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2007年04月25日(水)
(・_・) ノ オハヨウ! お風呂に入った直後の22時過ぎにクラッシック音楽を聴きながら就寝する。 就寝30分後に爆睡を4〜5時間した後、午前の3〜4時に一度目が覚める。 そして冬時間の起床時間が5時半、夏時間は5時に起床する。 起床前の2時間が半睡状態の時間になる。 その時間が、ある意味でゴールデン・タイムになる。 夢をみたり、夢と現実の塀の上を遊ぶ?のである。
以前、書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容を書いた。 夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の世界の描写である(いや白朝夢か)。 白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン出てくる。 脳の奥行きの深さに驚いてしまう。
ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。 50〜60年前の赤ちゃんから幼児の記億の世界は、魂の世界である。 殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。 立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、 ず〜と刺激の強い世界の思い出である。
白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、 愛情に包まれた夢のような日々であった。 ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の小さな子供の役者を担っていた。
初めての大きなショックが、柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。 それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。 海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。 それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に残っている。 よほどショックだったのだろう。
ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。 越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100�胆茲糧鵬擲垢了佑蝶僂� 大手通の四つ角に三月後に戻ってきた。 百日風邪になり、「もしかしたら駄目かもしれないと医者に言われた」と、 父は口ぐせのように言っていた。 私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、 もう一人2歳で亡くなった兄がいた。 父が42歳、母が38歳の時の子供である。 そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。 16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、その下にすぐ上の兄がいて、 最後に私という構成であった。(2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない) 終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人に、 一倍働かなくてはならない条件があった。 産まれてから10年間の長岡の繁華街の真ん中の生活は刺激の強い環境にあった。
東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。 リンタクに乗せられて、大手通の家に行った記憶である。 そこでは、「福ちゃん」という喫茶店をしていたが、一年もしないうちに止め、 衣料品店に転業をした。
そして2歳になった頃に、その店兼住宅を丸太を下にいれ、転がしながら、 近くの公会堂の前に引きずっていき、仮店舗を開きながら4F建のビルを建築した。 個人名義のビルは国内で始めてと市役所で言われたとか? その記憶が一つ一つ記憶として残っている。 人生を振り返って一番楽しい日々といえば、 10歳までの大手通のビルの立ち上げから、店の開店、 そしてそこで起こった悲喜交々も日々だった。 本当に刺激的な日々だった。 ヾ(@⌒▽⌒@)ノ バイ ーーーー 2007/02/18 2147, 白い雲に乗って ー2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。 前回の夢が契機になって当時のイメージがドンドン出てくる。 如何いうことなのだろうか?それは57年前の世界そのものである。 その世界から此方をみている感覚と、此方の感覚の間にある塀の上での 微妙な世界に立っているようだ。 ーー 白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。 そこは前回よりリアルな当時の世界があった。 中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、 母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」に行った。 そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。 面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。 母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。 恐らく入れるだろうと思った。 家(店)に帰った後、三輪車に乗って前の安栄館というビルの 同じくらいの友達のところに行った。 やはり最近できた大きなビルのところの子だ。 何か遊んでいると楽しい!
その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。 手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、 お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。 ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。
クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに 二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。 ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。 小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。 それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。 ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。 ツリーの電飾がいやに奇麗だ! こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。 あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。 雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。 突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。 何処に行ったのだろう、皆は! 白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。 目をつぶって白い布団を被った。 目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった (o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・・ 2007/02/10 2139, 白い雲に乗って ー両親の思い出 夜半に幻想的な夢をみた。 小さな白い雲があった。 それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。 そこは4歳の頃の世界におりたようだ。 すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。 両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。 そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。 一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、 四階には従業員と姉達の部屋があった。 白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、 そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。 店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、 正に当時の真っ只中にいた。 コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。 そして三毛猫のタマとコロがジャレている。 その空間には何時も緊張感がただよっていた。
燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。 初めて死をみた瞬間だ。いやに首の下の赤い色が印象的だ。 そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。 小さな三輪車で駅の方に行くと右手に小さな公園があり、 その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。
そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山の上に神社が祭ってある公園である。 周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多くの植木鉢がところ狭しと並んでいる。 その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。 何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。 夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。 ぼくは間違いなく、ここにいる!
