布だっていいわけ。 部屋にいつばいぬいぐるみを置いておくような、そういう少女が持ってる気持ちよさ、少女が素直に気持ちいいと 思えるような感じって、僕は意外と大事なんじゃかいかと思っているんです。 でも、いちゃいちゃってことを考えてみると、子どものときって、ほとんどいちゃいちゃ生活だったと思うんですね。 親にトイレットのトレーニングしてもらう前だって、おむつの中にウンコが漏れてもけっこう気持ちよかったし、 海水浴に行けば、砂遊びしながら指の間から砂が漏れる感じとか、砂で作ったものが波がきたらバーッとさらわれる感じとか、 あるいはドロんこ遊びにしても粘土細工にしても、モノと自分を切り離すんじゃなく、モノといちゃいちゃしてドロまみれに なったり汚物まみれになったりしている。それは子どもにとって、とても気持ちのいいことだったはずなんですね。」 〜〜 男がキャバクラで、アルバイトの女子大生などと遊ぶのも、いちゃつき願望なのかもしれない。 少し いちゃつきたくなってきた!
・・・・・・・・・・ 2007年07月12日(木) 2291, 10歳の放浪記 −3 。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を 紹介したが、これは深い意味が含まれている。この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。 精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が取りあげられている。辞書でトラウマを調べると、 「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。」とある。 特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。癒し系の本には、その時の自分を思い出して、 イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の治療になる、とある。
ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの「10歳の放浪記」を ドラマ仕立て観て、感動し、この随想日記に二回にわたり書いてきた。 本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。 先日の日曜日に近くの図書館のファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。 諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。 −− ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー 四月になると、暖かい日が続いたので、早苗は母が買ってくれた半コートを 父のボストンバッグにしまった。父は数日にわたって、風邪で熱を出していた。 早苗は天井を向いている父の横で、算数の計算ドリルをしていた。「なこちゃん」父が目を開けた。 「ン?」早苗が父の顔をのぞきこむと、「死のうか…」と、ポヅリとつぶやいた。 「やだ。まだ、マティー二を飲んでないもん」早苗は首をふった(映画館で見た、マティーニを飲むことを夢みていたのだ) 「もう、金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行く所がないんだよ」父の言葉が、ショックだった。
早苗は大きな溜め息をはくと、外に飛び出た。姉は、東京の巣鴨だときいていた。 姉なら、なんとかお金を貸してくれるだろうと思ったが、電車賃がなかった。 早苗は歩く道々に、お金が落ちていないか目を皿のようにして探した。駅前の通りを歩いていると、パチンコ店の中から 『軍艦マーチ』の曲がきこえてきた。 早苗がその曲につられるようにして、店内を見ると、銀色の玉が一つ、二つ、 床に落ちているのが見えた。 ここで稼ぐしかない。
ドアを開けると、耳をつんざくような軍艦マーチ一の曲と、チン、ジャラ、ジャラという音が聞こえてきた。 床に落ちている玉を探し求めて、何個かの玉を握りしめた。人に怪しまれないように、 早苗はおばあさんの隣を探して座った。 そうすれば、祖母と孫だと入は思うだろうと考えた。
早苗は・おばあさんのやり方を見た。パチンコ台の右わきの小さな穴に玉を入れて、 バネを右手の親指で掃せばいいのだとわかった。早苗はゆっくり玉を入れた。 そして、ゆっくりとバネを押した。力が弱すぎたのか、玉はパチンコ台のくぎにも届かず下に落ちていった。 二つ目はバネを押す力が強すぎて、台のくぎの外側を大きく回って下に落ちた。 早苗は深呼吸した。三つ目がようやく、台のてっぺんにあるくぎで囲まれた 小さな穴に入ろうとして、くぎにはじかれて下に落ちた。(ここをねらえばいいんだ) 早苗は四つ目を、はじいた。四つ目の玉はてっぺんの穴に吸いこまれるように ストンと落ちた。チン、ジャラ、ジャラという音とともに、台の受け皿に玉が出てきた。 早苗はホッとして・五つ目を入れた。すると右わきの穴の途中に玉が引かって止まった。 早苗が小さな声で「あっれ」と言うと、隣のおばあさんが「上についてるブザーを抑しな」と教えてくれた。
早笛が思い切ってブザーを押すと、台の後ろから、ニキビがたくさんある 若い男の店員が顔を出した。そして、体を乗り出して台の扉を開けると、 引っかかっていた玉を下に押してくれた。それから、早苗を見て、「どうしたの?」ときいた。 早苗は、「どうしたの?」という言葉を、「どうして子どもが一人で来てるの?」という意味にとって、 「お父さんが病気で」と、小さな声で言った。そのあと、早苗の台は、まるで壊れたように玉が出てきた。 「あんた、上手だね」隣のおばあさんが手を止めて、早苗の指つかいを見た。 早苗は、バチンコ台の玉が出るようしてくれているお兄さんの秀が迷惑にならないよう、必死にうった。 ーーーー 実際の経験だから、人を引きつける。戦争体験は、もっともっと凄い体験をしたのだろう。 地元長岡は空襲を受け焼け野原、両親から色いろ聞いてきたが・・・・ それでも、国を守るためには戦わなければならない!それが現実である。戦争放棄だと、この国は! −つづく ヾ(。´・ェ・`。)Byeヾ ・・・・・・・・ 2006年07月12日(水) 1926, 教養について おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜
先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、お笑い芸人の一人が、田舎の家に泊めてもらうことになった。 (この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。番組が進むうちに、 その子が不登校ということが解った。ところが、少年と打ち解けてくるうちに、そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、 その子に説教を始めた。 その内容が良い。表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。「学校は行かなくてはいけないよ。学校に行かないと、 それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。 これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。その時学校に行ってないと、 何かになりたいという幅が小さくなる。チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくっておかなければ!」
その子は、何かハッとするところがあったようだ。 両親は「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが嘘のように素直に聞いていた。 人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。! 大人になっても同じことがいえる。教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。 歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。
そこで教養について、考えてみる。こういう場合、インターネットはよい。 幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。
・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。 ・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。 ・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。 古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであった。 それは専門知識の集積ではなく、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。 ・「世間」とは、建前の無教養に重なる。世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。 しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして機能している場合が多い。それを知るのが教養である。
なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。何が大切で、何が大切でないかが、 経験を通して見えてくるのだろう。見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。 だから娑婆は面白いのだが・・・ 面白すぎる、人間というのは! もっとも、一番おもろいのは自分だが!! へ( ̄_ ̄へ)(ノ ̄_ ̄)ノ ♪ 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、感謝すること、 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」 「知ること、愛すること、創造すること、そしてそれらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。 「お前を見ていると、どうしても教養があるように思えないが・・」という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・ まったく、もう。 自分でも、そう思っているから間違いないことです。 バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))(((((ノ ̄ー ̄)ノ ・・・・・・・・ 2005年07月12日(火) 1561, わたしの酒中日記 −13 ー岐阜−1 1975年 9月末日
初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。 あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。 まずは、東京の現金問屋街で仕入れ、その後に名古屋廻りで岐阜に入った。
今回は婦人服である。生地の素材さえ知らない、まして流行など知る由もない。 しかし、全く経験のない「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことからみれば、遊びでしかない。 学生時代の合気道の経験が役に立つ。ただ虚心に対象と立ち向かえば、プロより強いということを信じればよい。 とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。そのためには歩き回るしかない。 それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。一回目にしては、上手くいったようだ。 そして父と昔、泊まった宿に入る。懐かしい、本当に懐かしい。そこで夕飯を軽く食べた後に、街に出てみる。
知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。疲れのせいで、直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。 鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか? 一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、小座敷で飲んでいた二人づれの一人が 話しかけてきた。今日、行ったメーカーの人だ。一緒に飲まないかということで、彼らの席にいく。 昔、父にお世話になったという。父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。
その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」発祥の地である。 彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。とにかく疲れたので、早々帰ってきた。 緊張した一日であった。反面、面白いのだ。買う立場は売り手からみたらお客様なのだ。 何か仕入れとはこういうものかと、少しは解りかけてきた。 明日は大阪に行って、その日のうちに広島だ。未知な世界は、全てが冒険である。我ながら、よくやるよ! ーつづく ・・・・・・・・・・・ 2004年07月12日(月) 1196, 口ぐせ
先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉がいかに大切かつくづく実感する。 中村天風も、繰り返し述べているが、世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、 その毒が我々に大きく影響を与えている。 て意識的に除外し続けてないと、その毒に侵されることになる。 それが自分の運命に影響していることに自ら気がついてない。
ー私が気をつけていることを書いてみると ・何気なく飲み屋や普段話す内容に気をつけること ・普段の思考としての内語に気をつけて、マイナス用語を使わないこと とくに布団の中では、マイナス用語に注意している ・マイナスの人の近くには寄らないことーマイナスの人−常に他人のうわさ話をネタにして生きている人ー ・あまり過去の話はしないこと。 楽しいこと以外、考えないことにしている ・まず一番身近な家内とは、他人のうわさ話や悪口の話題をしない ・一年前に「幸せの宇宙構造」という本に出会ってから、「ありがとう」という言葉を 繰り返すようになった。 とくに散歩の時間は「ありがとう」を五百回はいうようにしている。 私の過去を振り返ると、実感として ・恵まれていた ・ついていた ・面白かった、であるが、 そういえば昔から繰り返し自分に言い聞かせていたところがあった。 経験から、噂や陰口の多い人の末路を見てきたこともあるが。 やはり中村天風の影響が大きかった。
私の口癖に「おいしい!」というのがある。実際美味しいのだから言うだけだが、口に出すと美味しさが倍増する。 少し不味くとも、美味しいと何回か言えば不思議と美味しく感じるのだ。 逆に、不味いと口に出すと数倍不味くなるから言葉は本当に不思議である。 最近意識して使っている言葉は ・うれし、たのし、しあわせ ・ありがとう、だいじょうぶ、ついている ・おいしい、よかった、すばらしい ・おもしろい、めぐまれている、悔いはない すべて、心の底から思うようにしている。しかし、知らないうちに、マイナスの言葉を多用している自分がいるが。 ・・・・・・・・・ 2003年07月12日(土) 829,アラスカ旅行記ー4 ー26氷河クルーズー
アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。 ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が 密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。
氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアのモレノ氷河などと比べたくなる。 この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、 ・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。 ・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。 ・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。それと5時間のクルーズの間、どこかしこに 愛らしいラッコが海に浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。
アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。 特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。 客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそくウイスキーのオンザロックで飲んでみたが、 何ともいえない数億年の味がしたようだった。 当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、 パタゴニアにはパタゴニアの氷河がある。 対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。
旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。 スイス、パキスタン、ニュージーランド、パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。 氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。 氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。
ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。 20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、 2年前にアラスカに流れてきたという。50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。 そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。 但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?! アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。
・・・・・・・・ 2002年07月12日 旅行中 ・・・・・・・ 2001年07月12日 旅行中
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