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2006年07月18日(火)
Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
霊・堀井四四太郎の日記−1
今日から、新しくデビューする 400年前の霊の堀井四四太郎である。 一瞬のうちに、現代の宗親の脳を読み取って、 現状把握できるので、現代の殆どのことは理解でる・・ ?σ(゜ー゜*) ゆ(you)~霊 ワシは、堀井宗親氏(うじ)の先祖である。 400年前には上杉家の家臣であったが、 謙信殿が亡くなった後の起きた御館の乱で、 上越から中越の小千谷の近郊に落ちてきた者。 その後百姓をして細々暮らして世を終えた。 霊?( ¬ _ ¬ )アホ!か
まあ、どう展開していくか宗親氏が歪めない限り面白くなるはずじゃ。 気が向いたら出てきて宗親氏の脳を借りて書かせるつもり! 何度も、宗親氏の夢を通してワシを出すように頼んだが、 何時も起きると忘れてしまうのだ。 でも、こうして現代の最新のHPに出して貰ったのだから、 霊界から好きなことを言わせてもらうからね!
霊界の仲間で言いたいことがある人(いや霊)が多いから、 その霊?も出てくると思うよ。 また楽しみにして!
ところで、さっそく言いたいことがある。 その辺の本に、いくらでも書いてあるが、人生って短いものだよ。 そして生きているうちだよ人生は。 霊界って悪いところではないけれど、刺激が無いね〜 娑婆って本当に刺激的で面白いけど、そのことに誰も気づいていないね。 死の間際になって、やっとそのことに気づくのさ!
(-""-;) (ー'`ー;) sira~ 「死んでしまえばそれまでよ!」と、 宗親氏(これから御前という)の父親が言っていたが、その通りなのだ。 といって、お金にも、仕事でも限界があって好き勝手には出来ないのも解るがね~、 いまさら遅いというかもしれないが・・・しかし、そうでもないよ! いくらでも娑婆の日常で面白いことがあるんだよ!
早朝に起きて近くの公園や土手など歩いてみなよ! 御前はしているからよいがね〜。 しかし、まだまだ楽しみ方が下手だね〜。
この情報化社会、まだまだ変わるよ! アチラから観ていると解るんだ! これからは携帯電話とパソコンが融合した面白い発信と受信が 気楽にできる面白い機器が出来てくるよ!現在もハシリがあるけどね。 ブログももっと変わってくるよ。 そういう点から見ても、御前は、あと20年は生きたほうが良いよ! 2006年7月5日ー記
霊日記ー2 (;´д`)ノキミワル!
前回は、久しぶりに娑婆に顔を出して少し緊張していたが、 今日はもうリラックスしているよ。
まあ、ワシの役割は宗親氏の思考のための雲 (まあ孫悟空の自由に飛びまわれる雲)の役割になれば良いと思ってね! 私の場合、もうこの世のものでない霊だからね。 自由に飛びまわれるんだ 400〜450年前の空間だけでなく、数千年も一瞬でいけるからね。
それとね、私と一緒にいると、 宗親氏(うじ)の因縁のある亡くなった人の霊と気楽に話せるんだ。 イメージでワシが、その人を連れてきて一緒に話す方法になるがね。 特に明方起きる20分か30分前と散歩時に、ワシを呼び出して、 父親にしろ、母親にしろ、誰かを連れてきてくれというと、 直に連れてくるからね、ただし一人だけだよ。
直接の因縁のない人は難しいの〜 でも、時には頼んでみればよいさ、たまには連れてくるかもしれないよ。 とにかく、みていると娑婆にとらわれすぎているよ、生きている連中は!
それと、モーニング・ページの自動書記をしている時も、 時々ワシを呼び出してみるとよい。 私のコーナーをつくったようだが、それもよいよ。
まあ、広大な宇宙の中で、こういう因縁でお互いに出会えたということは、 偶然ではないんだよ。 まさか、自分が400年後にこうして、娑婆に呼び出されるとはね〜 これは、お前さんの父親の因縁が大きいのだよ。 ワシを知ったのは、親父さんが家系を調べたからだろう。 そして、直系の私の名前が資料にあったのを、知ったためだろう。
父親も、死後それを直感で望んだから、こういう出会いができるのだ! そして、ワシという指導霊と出会うことになったのじゃ。 お前の守護霊は両親、特に父親の誠作が主の守護霊で、母親は従の守護霊じゃ。 そして、いま言ったとおり指導霊は私である。
特に、私の存在は小間使いを平気でするから、 お前にとって便利なはずだ。 とにかくワシは霊界から現代、娑婆をみているのだから。 −2006年07月06日12時50分 −この内容は、「霊界からの訪問者」という ブログで書き始めたものですー http://blogs.yahoo.co.jp/horii862000/12085895.html さむ~ ○=(≧Σ≦)へっくし ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
2005年07月18日(月) 1567, つれづれに
ー二ヶ月に一度ぐらい、全く随想日記のネタが無くなる時がある。 今がそうだ。 面倒になるのと、馬鹿馬鹿しくなる。 随想日記は毎日「独り言」をいっているようなものだ。 独り言に起承転結をつけていることになる。 思考には非常に有効なことが解っているし、 止めたら張り合いが無くなるのも解っている。 このお陰で目の前の人たちへの、言葉の攻撃が少なくなった。 しかし、そうそうネタが思いつかない。 ネタが無くなった後に、以前より多くのテーマが出てくるから不思議である。 全く違う分野に視点を向けざるを得なくなるからだろう。
ー昨日の「サンデープロジェクト」を見ていて呆れてしまった。 ゼネコンから送り込まれた代議士の「犯罪を犯して何が悪い!」 という開き直りの言葉には、空いた口が塞がらない。 この程度の連中が日本の中枢にいて、そしてTVに出てきて堂々と、 犯罪肯定をしているのだから何をかいわんやである。 談合を止めると多くのゼネコンが倒産するという論法である。 談合という犯罪で生き延びている方がおかしい。 泥棒を認めないと餓死者が出るというのと同じ論法だ。 奴らは犯罪者なのだ、それもマフィアなのだ。 この国は、犯罪組織が牛耳っている。 ゼネコンと、官僚と、政治家が犯罪システムを組んでいる汚職システムが 長年かけてつくられているのだ。 それが、情報化で抑えきれなくなった事態が現状である。
ー昨日、ダイエーに行ってみた。 閉店前の店というのは、もの悲しい何かがある。 ここが閉鎖されると、一挙に駅裏は寂れた雰囲気になる。 これに反して、信濃川をはさんだ川西地区には、 来年二つの大型SCがオープン予定である。
ー梅雨が明けたようだ。 雪と梅雨は日本の農業にとって大きな恵みとなる。 これから2ヶ月熱暑がつづく。
ー今日明日中に、旅行先を決めないと。 不景気ためか?気合が入らない。 といって、そろそろガス抜きも必要だ。
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2004年07月18日(日) 1202, 実存哲学(1) ー哲学について-17
実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。 最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。
