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2005年05月06日(金)
「どうせ死んでしまう」−1 ー読書日記ー ー私は哲学病ー
究極の、刹那的な言葉といえば [どうせ死んでしまう]である。 「これを言っちゃーお終いよ」という言葉である。 しかし、尽きるところ、それである。
「いま」を考える時、キーワードとして 「永遠」がある。 しかし、「どうせ死んでしまう」という言葉を考えると 「永遠」と「いま」という言葉に行当たる。
生は限られている。 所詮はどうせ死んでしまうのである。 それがハッキリしているから、いろいろな問題が発生するのだ。
個々人にとって、自分の死が基点になる。 自分にとって自分の死が大ごとで、全てといってよい。 目前に死を覚悟した時、「いま」という瞬間に気持ちが集中する。 そして、その一瞬一瞬に永遠を感じる。 最後と覚悟した花火や花見の中に永遠を見るのである。
その死にたいして誰もが根本的に不安がある。 その不安はどこまでも付きまとうものである。
その不安に対して、宗教が昔から死の向こうに来世を設定をして 人々の心に秩序を与えようとしてきた。 しかし、来世だけでは理屈に合わない。 現世にも秩序ある生と死の意味をつくらなければならなくなった。 哲学は、それを言葉で徹底的に追求しなくてはならない。
この人(中島)の哲学視点はリアルで露悪的であるが、 その辺が私は好きなのだ。
以下は、面白そうなところを抜粋してみた。 この連休の暇つぶしに、パソコンに打ち込むのに丁度良い。
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・・・学問や芸術に専念しているものたちよ、 あるいは社会的に有益なことをしていると自覚している人々よ、 なかでもその仕事が世間的にわずかでも評価されて幸せを感じている輩よ、 いちどすべてを無理にでも反省してみたらいかがであろう。 そのために費やした膨大な時間(青春)は、 はたして無駄ではなかったのか。 あなたがそれをする必要があったのか。 あなたがしなければ、何か困ることでもあったのか。 あなたがしなければ、 ほかの誰かが(ずっとうまく)し遂げたのではあるまいか。 つまり、その仕事は、あなたにとってのみ、 あなたの生き甲斐としてのみ重要だったのではあるまいか。 ・・・・明日でも死んでしまうかもしれないあなたは、もっと欲深くなければならない。 あなたのしたいことは、善人たちの生暖かい吐息を吹きかけられ、 静かに満足をして死んでいくことだけなのか。そうであるはずがない。 あなたの欲望の火をふたたび燃え上がらせよう。 そして、悪魔と契約をして、少年のようにあらたに冒険の旅をでよう。 たとえあなたを待つものが壮絶な死であろうとも。
・・・・・・賢い人達は、狂気の手前で真理に突き進むことをやめる。 あっさり真理をあきらめて、自らの心の安寧を保つために休養に入る。 しかし、真に哲学をするものはそうであってはならない。 人の真のあり方は、狂気と引き替えにようやく手に入れることが 出来るようなものである。 それは、もともとわれわれの肉体を焦がして激痛で飛び上がらせる灼熱の玉なのだ。
いま地上の生息している数十億の人々もみんな死ぬ。一人残らず。 しかも、一回限りの自分の固有の死を死ぬ。大変なことである。 だが、人は直視しようとはしない。 そして、マイホームの建設に、自分の昇進に、息子の進学に、失業対策に、 9・11以降の世界情勢に、未来の地球環境建設にかまけている。 もう少しで、自分が地上から姿を消してしまうのに! ハイデッガーは、悪趣味なことに、忘れようとしている[死]を 各々の鼻先につきつけて「みろ!」と叫ぶのだ。
みんな、人生がはてしなく理不尽であり残酷であること、 [自分が死すべもの]であることを味わい尽くそう。 そして、悪魔の声にしっかり耳を傾けて、まっすぐに没落していこう!
