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2005年08月27日(土)
仏教思想家 ひろさちや の文章の一節の問いかけに考えさせられた。 「人生の危機」と「生活の危機」を混同してきたので、 改めて「人生の危機」について考えてみた。
ーまずは、彼の文章の一節を書き写してみよう。
わたしは「人生の危機」といったものを、「生活の危機」と混同していた。 病気をしたり、会社を首になったり、破産することが「人生の危機」だと 思われているが、なに、それらは「生活の危機」でしかない。 「人生の危機」とは、そんなものじゃないはずだ。
それは、人間は何のために生きているか、 その意味がわからなくなったときである。 「俺は何のために生きているのか」 「俺の人生に何の意味があるのだ」 「俺という人間がこの世にいようといまいと、地球にとって何の変わりもない。 俺という人間に何の価値もないんじゃないか・・・?」 そんな考えを持ったとき、それが人生の危機である。
わたしの危機は学生時代であった。 何のために大学に来ているのか? 何のために生きているのか? わからなくなった。 色いろな哲学書などを読んでいたが、その疑問に答えてくれる本は無かった。 人生の危機であった。
そんな時、サマーセット・モームの「人間の絆」を読んだ。 二度目にモームを読んだとき、モームがわたしに、 「人間は何のために生きるか」を教えてくれた。 この作品の中でモームは、 「人間の歴史」を知りたいと思った東方のある王様 アネクドートを紹介している。 賢者に命じて500巻の書物をあつめさせるが、国王はそれを読む時間が無い。 最終的には学者に「人間の歴史」をたった一行の文章にまとめさせた。
そこのところを引用する。 <・・・・賢者は、人間の歴史を、わずか一行にして申し上げた。 こうだった。人間は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、と。 人生の意味など、そんなものは、何もない。 そして人間の一生もまた、何の役にもたたないのだ。 彼が生まれてこようが、来なかろうが、生きていようが、死んでしまおうと、 そんなことは、一切なんの影響もない。 生も無意味、死もまた無意味なのだ。>
こう気づいたと同時に「人間の絆」の主人公は楽になる。 <今こそ責任の最後の重荷が、取り除かれたような気がした。 そしてはじめて、完全な自由を感じたのであった。 彼の人生の無意味さが、かえって一種の力に変わった。 そして今までは、迫害をされてばかりいるように思った冷酷な運命と、 今や突然、対等な立場に立ったような気がしてきた。 というのは、一度人生が無意味と決まれば、 世界は、その冷酷さを奪われたも同然だったからだ>
この主人公と同じように、私も楽になった。 人生は無意味である。 人間の存在価値などない。 そう考えるなら、大金持ちになろうが、ホームレスになろうが、 成功しようが、失敗しようが、全くなんの意味もない。 どう生きようが、どうせ無意味な人生なのだから、全く自由である。 自由であるということは、世間の都合ではなく、まさに自分に由って生きることだ。 そこでわたしは、そういう悟りを開いたのだ。 これはわたしの大発見であった。 ーーー
以上が、その抜粋した一節である。 何か、ズバリと一番の核心を突く鋭い内容だ。 全てが的を得ているとは言えないが、こういう見方もあるのだ。
「夜と霧」のフランクルの<人生の意味>を考えてみて、 その背後にある、人間の究極の意味も軽くみることはできない。 世間的な価値観に縛られているなら、むしろ全く人生の意味は無いと断じたほうがよい。 究極の人生の価値を探すなら、フランクルの人生の意味が的を得ているといえよう。
「人生は無意味、人間の存在価値などない!」も的を得ているのも事実である。 この一節で何か肩の荷が下りたような気持ちである。 自分の人生の点数を80点と決めつけ、思い込んでいた軽さを自覚させてくれた。 自分の人生の評価など0点である。 そして人生など0点でよいのである。
世間とか親から植え付けられた前提から自由になることだ。 仕事は、その自由を金銭で契約することだ。
以前、怪僧?の暁烏敏が校長の集会でのこと。 「人生について」講演で、すたすたと出てきて僅か数秒、 「人生は、飯喰って、糞たれて、死ぬだけです。終わり!」 と言って、壇上を降りていった。 校長達は騒然となったとか。 何か、この「人生なぞ何に意味も無い」に通じるようである。
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2004年08月27日(金) 1242.お笑いコーナー
ー今日のお笑い−6
ある男、酔ったあげく、友人に新築の家を見せるといってきかない。 友人は男に言われるまましぶしぶその家へ入った。 「みろ、あのシャンデリアを。あれは俺のだ!」 「みろ、あのグランドピアノを。あれも俺のだ!」 男はそう自慢しながら家中を歩きまわった。そして2階へ上がって、 「みろ、あのキングサイズのダブルベッドを。あれも俺のだ!」 「みろ、裸で寝ているあの美しい女を。あれは俺の妻だ!」
「みろ、一緒に寝ているあの男を。あれは俺だ!」
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映画女優のザ・ザ・ガボールは身の上相談の名回答者としても人気があった。
質問1「ガボール様、私はこの四年間一人の男性と婚約しておりました。 その間、彼は美しいミンクのコート、たくさんの宝石、豪華な肌着、馬一頭、 ストーブ一個、外国製の車をくれました。ところが急に婚約がダメになりました。 どうしたらよいと思いますか?」
ガボールの答「ストーブ一個返しなさい」
