股・戯れ言
BBS

安西先生・・・ロックがしたいです・・・

日記のペースがすっかり週イチになっております。
非常によろしくないな。仕事が忙しくてぇ〜、なんていう忙しい気取りでもないんだけどな。つーか私のレベルで忙しいなんてほざいたら会社の人たちに刺されるわ。相変わらず深夜作業などはあるんで日記を書く暇はあるのだが、隣に人が居たりすると書けやしねえ。「今、仕事じゃないことしてたよねえ?」なんて指摘されること必至だから。
近況としましては、先週の日記に書いたとおり地味な出張したり地味にスナックwell歌夢3の調整したり人様のパーティ行って酔っ払って踊りまくっていたくらいか。あと地味に新バンドの構想練ってるくらいだ。「ギターっていくらくらいで買えるんだろう」と考えるだけですが。いやーこの歳でバンド始めるのか俺。遅れすぎの青春。こないだちょろっとミーティングをしたのだが「一番最初のコピー曲は『リンダリンダ』で」という話になった。わたくし、ブルーハーツのCD一枚も持っていないんだけど。どうなることやら。


実は4月から「音楽ライター講座」なるものを受講しておりました。
笑いたい奴は笑え。隠していたわけではないんだが、まあ別におおっぴらで言うことでもないかなーと思っておったのであります。じゃあなんで今更書くのかというとその4月からの講座が9月でいちおう終了したからなのでした。
終了したといっても最後の課題は作成中に挫折したため、のちほど提出することになったのですがね。
ここから先は「プ、ライター講座受けてるなんてダッセエ」と思った人は読むの辞めとけ。あんたに鼻で笑われるために書くんじゃないから。

一体どういう経緯で講座を受講するに至ったのかといいますと、まあ、わたくしは昔から文章を書く仕事がしたいなーと思っておりまして、でもそんな仕事においそれとなれるわけがないという意識が強かったのであります。大学4年の時に、オオツボさんから
「ライターになりたいのならばまず4,5年普通に働いたほうがいい。4,5年経ってその時まだライターになりたいという気持ちがあるのならその時なればいいよ」
とアドバイスを受けまして、それもあって普通の会社に就職したのでした。
ちょろちょろと書いているけれど私の仕事はブルーカラーとホワイトカラーの中間のよなもので、普通は入れないようなところにもバンバン行くし(巨大工場、某有名企業の社長室、よく公園にあるコンテナなど)、日本全国ダーツの旅のような、2時間に一本のローカル線乗り継いでしか行けないようなところにもバンバン行くし、世間様がお休みであるGW、お盆、正月も絶賛労働だし(会議室で死んだようにぐったりしながら「あーけーおーめー」と20人くらいで言い合った)という変わった経験を沢山させてもらえる仕事です。職場は男だらけで男子校にいるような気分になります。そう、刺激的な仕事ではあるのだ。刺激的な仕事であるゆえに嫌なことも腹が立つことも傷つくことも山のようにあったけど乗り越えてこれた。何よりも大変素晴らしい上司に出会えたことが私の最大の幸運だろう。「うんこ」とか「まんこ」とかメールで送ってくる上司だけど。

しかし。私も今の仕事を始めて4年経った。今年で5年か。去年の後半くらいから4年経ったということが頭にあって、いろいろと悩んでおりました。4年経ったらライターのことなんてどうでもよくなって、今の仕事をずっと続けていくことを選ぶかもしれないと就職した時から思っていた。実際に2,3年くらいの時はライターになりたいという気持ちを忘れていた時もあった。今の仕事のほうがおもしろいやーなんて思っていた時もあった。でも去年の後半くらいから今の仕事で自分を取り巻く環境にも変化が訪れ始めていたし、会社の同年代の子と話をしていたりすると胸が痛くなるようなことが多くなってきた。
「私は 機械が 好き で は な   い  」
他の人と話していると必ずそれが頭に浮かんだ。そんなこと百も承知で仕事している人だって多かろう。好きなことを仕事にできる人間なんて殆どいないし、自分がそれができる人間だと思っていない。そもそも実は向いていないかもしれないことにすべてを投げ打つほどの勇気もない。自分はサラリーマンやるのだけで手一杯なのだ、週末が楽しいからいいじゃないか。旅が楽しいからいいじゃないか。日常もそれなりに楽しいではないか。モヤモヤしたり、先述の言葉が頭に浮かぶたびにそう言い聞かせて自分をごまかしてきた。
それがゆくゆくの自分のためなんだと思ってきた。

が、自分を騙し騙しやっていくのはやっぱり辛かった。
4年という年月が、4年前の自分が就職した動機を思い出させるのだ。自分は4年間なんで働いてこれたのか?4年後にこの願望の答えを出すためだったからではないのか。4年の間にたくさんの人に出会って、どうでもいい人も多かったけれど刺激になる人も沢山いた。刺激的な人同士を引き合わせて新たな交流を作ったりもしてきた。自分がいろんな人と出会って、いろんなネットワークができて、そのネットワークで更にほかのネットワークを築く。私が4年間のうちにやってきたことはたぶんそういうことで、でも自分というインターフェイスが何者でもないことがコンプレックスだったりした。いや、何者でもないわけでもないし、これは自分探しでもなんでもない。なりたいものもわかっていて、それに向かってやってきたのに、いざ現実の4年が目の前に現れると怖気づいてしまったのだ。
本当にそれになれるのか?
だから、この時点では4年前に考えていた私のなりたいものを口にするのも怖かった。ただ、今が限界であることだけにモヤモヤしているように自分を装っていたくらいだ。めんどくせ。ここでまた自分誤魔化してやんの。



