堀井On-Line



2539, 閑話小題

2008年03月17日(月)


 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。 節目の時だからだろう。 
「誰々が、どこそこの大学に合格した、入社した」とか、駅には卒業式の羽織袴の姿と、
小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に溢れかえる。
近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の。時期になる。
野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲春場所が始まり、春の高校野球、
そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。 
一年の節のの時節ということだ。
  ーー
 
 *サブプライムローンと毒入り餃子
タイミング的に丁度良く、サブプライムローンと毒入り餃子問題が重なった。
悪質な不良債権をミックスした債権を餃子とみると、あまりに似た問題である。
それもサブプライムはアメリカの格付け機関の保障入りときている。
世界の金融機関にばら撒かれていて、気づいていないところが多いから始末が悪い。 
中国の冷凍餃子も、中国当局がまだまだ、ことの重大さを認識してないので、問題は更に拡大する。
これを切っ掛けにアメリカのドル本位制に近い通貨への不信が拡大し、ドル暴落はさけてとおれない。
それからくる大混乱が生じはじめ、ドル本位制度から資源本位制度がいわれてきている
  ーー
 
 *骨美人と水美人
山田風太郎は、
「美人にも骨美人と水美人がいて、自分は水美人が好きだ」という。
水美人は20歳前後のどうしてこんなにかわいいのだろう思われるみずみずしい人。
こういうのは歳をとると皺くちゃばあさんになる。
骨美人は正統派?の美人で、山田五十鈴とか、高峰美枝子とか、歳をとっても崩れない美人。
それがどうしたといえば、それまでだが、骨格のバランスの問題でしかないのは
自明のことだが・・・・。それなれ韓国のように整形をすればよい。美はバランスだから、
バランスを直せばよい。 ところで私は水美人派である。 傍に居るだけでもよい。 
私の姉たちは若い頃は美人系だったが?崩れてしまったのと、そうでないのと二分?
性格もあるが、諦めないのがポイントのようだ。諦めないとは?如何いうこと?
バランスの崩れを直し続けること!それと、心ということか?トキメキを持ち続けること!
 そういうこと・・・如何でもよいが!

・・・・・・・・
2007年03月17日(土)
2174, 14歳からの哲学ー 2
          オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!

    今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。
    以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、死について述べている。
   (いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)
    最近、「死」について考えると心地良いのはどういうことだろう。
    死を考えることは、生を考えること、人生そのものを考えることだからである。
    いや、歳をとったということか。

「あたりまえのことばかり」の中の、
�珪蓮\犬�ているとはどういうことかーの一節から・・
 
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。
自分が死ぬという経験は絶対にありえない。もう一つの勘違いは、死体を見て、
それで死を見たと思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと色いろなことが
わかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。
それでは「死とは何か」の一般的な答えは、「無になる」ことです。
無というものは無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。
したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている
無というものは無い。すなわち死はない、ということになります。

    にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。
    その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の光景が、
    可笑しく見えてくる。無いものを在ると思っているのですから。
    思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、これは面白い。
    ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところが
    まるっきし変わってくる。やがて死ぬ、どうせ死ぬとは言えなくなる。
    なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
                「あたりまえのことばかり」よりー

    しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
  まずは、その部分を抜粋してみよう。

ー7、死をどう考えるかー P51

生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。
人は、「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。
でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。
「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。

    君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思っているだろう。
    死んだら何もなくなるんじゃないかって。でも、何もなくなることは「ない」はずだ。
    なぜって、「ない」ということは、「ない」からだ。
    じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。
    ないものを怖がって生きるなんて、何か変じゃないかと思わないか。

逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。
死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは
「ない」のだから、それなら、死ななくたって同じじゃないか。
あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする?

