堀井On-Line



1032, 「リクルートのナレッジマネジメント 」

2004年01月31日(土)

   読書日記ー1 
     
 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。
 それだけインパクトの強い内容であった。
 現場からの視点でつくりあげたイントラネットの一つのカタチとしての
 凄みを感じとることができた。
 「普通の会社なら、3日で首でしょうね」と役員がいっていたのもうなずける。
 サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。
 
 下の子供が勤めている外資系の会社のホームページに、
 丸ビルにある本社の事務所の写真が何枚か貼り付けてあった。
 優秀事務所デザイン賞と書いてあった。
 机と椅子とノート型パソコンがあるだけ。
 ペーパーレスだけでなく、個々人のセクションのコーナーがない。
 
 正月に帰省してきた息子に、「自分のデスクは、どこまで昇進したら
 もらえるのか」と聞いたところ、「取締役」だという。
 全てはコンピューターの中なら、自分の机など必要がないのだろう。
 ナレッジマネジメントも、
 現場の知恵・情報の蓄積と活用を中心にしたものと、
 経営戦略を中心にしたものがあるが、
 この本は現場の情報や知識の活用を中心にした内容である。
 
 以下はインターネットで検索をしてコピーした。
 
 これだけでも、何回も繰りかえして読む価値は充分ある素晴らしい内容だ。
 
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     限りなく金髪に近い茶髪の女、
     森本百々子が
     営業がよろこぶために必要なものは
     ナレッジだったと気づくまでのこと。
   
    営業がほしいと思う情報を
     役に立つ形で提供する
     「都合のいい方法」をみつけるまでの
     試行錯誤と悪戦苦闘。
  
    単にシステムの問題ではなく、
     ナレッジが共有され、
     利用されていく組織を描いた。
   
    なによりもまず、
     画面を開いてもらう
     楽しんで使ってもらう
     そのためのシステム運営。

    住宅情報のナレッジマネジメント
     その担い手たるメンバーは、
     なぜかお人好しぞろいだった。
   
    きびしい「教師」と
     暴れん坊の「生徒」は
     「鉄則」を引き継ぎ、
     泣きながら!? 自分たちだけの
     ナレッジマネジメントを形にした。
   
    最大の成果は、
     「ナレッジマネジメントをナレッジ化したこと」
     人の顔が見えるシステムが
     いろんな場所に拡っていく。
  
    お客様サービスセンターを生んだのは
     挫折した新規事業のプランナーと
     マーケティング好きの元経理担当だった。
  
    「お宅の営業、あれなんなの?」
     役員の前でテープが流れ、
     顧客フォローの「仕組み」は
     共感とともに認められた。
  
    リクルート全社に通用する
     アウトソーシングモデルの確立は
     「リクルートらしさ」との
     戦いのなかで実現した。
  
    HRの事業企画を考える
     ナレッジマネジメントの
     コンセプトとは?
   
    ナレッジマネジメントを測定しよう
     という試みは
     「共通の夢について語り合う会社」
     というところにたどりつく。
  
    そして北陸へ
     リクルート流の解釈は、
     野中先生の前で披露された。
  
    46の設問をもとに
     4000人の従業員が
     「職場」について考えた。
  
    横浜アリーナに集まった
     3192人の従業員は、
     酔っぱらいたちの
     ”経営に意見す”に笑い転げた。
  
    共通言語を持たない
     リクルートの従業員に
     伝わる言葉を
     探していった。
   
    ・・・・・・・
     まとめ
   
    経営や事業の
     優先課題を
     ナレッジ的に解決する
     うまいやり方。

    一人ひとりの成長意欲と
     能力・コミュニケーション力が
     ナレッジマネジメントを進化させる。
     
     社外からの考察
      野田稔氏(野村総合研究所経営コンサル
           ティング一部部長)
     
     ナレッジとパラダイスを
     組み合わせてしまう
     リクルートという会社。

ナレッジマネジメントとは、日々の営業を行っていく上で個人のなかに蓄積されていく
知恵や知識(たとえば、効果的な企画書の書き方やクライアント企業に関する情報など)
を、全社的に共有する手段として注目を集めている手法である。
とはいえ確立された手法はなく、判断基準もあいまいなのが現状だ。
システムの導入と同一視されがちな側面もあり、ナレッジマネジメントの導入が、
逆に営業担当者に細々とした作業を強制させるなどの負担を強いることもある。

 リクルートではシステムをひとまず置き、
「経営や事業の優先課題を解決する、うまいやり方」
を「ナレッジマネジメント的なもの」と定義している。
そして、「コテコテにカスタマイズされた」ナレッジマネジメントを体系化していく
様子を、現場の声を織り交ぜながら、ライブ感あふれる筆致でたどったのが本書だ。
2時間もあれば読み切れるが、内容は濃い。

