堀井On-Line



2647, 座敷童子と出会える宿 −1

2008年07月04日(金)


   借りてきた「新潮45」の5月号を読んでいると、外務省休職中の佐藤優の手記が載っていた。
   それが《私の出会った「日本の妖怪」》という、彼らしくない内容であった。
   そこには「座敷童子」と出会った体験記が書いてあった。彼には圧倒的多数の人にとって
   予想外のことを勘で当てることがしばしばあるので、それが霊視能力と勘違いされることがある。
   その彼と座敷童子との出会いの体験記が面白くない訳がない。

   東北には、座敷童子が出るのを売りにしている旅館が何軒かあるという。
   宿泊業をしているものにとって、妖怪を売りにしている逞しさに驚くばかりである。
   それも、二年先まで予約で満席というから、驚きである。
   何かファンタジーがあって、面白いキャラで何とも微笑ましいのがよい。
   妖怪に会うと幸福になるというのが、またミソである。
    たまたま、新幹線の座席の前に置いてある小雑誌の特集が[東北の妖怪・特集」であった。

ー まずは、そのサワリを抜粋してみる ー
 *「座敷童子が出た!」
大学生、社会人になって、妖怪のことは、ほとんど忘れていた。
私が妖怪を再びリアルに感じるようになったのは、2年前に岩手県盛岡市で座敷童子に会ってからのことだ。
先程、内地の妖怪は「人間に災厄をもたらす奴らがほとんどだ」と言ったが、もちろん、例外もある。
座敷童子は例外的に幸福を呼ぶ妖怪なのだ。座敷童子東北地方で、家の中に出現ナる、子供の姿をした妖怪。
これが居ている間はその家は栄えるが、いなくなると没落するといわれている。
子供には姿が見えても、大人には姿が見えない。岩手では、いくつかの小学校に「座敷童子」が現われた。
生徒と遊びたわむれたり、夜九時ごろ、無人の教室で机やいすの間をくぐっては楽しそうに遊んだりした。
やはり、その姿は子供だけにしか見えなかったという。〉(水木しげる『図説日本妖怪大全一講談社+α文庫)
座敷童子は、大人には見えないというが、これは私の経験に反する。私は確かに2006年1月17日未明、
盛岡市の旅館「菅原別館」で座敷童子を見た。
2005年末に私は座敷童子を見たという話を鈴木宗男衆議院議員(新党大地.代表)から聞いた。
ある日、鈴木氏から興奮した調子で、電話がかかってきた。
「佐藤さん、出たんだよ。出た」「出たって、何が出たんですか」「だから妖怪だ。座敷童子が出たんだ。
盛岡に菅原別館と言って、その筋では有名な旅館があって、そこに座敷童子が出る。その座敷童子に会うと、
幸せになる。村上正邦先生から、そのルートに口を聞いてもらった」・・・・・・・

座敷童子に会いたい全国の人々が殺到するので菅原別館は、2年先まで予約がいっぱいだという。
ただし、ときどきキャンセルが出る。それを狙おうということになった。機会は意外に早く巡ってきた。
2006年1月16日の晩にキャンセルが出たという。そこで、村上氏は、急遙、旅行団を組織した。
旅行団は、女子プロレスラーの神取忍氏、弁護士の弘中惇一郎氏など総勢約10名になった。
弘中氏は、村上氏、鈴木氏の弁護人をつとめている。過去、三浦和義氏(現在、サイパンで勾留中)
の弁護を担当し、無罪を獲得したことのある辣腕弁護士だ。
 −−−−−
   あとは、明日の楽しみとして、宿泊型化け物屋敷体験ファンタジーも何とも楽しそうである。
   秋葉原のワシントンホテルで、幽霊に会ったことがあるし、私の事務所の上の部屋(自殺のあった部屋)でも
   面白い体験をしている。その部屋が逆に好きになりワザワザ指定して泊まっているが、それがまた、面白い。
     そんなことを言ってたら、広島・長崎は幽霊だらけだろうが・・・そういう話は聞かない。
                                ーつづく
・・・・・・・・・・・
2007年07月04日(水)
2283, 10歳の放浪記     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
   