    行きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。
    なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って
    生きているんだ。じゃあ、誰もが知っていると思っているこの「生きている」
    ということは、死を知らないとしたら、何を言っていることになるのだろう。
ーー
評)「存在と無」の論証ということになるが、これは難しいといえば難しい。
 死は生前に戻ること!という、道理が好きだが、生は生前と死後を取り巻いている無に
浮かぶ一点という、小さな球状のイメージである。
それは誰にも取って変えることができない自分だけの宇宙の一点である。
そう思うと、自分の人生をもっと大切にしなくてはと、おもうのだが。

  −−−−−
2006年03月17日(金)
1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい−2    
           才八∋ウ_〆(∀`●)  ー 読書日記
 ーモーニング・ページー

この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。
思ったままそのまま、大学ノート3ページに何の起承転結など制約せずに書く。
だいたい30分位である。著者は、十年間これを続けているという。
  この随想日記に似ているが。

ーまずは「モーニング・ページとは何か」を、私の主観で集約して書いてみるー
   モーニング・ページとは朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
   創造性を開発するためのツールである。
   寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
   テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。
   作文とさえいえない代物でよい。

ただ手を動かして、心に浮かんでくる、愚かなこと、奇妙なこと、
何でも、どんなことでもかまわないから、そのまま書き続ける。
書き始めの八週間は、それを読み返さないほうが良い。
続けていると、だいたい2P目、3P目には思いもつかなかった新しいアイデアや、
自分の中に隠れていた気持ちやアイデアが次々と現われる。

   こんなことを考えていたのか。こんなことが好きだったのか。
   毎朝、発掘されるのは自分という潜在に隠されていたアイデアと気持である。
   続けているとダンダン面白くなる。誰にも邪魔されない静かな時間の中で一人書き続ける。

マイナスの言葉ばかりが飛びかう日常的世界から離れのがよい。
早朝座禅を組んでいるのに似ている。        (。・・)_且~~ お茶どうぞ

座禅は始めた当初、表面と違って心の中は雑念で騒々しい。
このモーニングページは、その雑念を言葉にして一人書きだす作業であろうか。
そのうちに雑念の向こうにある創造的活動が出てくる。

   この本では毎週課題が出ていて
  「あなたが他人がばかげてると言わなければ是非やってみたいことを10個取りあげなさい」とか
   「あなたが取りあげた10個の中から一つ始めなさい」等、わかりやすい。
   自由に日記を書いていたつもりでいたが、自分の左脳の検察官が
   チェックをしていた事実を、たった数日のモーニング・ページで気がついた。

この本の基本的ツールは
・毎日3P書くノート「モーニング・ページ」と、
・週に最低2時間は「自分一人で自分のココロや魂の喜ぶ行動をとりなさい」という
「アーチスト・デート」の二つである。まだ始めたばかりなので、経験を重ねた後に再び書く。
  始めて数日だが続けたら、何かが根本的に変わってくるだろう。                       
                       ーつづく
          バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ
 ・・・・・・・
 2005年03月17日(木)
1444, 孤独について−5

孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。
絶望の果てに突詰められる心の状態は、人生で何度もある。
孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。。
「孤独であるためのレッスン」NHKブックスー諸富 祥彦 (著)
の本の内容で考えさせられる部分を書き出して、更に考えてみる。

・「ひとり」と「孤独」についてムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、
さまざまな反論を受けました。孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、
と言われ続けてきたのです。

彼によると、孤独の真の意味を理解できない人の多くは、
・ひとりでいる体験と、
・深い孤独との区別ができない ゆえに誤解を生じているのです。

 両者の区別について、いずれも大切なものだと断りながら、次のように言っている。
「孤独とは対照的に、ひとりの時には、私達は意識的なコントロールを働かせて、
 意図し、考え、決断している。ひとりでいると、私達は必要な休息を得られる。
 一方、孤独でいると、私達はギリギリの状態に追い込まれる。
 ひとりの時は、私達の体験に、展開と継続性がもたされる。
 一方、孤独の時は、全体的、革新的な変化を私達にもたらしてくれる。
 ひとりの時は人の中に帰っていく。孤独な時は自分に帰っていく道を開いてくれる。」

