| 1808, ずっとやりたかたことを、やりなさい −1 |
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2006年03月16日(木)
(☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○ ー読書日記
図書館で何気なく借りてきて読んでみたが、 すばらしい本である。 早速、中古だがアマゾンで発注をした。 特に、「モーニング・ページ」の技法がよい。
自分の心のブロックなどを徹底的に見つめて, 気がつかなかった心の奥から知恵を引き出す合理的な手法である。 人生は自分の馬鹿の壁を一生かかって乗り越えていく 道筋であることを、この本が教えてくれる。 『夢日記』と同じくらい深い示唆がある。 (*^ー^)/C□~~ コーヒー ーまずは、訳者のこの本の紹介文であるー ジュリア・キャメロン著 菅 靖彦訳 サンマーク出版
人は誰でも、自分の中にアーティストの子どもを住まわせている。 その子どもを大切に養い育てれば、 創造的な生き生きとした人生を送ることができる。 どうすれば自分の中のアーティスト・チャイルドを育てることができるのだろう。 その疑問にきわめて具体的なプランをもって答えてくれるのが本書
『ずっとやりたかったことを、やりなさい』 (原題『the artist’s way』 )である。 著者のジュリア・キヤメロンは十五年以上も前から 創造性のワークショップを手がけており、 本書はそのワークショップの豊富な体験をもとに書き起こされている。 彼女自身、映画の脚本や監督を手がけ、 『ワシントン・ポスト』『ニューヨーク・タイムズ』『ローリング・ストーン』 などにいろいろな論説を載せているアーティストだ。
本書が最初に出版されたのは一九九二年のことだが、ほぼ十年近くたった現在でも、 ベストセラーの上位に名を連ねるほどの人気ぶりをしめしている。 自己啓発書としては、この十年でおそらくもっともよく売れている本の一つだろう。 なぜそれほどの人気の高さを維持しているかというと、本書に掲載されてい るプログラムを実践した多くの人々が、その効果を公に認めているからである。 世界最大のインターネット書店「アマゾン・コム」のサイトにも、本書によって 創造的な自分に目覚めたというメールが多数寄せられている。
日本でもよく知られている映画監督のマーティン・スコセッシは、 本書が自らの創造怯に触れるための貴重なツールであることを保証している。
しかし、本書で取り上げられている「創造性」が、「芸術家」だけがもてる 特別な資質ではないことを断っておきたい。 自由を保障された一人ひとりの人間が、個性的に自分らしく生きていくために 欠かせない資質として、著者は「創造性」を位置づけている。 自分をいかんなく発揮して生きるための必須の要素と、 創造性をみなしているのだ。 そのような意味で、本書はより充実した人生を送りたいと思っている すべての人に向けて書かれたものだといっていい。
本書はきわめて実用性の高い本である。 全体が十二週間の創造性開発のプログラムに分けられており、 読者が最初に紹介されている基本ツールを用いて、 自分一人でプログラムをこなしていける体裁になっている。 実際にどのように進めていけばいいかに関しては、本文に書いてあるので、 参考にしていただきたい。
何人かでスタディー・グループを組み、 いっしょにプログラムを進めていく方法もある。 その場合に注意すべきこととして、著者は次のような点をあげている。
�^貊鬼屬飽貪戞�二、三時間の集まりをもち、 一週分ずつプログラムをこなしていく。 モーニング・ページとアーティスト・デートは欠かさないこと。 モーニング・ページは他人に読んで聞かせるものではない。 自分でも、コースの後半にさしかかるまで、読み返さないように。
��会の進行をつかさどる進行役のような存在はいてもいいが、 グル的存在は認めないようにする。 グループ内に階級をつくらないこと。
��人の話をよく聞くこと。他人の話にコメントする必要はない。 人数が多い場合には、四人一組で輪を組み、体験を共有しあうとよい。
�い�互いに尊重しあうこと。
�ゼ�分に起こる変化を受け入れること。 自分や他人のプロセスを操作しようとしてはならない。
��進行役やグループが自分に向かないと思ったら、 あなたはいつでもやめる自由をもっていることを忘れないように。 自分でグループを組織するという方法もある。
訳者も長年、創造性というものに関心をもち、 さまざまなワークショップを手がけてきた。 本書の翻訳は、私自身が長い時間をかけて探求してきたことを 再確認する貴重な機会になった。 と同時に、自分の中で漠然としていたものの多くが、本書を通して、 より明確になったような気がする。
とりたてて創造性というものを考えたことがない方でも、 本書のプログラムを実践してみれば、生き生きとした自分を取り戻す きっかけになることを発見するだろう。 自分をもっと発揮して生きたいと思っている方は、 それぞれの生活の場で、ぜひ本書を実践的に活用してみてもらいたい。
菅 靖彦
− つづく ε(´',_c')зβyё ーーーーー
2005年03月16日(水) 1443, 孤独について−4
「孤独であるためのレッスン」 NHKブックスー諸富 祥彦 (著)を図書館で借りてきた読んだ。
過去に4回、随想日記に「孤独について」書いてきた。 この本はより掘り下げた`孤独であるためのレッスン'が主テーマである。 今流の言葉でいうと、「孤独力のつけ方」が大筋である。
「孤独力」には、 ・消極的な意味では、自分が他人の目に左右されずに生きる能力。 ・積極的な意味の「孤独力」は、自分自身と深く対話することの出来る能力。 深さの次元が、ここでは問題になる。 この「孤独力」が、楽しく生きるための大きな要素になる。
