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2006年10月26日(木)
おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ さむい!
ー以下の部分には深く考えさせられたー
ー私たちのあらゆる行為や価値は、 《私》によって支えられるものでしかなく、 さらに《私》は<他者>によって支えられています。 そうされることで、この世界で確実なものになります。
<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生する。 また《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、 <世界>を構築していく上での基本的な要素であるという。
・「私」が、<他者>に「呼びかける」ことによって、 その<他者>において、《私》の存在の引き受け」が発生。 ・また「他者」の呼びかけに応じることは、相手を引き受けることになる。 ・<他者>を‘もてなす’ことによって世界は広がっていく。 人に呼びかけ、呼びかけに応じ、そして他者をもてなすこと、 これが世界を大きくすることということだが・・
何か一番私にかけていたような気がするが、 呼びかけ、呼びかけに応じることが、私の世界を大きくするということが・・・ 対象にもよるが、ライオンズ、ロータリーにでも入ることも世界を広める意味で重要? その置かれた環境と状況の中で、それぞれの目的が自分に適うなら、 それが自分の世界として適正な選択になるということか。 他者にも色いろある。 世界の大自然も他者である。自分が関係する事物、人物すべて他者である。 情報を取るプロセスで、対象からの呼びかけに応じていくのであるから。
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第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 −�� ー<世界>をつくるー
*<世界>を引き受ける者として生きる
前にも述べたが、私たちのあらゆる行為や価値は、 《私》によって支えられるものでしかなく、 さらに《私》は<他者>によって支えられています。 そうされることで、この世界で確実なものになります。 この場合の引き受けられ方には、 愛するものとして、子供として、友人だけでなく、敵として、 憎悪の対象としてなど様々です。 ここで<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生するということを 思い出してください。「私」の存在(=《私》)は、<他者>による呼びかけに よって確実なものとなりますが、「呼びかけられた」側の「私」も、 必ず<他者>に対して呼びかけているはずです。 つまり、ここで「私」は、<他者>の存在を引き受けているということです。 こうした《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、 <世界>を構築していく上での基本的な要素です。
その一方で、「私」を道具としてしか扱わない<他者>も存在します。 この場合、「了解不可能な<他者>としてのあなたの存在」を引き受けない、 というだけでなく、単に道具や装飾品や遊具としての認識しているだけの 状態が現れます。 出会う人がすべて、充分に《私》の存在を引き受ける<他者>となるわけでは ありません。存在の引き受けには強度が存在し、強弱があります。 《私》の存在が希薄であるとき、<私>の「超越確実言明」も希薄になります。 それは、《私》という「基盤」を失うからです。
私たちは「共存の場」において、役割演技を行います。 そして、役割は「相互関係秩序」によって規定されます。 そのとき、その場にいる人たちを、その役割によってのみ認識するのではなく、 「了解不可能な他者」として認識することが出来るかどうかが、重要になる。 役割によってのみ認識されるとき、私たちは「主人」になり「奴隷」になるのです。 そのいずれもが、私たちにおける「《私》の存在」を危うくします。
*信じる力
自分が遂行している<物語>が上手くいくはずだと考えるのは、 論理的な判断のみに基づくものではないということです。 どのような論理も、最後は必ず「超越確実言明」によって支えられており、 また、どのような「超越確実言明も、その下には「論理の支え」がありません。 ある物語がうまくいくはずと考えるのは、それが最後には「超越確実言明」に 支えられているからです。見方を変えれば、それは「無根拠な信念」です。 「無根拠な信念」すなわち「超越確実言明」という支えが無い限り、 私たちは、物語を遂行できません。それが「信じると言う力」であり、 それなしでは人生という物語を遂行していくことはできません。 この「信じる力」は<他者>によって支えられています。