実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る 伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに大きな影響を与えた。
哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。 「本質」から、「存在」への転換といってもよい。
実存という言葉は、中世スコラ哲学が 本質存在と対比させた事実存在という概念に由来する。 「〜である」に対応する概念が「本質存在」であり、 「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。 すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ 概念であり、サルトルはそれを「実存は本質にせんこうする」と表現した。
キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。 それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。 主体の哲学である。
人間が人間であることの特性や意味を哲学の対象としたことで、それまでの哲学 とは違った実存哲学が注目されるようになった。
それまでの古典哲学の代表者であるヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると ヘーゲル ー普遍性ー客観性ー抽象的 キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的 となる。
このキエルケゴールに対して、 サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定して 「実存が本質に先立つ」と主張をはじめた。 サルトルはー ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに 事実存在としてある、実存している。 この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。 それでは流されていてよいのかというと、そうではない。 受動的に決定されているだけの「何ものでない」わたしが、「何ものか」になるべく 自己を投企して、状況に主体的に関わっていくことこそ、真の実存のあり方である。 と主張した。
自分の「本質」を自ら生み出すような「決断」を自分に課して生きる必要がある、 といっているのだ。 サルトルは、人間は自分が生きるべき「理念」を想定し、それを実現するために 自由に決断する「自己投企」をする能力をもっているといっている。
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2003年07月18日(金) 835, 丁度よい
お前はお前で 丁度よい 顔も 身体も 名前も 姓も お前にそれは 丁度よい 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい 幸も 不幸も 喜びも 悲しみさえも 丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くなければ 良くもない お前にとって丁度よい 地獄へ行こうと 極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない 死ぬ月日さえも丁度よい 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない 南無阿弥陀仏 浄土真宗の篤信家ー藤場美津路 ・・・・・・・・・
ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、 そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。 「丁度よい」という言葉だそうだ。 ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、 それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。 ・うちの母ちゃん丁度よい ・今の仕事丁度よい ・今の悩み丁度よい ・今日の夕飯丁度よい ・リストラされて丁度よい? 等々、なるほどと感心をしてしまった。 考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。 まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。
早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。 この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。 「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が 少なくなる。諦観ということだろう。 『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、 何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。
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2002年07月18日(木) 460,スリにあう
海外旅行のトラブルでは「盗難と下痢」が一番問題となる。 今回の旅行で初めてスリにあった。 といっても家内の話である。
ユングフラウヨッホに登山列車でのぼった時にスラレタ。 頂上の売店で日本へ出す葉書の切手を買った。 その時らしいが、帰りの列車に乗ったとき気づいた。
その時はまだ落としたと思っていた。 雨と霧の為ハイキングは中止で、降りた駅で2時間ほど時間ができてしまった。 そこで国際電話でカードの中止の手続きをした後、売店に入った。 目の鋭い30歳ぐらいの白人女が、日本人のバッグを見ているのが目に付いた。 その時は、店の人が万引きの監視でもしているのだろうと思った。
そして店の外に出ると、グループの女性が2人騒いでいた。 店内でバッグの蓋が開けられていたという。 何かバッグのあたりがモゾモゾするので、手で触ると空いていたので 慌てて出てきたという。 違うもう一人の女性も、全く同じ状況で飛び出してきたという。
家内がその時やっと自分もすられた事にはじめて気づいたのだ。 そういえばユウグフラウの売店で買ったあとトイレに行った時、 バッグが空いているのに気づき不思議に思ったという。 その時はまだすられた事に気づかなかった。
万引きに気をつけてと添乗員に言われていたが、 まさか自分たちとは思ってもいなかった。 雑踏をしていて、気圧の関係で少し頭がボーッとしている その場は万引きの絶好の稼ぎ場である。 そして二度と顔を合わせない観光客ならさらに都合がよい。
カードの実損はなかったが3000円ぐらいの金が被害だった。
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2001年07月18日 旅行中
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