孤独はすばらしい。 孤独こそが人が人として生きる王道だと、孤独を賞賛し、 そして孤独を全うするには、 「自分を超えた地点から自分をながめるもうひとつの目を意識して その目を通じて自分をながめることができること」という。 {年二回の海外旅行は、その目を養うために行っている}といってもよい。
また、 「人は孤独なときだけ、精神の深みへ降りていける。 そして、本来の自己を探し当てることができる」と。
さらに、 「本来の自己を探し当てた人だけが、真に他者との出会いができる」と。 (逆に言うと、真の自己を見つけ出していない人は真の出会いができない、 ということ)子狐を嫌うのは真の自己の何かも知らない輩だからだ。
だから、 「寂しいからといって、ただ単に人と群れていたら、真の自分は見つけられない。 無理に人に合わせていたら、自分を見失ってしまう。群れない自由な孤独人たれ」と。
「ひとりだと感じているあなた。 人の中にはいりこめないと思っているあなた。 わずらわしい人間関係から、逃れたいけど、できないと思っているあなた。 孤独になることを恐れないで。 ひとりになって、本当に自分のやりたいことは何か、見つけ出して。..」と。 この本が語りかけてくる。
この中の<孤独であるための8つの条件>がよい。
1:「分かり合えない人とは、分かり合えないままでいい」と認める勇気を持て。
2:人間関係についての「歪んだ思い込み」やこだわりに気づけ。
3:自分の人生で「本当に大切な何か」を見つけよ。
4:「自分はまもなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
5:「たった一つの人生という作品」をどう作るか、絶えず空想しながら生きよ。
6:ソーシャルスキルを身につけよ。 他人の話を聴き、他人を認めよ。
7:「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守っていてくれている。」 そう思える人を見つめよ。
8:自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守る眼差し」を自分の中に育め。
人との距離感を適度に保つため、 むやみやたらと人に近づかないように、 相手との距離を保つためと考えた方が良いが。
P-172の文章が孤独について、わかりやすい要約になっている。
ー私はこれまで、こう述べてきました。 孤独を恐れるな。 孤独は、人生の普遍的な本質であり、人間であることの真実なのだから、 孤独であることを自ら積極的に引き受けよ。 人はみな、ひとりで生きていく。 この真実を深く引き受けたものだけが、自分自身と対話し、より深い心の知恵を 聴きながら、生きていくことが出来る。 自己との対話を絶えず積み重ねることでしか手に入れることのできない精神の厚みを、 増すことができる。
つまり、孤独な人間だけが、自分自身と対話し、自己と出会うことができる。 また、そのようにして、自分自身と出会い、自分の声を聴くことのできる孤独の 人間同士だけが、深く出会うことができる。
お互いのつながりや共通点を確認し、他者を排除することで自分の寂しさ不安を 打ち消すような表面的なつながり、もたれあいでなく、お互いの違いを前提とし、 どうしようもない解りあえなさを認め合う中で、それでも少しでもわかり合い、 響きあうような深い心と心の交流を持つことができる。 つまり、孤独な人間同士だけが、心の深いレベルで対話をし、交わり、出会うことができる。
孤独を癒すことができるのは、人とのつながりではない。 孤独を癒すことができる、ただ、一つの道。 それは、孤独から抜け出すことでなく、 より深く、より深く、その孤独を深めていくことだ。 もし、孤独を癒すことのできる人間関係がありうるとすれば、それは、 その関係の中で、お互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、 その関係の中で、お互いがますます深くますます深くひとりになり、 自分自身になりきることができるような人間関係しか、ありえないであろう。 ーーー この詩は孤独を恐れている心を 励ましてくれる。
【詩】ゲシュタルトの祈り
わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。
私はあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。
あなたは私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。
あなたはあなた。 わたしはわたし。
もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。
もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。
フレデリック・パールズ作 (ゲシュタルト療法の創始者) −−−
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2003/08/04 孤独について −3
『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、 それこそそれぞれの「独」を認め、かつ自分の「独」を大事にする言葉である。 『和して同ぜず』も母校の長岡高校の校是であるが、意味がほぼ同じだ。
孤独を特に感じるのは、一人旅であろう。 若い人のバックパッカーの聖書になっている沢木耕太郎の『深夜特急』 という小説に、「独り言をブツブツ言いながら一人、旅をしていた」と書いてあった。 サルトルのいう「即自」と「対自」の会話である。 青年期によく国内だが一人旅をした。 一人旅に出なくては精神のバランスが崩れてしまいそうであった。 帰ってくると何か大きなものによって満たされる感じがよかった。
