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2004年09月07日(火)
過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて 死について考えてみる。
毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、 深い長い夢をみながら死んだとしたら、その夢と現実とは さほど変わりはしないのではないか。
死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、灰に帰す。 骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。
人生とは何なのだろうか?ー意味 その行蔵の中味は何か?ー経験 何を成しえたのか?ー達成 何を成しえなかったのか?ー挫折 それを成し得たとして、それが如何ということだろうか? 人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か? 精一杯生きたのだろうか?
答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に 多く隠されている。
ー生死の格言ー
・死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。 byレーントン・ワイルダー
・墓場は、一番安上がりの宿屋である。 byラングストン・ヒューズ
・僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。 byマルロー
・虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。 by吉行淳之介
・あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、 良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。 byレオナルド・ダ・ビンチ
・命とは、セックスで感染した病気である。 byガイ・べラミイ
・誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった。 byウィリアム・サローヤン
・立派に死ぬことは難しいことではない。立派に生きることが難しいのだ。 by映画『無防備都市』
・人間、死ぬときは死ぬのがよい。 by白隠
・どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。 by梅崎春生
・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。 by村上春樹
・昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん by蜀山人
・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。 by村上春樹
・終わり良ければすべて良し。 byシェークスピア ・このお盆に生きている全部の人間は、単に今年度の生き残り分にすぎない。 by吉川英治 ・人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である。 byシラー
・お前の人生が戯れにすぎなかったのなら、死はお前にとって真剣事であろう。 だが、お前が真剣に生きたのなら、死はお前にとって一つの戯れであろう。 byクレッチマン
・我々はときおり、悪夢から目覚めた瞬間に自らを祝福することがある。 我々はおそらく、死んだその瞬間をみずから祝福することであろう。 byN・ホーソン
・賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。 byモンテーニュ
・死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。 byドゥワミッシュ族の格言
・もし本当に死の精髄を見たければ、生の実体に向けて心をいっぱいに開きなさい。 なぜなら、川と海が一体であるように、生と死は一体だからである。 byジブラン
・人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。 死ぬのを楽しみにさえしている。 消えてゆくランプに苦しみはないのである。 byシャトーブリアン
・私自身の一部分は恐怖と困惑ともって死をながめ、他の一部分はまず好奇心から、 とりわけ美と愛が充実して現われるのをみたいとの渇望から、死を望んでいる。 byG.ティボン
・人類はまだ未成年であり、死は一つの未成年者誘拐である。 byルイス・ニュセラ
・一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。 だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 byヨハネによる福音書12:24
・人生は山登りのようなものさ。登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。 byG.モーパッサン
・このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、 最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。 byダ・ヴィンチ
・我々が誕生を喜び、葬式を悲しむのは何故か?我々がその当人でないからだ。 byマーク・トウェイン
・死だけが唯一の本当の締め切りである。生きている限り、学ぶべき事が未だある byエレン・スー・スターン(米:女性コラムニスト)
・人生は夢である。死がそれを覚まさせてくれる。 byホジヴィリ
・今年死ぬ者は、来年は死なずに済む。 byシェイクスピア
・だって治療にはとても金がかかるよ。 だから、どうせ死ぬと決まっているなら、その金を蓄えておくほうがよい。 byルニャール(仏・喜劇作家)
・生きているということは一つの病気である。誰もがその病気によって死ぬ。 byポール・モーラン
・死ぬことはなんでもないが、この世と別れるのが僕には辛い。 byマルセル・パニョール