ーーー 「どうせ死んでしまう」 角川書店 中島義道著 目次
1 死(K君へ どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではならないのか 自殺してはいけない理由 ほか) 2 悪と反抗(根本悪について 金に対する原罪 テロと哲学 ほか) 3 隠遁(どんな仕事も虚しい 組織に埋没してはならない ひきこもりの技術 ほか)
ーーーーーーーー 2003/01/06 不幸論ー中島義道
図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い内容であった。
幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて 不幸論を書いている。しかしあくまでも幸福論の批判であって、 不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。
しかし不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に浮かび 上がらせて理解するのに良い。 幸福の構造は 1、自分の特定の欲望がかなえられていること 2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること 3、その欲望が世間から承認されていること 4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと 特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。
幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。 「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」 バランスが問題になるだろうが。
最近の幸福論としてヒルティやアランである。 ・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ ・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう 集約するとこんなものだろう。
私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという 達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。 愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福 という単純なものだ。 しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるかと考えると、 その前に粟粒でしかない。
この不幸論の一番気にいったところを抜粋した ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。 彼(女)は、 ・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。 ・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたもの でないことを、それは考え方を変えることで誰の足元にもころがっているという、 壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。
これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。 幸福そのものが虚妄なのではない。 幸福そのものが、じつはあまりにも高いところに位置する。 幸福が安直に手に入ると思う事が、虚妄なのである。
各人の幸福は自分の五感で探すしかない。 そしてヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの人生と格闘した後に、 とうてい到達できない事を知って、絶望するほかない。 こういうことを悟った者は幸福でない。 しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。
以上がだいたい彼がこの本で貫いている主張の要旨だ。 私の今の気持ちー敢えて気持ちと書くーは以下である。 両親や身近な人の死に様や生涯をみて、 一生かかって何かをやり終えた人生そのものの判断を幸・不幸という言葉で 論じるべきでない。 それは酔ってる気分の状態を論じているにすぎない。 「酔って気持ちが良いか、悪いかの」 まあ幸不幸は考えないのが一番良い??
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2003/02/22 人生の「かたち」 ーいやなことはやらない!
51歳になった年に、母を見送り(88歳で死亡)、下の子供が大学に入学。 事業では新潟駅前で500室の客室数の完成で、人生の丁度目安がついた年ー 人生の分岐点の年であった。 その時に、「好きな事をやり、厭なことは可能な限りやらない」という方針をたてた。
ところが同じような記事が産経新聞に出ていた。 哲学者の中島義道・・・・
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2004年05月06日(木) 1129, 「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」−2 谷沢永一 2000/10/19 PHP研究所』
二年前に書いた文章の続編である。 図書館で借りてきて、返してしまったために中断をしていた。 先日おなじ本を借りてきて、以前書いたことを思い出し、検索をかけたところ、 二年前に書いてあった。
『しなくてよいこと』は、『すべきこと』より知っておくべきことと、 前の文章(あとでコピー)を読み返して、つくづく思った。 知っていれば、しないでよい苦労を避けることができる。 こういう知識に対して無知の人があまりに多い。 他人事でないが。 『すべきこと』も、まったくそのとおりである。
ー以下は 「すべきこと、しなくてよいこと、してはいけないこと」の抜粋である。
ーすべきこと(抜粋) ・真の友をもつ ・人生設計を立てる ・生きるためのお金を得る ・本を読む ・夢をもつ ・感動 ・人生のブレーンをもつ ・結婚 ・趣味を持つ ・前向きに生きる ・一人旅 ・音楽を聴く ・失敗を経験する and etc. ーしなくていいこと(抜粋) ・分相応 ・世間体をつくろう ・他人と比べる ・出世競争 ・嫉妬 ・功績を誇る ・不正をただす ・自分の過去をクヨクヨ思う and etc.