旅行の最中は寂しいということは全く無かった。 誰かと対話をしていたのだろう。 旅は孤独のプラス面が一番よく出る異次元の世界に浸れる。 いま振りかってみて、「旅日記を克明につけておけばよかったのに」と悔やまれる。
「孤独」というキーワードで検索をしていたら、 脳性麻痺の青年のホームページが出てきた。 「孤独などと軽がるしく使うな!」とどやされたようだった。 口が聞けない人や、盲目の人の孤独感は想像すら出来ない。 私の強みは「孤独に強い」と思っていたが、とんでもないことと思い知った。
「孤独は人を殺さないが、絶望は人を殺す」 という言葉をアンドレ・マルローがいっているが、 孤独の中の絶望に潰されてしまうのが問題なのだ。 その時こそ愛読書が一番自分を癒してくれる。 大いなる孤独ー作家の心ーとの出会いが本を通じて可能になる。 孤独であればあるほどその邂逅が大きくなる。
いま一つの孤独で考えさせられるのが老人の孤独であろう。 結婚後、母と同居をしている時にトラブルが何回かあったときに、 母が「独り暮らしの孤独の知人がいっぱいいる。 彼等はどんなにトラブルがあっても、子供から離れてはならないと シミジミ言っている。我慢をしなくては」 とポツリと言った事があった。
知人に数人家庭内離婚者がいる。 ほとんどが浮気から出ているケースだ。 それでも離婚をして一人暮らしよりましの為だろうか。 一番嫌いなのは、孤独と孤立の違いも解らない輩だ。 群れたがる内なる羊である。
-------------------- 2003/07/16 孤独について −2
以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。 特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。 山の中の孤独というより、街の中の孤独である。 街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。 お互いの距離をおくことである。
ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。 1 独想 2 独学 3 独行 4 独遊 5 独創 6 独楽
これが出来るようになるには強い意志が必要だ。 創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。 独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで 嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。 そしてその起承転結を楽しむ。 しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。 二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。
孤独に耐えるためには、宗教が必要である。 日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルでみるとんでもないことだ。 欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。 スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して いない為である。 ーつづく ・・・・・・・・
2002年09月01日(日) 506, 孤独について
人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。 本質は孤独である。 学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、 禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]の私の問いに 「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに 気づくこと」と答えられた。全くそのとおりである。
若い時に大都会に出る必要性は、 大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくことである。 圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。
じっくりと孤独の厳しさを知ると ・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが! ・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。 ・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。 ・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。 ・孤独の賑やかを知る。
それを若い時にじっくり経験してないと、 「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、 どのようにしてよいか解らないで、 そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。 それか濡れ落ち葉になるしかない。 失敗の人生である。
地方にはこういう人が大部分だ。 仕方ないことだが?
