堀井On-Line



1334, 「おカネの発想法」ー読書日記

2004年11月27日(土)



父が末期ガンで死期を悟った時、私に意味深のことを言ったことを思い出す。
「紙に一千万と書いて、この一千万と通帳の一千万と自分にとって何が違うだろうか。
今さら一千万の現金を手にとって使おうとしても何に使えない」と。

死を目前にした父にとって、いくら現金があろうが、それが何にもならない。
お金も、元気なうちに使わなくては価値がない。
「使えるから価値があるので、使えないのは価値がないのと同じである!」
と言いたかったのだろう。

好きな事業をしてきて、地方としては戦前・戦後と二つの時代に渡って成功をしてきた
人である。そして、道楽も幾つか持ち人の数倍も人生を楽しんでいた。

「全く同じ人生を、いま一度生まれてきた繰り返したい!」
が、父の最期の口ぐせになっていた。

父は事業の恐ろしさを知り尽くしていたので、最悪のヘッジとして
不動産や、証券や、古道具や、現金にして溜め込んでいた。
しかし死を目前にして、何だったのか疑問を持ってしまったようだ。

反面、事業をしていると、資金は命の次に大事であるとを思い知る。
会社の血液である。
「ある日突然、思いもよらない時代の激変が起こって裸になってしまう!」
ことが、経営の宿命である。
そのため、経営はそれに備えて置かなくてはならない。

しかし、あるところまで生きてきたら、生き方そのものを転換をしなくては
ならないことを、その時に父から教えてもらった。
 
 ーーー

ーーこの本の印象に残ったところを抜粋してみる。

ーあなたは、おカネである金貨を大きな袋に詰め込んで船に乗り込んでいます。

ところが、乗っていた船が激しい嵐に襲われて、船を捨てて避難しなくては

ならなくなりました。そこであなたは、金貨の袋を腰にくくりつけて、

海にとびこみました。

海底に沈んでいきながら、あなたは人生を振り返りこう思い悩みます。

私はお金を所有していたのか、

それとも、お金が自分を所有していたのだろうか、・・・と。

お金は所有するものであって、所有されるものではありません。

お金に振り回されないためにも、お金を所有することの向こうにあるはずの

リアルなコミュニティの重要性に気づくべきです。

ーーー
ーヤップ島の石のおカネの話と我われの通貨とどこが違うというのか。

ヤップ島には、車輪のついた乗り物がなかった。

したがって、道路も整備されていなかった。

そこで、、1898年にドイツ政府がコロリン諸島をスペイン政府から買取り、

所有権を引き継いだ時、荒れ果てた道を修繕するように通達を出しました。

ところが、全然修繕が進みません。

そこで、ヤップ島の通貨として指定したドイツマルクで金を取ろうしたが、

島民達は、笑うだけで自ら修繕しようとしません。

そこで一計を案じました。

通達を出した村や町に役人を送ると、価値ありそうな現地の通貨の

「フェイ」に「×印」をつけて、政府所有にしたのです。

この政策がウソのように効果をあげ、ドイツマルクに対して、

何とも思わなかった島民は「フェイ」を失ったことを悲観して、ひっしに働きだした。

修繕が終わると、政府は「フェイ」に書かれた「×印」を消して回りました。

島民たちは、自分達の財産が戻ってきたことを心から喜んだという。

ヤップ島のひとを笑うのは自由だが、本当に笑えるだろうか。

というのは、私達がお金と信じている預金通帳のデーターも、

本質的には「フェイ」に書かれた「×印」と大同小異だからだ。

ーーー

ー1930年代の前半、まだおカネと貴金属がリンクをしていた時のこと。

フランスの中央銀行は、金塊一オンス20ドル67セントという従来の

価格では、アメリカが金本位制度を堅持できないかと懸念を抱いていた。

そこで、フランス中央銀行は、アメリカで所有しているドル資産と

金塊を交換するようにニューヨーク連邦準備銀行に持ちかけました。

もっとも、金塊を海を越えて搬送するわけでなく、ドル預金を

引き落とす代わりに、ニューヨーク連銀に開設してある

フランス中央銀行名義の口座に移管するだけのことです。

この求めに応じた連銀は金塊の貯蔵所に係員をやると、

しかるべき数の金塊を別の棚に移動させて「フランス所有」というラベルを貼りました。

つまり、連銀はヤップ島のドイツ政府が「フェイ」に×印をつけた同じことをした。

しかし、この効果はすぐに現れました。

新聞の見出しには「金貨減少!」と文字が躍り、

「これは、アメリカの通貨制度を脅かす事態である」と騒がれはじめました。

為替相場はドル安・フラン高に動きました。

このアメリカからフランスの金塊の流出ー正確には棚の移動ーは

1933年の金融恐慌を起こした遠因になったのです。

これはヤップ島の「フェイ」の×印のように、ニューヨーク連銀における

ラベルと大して変わりありません。

そのラベルのように、ある「データー」をお金として利用しています。

                          つづく
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2003年11月27日(木)
967, PDPテレビをいれて一年、の感想

 一年前の随想日記を振り返って読んでみて、PDPテレビをいれて一年経った
ことに気づいた。丁度その頃、会社の近くにDVDのレンタルショップが
開店したため毎週のように借りて見ていた。
オーバーにいえば、そこの見たい映画を殆ど見てしまった、といってよい。

 普通のTVがハイビジョン並みの画面である。
それと画面の大きさが一番のポイントである。
映画館にいっているようで、綺麗で迫力がある。
その為、劇場中継や音楽番組や自然紀行などの番組がすばらしい。

