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2002年05月29日(水)
前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。 そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。
ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、 世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。 神話の世界でいう蛇である。
その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。 どういうわけか世界中の神話に龍が出てくる。 縛られた世界からの脱出の希求は人間の本質的欲求なのであろう。
羽仁五郎の「都市の論理」に、 両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。 西洋社会でいう「個人」とは、自立した自己ということになる。
まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。 次に両親からの影響と環境からの自立である。 自分という意志を持った主体の確立である。 世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。
両親と周辺のせいぜい20人を[濃厚な?世間]という。 それを自覚する事である。 「短い人生、ただ狂え!」が、世間様の丁度いい噂の餌になるが。 王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」 というのも、世間に縛られた生き方を諌めたものだ。
個人ー個性とは世間との闘いで創っていくものだ。 世間とは、他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。 私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。 誰にもある要素だ。
もちろん自分にある最も嫌っている影である。 その集約が、そうあの人!
誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!
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