堀井On-Line



2121, 銀行も本格的な競合状態に!

2007年01月23日(火)

               (^^)/ おはようよっ!

地元の銀行の担当の話によると、
「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。
都銀や大手信託銀行が、中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、
地銀同士がこれまでのテリトリーを越えて顧客の奪いあいを始めた。
都銀が地元の地銀の有力得意先に対して本格的貸出しを始め、
どんどん顧客が奪われている。こんなことは初めてのこと」という。

   某都銀の営業の20人のうち15人が、地元地銀の倒産したり、
   リストラされた銀行マンという。
   彼らは地元の経営者に顔が利くため平気でトップに面会して
   切り替えが得意という。
   成績が上がらなければ次年の労働契約は保障ないので必死という。

先日の地元の新潟日報には、「東京三菱銀行が新潟に中小専門拠点を開設」
という見出しが出ていたが、ここも同じような戦略をとってくるだろう。
これでは自社の子飼を、そのまま敵に手渡すことになるから堪ったものでない。
この圧力が、地銀の再編のきっかけとなることは必定。
集団輸送船団方式の銀行行政の最大の恩恵を受け続けてきたのが地銀。
それが、一挙に都銀や大手信託銀行の直接貸し出しなどの脅威に
晒されるようになったのだから、一大事である。

   コンビニが銀行業務の一部を始めて消費者に大好評。
   さらに郵便局も、民営化が本格的に始まる。
  「地銀以下の銀行の存在意義とは何ぞや?」という大問題に突き当たる。
   さらに携帯電話などの決済も進み、キャッシュレス化がますます進むと、
   その存在意義がゼロに近づくことは避けられない。

「一枚のチップに銀行の支店の機能が軽く入ってしまう」
と言われだして数年、その機能の存在意義そのものが根本的に問われる。
恐ろしい時代になったものだ。去年から流通業の地元の再編が動き出した
ようだが、銀行も同じ流れになった。

   十年ほど前に、地銀の次長が「地銀機能は無くなりません!」
   と言っていたが、それは十年スパンの話。
   それとも縮小しながらでも存在するのか、どうであろうか?
              マタネッ(*^-゚)/  ~Bye♪
・・・・・・・
2006年01月23日(月)
1756, サイボーグ   (σ・з・)σオハYO!!

NHK・BSスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」
の先日の放映が衝撃的であった。

身体の一部を機械に置き換え、
脳が機械と直接つながったサイボーグ。
SFの世界の話だと思われていたサイボーグが、
現実のものになろうとしている現状のレポートである。
脳とコンピューターを直結し、考えただけで身体を動かす
研究を実用化しようとしている。
                  ・∀・)つ(:゚::) ミカンでもドゾ♪       
       5年前には世界に殆ど存在しなかったサイボーグ技術が、
       ここにきて飛躍的進歩にあることを立花隆がレポートしていた。
       特にサイボーグを実現可能にする技術として最も注目を集めるのが、
       脳の情報を利用する技術・神経工学である。
 
この放送は、立花隆とサイボーグ技術の行方を見つめるため、
世界各地での徹底取材を行ったもの。
自ら進んでサイボーグ化をすすめた人々を紹介している。
 
 ・アメリカ・テネシー州の男性は、感電事故で両腕を失ったが、
  いまでは考えただけで動く「人工の腕」を手に入れている。
 ・完全に視力を失ったカナダの男性。
  ビデオカメラで撮った映像を直接脳に送りこみ、光を得ている。 
医療・福祉の分野でサイボーグ技術によって、人々は人生を取り戻し、
今までの人類が体験したことのない新たな感覚を得ている。  
    さらに脳の機能の一部を機械に置き換えるサイボーグ技術も進んでいる。
    難病の治療に劇的な効果をもたらした。
    この研究は、今、うつ病、強迫神経症などにも応用され、/ω\*)ウゥ/ω-\*)
    人の心に関する部分の調整にまで踏み込もうとしている。
                            ̄ー ̄;)ニ、ニヤリ 
        その急速な発展に注目し、巨額の資金を研究に投じているのが、
        アメリカ国防総省。
        手足の力を10倍にするパワースーツ。
        兵士の重装備の移動を大幅に軽減する。
        これは首から下が麻痺をして動けない人の歩行も可能にする。
        聴力・視覚を格段に向上させるなど、
        不死身のサイボーグ兵士を作る研究が進む。
圧巻は
大型のネズミにヘッドギアを取り付けて、
パソコンで動作を直進・左右へとコントロールする
「ロボラット」。
頭にミニ映像カメラをつけて目的地まで誘導する一種のサイボーグ。
ー(右(左)の脳に刺激をして右に行くと快楽脳を刺激する。
それをインターニットでパソコンと直結してコントロール。
さらに頭にカメラをつけて目的地まで誘導して下水とか敵の目から
隠れた攻撃が可能になる。
こうなるとSF映画の世界である。