ズットここにいるのだ。 何で、ぼくは、ズ~ットここにいるのだろうか? 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。 何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろうか? そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。 泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない! ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか? ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。 でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。
両親は忙しそうに働いている。 その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。 その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。 父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。 外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が次々と通っている。 三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。 何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。
しばらくすると父親が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。 札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。 何か自分が白い雲の中で浮いているような感じがしている。 ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。 あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。
ここは間違いなく大手通の世界である。 どうして、ぼくはここにいるのだろう! それにしても、それにしても、どうして浮いているのだろうか? というところで、目が覚めてしまった。 幻想的な遥か彼方の遠い世界に舞い戻ったのだ。
ーーーーーーー ー字数の関係で内容をカットしました。 HPからクリックしてくださいー 2006年04月25日(火) 1848, ローマから日本が見えるー5 は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ ー 読書日記 少し息抜きで、 ークレオパトラは美人だったのか?ー という小題があったので、その部分を抜粋してみる。 ・・・・・・・・・ 2005年04月25日(月) 1483, 桜咲くーつれづれに −2 ・・・・・・・・・ 2004年04月25日(日) 1118, 寝るほど楽はなかりけり
「世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世の馬鹿は起きて働け」 という、人間の本質を辛辣に笑った川柳がある。 人間の本質は、実際のところこんなものだろう。
・・・・・・・ 2003年04月25日(金) 751, 不思議-シンクロニシテー
以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。 親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。 不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。 先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩 をしているコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。
その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。 葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も 次々に出て、その下を通ってきたのだ。 曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる 従兄が自死した時のある現象である。 納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。 写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。 そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。 天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、 納棺の時間が偶然に一致したのだが。 死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。 こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。
涙雨というのは昔からある。 晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。 それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。 地方におきやすいのだろう。 人知のはかれない何かがあることは間違いない!
以前書いたものをコピーしておきます。 ーーー H0407霊的体験 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な 体験をしてみた。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。 もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。 そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身 (父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が 自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒に なったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。
また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。 何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが “おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より 本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。 そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたがその時隣に寝ていた母が スクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。 まだまだ不思議な事がいっぱいある…。あれ以来最近は少なくなったが 幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
H0511妙な夢―(�機� ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。 泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない! 起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、 台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。 ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。 まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。 これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて (そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが? 何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。 こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。 はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、しかし夢では なかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。 H0511妙な夢―(�供� 秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、 何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い、 これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の27〜28才位の、 のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。 ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ 、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!” といわれた時、はじめてゾーッとした。 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、 ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断した。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。 その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、 これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえた のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。
・・・・・・・・・ 2002年04月25日(木) 387, 習慣ー極限
人間が極限の時にする行為が、健康法にいいと聞いた事がある。 それを習慣化してしまえば良いという。
頭を掻き毟る。 顔をこするーマッサージする。 ため息を吐く。 喚くー叫び声をあげる。 身辺の整理をする。
これを普段から習慣ですればいいと。 そのとおりである。 遺言もそうかもしれない。死ぬという極限の状態を常に忘れない。 毎日は無理かもしれないが、毎年の年末に書くこともそれに似ている。
末期がんで死を宣言されて、写経を始めるケースがある。 それなら普段から、暗記をして唱えているか、写経をしておけば良いことになる。
積極という言葉は正しくそれを普段から積んでおけという事だ。 消極はそれを避けて生きることである。
「あと一週間で死ぬならなら何をしますか」 というテリー伊藤の本があった。 いろいろの人がふざけて書いているが、 全部いつでもその気になったら出来る事であった。
人間の弱さをそのまま出てしまう問いかけである。
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