*<他者>の力
私たちは、「私」をより厚く引き受けてくれる<他者>の言明を採用します。 極めて強度で引き受けを行う<他者>が存在するのは、実は決して好ましくありません。 カルト的な教祖であったり、不良グループのリーダーであったりする場合もあります。 それが「人格的に極めて優れた指導者」であったとしても、 問題が発生する可能性があります。 なぜなら、そのとき「《私》の存在」が、希薄になってしまうからです。 ある一人の<他者>の言明を無批判に採用しないように、できる限り多くの <他者>に、その存在を引き受けてもらう必要があります。
そのとき必要なことは、やはり「呼びかけ」です。 私たちは「呼びかけられる」ことによって存在を引き受けられるのではない。 「私」が、<他者>に「呼びかける」ことによって、その<他者>において、 《私》の存在の引き受け」が発生します。 もちろんそのとき私たちは、顔をみせなくてはなりませんし、 名乗らなくてはなりません。 それは、《私》を引き受けてもらうためです。 「存在の引き受けあい」というのは重い行為であるのです。
*<世界>をつくる者として生きる
現代思想の概念をもとに「私」について考えてきたが、 私たちは「得る物語」を率先して構築していくべきである。 それは、「<世界>をつくる者」として生きることと同義なのです。
ここで「逃げる物語」と「得る物語」について思い出してみる。 「辛いから逃げよう」と考えるとき、それは「逃げる物語」となりますが、 「辛くない世界を得よう」と考えるとき、それは「得る物語」になるのです。 同様に、「醜い世界から逃れよう」ではなく、「美しい世界を得よう」とし、 「間違った世界から逃れよう」ではなく、「正しい世界を得よう」とするとき、 それは「得る物語」を構築することになる。
「逃れる物語」も「得る物語」も、双方容易なものではありません。 「得る物語」では「疲れ」が発生し、 「逃れる物語」では、「辛さ」が発生します。 しかし「疲れ」によって止まることと、「辛さ」によって止まることとは、 別の意味を持っています。「逃れる物語」では、止まることができません。 追いつかれてしまうからです。そして追いつかれた時、絶望し「非論理的な死」 を選んだりします。
−− 以上でこの本の概要は終わり。 次回は、この本の総評を書く。 読み返すと当たり前のことばかりだが、 その当たり前のことが解ってないから! 何にも解ってないことが、やっと解ってきた。 特に「私」に関しては! *^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・
2005年10月26日(水) 1667, おい、どうすんだ、定年後!−1
ー「友達づくりサークル」 に集う寂しい定年男たちー
私たちの世代も、そろそろ定年に入ってきた。 そして耳に入ってくる話は、 全く気力を失ってしまった男達の話である。 20年近く参加している、ある会に出席したところ、 その会員の数名がシンポジュウムを開くパンフレットを配っていた。 何か私には積極的に勧めてはいなかったようだ。 私にとって今さらの内容ということを知っているからだろう。 「定年後の生き方、過ごし方」がテーマだったが、 彼らは何を言おうというのか?
ところで先週の土曜日、図書館である月刊誌をみると ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー というレポートがあった。 なかなか面白い切実な問題だった。
ーその内容といえば、 あるビルの一Fの焼き鳥屋に午後5時を過ぎると、 20人ほどの男たちが焼き鳥を分け合いながら酒を飲んでいる。 「船橋市時活村」のメンバーだ。
地元の友達のいない、 熱中できる趣味のない、 ボランティアをするでもない、 行くあてのない定年退職者が、 居場所と仲間を求めて集う。 1996年から9年経つという。 村民は現在、280名を数える。
地元に根っこのない、ベッドタウンを中心に住んでいる連中だ。 会社を辞めたあと、家の中でゴロゴロしている人達である。 年代は50代後半から70歳位まで。
そこでは自己紹介をする時、どこどこに住んでいる誰さん位しか紹介しない。 二時間もしないうちにお開きなる。 一人平均1500円だった。
・入村料は一万円、年会費5000円(二年目からは3000円) ・昼は20種類位あるゲームの何かをする ースポーツ関係が多い。 ウォーキング、親父の料理講習会・・・ ・夕方になると、焼き鳥屋に集って酒を飲む ・ほぼ毎日おこなわれている ・退会者は現在のところいない
つづく ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
2004年10月26日(火) 1302, まさか、地元で大地震!−3
