泥沼
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2004年03月06日(土) 天にまします

今日は昼から夜までバイト。
休憩で家に帰ったら夜もあるのって聞かれて。
おばあちゃんの命日だから教会にお祈りしに行くんだって。
聞いてないよ…。
いや、バタバタしてたし、今日思いついたのかもしれないけど。

おばあちゃんは父方の祖母で、亡くなったの4年前だ。
一回病気で危なくなって、その後は健康に気をつけて生活してたのかな。
なくなる前にもしばらく入院してて、危なかったんだけど。
落ち着いて家に帰れて、そのあと少しして亡くなったんだ。
家に帰れてよかったねと、みんな言っていた。
私にとっては遠い人だったからかもしれないけど、実感や悲しい感情はなくて。
惜しまれて、穏やかに亡くなった感じ。
おばあちゃん自身も、もう覚悟していて、
入院中、お見舞いに行った時もとても穏やかだった。
お葬式で姿を見たときも、綺麗だったし、悲しくなかった。
でも一緒に住んでたいとこ達は泣いてて。
やっぱり、心の距離の問題なのかな。

うちは父方はカトリック信者で、おばあちゃんもそうだし。
カトリックには復活っていうのがあって。
良くわかんないけど。つまり天国行くってことなのかな。
一応信者やってたことあるのに、どうもそこのところが理解できない。
お祈りの文句は覚えていたって

天にまします我らの父よ
願わくは御名の尊まれんことを御国の来たらんことを
御旨の天に行われるとおり地にも行われんことを
我らの日用の糧を今日我らに与えたまえ
我らを試みにひきたまわざれ
我らを悪より救いたまえ
我らが人を許すごとく我らの罪を許したまえ

めでたしせいちょう満ちみてるマリア
主 御身とともにまします
御身は女のうちにて祝せられ
御胎内の御子イエズスも祝せられたもう
天主の御母聖マリア罪びとなる我らのために
今も臨終の時も祈りたまえ

大分忘れてるな。
小学生の頃、これ覚えてなくて唱えられなくてとても苦々しい思いをした。
今思うとばからしい。
何に祈るかはひとそれぞれだけど、
決まった文句をただそのとおりに唱えるのに何の意味があるだろう。
そういう形式ばったものとか、儀式みたいなのは嫌だな。
でも、それも人間文化として尊重すべきものなんだろうけど。
近い存在だっただけに、妙な連帯感がまだ残ってる。
私はカトリック信者なのか。違うのか。
共感もあれば反感もあるし。好きな部分も嫌いな部分もある。
これからどう付き合っていけば良いのか、悩む問題です。
丸ごと受け入れることは出来ないし、
かといって丸ごと否定することも出来ず苦しい。
仏教の人はそういうことないのかしら。

そういえば。祈りの中で盛んに人間の罪について、
許してくださいとか言ってるけど。
自分でも自分のことは愚かだとは思う。痛むほどに実感している。
こんなふうにきまり文句に当てはまってても…あまり救われない。
誰が許してくれるっての。
天にましますお父様よりも、こんな文章よりも、
人間というか、命が今生きる姿の方がずっと救ってくれるし勇気をくれる。
と思う。
ひきこもりなりに(苦笑)そう思う。
人と触れ合わなければ傷つくこともないから、つい外に出るのを恐れてしまう。
外に出ると嫌なことが多いから?
でも、逃げてちゃダメなんだろうなぁ。
せめて人に迷惑かけないようにね



ちょっとしたことでやはり思い出す。
服についた毛。散歩してる他の犬。
新選組!(先週のビデオ)で外国人が槍で刺されてるのみてもフラッシュバック。
もう痛まないけれど思い出す。
それだけ心を占めきっているんだろう。
でもそのうち、思い出す頻度が少なくなって、忘れるだろう。
忘れるのは怖い。
私に限らず誰だって、常に何かを忘れてるワケなんだけど
思い出した時ってなんかすごい申し訳ないような、喪失感がある。

老人ボケは死の恐怖を感じないための神様のプレゼントかもねって
誰か言ってたけど。
ありがたいと思う自分もどっか行っちゃうから、ありがたくないと思うな…。
そういえば、私はまだ老人ではないけれどなんでこんなにボケてるんだろう。
何か意味があるんだろうか。ボケてていいことってあるだろうか。
まぁ、意味なんてあるわけないけど。良いことも無いよな。
最優先事項だけは気を付けよう。せめて。
あととりあえず、自分というか、自我は大切なので失くさないようにしよう。

なんか話が脱線したような…。
いつもか。
綺麗に整えて、誰が読んでも不快にならないようにする気遣いをしてないね。
いいのかな…。こんなもん書いてて。
自分のためだけど、そんなら紙にでも描けば良いし。
まぁ、いいか。ここに書いとけば失くさないし。


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