    この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、
    思わず涙が溢れてしまった。昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。
    10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、
    その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。

    その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。
    あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、出版社から
    「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、
    出版したという。この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。

 ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。
高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった1年間の生活を淡々と描写してある。

父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、
街で出会ったパチンコ屋の兄さん、やくざのお兄さん…など普通の人々である。
弱者に対して優しかった時代であった。 そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、
東京芸術劇場がみえてくる。 目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。
昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だったその日暮らしの父親と2人、やむなくのホームレス生活だった。

10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、パチンコをする。
1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。
5個目の球が、途中でひっかかると、隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、
教えられ、ブザーを押す。そこの店員が機械が壊れたと思い「どうしたの」聞いた。
さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。
それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。
さらに金に換える方法を教えてくれた。教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、
高い値段で買い取ってやる。それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。

しかし、ついに父が言う、「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」
「なこちゃん、死のうか」 しかし、「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、
 どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。
 いつも友のこの言葉を反芻(はんすう)し、壊れていく父を励まし、生き抜く。

こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、
ヤクザから算数を習ったり、映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。
お金がないのに映画館に通えたのは、「中に父親がいるの。探してもいい?」
と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。

 また、当時の米国のケネディ大統領の演説
「国が何をしてくれるか、ではなく、国のために自分が何をできるか」をTVでみて、
「親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子供が何をできるか」に切り替えて、
親のために宿泊費を稼ぐ動機にする。

 見かねたヤクザに説教された父親は本人を養護学校に入れる。
ドヤ街生活が長く貧しく、服装も他の子供とは異なっていたこともあり、そこでは壮絶なイジメにあうが、
「いじめなんてなんでもない、それより、帰る家のない明日泊まる所や、
食べることの心配をする生活のほうがどれだけ大変か」と子供心に思い耐える。
    ーーーー
    以上であるが、感動的だったのが、そのドラマを収録している場面に、当の上条さなえが入ってきて、
    子役に涙しながら抱きついたところである。どんな気持ちで、当時の自分と抱き合ったのだろうか?
    学生時代、よくあの辺の映画館に行ったので何かドラマがリアルに思えた。
    色いろな人生があるものである。私が10歳の頃を忠実に書いたら、これまた面白いだろう!
                        バイバイ!(゚▽゚*)ノ~~
・・・・・・・
2006年07月04日(火)
1918, ワールドカップ
                        (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ〜
前回のサッカーのワールドカップの感想が 2002年07月01日(月) 「454,面白かった!! 」
というテーマであった。
前回は日韓共同開催で、当地の新潟でも試合があった。そのわりには、あまり興に乗っていない。
    しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
    私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
       ヽ`д´)┌┛┌┛★( )  〜(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゚)
日本は早々に敗退し、優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
 ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。を破ることはできなかった。         
                 (*・-・)θ (*・-・)θ(*・-・)θ☆ 【蹴り隊】     
    ロナウニージョ、ロナウド、カカ、アドリアーノという
    超花形選手を擁しても勝てなかったのだから、致し方ないだろう。
明日と明後日の早朝、準決勝が行われるが、全てが欧州勢である。
ブラジルが残っていないのと、ポルトガルとイングランドが入れ変わった以外は順当の国が残っている。

    何でもそうだが、超一流の試合は感動する。私の予測では、準決勝ではドイツとフランスが勝ち残り、
    決勝では開催国ということもあり、ドイツが優勝だろう? これだけは時の運があるから何ともいえない。                
    4年後に、どういう気持ちで、この文章をみているだろうか?楽しみである。
    この下書きを書いているとき、ニュースで中田がHPで引退声明を出した。
    その内容を読み上げているが、燃え尽きたのだろう! 日本の監督にすれば良かったのに?
    リスクがありすぎか!冗談冗談!           o(^ー^ θ"" けりっっっ♪  
          (字数の関係でカット、2008年7月4日)
・・・・・・・
2005年07月04日(月)
1553, 宇野千代−2