 リクルートの企業文化と、ナレッジマネジメントの一例がよくわかる。
「営業がよろこぶことをしよう」という社員サイドの声が、この物語の始まりである。
しかし、現場の声を地道に拾い「よろこぶこと」を探そうとした担当者にとっては、
「地獄の日々」の始まりでもあった。

 本書では、「よろこぶこと」の実現手段がナレッジマネジメントと呼ばれる考え方と
似ていることを自ら確認し、システムを稼働させるまでの過程が、まるで実況中継の
ように小気味よいテンポで描かれている。
またカットオーバー後に行った数々のデモンストレーションやプッシュメールなど、
リアルとシステムの両面から現場を刺激し続ける努力が涙ぐましい。
一見スマートに見えるナレッジマネジメントの導入の裏には、陣頭指揮に立つ人物の
泥臭い努力があるのだということが改めて痛感させられる。

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「ナレッジマネジメント」という言葉は、知識管理、知識経営などと訳されることが
多いが、管理や経営などというと、どうしても堅苦しいイメージがつきまとう。
創造的な知識とは、本来、自由な環境で、自由なコミュニケーションを通じて育まれる
はずのものである。しかし、いざナレッジマネジメントをシステムとして導入しようと
する際には、斬新なアイデアや知恵のような、本来創造的であるべき知識までも、
一括してトップダウンに管理しようとしたがために失敗する事例も多いようだ。

● 知識を創発する「場」
ナレッジマネジメントが対象とする知識のレベルにもよるのだが、ちょっとした気づきや
知恵、ノウハウのような定型化されていない知識をうまく引出し、さらに新しいアイデア
を生み出すような創造的環境を構築するためには、システムの機能というよりは、
むしろ企業文化や風土といったものが重要な要素となるようだ。

ゼロックス やヒューレットパッカード では、全社的に知識を共有するためのサロンや
コミュニティの設置を重要なナレッジマネジメントの要素として考えており、
決して押し付けではない社員の自発的な活動こそが知識を創発するモティベーションに
なるという観点にたっている。
また、 NTT 東日本法人営業本部では、バーチャルな知識管理の仕組みに加え、
リアルな環境、すなわち、オフィス環境において、知識が互いに交換できるような
スペースを工夫した点でユニークな事例といえる。

ナレッジマネジメントとして、何やら高度な IT を用いたシステムの上で行う先進的な
ものを想定するとすれば、
このようなややもすれば泥臭いアプローチは少々拍子抜けするかもしれない。
しかし、一方で、立派なドキュメント管理システムや情報交流システムを作ったけれど、
だれも使ってくれなかったとか、現場のノウハウを入力義務としたが、負荷が増える
ばかりで、大変な悪評を買った、という話を良く聞く。
使う側が使う価値を見出せなければ、このような情報交流の場は何の意味もなさない。
参加者自らが進んで知識を出し合い、協調しあうような自律的な「場」の提供こそが
求められている。

● ナレッジマネジメントという娯楽
こうした自律的な「場」をネットワーク上に作るために必要な要件、特に使う側が
使いたくなる要件とはなんだろうか ? 筆者は、特に具体案を持っているわけではない。
しかし、あえていうならば、
最も重要なインセンティブはそうした「場」が「楽しいこと」
ではないかと考えている。金銭や業績評価によるインセンティブは、
必ずしも健全な知識交換を促進しないし、名誉や尊敬といったものは、結果として
そうなっているのであって、
意図してそのような環境が作れるものでもない。知識交換による知的刺激、議論を
煮詰めて行く充実感、あるいは少々脱線した世間話、そういったものすべてが「楽しさ」
という言葉に集約されるように思う。企業に、より柔軟な思考が求められている現在、
こうした環境を物理的に、あるいはバーチャルに構築できるかどうかが、
創造力を持つ組織となるか、あるいはコーポレートアルツハイマーに陥るかの境目に
なるかもしれない。

リクルートにおけるナレッジマネジメントは、決して高度なシステムを構築したと
いうことではなく、機能としてはどこにでもあるようなイントラネットをいかに
活発化させるかという、徹底したコンテンツの吟味と宣伝と啓蒙の活動である。
ここには、雑誌作りに共通する、思わずページをめくってみたくなるような楽しさが
意図されている。

知識を交換し、新しい知識を創造することは本来楽しいことであるはずだ。
Linux の開発者で、あり余る名誉と尊敬を集めるリーナス・トーバルスは、
著書「それがぼくには楽しかったから」 の中で、Linux は
「知的チャレンジという娯楽」
であると書いている。ナレッジマネジメントもまた娯楽であっても
良いのではないだろうか ?

