| 2002年01月23日(水) |
sympathyとempathy |
以前ラジオビジネス英話(土曜日)でsympathyとempathyの言葉の違いを簡単に講義していて、とても興味深かった。同情と共感と訳してしまっていんだっけな? ダニエルキイスもウタダヒカルとの対談でそんな話をしていたそうである。
定義の詳しい内容は忘れてしまったけど、
sympathy−同情、相手を哀れに思う気持ち、「もし私だったら」という仮定に基づく想像。 empathy- 共感、感情移入、あくまで他者の目で見、考え、感じるという前提。
とかなんとかだったと思う。あとできちんと調べてみよう。
この言葉を思い出したのは、朝ちょっとだけサーフして色んなサイトを見ていたんだけど、多分若い女の人で、自分の住んでる建物で自殺があったと書いてたのがあったから。内容は、人が落ちるのを見たかったとか、発見者の悲鳴とか、そのときの喧騒を体験できなかったのがとても残念、はっきり言って自分に関係のないことなので、人が死んでもなんとも思わない。とかいう、ふーんX100なものだった。(というかこういうのをスタイルとしてアピール) これが正直な感想なんだろうけど、読んでしまうととてもいやーーーーーな気分。
こういうのって匿名で言うのと、「特定の誰か」として発言するのとえらい違いだと思うんだけど。なんて言うか、特定の誰かとして発言する場合、それに付随するはずの自己嫌悪や羞恥心や後悔や葛藤やそういうものはどこへ消えるんだろうか?
例えば「XXが憎いから死んでくれればいいと思う」という文章より、上記のもののほうが、私はずっとずっと気持ち悪いのだ。
「人の気持ちがわからない」と「人の気持ちをわかろうとしない」というのは当たり前だけど違うことなんだなあと。その場合の"人"が指すものも限りなくあるけど、できれば最大限丁寧で誠実でありたいと思う。
ま、朝からこんなことで熱くなっているわたしのほうが、ふーんX1000と言われればそれまでやけど。
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