        サイボーグ技術が人類に光をもたらすのか、
        それとも単なる人体改造なのか、
        答えは両方だろう。
        見終って、しばし茫然とした。
        ここまで、科学が来てしまったのかと!        
      少しオーバーにいえば世界観が変わるほど?である!      
                    (*-ω-*)m バイ〜
・・・・・・・  
2005年01月23日(日)
1391, 危ない格言        ー 読書(毒書)日記 ー

ー新書yosennsya
 榎並 重行 (著)

書店で立ち読みをしていたら、鋭いとげのある格言が目についたので
衝動買いをしてしまった。
私向きの本である。
買って読むと棘が棘に見えなくなってくるから不思議なものだ。ー
帯びに『類を見ない猛毒に満ちた格言集!』とあるが、
買ってジックリ読むとやはり毒だらけである。
それぞれの章ごとに、毒の強い文章を幾つか書き写してみる。
第6章まであるので、数日の随想日記のネタになる。

       先ず本の名前を見て、帯を見て、表紙の裏の文章をみて、
       そして、前書きを見て、終わりを見て、パラパラと開いて、
       飛ばし読みをするのが通例だが、どこを見ても毒だらけの
       珍しい本である。
       ーmy感想は、毒には毒をと毒づいてみた。
       書かないほうがよいが、それでも書かないわけにはいかないのだ!
ーーーー
先ずは、第一章から

第一章 この変な動物、人間
ー類型についてー

・どんな人間にも、顔を赤らめ、恥ずかしさにうつむくしかないことがある。
 そんな経験をしたことがないといい放つ者は、これから、手ひどい形で
 その経験に襲われるまでだ。
(my感想)ー 海外旅行先でトイレにあわやという事態に何度も遭遇した。
 その経験がなければ、回数を重ねているうちに思わない最悪の事態に
 なることは間違いない。
  −− 
    ・己のなかに俳優を感じて困惑し、たじろぐ者は、
     まだ自らの誠実さを保っている。
     むしろ笑む者は、すでに自他のために誠実さをも演じているだろう。
     (my感想)ー誠実は言葉でなく、人が感じるものだ。
     
     以前ごく身近に、「自分は性善説である」を言葉の癖にしていた人がいた。
     あまり本の量を読み込んでない人だったが、
     「性善説とは性悪をカバーする為に使うことが多い」
     という仮説を自分に立てて考えれば、声高に言えないはずだ。     
     この人、最後は高利貸しの代わりに、
     多くの友人から大借金をして倒産した。
     騙されるほうも騙されるほうだが!
     俺は性善説など間違っても言わないことだ!
     ただ自分の中の悪党に気がつかないか、
     虚偽をいっているに過ぎなのだから!
      −−  
・夢見る者は、自分に関して事実を否認する権利を、夢の名によって、
 自分自身に与える。
(my感想)−若者と、女と、自己逃避をしている夢想家に多い。
 誰もが経験してきたことか?
  −−
・自殺者は、自死を問題の決着として考えることができる。
 その近親者には、強いられた相続にしか思えないが。
(my感想)−事実そうだ。 
 それも永遠にだ。
 近親者そのものにとってもマイナーの相続者になってしまうから。
 自死は、最後に残された最大の意志でもあるが。
  −−
      ・自ら生まれてこなければ良かったと思うほどの人間たちは、むしろ、
       その繊細さゆえに、他者にとって取り立てて激しい感情や行動を
       引き起こす存在ではない。
       他者からすればどうしてこんな奴がこの世に存在しているかと憤慨を
       覚えざるをいられないような人物は、
       むしろこの世の生活を満喫しているもの。
       ーー憎まれっ子、世を満喫す。
      (my感想)−そうだ、そうだ、そのとおりである。
       憎んだ相手はタカイビキが世の中である。
       憎んでいる暇があったら、タカイビキで寝ていろ!
       それにしても、あの野郎!
        −−
・何でも語って恥じないおしゃべりは、始末の悪いことにそれを
 自分の思いやりとして誇る。
(my感想)−なんか身に覚えもあるし、他人の中でも多くみてきたし。
  −−

・有能な人間が、役に立つとは限らない。役に立つ人間は、特に有能である
必要はない。有能な人間が役に立つのは、往々にして、その欠陥や
無能とまではいかないとしても不能な部分によってだ。
(my感想)−何が有能かが問題だ。
有能だから、不能な部分が役立つのだろう。
  −−  
      ・予測できる未来なんて、しょせん今の成れの果てでしかない。
       (my感想)ーそうとしか、思えないもんね!
      いや、そうとしか思えない人に迎合すればよいのか、所詮評論家は?
                         −つづく
・・・・・・
2004年01月23日(金)
1024, 22歳の日記−2

