堀井On-Line



1307, 一冊のアルバム

2004年10月31日(日)

地震に明け暮れているので、話題を変えてみる。

事務所の移動で、秘境ツアーなどのアルバムを整理していたら、
未使用の小さなアルバムが出たきた。
一面一枚の20枚しか貼れないが、台紙のあるチャンとしたアルバムである。
買っておいて忘れたのだろう。

そこで、「さてどう使おうか?」と考えてみた。
その結論として、
「過去の旅行のベスト20枚」を貼り付けることにした。

そして、それが良かった。
何度みても飽きない。
私にとって、どんなものより素晴らしい宝物である。

「これは!」という写真は、一回の旅行に数枚はある。
それを更に、20枚に集約したのだ。
開けば、それだけでハイになる。

アルバムはそうそう開いて見ない。
いちいちアルバムを開くのが面倒だからだ。
それなら数千枚の写真を、二十枚に纏めればよいのだ。

そして、常にカバンに入れておくことにした。

詩も、言葉の中に全てを集約して残すのだから、
究極の凝縮のカタチである。
母が多くの道楽の末に行きついたのが「詩」であった。

事業にしても、
お金にしても、
不動産にしても、
写真にしても、
古道具にしても、
後継者にしても、
残るのは、生きてきた実感としての
「真実としての言葉」と
「写真」
「信頼」そして
「子供」だけである。

話しが大きく逸れてしまったが、
貼ってある順に紹介してみる。

・パキスタンの桃源郷といわれているフンザ近郊の小高い崖の上で
 一人で、足を開いて片手を上げているショット

・パキスタンのカラコルム・ハイウエーのがけ崩れの落石の中、現地人に手を引かれ
 走り抜けているショット

・機上から、天山山脈を撮ったショット

・タンザニアの大晦日の現地運転手の特別招待のパーテーで、多くの運転手たちと
 0時を過ぎた瞬間の写真

・フィンランドの登山列車で、トンネルの合間のビューポイントの滝で、
 一時停車をして写真を撮っていた。ところが、 急に音楽が鳴り出して
 遠くの滝の岩間で赤いドレスの女が踊りだしたショット
 (列車のお客に見せる為のショー)

・スイスの山頂の氷河に着いたが、霧で視界はゼロだった。
 その時、霧が急に風で飛ばされ、氷河が自らの姿を現した。
 家内と二人、感動で呆然として氷河の美しさに見とれていた。
 ー帰国後、同行の人が、そのショットを上から撮っていてくれていて、
 送ってくれた一枚

・スイス・マッターホルンでの凧揚げのショットと、マッターホルン

・モロッコ・マラケシュの「ジャマ・エル・フナ広場」の夕景

・モロッコのサバクで撮った、朝日が写しでした「私たちの砂上の影絵」
 幻想的な極上の写真

・ヨルダンのぺトラの前でのショット

・シナイ山の山上でのショット

・フィジーでパラ・セーリング(モーターボートでパラシュートを引っ張り
 空を飛ぶ)で、空から撮った写真と、地上からそのショットを撮った写真

・リオのカーニバル

・北スペインのパンプローナの牛追い祭り。
 最終日のファイナル・ギャザリングで、大衆が踊り歌っているショット

・ギアナ高地でボートからテーブル・マウンテンを写したショット。
 それと機上から撮ったテーブル・マウンテン

・メキシコのテオティワカン遺跡の、「月のピラミット」の頂上からのショット

・パルミラ(シリア)列柱通り

・ケニアのヌーの河渡りを見たあとの帰り道、夕陽と雲の織りなす夕景

・ワニとシマウマの死闘のあと、最後にシマウマが陸に逃げ切った瞬間のショット
 (私の人生の最高の一枚である)

・ネパールのカトマンズ近郊の山から、ヒマラヤ山脈を望む

・イスラエルのマサダの砦の山頂からのショット。
 ユダヤ人1000人が自害した時の闘いの生々しさが、今も残っている

・そして、最後はブラジルのイグアスの滝をヘリから撮ったショットである

以上だが、
恐らく死ぬ時、この一冊を抱きしめているだろう。

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2003年10月31日(金)
940, ゲーム理論ー2

「ミニマックス理論」と「囚人のジレンマ」はゲーム理論の大きい柱になる。
「囚人のジレンマ」は「自分が一番得をしたいと思って選んだ選択肢が、
結果として最適でないものでなくなっている」、それを互いにゲームで競う。

ーそれでは「囚人のジレンマ」とは?
 泥棒の嫌疑がかかっている二人が警察に逮捕され、独房に入れられている。
ただし、物証がないため証言だけが頼り。
そこで警察側は2人に次のような条件を提示した。
1)・2人とも黙秘すれば、証拠不十分で両方が懲役一年
2)・2人とも自白すれば、両方が懲役2年
3)・1人が自白をし、1人が黙秘をすれば、自白側は無罪、 
                     黙秘側は懲役3年
                     
