堀井On-Line



ある時間の断片 35.36

2003年10月06日(月)

ある時間の断片ー35.36
11月8日 −前半
・7時50分起床。
人事管理の授業に出席。
今回こそ試験と思っていたが違った。
授業終了後、朝飯と昼飯を兼ねて食事。
11時にゼミで、それぞれの車で石川島播磨造船所に向かう。
一時過ぎに到着。
そのスケールの大きさに腰を抜かさんばかりの驚きであった。
30万トンの巨大タンカーの大きさに、たたただ呆然とした。
数百人が蟻のように張り付いて働いていた。
組織の意味を教授が教えたかったのだろう。
私は小さなボートに乗っているほうが合っていると思った。
凄いものを目の当たりに見せ付けられた。
工場内のオートマチックの流れも驚きであった。
そこの課長との質疑も面白内容であった。
帰りは教授の車に乗せてもらう。
田島君や小島君は議論が大好きだ。
彼らについていけず一人蚊帳の外という感じであった。
途中渋谷の喫茶店に入り話し合う。
教授の思想について聞いたり、女性論を話し合った。
教授に「社会に出ると良い相手はなかなか居ないから、学生時代に
探しておいたほうがよい」と言われた。
そうならそうと解っていたら、去年にチャンスが集中してあったが。
「さっきの話で、堀井君は女性は打算的といっていたが、自分と比べて
言っているのか、それとも自分が打算的であるが故に女性に対しても
打算的に見えてしまっているのではないか?」と鋭い指摘をされた。
私の全性格を見抜かれているようで恐ろしい思いがした。
教授の女性遍歴を少し話された。
昔同棲していた女性のこと。
そしていまの奥さんとの出会いのことを話された。
教授の思想はアメリカナイズされた極端の個人主義と自分で言っていた。
教授自身、自分の思想にしろ理念をハッキリ言って持ち得ない!とのこと。
分析能力は自信がある。
しかし、それを一つの思考形態の統合するのには、分析で物事が見えすぎる
為に躊躇をしてしまうとの事。
経営学の野田一夫教授は、直感的に思想を持ちえるし、当たっている。
しかし分析に関しては、全く甘いと指摘されていた。
ピーター・F・ドラッガーの受け売りでしかないとか。
しかし、生徒に対する影響度は野田教授の方が上だとも言っていた。
奇麗事は言うが、汚れ役は必ず避けて通る人だとも。

武沢先生は教務部長、野田一夫教授は課長でしかない。
同じ年齢でライバルだが、大学では武沢先生のほうが上だ。
人事管理を専門にしているせいか、流れのままの刹那的なところが
みられた。人事管理哲学があるなら、それこそ先生の哲学になってしまっている
といって良いのではないか。

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11月8日 −後半  ある時間の断片ー36

田島についても、議論好きだが自分の思想とおりに生きはじめているようだ。
彼のように一たん自分を切り離し、そこから再び自分を上から
見つめなおしているのが素晴らしい。
彼もそこで言っている個人主義を、もっと突き詰めて考えてみる必要がある。
彼がそこまで考えるには背景ー家庭環境や生長家庭ーがそれぞれあるのだろう。
信じられるのが自分の能力のみという考えも理解できる。
ゼミの同期の高木・石川・田島君に比べると私自身、自分に対しての
中の能力に対して自信を持ててない。
自己分析に甘さが見られるし、クールさが足りないようだ。
生きてきた家庭環境は生活に関しては全く心配がなかった。
大学生活を寮とクラブと限られた友人と限られていたのではないだろうか。

こうして、世界を見るとあまりに大きいし、無限の広がりを感じる。
いままでの自分はあまりに打算的で、閉鎖的過ぎたようだ。
この学生時代を通して、打開してきたようだが。
22時過ぎ、その後武沢教授のお宅へ行き。一時間位話す。
先生に対してやはり恐ろしいのか、自分の壁をつくってしまう。
24時過ぎに帰寮。その後寝るが、誰か寮生が大騒ぎをしていた。

「深井について」
教授のところから、深井に電話をする。
聖心女子大祭に行くことが急に中止。
でも、そのことを連絡をしてこない。
無神経ではないか。他の約束をキャンセルして予定をつくったのに。
「無神経男」というレッテルを貼られているのが解るような気がする。
少し甘く見ているのではないか?少し突き放してみた方が良い。

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541,幸福と本当の仕事 - 2002年10月06日(日)

何気なく本を読んでいて、自分が事業を通して得た実感が、
ずばり書いてあることがある。そのうちの一つが下記である。
山本周五郎の「青べが日記」の一節である。

ー幸運を望むものよ、お前は3つの事しか為さないのに
10の結果を望んでいる間は、幸運は来ない。
幸運を望む男よ、お前が2つの結果を得る為に、10の事を
したら必ず、幸運は来るぞ。
貧乏をしても、出世していく友に遅れても、本当の仕事(為事)
をこつこつやっているこの力強さ。
白蟻が大黒柱を如何にしてガランドウにするか己が知っているー

事業をしていると、この闘いだ。
2の結果を得る為に10の努力をしてもマイナスになるのが事業の
恐ろしさだ。
「しない方がずっと良かった」という結果との闘いである。
「本当の仕事」をしているつもりが、虚の仕事をしてしまう。
「本当の仕事」をきっちり見つけなくてはなるまい。

知識と情報と経験不足から、それらは起因する。
新しい事態に対する判断を、常に不足状態の能力の中で求められる。
経営は相撲の喩えでいうと「14勝1敗より、8勝7休」
でなくてはならない世界であり、一敗は致命傷になることが多い。

情報と方向が正しいなら、1の努力でで10の結果を得る事が可能な時代でもある。
情報化社会でその傾向がより強くなっている。
現代の不幸は最小の努力で最大の成果ー効率を求められることである。
人間の気持ちまでも効率を求めてしまう事が、不幸にしてしまう。

好きということは最大の努力に対して、それ自身が楽しいことだ。
好きという事と有利という事を混同してしまうことが、人間を不幸にする。
好きの事を有利にする事は可能だが。

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176] [自己能力の限界の設定]
                  2001/10/06

この言葉は30年前になるが金沢にいた会社の浅野という人事部長の言葉だった。
何か強烈なインパクトのある言葉だった。

‘自己能力の限界点’から自分の足すべき能力をプラスしていく事と解釈した。
10数年前の講演会でヤクルトの野村監督が(彼の浪人時代)全く同じことを
言っていた。

「自分は三流選手、一流になるために何をプラスすべきかを、
ぎりぎりのところで考え実行してた」
要するに三流をわきまえたため、戦略戦術をたてることが出来た。
それゆえに一流の成績を残す事ができた。

戦術戦略を立てるときに、自己把握なしにたてることは自殺行為でかつ空論でしかない。自己能力の棚卸という事だろう。

自己能力の限界の設定は逆の面でも言える。勝手にマイナスに設定して、
それを理由に何もしないで留まってしまう事だ。

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