その時は、「震度6の地震とは、こういうことか!」という思いと、 「神戸ほどでないな!」、 「性質(たち)の悪い地震ではない!」と考えた。 それと同時に「「新幹線大事故の可能性が大きい」と、心配になった。
新幹線の不通は会社(ホテル)の経営に直ぐ跳ね返ってくる。 震源の近くを200キロで走っていれば、当然大惨事になる。 時間から考えると、当然可能性がある。 (私が乗っている新幹線の時間帯からみて、その辺にいるはずであった) 下りの‘とき’が震源地を200キロで走っていたと、その後知った。 脱線で済んで本当に良かったというのが実感である。
大事故なら数ヶ月は復旧しないだろうから、経営にとって大問題になる。 もしかしたら、一週間程度で済まない可能性もある。
専門家の話では、「この程度で済んだのは奇跡に近かった」とか。 百数十人の生命が奇跡的に助かったのだ。 あと数分ずれていたら、対向車の新幹線が衝突した可能性もあったという。 当分は、この地震のほとぼりが済むまで新幹線の乗客は激減するだろう。 昨日の株価が下がったのも、景気に台風と地震が景気に少なからず影響を 与えると読んだからだ。本当に他人事ではない、今週の宿泊は半減するだろう。
話は変わるが、母が亡くなって初めて、たまたま仏壇周りの両親の写真と、 遺品を整理した日に大地震が起こるのも何か因縁めいている。 「その時間に、引きつけられて整理をしたのだろうか?」と考えてしまった。 葬式用?の大きなロウソクも、ついでに倉庫にしまった。 それが、その日のうちに必要になるのも因縁めいている、面白いものだ。 仏壇の中のモノが(地震で)全て外に投げ出され、石灯篭が全て倒れるのだから、 因果に結びつければ、亡くなった両親が怒ったと思ってしまうのも仕方がないか。
歩いて数分の長岡高校と、長岡大手高校の前には多くの自動車が停車をしていた。 避難をするために駐車しているのだが、何か非現実的な思いである。 私も自宅に電気が通じてなければ、近くの避難所に行っているか、 新潟のホテルで過ごしているであろう。 やはり危ない事態なのだろう。
数時間前の深夜、震度3〜4の地震があった。 まだまだ予断は許せない事態である。
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2003年10月26日(日) 935,『年収300万時代を生き抜く経済学』
森永卓郎著 (光文社)
怖いものみたさに何回か立ち読みをした。 また書評なども新聞でみて、買うほどでもないが何か気になる本である。 この文章は実際読まないで書いているが、要点の90�佑呂�さえているはずだ。
これからの時代は、米国のように1�佑両,疏箸�牛耳る社会になることは 明らかである。99�佑�負け組みなら、敢えてわざわざ人生を犠牲にしてまで 働くという発想を変えることだという。 大部分の負け組み と割り切って年収300万を受け入れてしまえばよいと 主張している。それでも、けっして惨めな生活を送ることにならない。
2000年の一人当たりのGNI−国民総所得−では、日本はフランスの1・8倍、 イタリヤの2倍、スペインの2・7倍、その総所得でヨーロッパ人はバカンスをとり、 ちゃんと豊かな生活をしているという。
もっと身近なデーターもあって、1999年「全国消費実体調査」によると 年収373万の2人以上世帯の耐久財普及率は、 電子レジー92% エアコンー78% VTR −71% 自動車 ー73% だという。 その年の平均世帯年収が760万というから、 この半分以下の年収でこれだけの普及率ならよいとしなくてはというのも肯ける。 発想、見方さえ変えれば、それなりに豊かな生活が可能なのである。
戦後から右上がりに成長路線の上で生活をしてきた世代が、ここで半分以下の 収入になろうとしているのは事実である。 不安な我々にとっての先行きのレッスンなのかもしれない。
一部抜粋すると
・「日本に現れるのは新たな階級社会である。それは一般市民が新興の金持ちに 支配され、はい上がることの非常に困難な、安全で安心して暮らせる社会とは、 ほど遠い社会なのである」「1億円を稼ぐサラリーマンが出てくる一方で、 一般サラリーマンの年収の主流は、グローバルスタンダードの300万〜400万円に まで下がっていくだろう」 ・「国民は(このストーリーに気づかずに)金持ち優遇社会への転換という 小泉構造改革を圧倒的に支持しつづけているのだ」
等々である。 アメリカ型資本主義が正しいとは思わないが、それよりもっと悪いのは、 何でも横並びで皆と同じが良いとする日本の感覚である。 一�佑両,疏箸硲坑広佑良蕕荏箸澆諒�向性は変えられない。 この流れが変えられないから、年収300万円に見合う生き方をしろというのも一理ある。
強者生き残りの生物の原理は情報社会ではしかたがないのだ。 いずれもグローバルの時代は世界的勝ち負けで判断される。 先進国でも300万から400万が平均値であるというから、 10年以内になるのも当たり前なのかもしれない!
