堀井On-Line



2514, 賢人の知恵 −1

2008年02月21日(木)


               +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
まずは、この本の「はじめに」をコピーしてみる。
 ーー
著者のバルタザール・グラシアンは、17世紀のスペインで活躍した著述家であり。
イエズス会の修道士です。
神学者アルトゥール・ショーペンハウエルはグラシアンの著作のドイツ語訳を手がけ、
日本では森鴎外が部分的な日本語訳を発表しました。
哲学者フリードリッヒ・ニーチェは「ヨーロッパはいまだかつて、これほど精妙にして
複雑な人生の道徳律を生んだことはなかった」と記して、
またショーペンハウエルも「人生のよき手引書である」という言葉を残しています。
そして現代においても、高名なテノール歌手であるルチアーノ・パバロッティが愛読書として
グラシアンの書を挙げているなど、欧米では今もマキヤベリ『君主論』と並ぶ
不朽の名著として読み継がれているそうです。 聖職者の書いた人生訓、というと、
皆さんは生真面目で禁欲的、理想的な内容を想像されるかもしれません。
しかし全くそんなことはありません。むしろグラシアンが主張し続けたのは、
冷静な視点で現実を見つめ、思慮分別と洞察力をもって柔軟に物事に向き合うことです。
その背景には、当時のスペインの不安定な政情や社会に対する思いもあったのでしょう。
ともあれ彼の教えは、400年の時を超えて、私たちに自分を高めることの大切さを与えてくれる。
インターネットやテレビによる情報が氾らんし、世の中が恐ろしいほどの速さで移り
変わっている現代において、自分を見失わずに成功を手にするためにはどうすればいいのか? 
そのヒントがたっぷり詰まっているのが本書です。
ぜひあなたの傍らに置いて、ご活用いただければ幸いです。
 −−

この本のカバーに、
バルタザール・グラシアン氏の経歴がある。
 『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、
  1657年、サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。
  逮捕され、追放されたタラソナという村で一年後に没した。』とある。
これだけでも、この人物の処世術が生くさすぎることが分かる。
でも書いてある内容は、なるほどと現在でも納得するものが多い。

“善人が損をするのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”
など、これが伝道師かと思ってしまう言葉がつづく。
この言葉を私なりの解釈をすると、善人といわれたら、よほど甘い人間ということ。
それは世間体にいえば、毒にも薬にもならないどうでも「善い人」の意味が含まれる。
政治家になろうとするなら、それを演じればよいが・・・
それは損得の問題ではなく、そういわれること自体が、すでに甘いという見方もできる。
だから宗教が必要なのである。宗教的信念は善人の要素をつくりあげる。
 
 また“正しく生きるな、賢く生きよ”という言葉もよい。
正しい悪いは、あくまでも本人の価値観でしかない。
知恵を使って賢く生きるべし!ということだ。知恵は知識を消化したソフトである。
                             ー  つづく
                 (っ´Ι`)っ サイナラ
・・・・・・・・・・
2007年02月21日(水)
2150, スピリチュアル・ブームを考える −1
              才八∋ウ_〆(∀`●)

    毎日新聞の2月19日の「論点」に「スピリチュアル・ブームを考える」をテーマに
    島田裕己、溝口敦、香山リカの三人のジャーナリストが、それぞれの視点で鋭く、
    そのブームについて分析をしていた。 なるほど非常に面白い内容であった。

現在の日本は、一部の強者以外は全体として行き詰まりの様相を呈している。
その中で人間は内側にエネルギーをもとめてしまう。
「霊的エネルギーへの欲求が社会に満ちている」といってよいだろう。
心の中に何かが起きているのだろうか?

    私自身も父の死をキッカケに十数年間も霊感がついた。
    何をもって霊感というと難しいが、とにかく変な感覚がついてしまった。
    最近はホボ無くなったが、あれだけは実際に「その感覚」がつかないとわからない。
    だから、興味を持っている人以外に話さないことにしていた。
    生来の盲目の人に、視覚の話をしても理解できないのと同じである。
    といって、極端なスピリチュアル・ブームもおかしなものだ。
    細木数子の批判文の中でも書いたが、物語を人は求めているのである。
    それを安直にイメージ化できるのが、霊とかいうヤツだ。
    まあ、この三人の切口から、その本質を考えてみよう!
    