   あるHPに彼女の語録が出ていた。突き抜けた明るさが全ての語録の中に出ている。
   もし鬱になりそうになったら、彼女の言葉を何度も読んでみるとよい。
   私の場合は、十年以上もトイレに中村天風の本が置いてあるが。あるHPにあった彼女の語録をコピーしておきます。    
ー「宇野千代語録」ー 

*信じるということは面白い事である。人の力ではなく、自分の力を信じる、自分にはこれっぽっちの力しかない、
と思っていたときと、そのこれっぽっちの力を大切にし、その上にもまた積み重ねて行く力があるかも知れない、
いや、あると思うようになったときとは、違う。 (「願望」より)
 ー感想ー
言葉の力こそ、人間のイメージを作りあげる源泉である。
また自分の中の小さな力を見つけ出して、そこに集中することこそ自分の人生のゲーム化の一歩である。
ーー
*本当のことを言えば、私の九十六年の人生は決して平坦な道ではありませんでした。
それどころか、でこぼこの道の連続と言った方が早いくらいの人生でした。でも、あるとき気がついたのです。
でこぼこがひどければひどいほど、やっと見つけた幸福の味もいっそう美味になると言うことです。
そして、足をくじきそうになりながらあるいは、くたびれて膝をがくがくいわせながら
歩いたでこぼこ道の思い出のほうが、いつまでも心に残り、自分を成長させるものだ
ということを知りました。そう思うと、でこぼこの道も、ちっとも苦ではなくなりました。(「幸福に生きる知恵」より)
 ー感想ー
こう思えるのに、一生かかったのだろう。
 ーー
*私はいつでも明日から後のことを考えていた。明日は何をしよう、と思っていた。
考える事が雲霧のように寄せて来る。明日から後の世界ではいろいろなことが
出来るような気がする。今の現実から明日の夢想にまで梯子をかけて見る。
私は一段ずつ上がる。いつでも上の方を見て上がる。下の方を振り返るようなことはあんまりない。(「願望」より)
 ー感想ー
過去のことを考えていたほうが楽。明日から後のことを考えるほうが本来苦痛のはずだが。
そこが彼女の凄いところである。
ーー
*人間というものは、おかしな、間違ったことをしていても、
 一心不乱でしている中に、そこからとんでもない芽が吹いてくることもあるのですね。(「お化粧人生史」より)
 ー感想ー
この一心不乱の持続というのが難しい!
ーー
*私は、辛いと思うことがあると、その辛いと思うことの中に、体ごと飛び込んで行く。
まず、飛び込んで行くと、その、辛い、と思う気持ちの中に、自分の体が馴れて来る。 不思議なことであるが、
その、体が馴れてくることで、それほどには、辛いとは思わなくなる。これが私の生活の術なのであった。(「生きて行く私」)
 ー感想ー
正中心一点無という言葉があるが、中心点から目を外さないことだろう。
ーー
*どんなことの中にも、愉しい、と思う要素はあります。
目をみはってその、愉しい、と思う要素を探し出して、愉しく生きて行きたいものと私は思います。
愉しく思うことは、また隣の人にも伝染して、そこら中が、愉しいことだらけになるものです。
すると世の中がどんなに暮らし良くなるものか、想像するだけで嬉しくなります。
                                 (「幸福に生きる知恵」より)
 ー感想ー
愉しいと思えばよいが、なかなか難しい。 愉しんでやれ!と思う習慣をつけてしまえばよいが・・
ーー
*幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人がある。
幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っているけれど、世の中には、
幸福になるのが嫌いな人がいる。
                                 (「生きて行く私・下」より)
 ー感想ー
何気なく使っている普段の言葉による影響に気がついてない人だ。
内なる声はマイナスが多いことに気づいているのだろうか。
ーー
私たちはどの瞬間にも、人の着ているもの、その顔つき、その言葉、話し方の影響をうける。
今会って来た人の顔つきから、仕合わせな感じ、その反対の感じを受ける。
もし、可能なことであれば、いつのときでも人は決して不仕合わせを感得させないような顔つき、
そういう顔つきでいたいものである。                (「幸福人生」より)

・・・・・・・・
2004年07月04日(日)
1188, 大丈夫!

