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2003年08月12日(火)
プライドについて考えてみる。 プライドとか自負心を自分で意識する時は、「逆境の時」とか、 「あまり自分の意にそわない時期」に多い。 プライドー自己尊厳ーとは程遠いと思われる人ほど、プライドが高いのに 驚いた経験をしたのは私だけでないだろう。 新潟では長岡人を「異常な位プライドが高く、閉鎖的で彼らだけで群れたがる」 と評している。常に小さい世界で誰かを意識せざるを得ないからだ。 まあ地元の悪口になるから、長岡人の話はやめておく。
プライドが何故マイナスの状態の時とか、マイナスの人の心の状態に 現れてくるのか考えてみる。 「自分の子供がよい会社にいるのを誇りに思う」とか 「自分のやってきたことに誇りを持っている」とかに表現される。 それは誰かとか、何かに対しての満足感を表す言葉である。 その背後には、他と比べて、 ・自分の収入は誰より多い ・誰よりも名声がある ・学歴は誰誰よりも高い 等々、常に比較の世界に生きている人の言葉である。
自分の価値観をしっかり把握していれば、そんなことは如何でもよいことだ。 私が嫌っている「子狐」世界は、その比較の世界に生きているからである。 その小さい世界しか知らない無知の住人だからだ。 そういう人ほど表面的利害を求めて彷徨っている。 それも隠しプライドー子狐の尻尾ーをたれ下げながら。 彼らには本当の深い喜び、満足感、充足感はない。
比較の世界に生きている人間に、自分の心の奥の芯の歓喜があろうはずがない。 彼らは、そのプライド故に嫉妬、羨望、憎しみが異常発生してくるのだ。 比較の世界では、上から見下ろすだけでなく、下からの歪んだプライドも出て来る。 ある会など、見ても無残な歪んだプライドの世界である。 常に誰かの悪口、中傷の歪んだ暗い比較の世界である。 真の価値観を持ち得ない人が、他者に対して持つ歪みが変形した世界になっている。自己宣伝に精を出しているチンドンヤ、噂を餌に営業をしている ??、太鼓持ちなど多士済々で面白いといえば面白いが。 それも如何でもよいことだが。
−つづく
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