ーしてはいけないこと(全項目) ・言行の不一致 ・頼み事 ・金を借りる ・子供を私物化する ・自分がされたくないことを人にする ・運のない人とつきあう ・卑屈な生き方 ・自分の欠点をかなしむ ・マイナス条件を数え上げる ・知識を誇る ・嘘をつく
ー後記 ・お金を、知人から借りることは私の常識外なのだが、 以外と平気で借りにくる人がいる。 そこに甘さが、ありありと出ているのが本人には判らないのだろう。 ・「運のない人とつきあう」これも然りである。 冷たいようだが、絶対に近づけてならない。 必ず酷い目にあう。周辺の人を巻き込んでしまうのだ。 自分が不遇の時は、逆に人に近づかないことだ。 ・「知識を誇る」も、ひとつ間違えばしてしまうことだ。 この随想日記も、それに近い行為なのかもしれない。 自分の知識蔵庫として貯めこんでいるのだが、知らないうちに『誇って』 いるのかもしれない。 「随想なんて、けっきょくは自慢話でしかない」と誰かが看破していたが。 ・・・・・・・・・ 2002年01月30日(水) 316,「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」ー(1) 一生のうちしなくていいこと
谷沢永一の 「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」を図書館で借りてきて、 目を通した。当たり前のことが大部分だが、
ーシナクテいいことから挙げると ・「隣人と親しくする」- -「近くの人ほど距離を置け」と父も同じ事を言っていた。 ・世間体をつくろう ・他人との比較 ・出世競争 ・パーテーの参加 ・嫉妬 ・盛大な葬式ーこれに私は結婚式を挙げたい! ・功績を誇ることーそう嫉妬して見える、見る人の視点は別 ・お金の執着ー稼ぎと使いのバランスが大事 ・自分の過去をクヨクヨ思う 10年前、30年前の事をまだクヨクヨしている。 「恨んだ相手は高いびき」という言葉があるが、高笑いであろう。 ・頼みごとをする。人脈を頼みごとのできる人間関係と信じて疑ってない。 不幸な人の特性が、これである事を最近知った!ー依存性 離婚や事業で失敗した人は依存タイプが多い。 ・借金ー事業で借金以外、恥じである。 ・子供の私物化ーこのあたりがその人品の決め手といってよい。 ・運のない人とのつきあいー運のない男ほど、巧妙に電話をかけてくる。 「??」など、ストリーを作ってくる。 ・卑屈な生き方ー人間皆持っている要素、要はそのコントロール。 いまひとつ卑屈な人間ーに近づかない、近づけない。 共通要素は、仕事に恵まれてない人で、オベッカの上手い人間。 そう、どこにもいる、あの男!
こういうと、自慢かもしれないが、ほぼ全部クリアーしている。 何処かの「同?会」の連中、「ほぼ上記の連中が過半数」をしめている! どこかの街?の大部分は、 「上記をそのまま人間にしてしまった」といってよい。 いや日本人の特質か?
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2003年05月06日(火) 762, あるホームページ
たまたまネットサーフィンしていたらあるホームページに行き当たった。 先日のこのホームページのサロンで紹介したMainDish である。(これで検索を打ち込めばでてくる) 私がホームページを開いた一昨年の5月から始まっている。 毎晩の夕食は主婦なら誰もがつくるものである。 それを写真に撮り、時にレシピを載せるから素晴らしい。 2年間で20万のアクセスがあったというから、一日300〜400人が 見ていることになる。本人も楽しいだろしやる気も出てくるだろう。 見ていて、あまり興味のない私でも料理を通して気持ちが伝わってくる。 これを上手く分類をすれば「夕飯おかず事典」ができてしまう。 好きな事を楽しんで続ければいろいろの可能性が出てくる見本だろう。 このMainDishのホームページから学んだことは、何げない事の中にある ヒントとその継続の重要性である。
写真の好きな人がホームページをつくって載せたり、「子育て日記」も、 写真入で続ければ、その子供自身のよい記念としての贈り物になる。 それぞれの人が、その立場で自分を表現できる時代になったことが 情報化社会の特徴である。 私の場合は、今まで人に誤解されたしまうのが「言葉」である。 しかしこのように書くことによって、「自分にとっての本当のこと」を 「本当以前のこと」から生み出すことになっている。 自分の中のカオスー混沌から、本当のことをカタチ創っていることだ。
少し難しくなったので料理の話に戻すが、ホームページは生の自分を 曝け出す発信基地であり、曝け出す事によって自分のカオスから 日々新しい自分を対象ー料理・日記・・・を通して創り出す場にもなる。 日々続く何げない日常の夕飯が、視点の変換によって、 毎日のささやかな?社会貢献と生きがいになる。 面白い時代だ! ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ 2002年05月06日(月) 398,新潟駅前界隈ー2
ほとんどの店(飲食店)が瀕死の状態である。 止めるに止められない状態といってよい。
以前から私は個人で飲むときは、一軒目は3500円が最高限度である。 二軒目も4000円か5000円止まりである。 彼らに馬鹿にされたものだ「3500円までの男」とか言われて。
でも今は一般に3000円で9時までどう過ごすかが、 一般の飲む基準になっているという、それも週一度。
店主の役割は「客の視線で店を見なくてはならない」が、 彼らは自分の都合でお客を見ている。 殆どの店が死に瀕しても、その視線を捨てる事が出来ない。 さっさと潰れろといいたい、まさか目の前で言うわけにいかないが。
彼らに聞いた事だが、自分に生命保険をかけて失敗したら死んで 借金を返す世界があるという。 飲食の世界はまだそういう信じられない世界が残っているという? ママつきの店の売り物ー金ずるのオーナーが倒産ー そうすると、そういうオーナー探しをする世界があるという。
一回だが何処かのママに言われたことがある 「あのこオーナー探しているんだって、あんたどう?」 それが金があれば考えてもいいような絶世の美女! 違う世界の話しでしかない。
やり手のママは・実際の彼氏に・オナーに・お客数名の 男を持ち、それを鵜のように使い分けるというが?