・人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、 生きているということを実感することもできない byM.ハイデッガー(独・哲学者)
・私が死んだ時、私のために泣いてくれるというのなら、 私がまだ生きているうちに哀れんでくれ。 byユーゴスラビアの諺
・人間が幸福の夢を追うときに犯す大きな過失は、人間の生来から 備わっているあの「死」という弱点を忘れてしまうことだ。 byシャトー・ブリアン
・生きる理由はないが、また、死ぬ理由もない。 人生への軽蔑を示すべく、我々に残された唯一の方法は、 それを受け入れることである。 人生は、苦労して捨てるほどの価値もない。 byジャック・リゴー「遺稿集」
・私が死んだとき、一匹の蝿がうなるのを聞いた。 部屋の中の静寂は、嵐の高まりの間の大気の静寂のようだった。 byエミリ・ディキンスン
・どこで死が我々を待っているか分からないのだから、 いたるところで待とうではないか。死を予測するのは自由を予測することである。 byモンテーニュ
・死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。 byトルストイ
・人は、自然の悪を知ることを学んで死を軽蔑し、 社会の悪を知ることを学んで生を軽蔑する。 byシャンフォール
・不幸な人間にとって、死とは無期懲役の減刑である。 byアレクサンダー・チェイス
・死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。 byエリック・ホッファー
・もっとも偉大な人々は、人に知られることなく死んでいった。 人々が知るブッダやキリストは、第二流の英雄なのだ。 byロマン・ロラン
・墓は、運命の嵐を防ぐ最良の砦である。 byリヒテンベルグ
・死ぬよりも、生きているほうがよっぽど辛いときが何度もある。 それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は 努力しなくてはならない。 by榎本健一
・私は生きているときに、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。 今、私は死なねばならぬ。 そして、まだなんの備えもない。 byチェザーレ・ボルジャ
・人間的に言えば死にもよいところがある。 老いに決着をつけねばならないからだ。 byラ・ブリュイエール
・人間一度しか死ぬことはできない。 byシェークスピア
・臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、勇者は一度しか死を経験しない。 byシェークスピア
・自分の命を愛しても憎んでもいけない。 だが生きている限りは命を大切にするがよい。 長く生きるか短命に終わるかは天に任せるがよい。 byミルトン
・生まれた以上死なねばならぬ、ということ以外確実なことはなし。 byクリティアス
・私たちは死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している。 byモンテーニュ
・我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、死においては平等である。 byロレンハーゲン
・死のことは考えるに及ばない。死は我々が手を貸さなくても我々のことを 考えてくれているのだから。 byシェンキェーヴィチ
・人間はまだ十分に幸福ではなかったからこそ死を恐れるのである。 最高の幸福に恵まれれば、すぐに死にたいと思う。 byエンゼ
・死を恐れることは、自分が賢くもないのに賢いと思うことと同じである。 byクラウディウス
・生まれたことは確かに我々の結果なのである。 死ぬということは問題外である。 生きることが我々の喜びであり、法則なのである。 byサローヤン
・我は生きようとする生命に取り巻かれた生きようとする生命だ。 byシュヴァイツァー
・人生は素晴らしいが、人生の終わりは死である。 これは、いかなる人の望みの究極でもある。 byスウィンバーン
・何故死を恐れるのか?――人生で最も美しい冒険だから。 byフローマン
・生きたいと思わねばならない。 そして死ぬことを知らねばならない。 byナポレオン
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2003年09月07日(日) 886, 「ありがとうの言葉」ー8
昨日の散歩で何回『ありがとう』をいえるか試してみた。 8500回であった。
今日は1万回に挑戦をしてきたところだ。 1万回は2時間以上ふるに言い続けて初めて可能になる。 言い続けるにしたがって、忘我の境に入っていくのがわかる。 7000~8000回が、その入り口であった。 回りが全く遮断され「ありがとう』の言葉に一体化してしまう。
カウントを間違わないように指先に集中するのがポイントだ。 そうしないと、すぐに何かを考えてしまうからだ。 右指を十単位、左指を百単位で折ってカウントをする。 カウントも、時間で計る方法と、距離で計る方法がある。 今の私には指折りが最適のようだ。 慣れてきたら時間か距離の計測に変るつもりだ。 散歩の歩数は、初めは万歩計であったが、今は時間で計っている。
散歩に「ありがとう」を言い続けるのが一番良いようだ。
この随想日記を読んで一番初めに反応してきた、ある社長は一日 平均6000回言っているという。 また彼が紹介した知人の数人が、「幸せの宇宙構造」を10~20冊買って 周囲に配っているという。 ありがたいことだ。 反対に一週間の約束で貸して、2ヶ月以上経った今も返してこない人もいる。 「ありがたい」と思えば約束を守っているはずなのに。 読んでないのか、馬鹿なのか。 「貸したら帰ってこない」と思わなくてはならないのは解っているが。
「幸せの宇宙構造」を読んで、『ありがとう』を言い始めて3ヶ月が経つ。 気持ちが安定をしたことが何よりの成果である。 それと、人に対して寛容になったようだ??? ミニ瞑想を繰り返しているようでもある。 否定語は相変わらず使っているが、すぐに「ありがとう」という言葉で 消してしまうのが良い。
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2002年09月07日(土) 512,パンプローナの牛追い祭り
