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2003年10月02日(木)
誰も長く生きていれば、他人に言えない恥ずかしい話は幾つかあるものだ。 露悪趣味的なところが、この随想日記の特徴の一つでもある。 そこでまずは自分の経験談を幾つか書いてみる。
・早速、昨日の朝のJRの改札での失敗談だ。 新幹線の回数券数枚を背広の胸ポケットに入れておいて、改札の直前に とり出すのが習慣になっている。 昨日そのチケットを出したら、改札の駅員が奇妙な顔をした。 今までなかったことだ。よく見たら名刺であった。 妙な顔をするのも当然である。 前日に名刺交換をした名刺を回数券と一緒に、胸ポケットに入れていたのだ。 回数券は名刺と同じに作られている。 普断は乗車券しか入れないが、そのことを忘れていた。 そういえば数ヶ月前、無人改札機に名刺を入れたことがあったが。
・男の人は度々経験するのが、ズボンのチャックの閉め忘れである。 特に朝、慌ただしく出てきたときなどに多い。 学生時代、都内をズボンのチャックをしめ忘れて半日、いやにすれ違う人が 自分の顔を見ていることに不自然さを感じた事があった。そして、その原因を 知った時の恥ずかしさは今でも憶えている。
・紙が顔についていた。 ハンカチを忘れた時に、パッケージのチッシュで汗を拭いていた。 トイレで鏡を見たら、チッシュの紙が顔についていた。 紙を顔に付けて歩いていた! ー露悪主義?ハイ! ・法事で靴下に大きな穴が開いていて、全員の前で姉に大声で注意されたこと。
などなど、数えればキリがない。 忘れることができるから、生きていけるのだろう。 選挙に出て落選するのも、傍で見ているより本人は(;一_一)(+_+)(^^ゞ(-_-;) という。
以前にも書いた事があるが、インドのデリーで長蛇の車のラッシュの中、 ツアー仲間の中年の女性客がお腹?を壊し、公衆の面前で上半身が見える中、 用を足したことがあった。本当にはずかしい思いだったろう。 作家の椎名誠が週刊誌の連載で、新宿駅でトイレに間に合わなく・・・ その前後の詳しい内容を書いていたが、さすが作家だと感心した。 大好評だったそうだ。
心の傷にならないためには笑い飛ばすしかない。 それを重ねているうち、面の皮が厚くなるのだろう。
しかし羞恥心も人間にとって一番大事なことだ。 品位にかかわってくるからだ! ・・・・・・・・・・・
537, 緩慢なる自殺 - 2002年10月02日(水)
十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から 聞いた話で、今でもその忠告を守っている。
ーその内容は ・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。 ・缶ジュースも毒そのものー冷やすと甘味が薄れる為、甘味料を異常に 入れてある。特にコーラは要注意、どうしても仕方なく飲みたいときは スポーツ飲料にすること ・インスタント物も可能か限り口にしないこと、やむをえない時は 冷凍食品にする事。 ・内臓ものも口にしないことー焼き鳥とか、レバ焼き。 ラーメンもたまに食べるのはいいが、常食にしないこと −中華そばの汁は骨とかでダシをとってある。 ・マヨネーズも危ない。 今は動物性から植物性に変わっているが、ドレッシングがよい。
今考えてみて、それを実行してつくづくよかったと思う。 今の人を土葬にしても骨が腐らないためにそのまま残るという。 防腐剤のためだ。 長岡のあるホテルの人から聞いた話だが「裁判調停の為長期で 泊っていた母と子が数ヶ月間、3食カップヌードルを食べていた」 と聞いたことがある。聞いただけでゾッとした。
農家は農薬を使っている現状を知っている為、自分達の口に入れる 作物は無農薬しか口にしないという話を聞いたことがある。 こうなるとエログロの話だが実際のところそれに近いのだろう。 今になって狂牛病が大問題になっているが、知る人ぞしる話である。
「それでも世界で一番長寿なのだから心配することはない」 というのは見当違いで、それは今のお年寄りの話。 そういう食品を若いときに口にしてない。 今の30~40歳以下の人はその保障はない。
「インスタント物」と「缶物」と「砂糖などの糖分」は口に入れないことだ。 そうしないと、緩慢なる自殺をしていることになる。
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[168] 忘れられないあのお店−1 2001/10/02 このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。 初めてのデ-トで入った店とか、初めて一人で入った店とかのことだ。 これをキーワードに過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくる。
考えていたら予想を超えて、全く違う思いが底より湧き出してきた。 それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。 要するに幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。
私が3歳の時に両親が当時ビルを建設をはじめた。 その時に仮店輔で木造の家を、今の厚生会館(前は公会堂)の前に引越した。 家の下に、丸たんぼうを入れて移動したのだ。 個人の申請として全国で初めてのビル建設だったという。
昭和24〜25年の頃で、その時のことをハッキリと覚えている。 ビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の記憶!
今の緊張感の数倍あった! 当時の方が圧縮された生々しさが有った。 あの白壁の匂い!そして三階への引越し。 四階に従業員のねぐらと倉庫。 子供ながら色いろあった。 それが(トップページの倉蔵の写真)の中にある。
考えてみても、異常体験だった。 でも刺激的で悲しくもあり、楽しい毎日であった。 10人の家族と20人以上の従業員の戦場のような毎日! そのまま描写したら、面白い小説になるような日々の連続であった。
−つづくー
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