いまの職場は人事異動のシーズンで、部署としてはかなりのひとの出入りがあるようです。個人的には仲良くなった(なりかけた、なりたかった)ひとたちが去っていくのはとても残念です。同年代だし。それはそれとして、上の人と話をしていたところ、「やっぱりね、教育バウチャとか教育減税が必要だよね」という話になりました。気弱な宮仕えとしては「はあ」といったやや顔に縦線が入った感じの(ちびまるこちゃん風)表情をしてしまっていたのだろうと思います。これを読んで以来、とりわけ決定的な外部性を持つ基礎教育分野の私事化はあまり好きではなく、「公教育における格差・不平等性の拡大が発生」しないように公教育の充実を図るべきではないだろうか、と思っているからです。教育減税のばあいには、所得控除にしたばあいにとくに、高所得者層へ減税の恩恵が大きくもたらされ、学校外教育等を通じて、高所得世帯の教育投資の増加につながり、ひいては階層の固定化・不平等の拡大が進むのではないか、と思うからです。たぶん、教育投資の不平等の拡大は経済厚生上望ましくないと思いますし。「好きなところに通わせればよい」という話なのでしょうが、この場合の「好きなところ」はおおむね教育を受ける子供ではなくて親の判断に依存しますし、情報収集の手間や熱心さを考えれば、高所得者層のみがトクをしかねないのではないかと。教育減税をするくらいなら、税をとって公教育の充実を図るべきだし、中等高等教育以上については、特定扶養親族控除ではなくて奨学金制度を充実させるべきじゃないかと思います。 「ドラゴン桜」で、「社会のルールはアタマのいいやつに都合のよいように作られているんだ!」と叫んでいたのはこのことかしらん。
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