しかし意外と半数以上は真面目な実直の人が多い。 永くやるにはそうでなくては続ける事が出来ないのだろう。
以前新潟駅前を書いた文章をコピーしておく。 ーーーーーーーーーーーー H0603ゴネ社会のカラス達
ラジオで鳥学者のカラスの習性という話題の中で印象的な話があった。 “牛の出産時に、ただ対象が弱味を見せている、というだけでおそいかかり、 時には牛が出血で死んでしまうケースが多々ある。”
この新潟駅前花園地区近辺は、ゼネコン関係者の間でも鬼門になっている位、 そのカラス的習性人種のたまり場で有名の地区という。 飲食関係者とかミニオーナー達が 「自分達も何かゴネ社会でチャンスがあればタカってやろう」 とうごめいている。全く関係のないところまで出向き、口を出し?をせびる。 その為にそのカラス達は飲食組合や、町内会の役員をまずねらうという。
考えてみれば今の小物代議士(政治業界のたかり屋)と全く同じ手口だ。 今回の工事でもその代表的カラスが何匹かさわぎかけた。 但し今回は比較的うまう納まったが。 第二増築工事の時は、近隣のオーナーに停年退職期のウサを、 すべて工事妨害にたたきつけられてしまった。 (店子にあいさつに行きオーナーになかったという理由で)
隣地の工事等の妨害は相手は数十倍いや数百倍こたえる。 当然その怒りは形を変えて数倍も攻撃する事となった。 隣地の攻撃は後ほど有利になるのだ。 これがわかってないから目前の相手を攻撃してしまうのだ。
“隣地境界は絶対に攻撃してはならない” あたり前の事がどうしてわからないのか。 人間の心の中にサド的なものが、 悪魔が秘んでいると工事の度に思いしらされる。
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2001年05月06日(日) ホームページの可能性
ホームページを開設して感じた事は自身の大きな変化の予感である。 貧しい?内面と過去の公開といってよい。 特に日記の公開のこのコーナーは恐くおもしろそうだ。 もしHP−ホームページの改良を重ねていくと、数年後はおそらく最後にコピーした 久垣啓一氏の実感に近ずくのではなかろうか。 個人の発信というのがこれからのキーワードなってくるだろう。 これに映像が加われば今の常識で考えられない世界が広がってくるだろう。 どうなっていくか楽しみだ。
−>−>−> ホームページとは (久垣啓一) ホームページは、重層的な関係の中に浮かぶ開かれた自分そのものである。 ホームページは、情報への感度を飛躍的に高める。 ホームページは、豊かな時間を演出してくれる。 ホームページは、コミュニケーション能力を高めてくれる。 ホームページは、出会いと感動の宝庫である。 ホームページは、巨大なデータベースである。 ホームページは、巨大な渦巻きの中心である。 ホームページは、どらえもんの「どこでもドア」である。 ホームページは、生きる喜びを与えてくれる。 ホームページは、家族の関係を豊かにする。
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<おわらい>
ー紅茶の注文
ユダヤ人が三人、レストランで注文した。
「私には紅茶をくれ」
「僕は紅茶にレモンを付けてきてくれ」
「私も紅茶にするが、カップはよく洗ってきてくれよ」
しばらくして、ボーイが紅茶を三人前運んできて言った。
「洗ったカップはどちら様でございましょうか?」
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