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2003年10月27日(月)
ーこの選挙の面白さ! 最後の最後まで、何がおきるかわからないのが政治というものだ! 思わぬ動きがでてきた。沈黙を破って真紀子が動いてきた。 実質的に自民党を離脱したのだ。 田中角栄の娘の真紀子が大衆に迎合する「言葉」で、選挙に「突風」を おこそうとしている。 今の自民党の存続を揺るがす事態である。 小泉の生みの親が、今度は小泉潰しの突風になる可能性を秘めている。
自民党にとって真紀子の「この突風」を計算外だろう。 自民党という集り集団の自作自演のシナリオが、この2週間の突風で吹き飛き とばされるのだ。亡くなったボス角栄の娘を怒らしてしまった。 マフィア角栄の子分の恥元(橋本)派と自民党そのものの崩壊トドメの スイッチを、娘の真紀子が押すのが最も相応しい。 小沢と真紀子と??などが組んで、一瞬ことを起こす可能性が大きい。
いまの北朝鮮と日本は酷似している。 自民党は金体制そのもである事は誰の目にも確かだ。 悪さの限りつくしたマフィアどもの最後のあがきに、国民は気づいてほしい。 民度の低い国民が、何処まできずいているかの尺度をみる選挙といってよい。
あんたは何党といわれれば、「政権交代」党である。 政権を変えなくては、その度に灰汁(悪)出しをしななくてはならない。 小泉首相も、自民党体制の中で可能な限り改革をしている。 しかし、その範囲の中でしか出来ないのは自明のことだ。 ソ連の共産党のゴルバチョフが改革をしようとしたが、所詮無理であった。 それと同じことに国民が早く気がつかなくてはならない。
その意味で、真紀子のこれからの動きが浮動票を反自民党へ動かす大きな きっかけとなればよい。 今日からが面白い! ・・・・・・・・・・・・・・ 562, ある時間の断片ー7 - 2002年10月27日(日) 1968年 9月21日 9時起床。11時に図書館に行く。 13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。 そして八王子のセミナーハウスへ。 近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。
思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。 メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。 宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。 それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。 空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。
夜から早速議論をはじめる。 課題は「遊び」だ。 「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」 「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」 私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。 何かポイントが外れているようだった。
終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、 武澤先生がこられる。 その後夜半の12時半に寝る。
・・・・・・・・・・・・・・・・ ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。 背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中 でもあった。歌も二度とこういう時期は来ないというほど名曲が 生まれていた。
その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。 夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋 に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という 禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。
学生時代の十数年間の総括の時期であり、 また新しい世界への旅たちの直前であった。 この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。 いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でもあった。
寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。 そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が付いて なかった。寮に、ゼミに、教授に、クラブに、友人に恵まれていた。 赤面する場面は当然カットして写している。
大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、 戦略的思考をする事など数えればきりがない。 人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。 馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。 ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー
父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、 あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。 友人が吹き付けるようによって来た。 一人になれないのが悩みでもあった。あの孤独の都会生活で 最後には友人が吹き付けるように集まったのは、本当に良い青春 の思い出の財産だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・ [200] 月刊ー文芸春秋 2001/10/27
今月の‘文芸春秋’の内容があった。 イスラエル旅行から帰ってきら、毎月読んでいた‘文芸春秋と週間誌’を 買わなくなった。嘘みたいだが本当の話である。 ‘図書館で読めばいい’に変わった。
あまりにも旧約聖書の世界が生々しいのだ。 今更そんなえげつない現象など如何でもいい、軽い話でしかないに 変わってしまった。2〜3月に一回買うか買わないかである。
しかし今回は違った!テロの特集で、内容はかなり悲観的に書いてあったが、 買う価値は充分ある。 新聞で、インターネットで、TV でその意味はとらえていたつもりであった、 かなりシビアにその意味が書かれていた。 第一次世界大戦に似ている、始まりは(皇太子の暗殺)誰もそこまでいかないと 思っていたが、それは大戦の始まりでしかなかった。 アメリカの中心の世界貿易センターが壊滅した大事件だ。 イラクやアフガン北朝鮮?は攻撃対象になる! 当然考えらないテロも更に行われるだろう,日本も当然巻き込まれる。 それも仕方がない、当然と受け止めていいだろう。
少し本題とそれたが、今回は700円の価値が充分ある。
これからが本題。 新聞と週刊誌と月刊誌の関係が時代によって、どんどん変わっているという。 これに進化したデジタルTVとインターネットと携帯電話の情報手段が加わってきた。 まず新聞は週刊誌の分野を侵す、週刊誌は月刊誌の分野を。
月刊誌は小説等の分野か、専門雑誌の分野により進化、深化していくパターンに なっていく。一例をとると、新聞は週刊誌のやっている、 「特集もの、解説、カラー写真、連続小説」 などの付加価値につけないと、部数が減っていく。
週刊誌は月刊誌のある専門分野のスペシャリストの手記や、 各種の専門分野を深く入り込んだ記事に入っていく。 月刊誌はそれぞれの特化した専門雑誌に変身していく。
それぞれ勝ち組と負け組みが、はっきりしている。 週刊誌では「週刊文春」、月刊誌では「文芸春秋」が勝ち組。 あとは年代層に特化した「週刊ポスト」、「週刊現代」あたり。
月刊誌では「新潮45」あたりがまあまあといったところ。 あとは専門雑誌の細分化が進む。
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