質問2「ガボール様、私はとてもチャーミングでハンサムな男性と付き合って おりました。彼はオクラホマに百以上の油井と、コロラドに金鉱の山を持っています。 とても気前のよい方なのですが、近頃私に興味を失ったようなのです。 どうしたらよいのかお教えくださいませ」
ガボールの答「たいへん重大な問題をお抱えのようです。 百以上の油井と金山と言われましたね?どうも私が個人的にその方を どうにかしなければならないようです。 その人の名前と住所を至急お知らせ下さい」
質問3「私の彼氏は、私のことをののしったり、酒を飲んだり、煙草を吸ったりします。 どうしたら直せるでしょうか?」
ガボールの答「直そうとしてはいけません。 私の知ってるある女性が、交際している男性に、喫煙、飲酒、賭博などを やめさせようとしました。 ところがどうにか成功した時は、その男性が、彼女は自分にふさわしい女性では ないと決心してしまったからです」
2003年08月27日(水) 875, 「ライフスタイル革命」 ー(4)
この本を読んで数日前から、食事のとり方を変え始めた。 独りでは不可能で、まずは家内の協力が必要だ。 直に今までの食事内容を変えることは不可能のことは解っている。
まずは朝食後に果物を食べていたのを、食事前に変えた。 次に冷蔵庫にミックスジュースのパックを入れておいて、やはり食事前 に飲むことにした。
次は昼飯である。 今までいっていた店のメニューで果物かジュースを置いてある店が 一軒だけあった。バイキング方式の店である 880円と少し高いが、バイキングの中にデザートがあった。 早速昨日の昼飯にいってみた。 バイキングは食事の組み合わせを自分できるのがミソだ。 次の順で口に入れた ・グレープにブドウの巨峰があった。それを4切れずつ食べ、 ・次に野菜サラダ ・そして冷やし中華 ・最後にホタテのフライと、鶏肉のから揚げを一個ずつ ・後はから揚げに添えてあったミニトマトと茄子の煮込んだもの ・最後は冷やしコーヒーを飲んだ ご飯と味噌汁はとらなかった。
普通なら ・まずはご飯と味噌汁 ・鶏肉のから揚げを2個とイカのフライ2個 ・タクアンと野沢菜 ・うどん ・果物とミニケーキ ・最後に冷たいコーヒー
今まではその店には月に一回位しか行かなかった。 いつも胃にもたれて、一度行くと当分行きたくなくなるのだ。 しかし昨日は食べ終わった後は、嘘みたいにスッキリした食後感であった。 これなら週一日は行ける。あと4日分を探さなくてはならない。 いずれにしても、一ヶ月間は大胆に?店探しをしてみるのも面白い。 一日は回転寿司で二皿を野菜ものをたのむとか。 あと三日は、どこかで女性向のランチか何かを探せばよいか。 ゲームと思って昼飯さがしをしてみよう。 まあ暇ということだ。
夜は、飲みに行かない日のアルコールの量を減らすことだ。 果物か野菜をまず口に入れる習慣も大事だ。 今更もう遅いが、やらないよりはずっとよいはずだ。 まあ半年から一年がかりになるが、ウオーキングに劣らないぐらい 大事な習慣づけになる。
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2002年08月27日(火) 501,[10.4.2.1の法則]
「エッ!こんな法則聞いたことない」と、経済原則などの 理屈好きの人は興味を示すだろう。
これはチェーン理論のペガサスクラブの渥美先生が「仕入れ原則セミナー」 で教えてくれた原則である。 販売で、特にファッションの販売で使える原則だ。 ワンシーズン3ヶ月の中で導入期、最盛期、仕上げ期がある。 仕上げと次のシーズンとダブルが、大体これを頭において商品を仕入れる。
はじめの導入期に10と横に広げる。 そして何が今シーズンあたるか様子を見る。 いろいろな餌を撒いてみる。その反応を見ながら、6割をカットして、 4割の商品に絞り。それをさらに絞込み2割の商品に絞り、 最後は1割の商品に絞り、そこに在庫を積み上げる。 早くホット商品を探しだし、在庫構成を代えていく。
死に筋を素早く探し見切って、売り場をホット商品に変えるかが 利益を生み出す源泉になる。 これは今、コンビニでABC分析が徹底的に行われている。 常にホット商品で売場を構成しなくては競争に負けるからだ。 「10.4.2.1」はABC分析の具体的法則といってよい。
この原則をいち早く取り入れて徹底した。 それを含めて衣料量販店を任された時、巧く利益を出すことができた。 あとは値札に如何に情報を入れ込み、死に筋のカットに全力を入れた。
何事も素早く「原理原則の知識」を仕入れシステム化をする事 がポイントだ。 これを書いていて、何事にも使えそうな原則ではないかと考えてみた。 人間関係にしても、人生の過ごし方にしてもだ。
まず何事も経験し、いろいろな人に接し、その中で自分にとっての 最後の一に絞っていく。そのためにまずは十という量・種類を経験してみる。 そして最後には一番重要なものに絞っていく。 本もしかり色々の分野を読みながら、最終的に自分の適した分野に 絞っていく。
ーーーーーー 2001年08月27日(月) [122] 虎穴問答
25歳のころ、金沢のいとはん(現北陸ジャスコ)にいた。 会社もおかしくなりかけ、西友と資本提携し会社全体が暗い混乱状態であった。 当然中途採用で、お互いの疑心暗鬼等でいやなことの連続であった。
2度目の会社でそう簡単に辞めることもできない追い詰められた状態であった。 その時本屋で大本教の出口王二三郎の本に虎穴問答があった。
「虎穴におちてしまった、逃げ出すことができない、でも助かる方法ひとつある。 なにか?自分から食われてしまう事だ。そこには愛と誇りが残る!」
第二次大戦のとき、大きくなりすぎた大本教の弾圧が始まり、裁判で自分の 弁護にこの問答を裁判長に言うくだりの話であった。
追い詰めれどうにもならない時は、その運命に積極的に身を委ねてしまうことだ。 今まで色々な事があったが、このとき得た体験とこの問答は忘れることができない
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