何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。
この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、
ほとんど全てを占めていた。

特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記からうかがい知れる。
ゼミでは、まず一週間前に事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。
その間に対処を考えてきて、それを元に全員で徹底的に議論をする。

その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。
我々の出した結論と、その誤差について更に議論をさせる。
また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って、お互いに議論もする。

結果的に、知識と体験をもとになっている地言葉で議論をすることになる。
教授の意見は、要所要所以外はほとんど話さない。
考える為のヒントを与えるだけで、「考えること」を促すのだ。

そして「考えることは如何いうことか」と、更に一歩踏み込んでいく。
自分の中の知識不足を、冷静に自ら気がつくように仕組んである。

いま日記を写しながら気づいたことだが、ソクラテスの「対話法」による
真理の追究を、その中で体験させていた。
素朴で深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的であった。
その結果、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。
誰もが転換期にたって、迷っていたからだろう。

また社会に出て、事業の組立てに非常に役に立った。
冷静な事実の組み合わせと、仮説の積み上げと崩しの繰り返しの中で
計画の練り上げをしていくのと酷似していたからだ。
ようするに地頭で考えることに役立った。

35年前の日記を読みながら、感想を書いていること自体が自分の深耕をしている
ことになっている。
過去の自分と今の自分が向き合って対話しているからだ。
その意味でも、この22歳の日記の写しと公開は良かったと思っている。

ー後記ーこのホームページ内検索で
「武澤ゼミ」で出したら、ほぼ同じ内容が出てきた。
こんなものかと呆れてしまった。
以下である!

ーーーーーー
2002/11/01
ケーススタデー  ー1

前回書いたゼミの内容を書いてみる。
人生で、このゼミの訓練が非常にプラスに働いた。

人事管理の具体的事例研究で、討論でその本質を探る手法ー
各部所で起きたトラブルの問題点の原因と解決を考える内容である。

・一週間前に翌週分の「トラブルの現象」の問題のプリントを渡される。
・それを次のゼミで各自が自分の意見を述べる。
・それにしたがって議論を始めるのだ。
・それが終わった時に、そのベストの原因追求と解決案の内容を
 示されるのだ。そしてゼミの結論との誤差を話し合う。

幼児期から両親の自営していた生の会社のケースを見ていた事と、
8人兄姉の末っ子で常に状況を冷静に見ていた為か、
自分の意見があたるのだ。
寮生活でイロイロのトラブルもみていたのもあった。

その為か自分のゼミにおける立場が確立されていた。
それよりも、現象の中にその骨組みをさがして、自分なりの
組み立てをする面白さを知った。

これは後で事業を起こすときに非常に役に立った。
人間関係に対して,直感的に論理だって構図になって瞬間に出てくる
のが最大の武器になった。

良質な上司には可愛がられるが、逆のケースの場合は大変
な事態になってくる。
この男は何を考えているのかを不安になるらしい。
自分はサラリーマンは絶対に無理と社会に入って直感した。

ーーーーーー 
569, ケーススタデー ー2
2002年11月03日(日)

毎週金曜日の15時か16時より2時間開かれる。
ゼミが終わると太陽が黄色に見える位疲れていた。
知的訓練など全くしたことがなかったためか?

二年間コースで初めの一年は課題の本を読んで、それの感想と議論。
二年目の前半は事例研究で、後半は各自が自分で事例を創り、
当事者として2時間ゼミの全員に質問と追及を受け、その結果を討論
する内容だった。私は途中二年目からの編入であったが。

他の人を聞き取る場合は刑事のような内容追及がリアルで面白いが、
自分の場合は追求されて、瞬時に物語を創っていかなければならない。
今でもその全て憶えている。

このケーススタデーは「見聞皆師」にあてはめて考える事が出来る。
現象ー事象の中から真理を探し学ぶ方法にもなった 。
また人間関係だけでなく、営業や経営のベストプラクテス−
ベンチマーキングにも酷似している。

ゼネコンの営業の社内研修でも、これに似たケースでOFF−JT 
が行われていると大手のゼネコンの営業の人から聞いたことがある。
流通やサービス業の他店見学も似ている。
サラリーマンの足の引っ張り合いは善意を装ってくる
陰険版か??????!!