 また、別の箇所では、
「ひとりとは、たいてい過去や未来にまたがった中間的な状態であるが、
 孤独とは、常に生命に直接、今、ここでかかわっている状態である。
 ひとりとは、自分に没入していることである。
 孤独とは、自分とともにありながら、さらにそれを越えて、
 新しい自己を創造しようと激しく一瞬に生きることである。」と説明を加えている。
 
ムスガーカスのいう孤独な時とは、
「人生の一大転機点の時であり、孤独に浸っている時、人は、もっと
この激しさが続けばよいと願ったり、永久に離れたくないと思ったり、
あるいは、底なしの絶望感に捕らえられたり、信頼が裏切られたり、
さんざんに打ち砕かれてしまうことがある。
このような強烈な驚きに震え、深いショックに身を砕かれた時に
『私はひとりだ』と言っても、その体験を伝えるには不十分である。
それでは孤独の肯定的部分も否定的部分も伝えられない。
一方、『私は孤独だ』と言うと、独特のニュアンスが付け加えられ、引き裂かれた状態が示される。」

過去と未来を断ち切り、新たな自分に生まれ変わりを余儀なくする、
有無を言わせぬ、一瞬の体験を意味するのです。
次に、ムスターカスは「孤独に対する不安」と「実存的な不安」を区別します。
「孤独に対する不安」は
ー生と死の重要な問題に直面するのを避けるために、絶えず他人とかかわりを
求めて、忙しく立ち働いて、本質的な孤独を打ち消そうと防衛から生まれる。
一方、
「実存的な孤独」とは、ー人間の本質に目ざめていることの証であり、
生の動乱や悲劇、変転に直面していく際に育まれるものである。
この世に生まれて、激しく生き、ひとり死んでいくことの本質にある孤独が、実存的な孤独である」
さみしさは、しばしば、人と人とのつながりが拒否されたり、
離れ離れになることによって体験されているものである。
一方、孤独とは、自然の静けさの中で無言で木や雲や波に語りかけたり、
静かに詩をひとり読んでみたり、音楽に聴き入ったり、芸術作品をひもといていたときに去来する。

孤独になる勇気を持つこと。 孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間にしか、これからの時代、ほんとうのしあわせを獲得はできないはず、である。
ーーー

孤独は誰も何時も直面している問題である。だから教養とての知識の必要性が出てくる。
社会通念としての「孤独はさびしいもの、避けるもの」を、まず疑ってみることだ。
特に、携帯を持った猿にとって! 「自覚のないゴミ」になり下がる前に。

去年の同日の、永六輔がいう「虚しさ」を知った孤独こそ
永遠への扉の「いま、ここ」を覗いていることになる。

・・・・・・・・
2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記

図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。
   東京新聞編集局 (編集)
ーレビュー
死ぬ前に言っておきたいことがある! 各界著名人が語った死生観。
どのような臨終を思い描き、どのような野辺の送りを望むのか。
介護、遺言、葬儀、墓、形見…。五十人五十色の生・老・病・死。 『東京新聞』連載を単行本化。

ー以上がインターネットで調べた内容であるが、簡易な文章の中に、深い内容がアチコチ見られた。
その幾つかを書きうつしてみる。

・永六輔が、生々しい深い悲しみが直に伝わってくる。
ー「看取るのは感動的でした。ホントウに。こんな感動的なら、看取られたいと
思うくらい」1991年に父、99年に母、そして2002年に妻・晶子さんを見送った。
戒名、遺影、法名、棺はダンボールでいいと言い残した住職の父。
感謝の言葉をつづった遺言と、自ら縫った死に装束を用意した母。

余命3ヶ月と悟った妻は、死にまつわる要望を家族に伝えた。
家族に見守られる中、自宅のソファーで、安らかに息を引き取った。
「母の死の見事さに、ボクよりも女房のほうが感動したのですね。
母のように死にたいって。母とは状況は違いますけど、本人の思い通りに亡くなって。
看取り方は百点満点もらっても良いと思いますよ。

