泥沼
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2004年07月20日(火) 旅ロマン

日本文学研究四 旅の歌別れの歌 レポート
〜旅をしない歌人が旅の歌を歌うということ
人間文化学科 2年 〇三一〇五 ○○ □

現代と違い、道らしき道もなく、移動の方法も徒歩か馬か舟か。という時代の古人たちにとっては、旅とは日常から遠い、未知の世界であった。私たち現代人が異国に情緒を感じるのと同じように彼らも感じ、また、我々がそう異国へ旅行できないのと同じように彼らも旅に出ることはなかなかできなかったのだ。
だが、彼らは旅をせずにして旅の歌を詠んだ。憧れや恐れの想いを込めて。実際に自分の目で見たものを歌うのではないので、形式や、すでにあるイメージに基づいての詠歌である。雪月花が四季の美の代表とされたように、椿なら巨勢野、紅葉なら大井川などのパターンができていた。歌枕はイメージをかきたてるためのキーワードだったのだろう。
安達が原
しぐれゆく安達の原の薄霧にまだ染めはてぬ秋ぞこもれる(定家)
安達太良山
陸奥の安達の真弓わがひかば末さへ寄り来こしのびしのびに(「古今集」)
東北は京の人々にとっては遠く、みちのく、東国、というイメージに心ときめかせていたことだろうと思う。
実際に旅に出て、その体験を詠んだ人もいる。歌だけではどちらかはわからないことも少なくないと思う。私は、実際のたびでの歌には素朴な気持ち、シンプルなものが多いように思う。むしろ想像上の旅、形式的な歌枕としての地名を読み込んだ歌、そういう歌の方が、憧れが前面に押し出され、ロマンが感じられる気がするのだ。宮沢賢治が生涯海外に行くことはなかったにもかかわらず、異国情緒溢れる詩的な世界を描いた。詩的創作にとっては、実際の体験よりも想像力、憧れの力の方が大切だということだろうか。
ただやはり、本当に旅をしてその場景を歌ったものなのか、言い方は悪いが想像上のうその歌なのか。それが読む時に気になるのも事実だ。当時の人々はそのことは気にしていなかったのだろうか。あるいは、どちらなのかわかるものだったのだろうか。例えば古今集などを読むとき、当時の人々がどう感じていたのかも気になる所だと思った。

レポート…。B5の用紙に半分くらい…。
短いよ…。5時までなのに4時にあせって出したし。バカだ。
内容もかなり適当だしなあ。教科書も本も無いんだもんよぉう。
一時間あればもう少し長く出来たんじゃないのォ?ううう。
いいんだ、出せばいいの。出せば。



就職課の人から案内もらったので会社説明会行くことにした。
「ねじ」の会社。なんかすてきね。
自分からではなく職員に進められてってのが情けないけど。
しょうがないよ。転がり込んだ機会はありがたくチャンスにしなきゃな。



ジャンプの事など少々。
ネタばれるでー。

>ぎんたま
よんでなかったけど最近たまに読む。
山崎さんの名前がサガルってほんと?
最高じゃないか!(笑)
山崎ファンとしては単行本を買うか買わないか迷うところだ。
あんまり長く続くんなら単行本かいたくないなあ。
でも「新撰組!」もう全然みてない。池田屋事変終わっちゃったん?
山崎さんの活躍見れなかったねえ。活躍したかどうか知らないけどさ。

>デスノート
「ライト君はぼくのはじめての友達ですから」
ってエルに言われてズッキューンなライトがよかった。
あの顔はまじで驚いてたよ。
エル殺してって頼んだらあっさりOKで焦ってたよ。
ライトおもしろい。

>いちごパンツ
つかさちゃんが幸せになってくれれば他はどうでもいいや。
色々とだんだんしつこくなってきたというか崩れてきたというか。
ていうかいちごパンツはどうしたんだ。脱線しすぎだろ。
早く終わりなさいよ。嫌いじゃないけどさあ。


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