斉藤一人氏の本に「大丈夫」という言葉を多用すると良い、とあった。
最近その言葉を、おりあるごとに1人つぶやいている。

ところが、それを千回ほど言い終わった辺りから、何か気持が信じられないくらい気持が楽になった。
常に付きまとっていた不安感が半減したのだ。現在の日本経済の実態は、明日何がおきても不思議でない事態であり、
行く末を考えると楽観はしていられない。

ふと言葉の重要性に気づいて[大丈夫]を繰り返したら、気分が非常に楽になったのだ。
人間は、その時その時、誰もが不安を抱えているものである。
若ければ若いほど不安の渦の中にいた。それでも何とか大丈夫であった。
その時、この[大丈夫]という言葉を繰り返す効用を知っていたら、どれほど楽であっただろう。
しかし、その不安感が努力を喚起させていたプラスの面もあったが。
不安感が押し寄せてきた時に、騙されてと思って千回いってみてください。

知人が[う・た・し]ー「嬉しい、楽しい、幸せ」ーと、「ありがとう」を毎日繰り返していたら、
気分が晴れて、良いことが立て続きにおき始めているという。今度[大丈夫]を加えるといっていた。
この大丈夫をプラスの言葉に加えると更によい。 貴方はついているからー大丈夫  性格が良いからー大丈夫 
一生懸命やったのだからー大丈夫  守護霊が守ってくれるているからー大丈夫
考えてみたら、生きているかぎり人間は大丈夫のようにできている。死ねば死んだらで、無になるのだから大丈夫である。
大丈夫でないとして、所詮すべて時間が解決する些細なことだ。

・・・・・・・・
2003年07月04日(金)
821,ある時間の断片ー28

・10月30日 1968年 
10時起床、食後、読書と音楽を聴き過ごす。
20時に河路さんを羽田に送りへ出発、途中浜松町の焼き鳥屋で時間調整の為いっぱい飲む。
21時に羽田到着する。河路さんの家族、大妻女子大、寮生のOB,友愛関係者など30人が来ている。
帰りは友愛関係者の萩原君の車で南波嬢と供に飯田橋まで送ってもらう。
一緒に帰ってくるが、話している分には面白い女性である。といって一時、気があったが醒めてみれば・・・・。
夜半の2時ごろまで勉強して就寝。 河路さんもオーストリアに行った。
先輩としての河路さんだが、他人の中傷の無意味さを嫌というほど教えられた。
それと言葉で他人をいかに傷をつけてしまうかを。
相手の弱点を探し、中傷することがあたっていればいるほど、他人が傷ついてしまうことを。
それが結果として自分をより傷つけてしまうのだ。自分が他人にしていた事を彼にやられたということだ。
少なくとも自分は変えようとしているだけ良かったのか。

・・・・・・・
2002年07月04日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月04日(水)
[73] 夢についてー4

海外旅行の帰りの機内でみた夢も恐ろしい極限であった。飛行機に乗っているせいか、自分の体が空に浮いていく。
もうじき下に降りるだろうと思うが、どんどん浮いていき電信柱を超えていく。
ああもうこれ以上いくと危ないと思った瞬間目が覚めた。
そしてほっとして「自分は地上にいる」と思った瞬間、空中に飛んでいる自分に気づく。
自分が空中を1000キロで飛んでいるのが解るのだ。その恐しさは言葉で表現できない恐ろしさであった。
バンジージャンプ落下している感覚であった。 6〜7年前の恐ろしい夢が書いてあるのでまたコピーしておきます。
ーーーーーー
ーH0905魂が万代橋の上を彷った話ー
 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、
“今回の検査はパスしない!”一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思い。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?..”パニック状態である。
それも夕方の飲み会の直前である。 まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、
焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と酔いを含めて妙な夢になってしまった。

魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで目線が5m位の高さで
プカプカ浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。
そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!と念じた事を今でもはっきり覚えている。

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