そんな折に小野島さんから言われたのだった。
「ライター目指しなさい」
他人に言われることで自覚できることっていうのが世の中にはあって、このひとことがまさにそれだ。
私はライターになりたかったんだった。文章を書く仕事がしたいんだった。
はっきりと言語にするのも恐れていたから、言葉ではっきりと言われたことで一気にいろんなことが突き抜けた。去年の年末から今年の初めぐらいはいろんな相談にも乗っていただいた。自分がまだそれができるのか自信がなかったもので。その時に小野島さんが主催している「音楽ライター講座」を受けてみてはどうか、と提案されたのだった。
いろいろ迷ったが、受講することにした。
この受講にはいろいろな意見があって、受ける必要はないという人もいたし、受けてみるべきだと賛同してくれた人も居た。素人がライターなりたいからって言ってライターにすぐなれるわけないのはわかっていたが、「ライター講座なんか通ってる時点で無理」という人も居た。
でも私が受けたのは、これが何かのきっかけになるだろうと思ったから。二の足踏んでる場合じゃねえと思ったから。
私は今まで、あらゆることに踏ん切りがつかない人間だった。始まる前から「私には無理だろう」と判断してしまいがちだった。そうやっていろんなことを諦めてきた。正確に言うと諦めるように自分を言い聞かせてきた。
ライターだって、昨今の出版不況だのなんだのという話をきいたり、まわりで仕事をバリバリやっているライターの人たちを見て「私が入る隙はない」「普通の人間なんだからそんなもん望むのはお門違い」と言い聞かせていたが、そんな言い訳が通用しないくらい自分の欲求が高まっていたのだった。ベタな言い方だが自分に嘘をつくのもしんどかったのだ。
もう言い訳してる場合じゃないだろうよと。
今やらないと。もうこのきっかけは今しかないと。
今、ここでやらないと未来は何も変わらないと。
ゆくゆくの自分も今の自分あってのものだからな。
そんなわけで最初に書いていったのはエンケンの映画「不滅の男」サントラのことでありました。
「エンケンは今この瞬間を全力で生きているのに自分はどうなんだ」
ということを書いた。それはまさに自分に向けての決意を文章にしたのだった。タラタラ今を消費してんじゃねえよ、やりたいことを存分にやれよ自分、燃え尽きるまで燃えてみろよと。

最初はいつもの自分が書く文章の調子で書いていったけど、その後、ほかの受講生のレビューを読むうちにああ、自分の書いているものはまったくレビューになってねえ、どうしよう、と悩んだりした。他の受講生のレビューは読むたびに刺激になった。意見の交換はどんなに糧になったことか。モヤモヤしているのは自分だけではない、という事実だけでも収穫だった。無理矢理レビューになるように帳尻合わせしたりして、おもしろくない、パッとしないと言われたこともあった。(講座外で友人に読んでもらって、はっきりとつまらないと言われたこともあった)
ライター講座を受けていることを鼻で笑われるようなこともあって、ふざけんじゃねえと怒りをぶつけた評を書いていったこともありましたな。全然アルバム批評になってねえの。あれは我ながら酷かったわい。
そんな感じに半年間受けましたが、自分の文章スタイルが未だに確立できないでもがいております。
しかし、やっていくしかないのです。これがやりたかったことだからやっていくのです。やりたいのです。
やりたいだけ!やりたいだけ!だ。 これからも模索していくまでだ。


ちなみにこの顛末および決意は実は上司にも言ったのでありました。
上司にはずっと「10年後の自分を思い描いて、それに向かって今をやっていけ」と言われていたのだが、私は何度10年後を思い描いても今の仕事をしている自分が浮かばなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。文章を書く方向のことなんてもちろん言えずにいたのだが、今年の5月のとある出来事(つーか仕事上での失敗)の時に「私、文章を書く仕事がしたいのです・・・」とスラムダンクのみっちゃんばりに言ったら「ずっと悩んでいたのは知ってた」「そういうことがやりたいんだろうなあと思っていた」と言われた。お見通しだったのか。そして「やれよ、やるべきだよ」と言ってくれたのだった。心底ありがたかった。いい上司に出会えてよかったホント。
上司、小野島さん、そして4年前にアドバイスをしてくれたオオツボさんには本当に感謝だ。いや、今まで出会ったすべての人に感謝します。おかげさまでようやくスタートに立てました。先日、新たな第一歩も踏み出せることとなりました。
がんばれよなんて言うんじゃねえよとエンケンは言うが、がんばる。
そういえばこの日記ももう6年だ。こっちもこれからもがんばる。



余談だが、最後に書いていったアルバム評はスリーター・キニーのものであります。
スリーター・キニーのコリン嬢の
「ロックするということは二の足を踏まずに自分の信じる道を進むこと」
という言葉が今の私の支えだ。私もロックするぜ。
2006年09月25日(月)

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