堀井On-Line



2255, まあ、いいか!

2007年06月06日(水)


            ヽ(★>з<)。o○ オ〜ハヨ 

この随想日記の中に数十回以上?も「まあ、いいか!」といっている。
そこで、検索に「まあ、いいか」と入れたら、
その題名の本が数冊も出版されていた。
自分を慰める言葉で、私の常用語「あ〜あ!」の言葉の裏に含まれている。
「あ、しまった!」の「あ!」とは、仏教語で「許し」が入っているという。
それを延ばしたのが「あ〜あ」か、これは屁理屈である。
「まあ、いいか!」は、「私は私のままで、仕方がないだろう」ということになる。
                     ゚≫q(´I`●) マアマア!
「まあ、いいか!」の前後の言葉として、
「しょうがない」「なんとかなる」「こんなものか」が出てくる。
イライラしたり、落ち込むようなミスをした時、目を瞑って十回ほど心込めて
「まあ、いいか! それがどうした」と唱えれば、7割かたは気持ちが軽くなる。
「あ〜あ」「で、どうした」「まあ、いいか」は、瞬間の癒しのの三言である。
                    ♪〜 ヽ(´π`)ノ まあ、どうでもいいや! 
しかし、ものごとを突き詰めた後に使っている分にはよいが、
最初から、この言葉が先に立つのも問題である。
「中途半端な、あの人」になってしまう。
金沢に「まあ、いいや男」というアダナの先輩がいた・・・・
バカ?の常套語にも成りえる言葉でもある。
 何でも使う人間次第だが、この言葉は特にそうである。

ーあるHPに、このような詩があったー

*まあ いいか

まったくもー、しょーがないヤツだなぁ
まあ いいか。
俺も どーしよーもないヤツだし

まったくもー、しょーがないヤツだなぁ
とりあえず 俺のほうから謝るよ
傷ついたのは おたがいさまだし

もし君が 俺をまだ許してなくて
謝ったとき 素っ気ない態度をとっても
俺は一人つぶやくんだろう

「まったくもー、しょーがないヤツだなぁ」
                   ク〜(”>_<)っ★(
 ーー
 他に「まあ、いいか」に対して次ぎの言葉があった。

  成長は悩まなくなることではない。
  成長すればするほど悩みはむしろ深刻化していく。
  しかしうまく共存できるようになっていく。
  光を知れば知るほど闇も深くなっていくのだ。
  しかしどんなに深い闇でも、
  一筋の光さえあればやっていけることを知るだろう。
                          ( ̄ω ̄;)!!
  ーー
  暗い闇にこそ「まあ、いいか」という一筋の光の言葉が輝くのだろう。
  「ところで、私の人生とは何だったのだろうか?」
  「まあ、いいか! 今さらしょうがないもんな〜! あ〜a!」
                    バイ☆(^∀^)ノ~~
・・・・・・・・
2006年06月06日(火)
1890, 村上ファンド崩壊の衝撃
       おはよ〜!(*^ワ^*)i

ライブドアの堀江の逮捕時に「最終ターゲットは村上」とスポーツ紙が報じていた。
当時はまさか村上ファンドが、そんなドジを踏むわけがないと思った。
日本的株式市場というイケスに「食肉魚」を入れ活性化することも、
株主の立場を軽くみてきた日本市場には必要だった。

     積極的出資者といわれるオリックスの宮内社長、
     どのように言い逃れをするか見ものである。
     高利貸しは高利貸しでしかないが・・・・

時代の寵児だった堀江と村上が小菅の住人になるとは、
半年前までは誰も思ってはいなかったはずである。
広告料を貰っている大新聞やTVや月刊誌などは、
大手銀行や証券会社の不正を積極的に書けない関係にある。
そこで少し危なげな?スポーツ新聞に隠された情報が流れやすい。

