|
2004年06月16日(水)
ー近代科学の芽吹き 近代科学が16〜17世紀にかけて登場してきた。 新しい科学がそれまでの世界観を根本的に変えようとした。
まずはポルトガルのコペルニクスである。 宇宙はこの大地にあるのではなく太陽であるとすると仮定したら、数学的に 解明できなかった問題が多く解決できると指摘をした。 地動説である。 それまで教会が主張してきたことを、聖書に書いてあったことを根本的に 否定することになった。
そしてガリレオ・ガリレイが時の権力者と地動説で真っ向から対立をする。 キリスト教の教義と対立をするため宗教裁判にかけられてしまう。 結局は自分の地動説を放棄させられてしまう。 しかし彼は有名な言葉をつぶやく 「それでも地球は回っている」と。
次に、史上最高の科学者アイザック・ニュートンがあらわれる。 1666年に自分の庭でリンゴが木から落ちるのを見て、引力の意味に気がついた。 彼はそこでリンゴを落下させるために働いている力は、月を地球に引きつけている力、 地球を回らせている力と同じであると気がつく。
近代科学の登場で思想に対する教会の影響力が薄まってくると、 哲学の分野でも合理主義の芽吹きが出てきた。
つづく ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・
2003年06月16日(月) 803, 50歳の頃ー1
−60歳までの人生 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。 丁度私が50歳の時であった。 50歳で、母親を見送り(亡くなり) 人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。 あとの人生を如何生きようかという自分への問いかけをしていた。 その翌年、下の子供と家内と3人で南米のギアナ高地に出かけた。 テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら息子と日本酒を 飲みながらふと思った、「ああ自分の人生の元は充分にとった」と。
その時に考えたのは、「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』 なら、それ以降の人生を60歳までに詰め込んで生きよう! 『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」であった。 ・海外旅行をそれまでに50回行くこと-不景気で難しく?なってきたが ・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう ・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようであった。 しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。 母の行き方を見ていたので、この人はまだまだ解っていないと思った。 本当に「良いのは60歳から」というのを母の生き様から教わっていたからだ。 しかし「60歳以降の前倒しをしてしまおうという決心』は良いのではと解釈した。
その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人が人生の秘訣を教えてくれた。 「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。 それを前提にして、そこまでに人生のすべてをし尽くした。 その一つに日本を全てを家内と娘と3人で回り尽くした。 その後は世界にチャレンジしてほぼ全てをまわり尽して今もこうして生きている。 短命の家系という前提それがなかったら人生をここまで味わいつくせなかった」 かなり深い人生の示唆であった。 「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた直後であったから、 尚のこと心に響いた。
あと2年半で、その60歳に近づきつつある。 「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。 元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きることが できるのではないだろうか。 そして、それまで経験をしたことのない分野を探し出しチャレンジすることである。 その意味では、逆に広い世界に飛び出せるのではないかと考えている。
最近になり、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSや テロなどでアフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。 この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。 あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。
・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・
2002年06月16日(日) 439,随想日記の不思議
毎日書いていて不思議な気がする事がある。 気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。 それが何か非常に気持ちが安定するのだ。
心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。 悪趣味?といえば、そうかも知れないが、 見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。 書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。
書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。 色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」 のような不思議な感覚を受ける事がある。 ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。
もっと面白いのは、過去の自分の文章である。 読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。 書き続けている事で、その日その時間の心のメルクマールになる。
過去に日記を書いておけばよかった。 反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。 学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。 書くという事は排泄と感じることもあるし、昇華ということもある? メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、発散でもある。
一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。 思考の再深耕が容易になる。 ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。
・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・
2001年06月16日(土) [54] つれづれに
朝20000歩歩く。 前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。 更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。 ホームページを開いてから、毎日が楽しい。
パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあい コミニケをしているという。 女性だからできるのだろうが、ある意味で理想に近いコミニヶだろう。 もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。 自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。
|
|
|