  ーー
ー島田裕己ーの分析から考えてみよう。
  まず要約すると、
「バブル以降、霊観念の個人化が進展、カウンセラー型の霊能者がはやる」
ということだ。今日現在のブームは、伝統的な霊観念の衰退、希薄化ということと
関係している。前は宜保愛子の先祖の霊が適切に祀られていないと、その祟りで
病や不幸がもたらされると考えられ、それを取り除くには先祖の霊を正しく
供養しなければならないと説かれた。
 ところが、核家族化が進行して、家の解体が指摘される今、家の比重が低くなり、
先祖の霊の祟りはリアリティーが無くなってしまった。
多くの人は家のしがらみに苦しんではいない。少子化で、家の存続も危なくなっている。
そこで今は「個人化」の傾向が強くなり、家の影響は小さくなり、対象が家の霊ではなく、
個人になっている。それは、個人の前世の霊ーすなわち生まれかわりの霊ーに変化したのである。
もし出てきたとしても、それは祖父母など近しい存在に限られるのである。
   −−
   解)まあ、これから考えてみると、これだけいい加減なことはない!
  霊など心の迷いの時に頼る無知な人間の玩具やマジナイと同じ。彼はそういいたいのだろう。
  父が「墓は本家より大きなものにしてはならない!」と言っていたが、
  それも明治生まれの[家]制度を背景に持った論でしかなかった。
  家そのものより、個人化の方が重んじられる現在、あの父の言葉は何だったのか?
  墓は「家の抽象的な心のカタチ」だったのか?人は、心の何処かにそれが必要なのか?
  だから レジャーを兼ねた盆帰りをしてお墓に参るのだろう。
              
                   バイ  (σД≦)ネムゥ〜
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2006年02月21日(火)
1785, 閑話小題

 ースーパーツチダの倒産ー
地元のスーパーマーケットのスーパーツチダが破産・倒産をした。
前の社長が高校の同級生で三年前に癌で亡くなってしまった。
10年以上前から、会社がギリギリということは本人から聞いていた。
逆によく三年も持ったということだ。
    地元ナンバーワンのスーパー原信に圧倒的な商品力の差があった。
    そのため最近では殆んど店には行かなくなっていた。ダイエーが昨秋、
    長岡店を閉鎖した後に今度はツチダの閉店でマスマス町が寂しくなる。
     長岡のスーパーは原信の一人勝ちの様相になってきた。
新潟を本拠に置くスーパーウオロクも、原信との闘いで体力を消耗、
虫の息という噂を聞く。 流通は厳しい時代になってきている。
     最近は、誰も他人事ではない。今度は何処?という感覚が恐ろしい!

ー勇気とは何か ー
  勇気とは怖れを感じないことではなく、恐れることより重要な問題を感じ取ることである。
     恐れの90�佑�思い過ごしというが、恐れから眼をそむけるのではなく、
     その中心を凝視することで恐れを克服していく姿勢である。
     むしろ恐れが問題の中心点にエネルギーを集めることになる。
     そしてエネルギーを集中することによって、問題に立ち向かうことである。
   積極とは、極めを積み重ねることである。 極めはリスクを伴う。
  そのリスクの上でこそ問題の重要性がみえてくる。
    「正しい目標を欠くと、偽りの目標にはけ口を向ける」というが、
     勇気は正しい目標を持ってこそ、その意味が出てくる。
 こういう時代、変化を恐れていても仕方がない。
 背後の問題を把握して一つずつ解決していくしかない。
 背後の問題とは
 ・情報化社会の到来
 ・グローバル化(旧共産圏の自由市場への参入)
 ・日本という国家の極度の疲弊化
 である。 特に情報化が根こそぎ社会を揺り動かしいる。

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2005年02月21日(月)
1420, FIFAオールスター・サッカー

昨日、スマトラ沖地震のチャリティーの「世界選抜」と「欧州選抜」とのサッカーの試合を見た。
世界の超一流選手だけが参加しているのだから面白くないわけがない。
個々人の世界最高の技が次から次へと出てくる。
その上、世界の才能が団結をして闘った内容でもあった。
それぞれの選手の技にお互いに驚いているのが解った。
パスにしても、シュートにしても一流の技は芸と言ってよい。
次から次への攻防が全てに無駄がない。

勝負を競うより、一人一人の技術のオンパレード。
それも、漫画本に出てくるような技が面白いようにでてくる。
お互いの技が、それぞれの技を次から次へと引き出してくるのもよい。
試合内容は、終始「世界選抜」が攻勢をして6対3で買った。
90分が、これだけ短く感じたのは新鮮で感動した内容のためだろう。
これだけ熱狂というより、次から次へと感動したサッカーの試合は忘れることがないだろう。
世界150カ国に放送されていていたというから、10億人以上が見ていただろう。
日本人では中田選手が出ていた。