    村上もインサイダー取引で逮捕は必至ということで、
    シンガポールに会社と住居を移動したのだろうが、
    生命の危機も感じたのだろう。

新聞によると、
「5�涌幣紊粒瑤稜秬蠅畩霾鵑鮓気乏瑤鮃愼�すると、インサイダー取引になる」
と知っていたが、
「まさかライブドアの堀江が、それ以上を買う力があるとは思ってもいなかった」
と苦しい弁明をしていたが、何を今さら見えすえた嘘を!である。

合法的な恐喝ならよい!
というユダヤ商法を日本の社会が認めるかどうかの試金石の問題である。
それも仕方ないと諦めるかどうか?難しいところだ。

    この村上逮捕で村上ファンドは完全に崩壊した。
    あっさりしたものである。
    恐らく有罪になって執行猶予はつくだろうが手元の金は、
    損害を被った株主からの訴訟でほぼ失うかどうか?
    そこでシンガポールに資産を移動したとみてよい。
    したたかな男である。

ところで、村上の記者会見の白々しく、よくぞ言えたものだ。
裁判用につくり上げた嘘のストーリーの構成は私でも見抜ける代物である。
「たまたまライブドアの堀江と宮内の話を聞いていたのが
インサイダーだった」と、お涙頂戴の嘘?を並び立てている姿は哀れである!
マスコミが、その嘘を一つずつ裸にするであろう。

    時代の寵児に弔辞!を全員で楽しむ風潮が恐ろしい!が、
    アメリカ資本とその一派が背後で金を出して、
    合法的な恐喝をしていたのは間違いない事実である。
    こういう問題が次から次へと出てくるであろう。
    大手??機関は、この数年にわたり多かれ少なかれ強引な?・・・・
    間違いなく数年以内に多くの大問題が噴出する!
    法すれすれの、いや・・ことをしてきた事実が、山のように存在している。
    間違いなく火がつく!
               (*^ワ^*)i バイ
・・・・・・・
2005年06月06日(月)
1525, わたしの酒中日記−4
  金沢編−2
       1972年2月某日
武蔵が辻の職場からバスで、20分位のところに寮がある。
その中間点にある繁華街の香林坊で降りて、老舗風の飲み屋を探す。
今夜は片町の大和百貨店の裏にある飲食店のおでん屋に飛込みで入る。
人品の良い美人の母娘がいた。聞いたら、三代も続いている店だという。
隣の客が話しかけてくる。
「言葉が違うようだが、観光客か?」
「いや、勤めの関係で、一年います」
地元の人からすると微妙な立場のようだ。
とにかく、金沢の人は人なつこいのが特徴だ。
それと金沢べんの言葉が心を優しくする。
言葉の最後に(〜じ)をつける。
「〜だよね~」という意味である。
それと
「〜しまっし」という言葉もよい。
「~しなさい」という意味である。
そのアクセントが何ともよいのだ。
特に女性がいうと「あ~金沢」になる。
それとおいしい店が多い。

ここの土手焼きが美味い。それと次に頼んだスジ肉の煮込みも絶品である。
おでん屋のおいしい店を彼方此方で食べたが、この店はまた格別である。
立て込んできたので、その店を出る。

このまま帰るのは、惜しいので大和百貨店の隣の飲食ビルに入る。
安そうなスナックに入って、カウンターに座る。まだ8時なので、お客は誰もいない。
素人っぽい20代半ばの店の女性が話しかけてきた。
まだ金沢に来て2ヶ月で、一〜二年いたら、また何処かに流れていくとか。
若いうちに、彼方此方にいって転々としたいのだという。
こういう生き方もあるのか、驚いてしまった。

「この仕事の接客のポイントは何か?」と聞いたところ、
「期待を持たせること」とか。 まさか「何の期待?」とも聞けないし。
「それじゃ〜、何か期待してよいか?」と聞くと、
「今度、兼六園を案内してくれる?」というから、
「今度ね!」と、空約束をして?店を出る。