今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。 もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、 4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。 今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、 毎年放映される中でも特に迫力があった。 初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界 に一躍知られるようになった。
この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、 赤いネッカチーフをつける。 パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。 毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に 向かう街の道路に放たれる。 毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねていく。 その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。 4年前その最終日の闘牛をみたが、会場が異様な熱狂に包まれていた。
その牛の前を走るエニシエロが、勇気試しになる。 19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中から その祭りに加わった。
ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の 前の4階の部屋からファイナルギャザリングと牛追いが見れる。
ー4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ーの内容をコピーしておく。
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・・・・その中で一番のハイライトがパンプローナの “牛追い祭り”であった。延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。 その牛を毎朝、市役所から闘牛場へ、町中を追い上げる。 その前を街の若者が走って、度胸試しをする。死人が出ることがある という。
我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り上がりであった。 その夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。 これこそ正しくスペインと思われた。
深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、 一生の思い出になる感動的場面であった。 市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、 ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。 彼らが心の底からパンプローナを愛しているのがよくわかるのだ。
民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を見ているようであった。 トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏にあわせて歌を全員が 歌っている。 キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。 イスラムとキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ なのである。
このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験であった。 この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。 一生の心の財産になった。
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2001年09月07日(金) [137] ピラミッド
「ピラミッドに登る人、途中で休んでいる人、オアシスにいる人、小さなピラミッドを 造っている人、ピラミッドの盗掘をしている人、駱駝で荷を運んでいる人、」
これは社会を例え話で解りやすく説明したもの。
ピラミッドは会社・組織を喩え、小さなそれは事業を起こそうとしてる人。 オアシスはノッケカラそれを捨て、人生楽しんでいるアウトサイダー。 荷を運んでる人は、その全てのサービスに徹してる人か。
20代前半からもちろんこのことは解っていた。
普通の人から見れば、社会構造を冷静に見据えていたようだ。 卒業する前から、ピラミッドに上る意思は全くなかった。
「立場があってそれも仕方ないのかな」とぐらいしか考えてなかった。
卒業の前年、石川播磨の造船所にゼミで見学に行った。 ショックであった。 タンカーに数百人が張り付いて働いているのを、上から見るのだ。
要するに組織の中では個人は小さな存在でしかない。 反面組織化すれば、これだけおおきい仕事ができるのだ。
その時の私の反応は「ボートでいいから海の中で自由に生きたい!」であった。 ピラミッドに必死に登り、突然ピラミッドから排除されミイラ人間になったり、 自殺したり、転げおって死んだり。
オアシスの何かも知らなかったりする。 単色の人生さえ気づかなかったりする。 もっともオアシスの人は、ピラミッドの広い視野眺めの素晴らしさが解らない。
それぞれの立場を、たとえで一瞬で見たことは一生忘れえぬ印象でのこった。
ーこれに似たたとえは‐大型船の船員か、小型線の船長的生き方か? 大型船は遠い海原を航海できる、反面その役割以外の事が出来ない。 小型船は自由に、全ての裁量が可能の反面、枠が決まってくる。 本人の立場と特性で決まってくる。
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