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・・・・・・・
 
 2003年01月31日(金)
667,「成功する読書日記」-読書日記

読書日記帳の基本パターンは

・署名   成功する読書日記
・著者名  鹿島茂
・出版社  文芸春秋
・刊行年 2002年 10月10日
・買った・借りた日付け   1月19日
・定価(本体  1429 円+税)
・買ったところ  長岡中央図書館
・読んだところ 新幹線
 
ーこの本の引用とレジェメー

これに、書き込んでファイルに溜め込む。
大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。
引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と
書き込むようになる。

 とりあえずこれを続けることに意味がある。
・量がたまってきたら,しめたものである。
・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ
・遭遇時情報も大事である。
 新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。
・その評価の☆とりも大事の一つ
・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから
 書き留めることー写す
・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。 
 図書館もだ。
・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく
・飛ばし読みOK


これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、むしろ
「収集」しているのではないかという感覚になる。
ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。
そうすると体系化への志向が生まれ、、それ自身が意思を持ち始める。
コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。


読書日記や映画日記を続けていると、何時しか、コレクションが
「開かれる」という現象が起こってくる。
一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、
その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンルが
できると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。
SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。
そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。
そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。

量がある域を超えると、「質」という問題を意識にのぼらせる様になる。
この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」
を行ったことを意味する。
「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。
これを軽んじるものは「質」で躓く。
「量」をこなしてない批評家は信用できない。
随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。

 理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。
図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを
書庫代わりにすることだ。但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。

・・・・・・・・・
ーコメントー

以上が大体のこの本のレジェメだ。
これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。
アフリカ大陸、ユーラシア、南米、インド・シルクロード、
オセアニア、イスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。
そして今度はどこのジャンルのどこにしようかという見方で
選択を始める。

そしてジャンルー南米とアフリカの類似と差異を見たり、
アフリカだったら、ケニアとタンザニアの差異と類似が見えてくる。
その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。

この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や
映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。
こういう本の存在を見つけられなかったからだ。
実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、書く事に
気をとられてしまい、そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。
でも、読んだ本と、著者、出版社、買った動機、借りた図書館、
日時位とちょっとしたコメントは書けたはずである。

この習慣は必ず身につけることを誓う!!

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・・・・・・・
 2002年01月31日(木)
317,あだ名

中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。
私は「ハチ」である。小学校は「八ちゃん」である。

ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。
全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」
そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。

無口の愚直の味のある男で「おいら」というあだ名がピッタシであった。
誰がつけたという話になった。無口の男が重い口を開いた。

おいら「おい堀井お前だ!」
私「エー!・・・嘘だ!」
おいら「中学の一年のときの、皆既日食の時、理科の時間にしき版に墨を塗り、
それをとうして見ようとした。うっかり落としてしまったのをお前が拾い
‘落ちてるぞ、誰んだ?’と聞いた。思わず‘おいらんだ’と言ってしまった。
堀井がその時‘おいら’とつけた」

全く忘れていたが、それを聞き記憶が戻った!
40年ぶりの記憶が一瞬で戻る快感であった。

しかし、その人にとってトラウマー心の傷?ーで残っていたのだろう。
罪なことだ?
参考のため同級生のあだ名を他に挙げてみる
「カボ、ボラ、せ〜の、六角・・・」

考えてみれば「ハチ」と言われることが一番いやだった。
あの年ごろは一番気位が高い。

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1月31日 金曜日  1969年

8時に起床。起きるのがやっとであった。
最後の授業の人事管理である。
武沢先生の授業はこれでおしまいである。
ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。
彼はこのところ角が取れてきた。
面白い奴であった。
スウェーデンに恋人がいて、一緒にヨーロッパに行ったとき別行動で
彼女の家に泊まってきた。その後、どうなったか聞いてないが。
この男の行動力は凄い。

午後はゼミ。
私の人生の最後の授業である。
途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。
武澤先生が比較社会主義的発想と問題中心主義的発想について語られた。
面白い内容でよく理解することができた。
これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。
これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。
それを前面に出して発揮しなくてはならない。
面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。
一歩足を出す為には、捨てるべきは捨てなくてはならない。
栄光の未来と前途に行こう!
さて、今日は事務管理しかできなかった。
明日は家格理論と事務管理である。
予定として、10時起床、2時まで人事管理。
15時から18時まで人事管理。

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