バスの定期あるが、歩いて帰ることにした。
浅野川の橋を渡って、20分ぐらいはかかったが酔いを冷ますのに丁度よい。
まあ、一人で飲むのも悪くはないが、それにしても金沢には美人が多い。
それと金沢の文化と風情がよい。金沢には、3年間が目安だ。
能登半島や、金沢の街を貪欲に知っておかなくては。 もっと一人旅をしなくては。

加賀100万石の城下町の歴史が観光だけではなく、飲み屋や喫茶店などに色濃く残っている。
ここは地元の人には非常に厳しいコントロールがある。 反面、部外者には優しいのだ。
この文化的な特徴は数年住んでみなくては知りようがないが。
明日は同期入社の連中との飲み会だ!
ーー
また偶然の一致か、去年の今日も金沢関連のことが書いてあった。

・・・・・・・・
2004年06月06日(日)
1160, 「武士の家計簿」−2

いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。
現在の日本は、第二次大戦の終戦時や、江戸末期から明治維新の時期より大きい
大転換期にある。
この時期に江戸末期の武士がどのような暮らし向きをしていたのか、
どう対処していったかが、彼らの家計簿から大きなヒントを得ることができる。
彼ら猪山家の人たちが語りかけてくる言葉から「過去の人との対話」が可能になる。

「あとがき」の最後の文章が印象的である。

ー大きな社会変動期には「いまある組織の外に出ても、必要な技術や能力をもっているか」
が死活を分ける。家柄を誇った士族達の大部分は、その時点で社会から外れていったのだ。
現状を嘆くより、自分の現行を嘆いて、社会に役立つ技術を身につけようとした士族には、
未来が来たのである。私は歴史家として、激動を生きたこの家族の物語を書き終えて、
自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。
まっとうなことをすれば、よいのである・・・・・。
ーー
転換期にある日本人にとって、いや自分にとって、この作家の努力によって
彼ら猪山家の人たちより「深いメッセージ」を与えられたといってよい。
「まっとうなことは、一日一日の努力の積み重ねしかない。」
いま問題になっているのは、個人的にも国家的にも、過去のまっとうでなかった
(バブル狂奔)シワ寄せである。それを一つずつ引っ張り上げて、将来の姿を想定して、
まっとうな姿に変えていくしか方法はない。
 ー
「武士の家計簿」 磯田道史著  新潮社
      長岡中央図書館  2004年05月29日
 目次
第1章 加賀百万石の算盤係
第2章 猪山家の経済状態
第3章 武士の子ども時代
第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ
第5章 文明開化のなかの「士族」
第6章 猪山家の経済的選択
      
・・・・・・・・
2003年06月06日(金)
793, 起業についてー2

 起業について実感のキーワードは「発狂」である。
精神の爆発といってもよい。
よし!やろうと決めた瞬間から、もう全てはプロジェクトの完遂をイメージ
して突き進むだけである。
よほどの粘りと信念がないと突き抜けることはできない。
当然の事だが、簡単には事業を興して軌道に乗せることは不可能だ。
可能にするのは「的」が間違ってない事と、周到な準備と、信念だけである。

 いまの事業を興した時は500�佑寮�功確率という確信があった。
失敗は許されないし、初めの一歩の重要さを知っていたため、
考えられるだけのことは考え抜いていた。
それと、それまでの成功体験の裏付けがあった。
何事にもいえるが一番大事なことは、成功体験である。
それが実績ということだ。

 それと育ってきた家庭環境が大事ではなかろうか。
10歳位までに,両親の立ち上げをみた経験がなければ、
計画も準備も甘くなっていた。
また20歳で起業をするという決心をして準備していた事もある。
その瞬間から女性に対しては、気を許さなくなった?
どちらを取るかといえば、迷いなく事業の立ち上げであった。
若い時の最大の難関はまずは女性である、創業以外の事を割り切ることであった。
つまらない男になっていた!それが陰になっていた?ようだ。