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2004年03月16日(火) 1077, 三分間
スピーチ三分、カラオケ三分、電話三分、メッセージのやり取り三分、 スポーツでは、ボクシングが一ラウンド三分、相撲も土俵に上がって立合いまで 三分である。
数年前まで、公衆電話の料金が三分十円だった。 本の立ち読みも大体一冊三分である(私の場合だが)。
インスタントラーメンは、お湯を入れて三分である。 これは意味が違うか?我慢できる時間が三分ということか。
この随想日記の閲覧もユックリ読んで三分である。 これ以上だと、気持ちが他に移り変わってしまう。
集中の一ユニットが三分ということだろう。 効率面から考えると、三分の積み重ねをするのが合理的といえる。
会社の朝礼で「三分間スピーチ」を毎朝各人に持ち回りで するところがあるが、これは思考訓練と自己表現の場になる。
岡惚れ三年 本惚れ三月 思い遂げたが三分間 これは全く関係ないか。
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2003年03月16日(日) 711, キャッシュポイント
このシビアの言葉が気に入った! ヤクザが恐喝のネタを掴んで「これ脅せる、銭になる!」という瞬間が キャッシュポイントといってよい。。 人生の中で、自分では気がつかないポイントがあったはずだ。 私のごく身近の人に、集ることを人生のポイントにおいている人が数人いるが 「これをいっちゃお終いよ」の世界だが。 子供が資産を受け継いだその瞬間も、その人にとってキャッシュポイントである。
「キャッシュポイント」は、その人にとって経済的に豊かになってしまう、 豊かさの源泉のポイントである。これは誰にでも必ずある。 成功する人は人生のある時点でこのキャッシュポイントを見つけている。 この、「自分の内奥に眠る資産」を現金化する方法を見つけてしまえば恐れるものは ない。このキャッシュポイントをいかに探って掘り当てるかが重要なテーマである。 これを見つけ、実際にお金に変えることができると、この上ない幸福感を感じる。 本人にとっては「これでお金をもらっていいの?」と考えてしまう感覚である。 そういうものをどんどん掘り進めることがポイントになる。
しかしこのポイントは結果としてしか解らないことが多い。 この反語としての言葉、失禁ーいや失金ポイントがある。 私も何回かある、致命傷にならなかったから事業が生き延びているが。 キャッシュポイントより失金ー失敗ポイントのほうが厳しいのが現実である。 事業は14勝一敗では駄目で8勝7休の方が優先されなくてはならない世界である。 それまでの蓄積を一瞬に奪い去ってしまう。 上手くいった時も失敗した時も、そのポイントにいきつくまでの準備に全ての 原因が含まれている。
この言葉はチャンスポイントとも言い換える事ができる。 チャンスはそうあるものでない。やはり準備をしっかりしておかなくては その一瞬を捉えることができない。 このキーワードをレンズとして過去を振り返ってみると面白い。 やはり自分の意志がチャンスポイントをつくっていることが解る。 逆に危機ポイントをみてみると、その裏腹である。 チャンスは危機であり、危機はチャンスでもある。
・・・・・・ ・・・・・・ <お笑い>
「三年峠」
三年峠で転ぶと3年で死ぬという。 そこで転んで泣いて帰ってきた。
「どうしようこのままじゃ3年で死ぬ」
それを聞いた男 「戻っていって20〜30回 転んで来い!」
・・・・・・
「27・27・27」
ニューヨーク のハレムで「27・27・27」と楽しそうに マンホールのうえを飛び上がっている黒人がいた。
そこをとうりかかった白人が不思議がって、どうしてそんな楽しいのかと尋ねた。 そして俺にもやらせろと言った。 そして「27・27・27」とその上で飛び跳ねた。
その瞬間黒人はそのマンホールの蓋をひいた。 そして再びその蓋の上で「28・28.28」
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