 有利の順をみると、
一、自分だけが自白
二、2人とも黙秘
三、両方とも自白
四、自分は黙秘を続け、相手に自白をされて裏切られる

の順になる。
3)を選んで自分だけを釈放されようとしても、相手も同じく考えているため、
結局は、2)になってしまう。一番良いのは、両方が協調して黙秘をする、
1)である。
しかし、それができないから相手の読みを考えなくてはならない。
そこでジレンマが起こる。
ある政治学者「協調か」「裏切り」かの「囚人のジレンマ」選択をさせる
プログラムをつくって、対戦をさせた。
複雑なプログラムの中で、優勝したのが、「しっぺ返しのプログラム」だった。
「しっぺ返しのプログラム」とは、
1)はじめは協調
2)次回はすべて相手の真似

 これでは一回も勝てない。いつも負けか引き分けしかない。
それでも、一回一回は弱いが総合点でトップを取ることができた。
これぞ失点を最小限にする戦略である。
囚人のジレンマを乗り切る例としてはよい。

ここで注意しなくてはならないのは
「裏切られたらすかさず裏切り返さないといけない」という事だ。
そうしないと、単なる弱者になってしまう。

 この大不況の中、ゲーム理論をは実感として身に沁みることが多い。
長年かけて積み重ねて積み上げてきた利益が、一つのミスで全て失ってしまう。
勝つより負けないことがより重要な時代である。
経営の本質は相撲の喩でいうと「14勝一敗」より「8勝7休」でなくてはならない。
激しい競争社会では一敗が致命傷になる。
 
 何がおきるかもしれない時代、あらゆる想定の中で負けない経営を第一としなくては。
競争対策、成長対策、生存対策のうち、まずは生存対策が優先されなくてはならない
ことを「ゲーム理論」は教えてくれる。
                     ーつづく

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566,  2002年10月31日(木)
             1968年9月22日
          ーセミナーハウス二日目ー
8時10分前に起床、同室者はまだ二人とも寝ている。
 朝食後、セミナー開始。

 ーケーススタデー
討論開始、いい加減なことをいって恥ずかしい!
もっと深く考える必要があった。
ほかの人がよく学んでいるのが判った。
考え方もベースができているのに今更の感がする。


昼食後、全員で相模湖へ行く。
私と大島君と東レの研修員3人と同乗する。
ー君は一年後輩、呼び捨ては同期、さん付けは
東レの研修派遣の人ーで使い分けているー

東レの野村さんの女性論が面白い。
冗談と真実の紙一重の話がさすが大手の人事部の人は
センスが違うと感心した。車が逸れるが、現地で落ち合う。
早速、釣りをする・・・・・。

帰りは高木の車でセミナーハウスへ帰る。
高木の人間的魅力の深さに驚く。

再び「愛」について討論、最後に国家愛に行き着く。
印象的だったのが
「所詮バケツいっぱいの精液が、愛でしかない!」が印象的だった。
終了後、焼き鳥とビールで夜半の12時過ぎまで語り合う。

ーある時間の断面 −
                 1968年 9月23日  
 ーセミナーハウス三日目ー
8時10分前起床、食後、討論に入る。
「将来の日本」についてのパネルデスカッション。
パネラーは田口、石川、小島、鳥山、高嶋さんであった。

小島君の安保、自衛隊の批判に反論が出る。
かなり白熱した内容であった。

昼食後一時に解散。
高木の車で帰路に着く、東名高速は初めて乗ってみたが名神
より車が多く外国に行っているような錯覚におちいった。

帰寮後、夕飯に出ると大学の知人にばったり会う。
ITAという海外旅行研究会の部長で、昨年欧州行きで知り合った。
寮の近くにバイトに来ているという。奇遇であった。
私の部屋で話をする。アメリカに留学するという。

何か考えていることや話している内容がスケールの違いを感じた。
圧迫を受けてしまった。
彼を見ていると自分にもその力がある筈なのに、どうしてこうも
違うのだろうか?同じ力がある筈なのに。
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感想ー
段々と社会に出る切迫感がこれからの日記に出てくる。
かなり無理をしている自分がそのまま書いてある。
自分の子供を見ているようでもある。
丁度息子の歳ごろだ。
でも行動的であったのに驚いてもいる。

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2001年10月31日
[204] 霊体質ー3
今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。
シンクロニシテー(意味ある、乃至考えられないような遇然の一致)と重なっている。

1、5〜6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7〜8回虹ができその下を
  通った。100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。
  かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。

2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7〜8年前「自死」をしたときの事。
  丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。
  それで天侯を憶えていたが、 午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。
  
  3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。
  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを趣味としていた。
  その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。
  彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。

3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。
  涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。
  
4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が
  待っている時、急に気分が悪くなった。ハッとした、今叔母が私の処にきている
  のが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った」

  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。
 また以前の文をコピ−しておく。

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S6201霊的体験
2001/10/31

私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開する。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。
同じ会社仲間だった“B”さんと十日町の彼の家へおまいりにいった。
その途中の車中で“B”さんと般若心経の話になり、そこで彼の供養も含めて
お経をとなえた。

その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみた。
そして何げなく“B”さんの顔をみると、彼の顔がまっ青になっていた。
やはり車中で“C子”さんの話をしていた。
“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、
同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせた。
そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社した。

そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確立で
彼女の家の前に車がとまったのだ。
十日町に出店をした時、彼女の家の前を“B”さんが通って知っていたのだ。
私がそこに“偶然”(?)車をとめてしまった。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられないと
いう風だった。私自身またかというのが実感だった。

その日一日“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとった。

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