解説のセルジオが、終始「凄いですね!凄いですね!」と繰り返していたが、
それだけの、中味の濃い90分であった。
サッカーといえば、緊迫した点の取り合いが特徴だが、勝負より個々人の
技術を楽しむというのも良い。何ごともそうだが、楽しむネタは幾らでもあるものだ。

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2004年02月21日(土)
1053, 判断と決断の狭間

人生振り返ってみると、判断と決断の間に大きな溝があった。
この溝で救われたこともあった反面、大きなチャンスを失ったことも多い。
「判断」とは、正しいか、正しくないかという物差しで計るものであり、
「決断」とは、強いか、弱いか、早いか遅いかによるものによる。

そこで心すべきは決断の仕方である。
状況をいくら分析しても、それが意思決定につながらなければ無意味になる。
といって、そこには責任が伴うから、その狭間を冷静にみる視点が必要になる。

判断をしたら、あたかも決断したような錯覚に陥り問題を先送りしてしまいがちになる。
判断は人間の首から上の作業によるものだが、決断は人間の知・情・意のすべてに
深くかかわり合う、つまり全身全霊を駆使して決めるということである。

そして判断の優先順位と決断が直前におこなわれる。
そこに人生観や価値観の問題がでてくる。そして、その曖昧さが溝になる。
人生は、その溝の中で泳ぐ魚のようでもある。だからこそ面白いのだ。

分裂症という鮫もいるが。

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2003年02月21日(金)
688, ストレス

先日亡くなった同級生の偲ぶ会で、彼の死因について話しが出た。
直接原因は癌であったが遠因がストレスだろうと意見が一致した。
その場の全員が人生で一番厳しい一里塚にさしかかっているから解るのだ。

その場でAが「堀井お前ストレスなど無いだろう!」
わたし「ゼロ!」。
Bが「堀井、お前は与える方だ!」 爆笑であった!!

ところで彼らは、「ストレスの解消法をあまり解ってない?」と思えた。
ストレスの潰し方は、他のストレスで潰すのが一番本能的な簡単な方法だ。
しかし、それは更なるストレスの蓄積をしているに過ぎない。
わたしの経験からいうと、「独りになりきるしかない!」
それが全く解ってない、号泣せざるを得ない立場になって初めて気がつく!
それでも気がつかないだろう。

ストレスだけは、気をつけないと。いつの間にか溜め込んでいるのに気がつかない人が多い。
群れるしか能がないから、ストレスの雪だるまになる。
「人間は孤独の存在!」である、また「群れていなくては生きられない存在!」でもある。
この二律背反を使い分ける事が必要である。

私の場合はお経とか、ウオーキング、旅行、読書、映画で発散する。
それとイヤな事は繰りかえして考えないようにしている。
この随想日記もストレスにもなるし、反面ストレス解消にもなる。

ここで一句   バカいうな やることだけは やっている

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2002年02月21日(木)
338,「世界がもし100人の村だったら」

この本が最近話題になり、インターネットで早速買ってみた。
本屋で立ち読みをしたら、買わなかったと思う。
ほとんどが「TVで放映されている内容」でしかなかった。

昨日、印象に残ったものを「サロンのコーナー」に、デジタル写真で撮り、貼り付けた。
もっと色々な内容があるはずだ、そう思って買った。

すぐ考えたのは、「日本がもし100人の村だったら」が書けるのではないか、
という事であった。日本人は2番煎じはうまいのだが。
ただ「テーマ」がよい!ーいや問いかけといった方がいいか。
今まで難しいと意識しなかった問題が見えてくる。
テーマの決め方で、問題を深く捉えることが可能になる。

「国家予算」も「県の予算」も、「100人の村だったら」
の喩えでもして解説をしてくれたら、一般の人も関心を持つ。
ある人の文章が巧くなった。何故だろうと考えたら、いつの間にかテーマをつけていた。
テーマは円でいう中心点である、芯ができた為だろう。
テーマ日記を書き続けて、少し自分の頭がよくなったような気がする。
テーマを考えるのと、その内容の構成をするからだ。
また書きながら、違う視点にも気づくからである。

100という数字が分かりやすいのと、村の住民という喩えがよかった。
山下清が何か考える時「兵隊の位でいうと,どのくらい?」と問いかけるのと似ている。
単純だが一番の中心をつく。

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