父を亡くしたときは『寂しい』、母を亡くしたときは『つらい』、
女房を亡くしたときは『虚しい』。寂しいのもつらいのも、我慢すればなんとかなる。
虚しい時の対処のしかたはちょっと・・。何をもってすれば、虚しさを埋められるか。
まだわかってないですね。習慣だった旅先の電話は、死後一年でやめましたけれど、はがきは今も
出しています。女房あてに、はがきを書いて、ポストに出し、週末、自宅に帰った僕が受け取る。
無駄のように見えますが、はがきはやめないと思いますよ。面白いから」
 (字数の関係で中略ー2008年3月17日)
 ーー
この随想日記に「私の遺言」「死について」を書いてきた。
ラストメッセージにはチト早い気がしたが、死は直視し続けると逆に生がみえてくる。
私の場合、父が亡くなった時は喪失感、母が亡くなった時は自立感であった。
ただ、寂しさは無かった。二人とも自分の中でしっかり生きていたからだ。
母は今でも月に数回夢にリアルに出てくる。
二人から学んだことは、死ぬのは生きることと同様、そう簡単なことでないことだ。
「最後の言い分」も生きている内の戯言でしかない。
でも、戯言が死んだ後のシミにもなる。  残すか残さないかはその人しだいである。

・・・・・・・・
2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感

 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。
強引に営業に入れられてしまったが、それでもよかったと思えるようになった。
月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
電話代が一切かからないから、5〜6千円あたりが適正プライスだろう。
ADSLでもよかったのではないかと疑問が今でも残っている。
今までの100倍、ADSLの10倍に近い速度だ。
時間が経つほど、その能力の凄みを実感している。
特にホームページが映像に移行しているしているのがよく解る。
古館伊知郎のホームページ「トーキングブルース」8本が3ヶ月間で5千円とか。

この普及はホームページだけでなく、IT電話など根こそぎ時代を変えるだろう。
実際どうなっていくか誰も解らない。先日も書いたが、本の読み方が変わってしまった。
1度目を通し後に、その本の題名をキーワードにいれて書評を読むのだ。
その後読んだ方が効率的になる。

たまたまネットウエーブで知った人の読書日記を読むと、
今のベストセラーの概略と書評を読むことができる。8割がたは?内容を把握できる。
それができるのも瞬時にホームページが出てくるからだ。
まだブロードバンドの入り口しか立ってないが、想像すらできない時代に入ってしまったようだ。

  ・・・・・・・
ー以前に書いた文章をコピーしておきます。
2002年09月20日(金)  525,−光ファイバー

昨日から、会社のランが光ファイバーでネットされた。
今までの電話線の10�涌造ぅ優奪販繕發妊灰好肇僖侫�ーマンス
はよくなったが、諸経費等が65万である。1~2年で元はとれるが、それで1000倍近い速度だ。
二紙とっている新聞を一紙にしようかと、今月中に結論を出す。
トレードオフだ。 以前は3紙とっていたが、日経をまずやめた。
この時はWOWOW に加入した時だった。

次は朝日か?新潟日報か?どちらを残すか。 会社に行けば見れるのだから。
今の若い人は新聞を見ない傾向にあるという。
インターネットでネット新聞を見ているという、もちろん無料だ。
死亡広告がなかったら日報もやめたいのだが、全くつまらない!
考えてみたら、とってないのもいいかもしれない??!新聞社の斜陽が更に進むだろう。
ヒカリファイバーで3年先には大きな社会的な変化が進むだろう。

・・・・・・・
2002年03月17日
旅行中につき書き込みなし
・・・・・・・・
<お笑い>

「どっちが父親?」

少年が慌てて警察官のところに来て
「大変だお父さんがトラブッテ、喧嘩してこのままでは死んでしまうよ!」
駆けつけた警官が少年に 「おいどっちが父親だ?」と聞いた。
「ぼくも解らないんだ!その件でけんかしてるんだ!

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