 事業を始めるとき、まずは自分の心の問うたことがある。
「経営資源として金を含めた資産を全て『博打の札ー事業』に変えるが、
全てを失っても後悔しないと自分に誓えるか?
そして事業を本当にしたいのか?−−したい!!」
一人の誓いである!今更だが、それだけ勇気と覚悟が必要だった。
おそらく大小にかかわらず誰もが、その位の自問自答はしているのだろう。
いろいろな危機があったが、最後はいつもこの言葉を繰り返していた。
結局は事業経営は博打でしかない!当たり続ける事はない。
最後は裸になる覚悟は出来ている?のが強みである。

 しかし、まだ憶えているが、事業の準備をしていたときのことである。
何か一人でTVを見ているとき、急に不安になり「屋上の手すりの上に立っている
ような末恐ろしい感覚」になったのを憶えている。確か借金を初めてしたときである。
この意識下に隠れた不安が意外と経営の原動力になっているのだろう。
立ち上げで判断を迫られるとき、夜半の2時35分が一番冷静な思考になっている。
しかしこの大津波ー大不況に対して、まだそこまで意識がいってないのは
どういうことだろう?!これからか?

・・・・・・・・
2002年06月06日(木)
429,両親の死

両親が亡くなった時、一緒に住んでいた。
そしてその死に様から「生きるとはどういうことか」を学んだ。
死ぬとは如何に大変な事を知った。今ひとつ、死の視点から生を見るということを。

世間とか、娑婆の事を徹底的に割り切って見れるのも、
両親の死から、それがいかに幻想である事を学んだからだ。
結局,残るのは「子供と愛情」だけ。
それと‘生きてきた事’ー乗り越えてきた「行蔵」それだけだ。
意味とは最後の自己慰めかー心の印ということか?

死を自覚した瞬間の人間の「生に対する渇望」のすざましさに、側にいて身震いした。
その瞬間−死を覚悟した瞬間‘砂漠の真ん中に立たされる残酷さ’を直感した。
‘心’は「主体」と「イメージ」で成立している。
心を失っている状態は、「主体をなくして何も考えられない状態」と考えれば逆に解かる?

何で‘心’が両親の死の話しから出てくるかと言うと、両親が死と直面した時に、
「主体」と「イメージ」が湧き出てくる事実を見たからだ。
それは死の恐怖感からくるものである?
特に「主体」が凄い。人生の全てのことは自分の戯曲でしかない。
それに満足できるか、できないかだ。死ぬ事はそう簡単のことではない。

昨日の朝、隣の主人が亡くなられた。 今夜通夜、明日葬式に出る予定!

・・・・・・・・・・
2001年06月06日(水)
[44] 何の為のホームページ

何でわざわざ個人のホームページを立ち上げ、公開するのか?
 まずはこの疑問
1・わざわざ写真を撮って入れたり、
2.貧しい内面の公開をしたり
3.せっかくとった最重要情報?の公開をわざわざしたり
4.とにかくエネルギーを使わなくてはならない

でもそんなこと、この巨大情報空間から見ればどうでもよい事。
むしろさらす事により、リンクの可能性が大きくなる。
インターネットとは考えてみてば、ホームページ間のネットである。
基本はホームページである。その拠点を個人や会社で持つことは、
情報空間に自分の基地を持つ事になる。
この時代あたりまえと言えばあたりまえである。

ウエブ上に拠点を持つことにより、他のホームページと相互関係になる。
その事をホームページ持ったことで実感できた。
もしホームページを持つまでもないと考えるなら、‘お気に入り’の集積と
その分類を自分のパソコンにきっちりしておくべきだ。
そうした場合どうしても自分拠点を持ちたくなる。
それは自分のパソコン内でいいのだが。
公開してもかまわない場合ホームページがよい。

巨大情報空間にさ迷い出た子羊というところか。

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