現象とあるべき姿の格差を埋める作業だ。
少し違うが、帰納法に似ている。
現象の中の真理の内容を検討して結論に導くという点で??
新しい車が発売されると工場ですべて解体して、
それぞれのパーツで業者やその部門の人達が集まってチェックする
のはどこのメーカーでもやっていたという。

今はコンピューター処理でインターネットをフルに利用している
のだろう。これの人事管理版が武澤ゼミのケーススタデー?!
管理されるという事はあまり気持ちのいいものではない。
でも組織体としては、それは必要欠くべからざるものである。

ここでいま一つ学んだ事は、
当たり前のことー自分の能力は自分で創りあげるものという事だ。
最後は独りの自覚で自分造りをしなくてはならない。
習慣づくりといってよい。

問題が逸れたが?
私の辛辣さは、露悪ー露善(偽悪ー偽善)を自分や他人の中で
すぐ直感してその原因を構造化するためだろ
ー父もそうだったから、その理論的訓練を受けた事になる。

それよりその結果として自分の無知蒙昧をいやというほど知らされた。

・・・・・・・・・・
2003年01月23日(木)
659, 人間-女心

ー宗親流に書いてみるー

人間の心ほど、いや自分の心ほど面白いものは無いね。
単純で複雑で自分でもコントロールが不可能なものだね。
だからノイローゼになるんだろうな。
それにさ男女の下が絡んでくるからね。
 
 「女の身体の真ん中辺にシンショぶっちゃる穴がある」
  という都都逸があるがね。これを即興でつくりかえるとこうなるよ。
 「男の身体の真ん中辺に陸釣り用の竿がある」
  少し品が無いね!

暇だからさ女という生き物について書いてみるね。
あれほど割り切ってみると単純で可愛い生き物はないよ。
姉が4人もいて、女の職場にいた為に鍛えられたね。
この単純でかわいい存在に。

要するにエゴの塊、これも生理からきているからね。
いつもある姉に言われていたね。
「女なんてね、やられる振りしてやる動物なんだから気をつけな!」
ってね。

女を制すれば世界を制することができるというが、性欲がそれを
鈍らしてしまうんだよ。
女は知っているんだ人間をね、男と比べたら数倍もね。
初めは大人しくしていて、段々図々しくなっていく仕方。
あれは戦術なのか戦略なのか?両方だろうがね。

単独に彼女と接するときは真摯に徹すること。
複数を対象にした時はエテコウー猿のレベルと割り切ることだよ。
泣いているときは、一緒に泣いてやるのさ。
笑っているときは、一緒に笑ってやるの。
合わせ鏡に自分をしてしまうのさ。

彼女たちは、長い時間の中で知恵を持っているの。
男の甘さの嗅覚を。
だから真っ当に相手にしては駄目だよ。

昔からいうだろ
「怒れば泣く、甘やかせればつけ上がる、殺せば化けて出る」
これ本当だよ。
でもね、あつかう時はね、怒り、甘やかせ、褒め殺しにしなくてはね。
理屈じゃないんだから。でも好きだね女!

まあこんなところが大体の男の視点!
じゃあまたね。             − 宗親

・・・・・・・・ 
 2002年01月23日(水)
309,壁ー2(言葉の壁)

決断しなくてはならないが、そこに壁があり躊躇するとき
「取りあえず、決断を引き伸ばすか回避する言葉」が「取りあえず」である。
思考停止病といっていい。

「とりあえず、こおしておこう」
「とりあえず、大学にいっておこう」
「とりあえず、就職しておこう」
「とりあえず、定年になってから考えよう」
人生の一番大事な事を、その時々に判断をいい加減にさせ、
あるいは先延ばしにさせる言葉である。
この言葉で思考停止の状態になり、
決断放棄の一生を過ごしてこなかっただろうか?


そして最後の最後、追い詰められても「取りあえず、今をやり過ごそう」
とする。「取りあえず、取りあえず、取りあえず、・・・・」
取りあえずとは、人生を放棄すると同じ事でなかろうか。
この文も「取りあえず」この辺で止めておこうーブラックジョーク
似た言葉で「でも」がある。ある判断をしようとすると、
「でも、やめとこかーな」「それはそうだが、でも」。

「でも」と「取りあえず」は何かにている。
この川を今渡らなくてはならない、そこで「でも」という渡ったときのリスクが
頭によぎる、「でも、でも、でも」が出てくる。
無意識で使っている言葉の壁である。

・・・・・・・
1月23日 木曜日 1969年

8時起床。
登校後、産関論の授業に出席。
この授業は、これが最後だった。
その後、川崎と喫茶店に行く。
午後は価格理論に出席。
帰寮後、合気道のOB会出席迷ったが、結局欠席にした。

18時から一時間、産関論のレポートを纏める。
21時から勉強を開始。
夜半の2時に就寝。

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