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561, ある時間の断片ー6 - 2002年10月26日(土)
1968年 9月18日
8時10分前に起床、すぐに学校に行く。 夏休みあけ後久しぶりだ。 事務管理を聴講後、石川、奥野など5人と池袋の駅近くの 喫茶ウイーンで話をする。 それぞれが自分の道や将来を模索している姿が自分と 重ねって、独自性が逆に見えて面白い。
その後いったん寮に帰る。 6時半に新宿の紀伊国屋で待ち合わせる。 歌舞伎町のB&Bで飲む。 3人で6000円で高いが気分が高揚をして面白い。
その後三浦というスナックに行く。 以前と変わってないが家庭的雰囲気である。 何とかという以前店で顔見知りの女性と踊る。
ここも面白い、3人で3000円であった。 奥野が気分が悪くなり、急遽自分の部屋で3人で泊まることになる。 私は帰省中の佐々木さんの部屋で泊まる。
ーーー 1968年 9月19日
翌日も三人で午後の3時までいろいろの事を話をする。 何か今日も予定どうり卒論が書けない。 頭の中に最近熱中して読んだ、精神論の言葉が駆け巡る。 言っていることと、やっていることと違いが大きすぎる。 ファイトファイト、自分の潜在の力よ!!
9月20日 8時10分前に起床、8時15分に学校に行く。 人事管理の授業後、奥野と兼子と食事、その後図書館で 卒論のまとめをする。
15時にゼミに出席、我々の就職先の説明を ゼミの全員に報告する。 ゼミ終了後、武澤先生と4年生全員と話し合う。 内容は夏休みのこととか、各々の性格のことを話し合う。
その後近くで食事後、帰寮後再び食事に出る。 そこで寮の先輩で代議士の秘書をしている永田さんと出会う。 唯我独尊の彼独特の考え方があまりに独善的だ。 自分で自分の枠をはめている。それと原因を常に自分以外に 求めているが疑問だ。
寮に帰ると、新橋シノダ寿司の息子でヨーロッパで親しくなった 深井が遊びにくる。一時間ぐらい話し合って帰っていく。 スカイラインのGTだ。何かツマラナソウナ顔をしていた。 不安でたまらない感じだった。
夜半の一時に寝る。
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[199] トレード.オフ 2001/10/26
トレードとは野球のトレードである。 5名トレードすれば、5名首を切らなくてはならない。これがオフである。 ビジネスホテルのもっと合理化できる業態を考えた。カットできるもの、 和室、会議室、ツウィンである。そのぶんシングルの部屋数をとる。 これがトレードオフである。
ホット商品を早くコストカットして、安く、大量に生産、売り抜ける。 その時まずやるのが、トレードオフである。 まずはこれが基本である。
ファッションに10−4−2−1の原理がある。まずシーズン初めに種類を10を ばら撒き顧客の反応を見てすばやく4に絞る、そして2に最後は1に絞り上げていく。
これも時間を入れたトレードオフと言える。もう20年も前なので、 忘れたが衣料をやっていたとき、冬春夏秋と4シーズンその中に、導入期、最盛期、 仕上期がある。そうすると毎月がどれかにあたる。しかしその年に気候の変動がある。 それを読みながら、10−4−2−1をやっていた。 すこぶる面白いが、目先に捉われる。
自己評価としては5年近く手がけ、100点満点であった。 あまり長くやるとそのドタバタで自己を見失うと判断?丁度いい引き時であった。 しかし面白かった。とくにゲーム化が面白い。 朝礼で予算達成順に並べたり、その日の予算を達成すると、その部門の持ち曲を店内に 流したり、値札に可能な限りの暗号の情報を入れたりした。 仕入れ総量、原価、色別数量、値下げ時期の達成枚数、値札のカラー別による情報化 等々。少し本題からそれたが。
激烈な勝負の世界では、トレード・オフの繰り返しで、より強さを求めなくては 敗者になる。 アメリカのGEは先日のTVで、事業部門のトレード・オフを徹底的に くりかえしたために、今は超優良企業に変身したと特別報道を放送していた。
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