股・戯れ言
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夢のカリフォルニアブリーフ

人前でパンツ一枚の記憶は相当昔のことである。
幼稚園のとき、油性マジックで名前の書かれたパンツ一枚で
プールに入らなければならなかった。
その昔は幼児当事者だったから気付かなかっただけかもしれないけど、
今ほど児童ポルノがどうこうとかロリコンがどうこうとかうるさくなかった。
だから有無を言わさず皆ぱんつ。
白いブリーフみたいなアレだ。なんの躊躇もなかった。
女の子も男の子も関係ない年代だしな。
小学校のときはまだ身体測定でパンツ一枚になる機会があったような気がする。
それも低学年だけの話で高学年になればムネは膨らんでくるわ初潮さんは
やってくるわであっという間に「パンツ一枚無邪気期」は過ぎ去っていった。
同じ歳なのにブリーフ一枚で楽しそうにやってる男子は
バカだなガキだな(自分も同い年なのに)と思いつつ
パンツ一枚って楽しそうだなーとうらやましく思っていたもんだ。
そして時はまたあっという間にたち、パンツ一枚で無邪気だった期間の
長かった男子たちもパンツ一枚で人前は恥ずかしいと思う羞恥心やら常識やら、
建前やらを身につけていき気が付けばとっくにパンツは見えない姿になっている。
でもそこを敢えてパンツ一枚で人前に出られる大人はかっこいいな。
大人になる過程で身に付けていったものを自力で剥いだという
爆発力が感じられるのがいい。
パンツ一枚を身につけてるのがミソ。全裸は最初スゲエと思うけど自分の持ってる手の内明かしすぎでたいしたことないから。
パンツの中にいちもつ抱えているからこそいいのだ。
そこに無限の想像力が詰まってるからかっこいいのだ。

レッチリが物理的に丸裸だった時期は90年代の初頭あたりまでかもしれないが
心情的な丸裸は近年の2枚に顕著だ。しかも哀しいくらい情緒感漂う
心のヌードっぷり。
あんなに露出していた人がこんなに切ない裸だったとは、とまで思う。
フジロックで目撃したときも
メロウで切なくて、心の平安の境地での素っ裸なんだなと思った。あまりに
等身大そのままの、昔のような「武装としての裸」とは正反対のとこにある
裸すぎての感動はあったものの。。。
正直やはりどこかで「大人になってもパンツ一枚無邪気」なレッチリを期待していた。
ミーマイフレンズもギブイットアウェイもバイザウェイも、
いやいや、アンダーザブリッジだってソウルトゥスクイーズだって
カリフォルニケーションだって等身大そのままのヌードよりちんぽソックス姿のほうがグッとくるだろうと。
レッチリにしか成しえない境地はそこでもっと顕に見えてくるんじゃないかなと。

そこにきて昨日のさいたまスーパーアリーナ公演。
やってくれました、フリーが。ブリーフ一丁で登場。もう解放感イッパイ。
そんな格好だとメロウ加減も薄れるだろタコという話もあるかもしれないが、
敢えてあの格好でそれでも切なくなるくらいいい曲を演奏すると言う技をこなせるのがレッチリが唯一無二な所以なのだからNO問題。
ライブ全体はオープニングの「バイザウェイ」そのままで、
ファンクとメロウがうまい具合にブレンドされた選曲、構成。
髪を切って体も鍛え上げられたアンソニーと昔と変わらず逆立ちで歩くわ
チョコボール向井ばりのセクシー腰クネクネダンス披露するわ
なんか動きもへらちょんぺみたいだわなフリーの対比がまたイイ。
人間交差点ミクスチャーだなー。
かといってアンソニーがおとなしくなりすぎたわけではなく、
フリーほど派手に脱がないのはその分心が丸裸なんだろう。
それはフジの時からだけど。フジのとき足りなかった部分を補ったようなライブだった。
等身大の裸姿でありながら無邪気になれるパンツ一枚を忘れずに持ってきてたアンタたちが好きだ。愛すべき人たちだ。
しかもそのパンツがブリーフってのがいいよね。ブリーフなところもまた裸感高し。

あ、曲のほうはサックマイキスにやられました。
2002年11月10日(日)

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