 次の世代は「実際見るよりより綺麗な画像」になる可能性があるという。
人間の眼よりも世界を鮮明にとらえてしまうのだ。
プロの使うカメラの世界は、ずっと前にその段階まで入ってしまっている。
これからは映像の世界がそうなるというから、想像を超えた世界になるだろう。

 PDPの値下がり幅がもっと進むと思っていたが、それほど下がってない。
しかし「カタ落ち」では1インチ一万円(50インチー50万)に近づいている。
価値はあるかと問われれば、「充分ある」というのが答えである。
「36インチのブラウン管のハイビジョンと変わらないのでは?」といえば、
そうではない、それなりの価値はある。
来年から爆発的に売れ出すであろう。
3年後、1インチ5千円あたりが落ち着きどころだろう。

それよりも一緒に買ったDVDがよい。
ハードに録画を貯めておくのが非常に便利である。
DVDに録るということは皆無である。
どんどん録って、見て面白くないのは消去できるからだ。
あのビデオの物理的な煩わしさから開放されたのが良い。

ー以前、PDPTVについて書いた内容をコピーしておきます。
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581, PDPTV - 2002年11月15日(金)

PDPーTVを先週に居間に入れて6日が経つ。
設置に3人で5時間以上もかかった。

パイオニア製で50インチだ。
それにソニーの音響システムとラックを組み合わせて
税込みで76万円だった。あと半年で3割は下がるだろう。
半額はローンにした。

さすがに迫力が違う。
相撲などは音響も含めて会場にいる気分になる。
まだじっくりと見る時間はないが、今週末から見るつもりである。
コンサートや歌謡番組を夜電気を消して見ていると、
その価値を充分感じ取ることができる。

あと15万を出すとソニー製の新型を買えたが、値崩れを起こし始めた
パイオニアにした。ますますお宅になりそうだ。
何か凄く豊かになったような気分だ。

あと数年がたつと、PDPや液晶から有機TVが出てくるそうだ。
ソニーはそれに絞って商品開発をしているという。

こういう時代に、遠出をしないでカウチポテト族になって
いるのに丁度よい代物だ。それとこのパソコンが。
つまらないスナックで飲んでいるより居間の方が刺激的だ。

ただ集中度が高まるので疲れるのも事実だ。
お勧めはあと半年経つと1インチ1万円に下がった時だろう。
それも部屋によっては42インチあたりでよいのでは。

車を小型や軽にしてTVやパソコンにシフトしていく時代だ。

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 593, 八ちゃんの時代
- 2002年11月27日(水)

 八ちゃんという言葉が私のアイデンティーである。
8人兄姉の末っ子で、父親の42歳の子供であった。
両親と兄姉と従業員の中で可愛がられ育った。

特に父親に溺愛されていた。
但し物理的には何も与えられなかった。当時は誰もがそうであったが。
今も人好きなのは三つ子の魂いつまでもである。

 今でも姉が憎憎しく「あの八ちゃんは何処にいったの?」という。
「しょうがないだろう、あれから五十年経ったのだから」
これが私の答えである。

 今考えてみても刺激の強い幼児期だった。
映画のような世界であった。
刺激は強く貧しいが、明るく豊かな世界だった。

今も鮮烈に当時の記憶が残っている。
子供心に当時の出来事を全て受け止めていた

・無尽上がりの??相互銀行のKが成り上がってきたとか。

・十日町のイチムラが近くに百貨店をオープンした。

・同じく三条の香具師が百貨店を開いたとか。

・母の従兄の内山由蔵さんが市長になった。

・北越銀行の頭取が何処かの未亡人に熱を上げて通っているとか。

 見ていても、聞いていても刺激の強い世界であった。
自殺、夜逃げ・妾の話が子供ながらに面白くワクワクして聞いていた。

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[240] 土日.祭日のすごし方
- 2001年11月27日(火)

土日.祭日は
・5〜6時起床。パソコンに30分向かう。
・6時前にウォーキング、8時前に帰る。
・風呂に入り、食事、新聞・TVと続く。
 午前はこれにパソコンいじりが加わる。

・午後はTV(愛の貧乏脱出大作戦、新婚さんいらっしゃい、ETC)
 図書館、スーパー、読書、ショッピングセンターか何処かにいく。

・夕方は散歩をかねての居酒屋か、郊外の飲食店で食事。
 更にウオーキング、
・そして夜はTVかパソコン、これで一日が過ぎる。
 
 単純だがこれが私にとって楽しい。

1〜2月に一回は柏崎の家内の実家に行く。
BSハイビジョン放送が始まって以来、TV が面白い。
あと数年たったら50インチの液晶TVを買うのを楽しみにしている。
50万くらいになったら、今は100万する。
(この前石丸電気で見たら、そのままそこに入っていけそうな別世界があった。)

一週間で今が一番楽しい時間だ。土曜日,散歩と風呂の後、TV を見ながら
パソコンと美味しいコーヒーを飲んでいる時だ。

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ある時間の断片
 1968年 11月27日

 10時10分に学校。川崎と会いノートを返す。
彼と食事をして、独りで図書館で勉強をして帰寮。

部屋で、明日の中間試験の勉強。
その後に風呂にいく。

夕食後、瓜生君が部屋に遊びに来る。
そこに米林君も来る。
彼をからかうと、かなり怒り心頭のようであった。
独り大声を発した。そして佐藤嬢のところに行ったようだ。
この男、イヤな奴だ。卑しい奴と言ってよいだろう。

友人では、こういう男と純粋を保っている男に二分される。
いや2割がこういう男だ。

寮で来るなといえないので仕方がないが、普通は傍に寄せ付けない。
夜半の3時まで試験勉強。
洗濯後、就寝。

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