メロ


2010年02月12日(金) 赤い靴

自分の意志で「これがほしい」と言って初めて買ってもらった革靴は、バックスキンの赤い紐靴だった。小学校6年生のときで、黒いタートルネックのセーターと、チェックのプリーツスカートに合わせるのが大好きだった。髪の毛をポニーテールにして、ベロアの赤いリボンを結ぶのが、自分ですごくおしゃれだと思っていた。

年明けにメタリックな赤い靴を買った。ラウンドトゥで大きなリボンのついた、モスキーノのもの。去年は、メリッサとヴィヴィアンのダブルネームの朱赤のラバーパンプスを買った。その前の年は、レペットで赤いラメのバレエシューズを買った。さらにその前の年は、ロッシでボルドーのエナメルパンプスを買った。毎年一足は買ってることになる。それも、ベーシックとは言えない素材のものばっかり。雑貨屋で売ってるようなオモチャのサンダルも平気で履いてしまうわたしだけど、赤い靴にだけは比較的ちゃんと投資をしている感じがする。

なんでだろう?って考えて思い至ったのは、わたしにとって魅力的な靴の原点は、オズの魔法使いでドロシーが履いていた、赤くてキラキラ光るあの靴なんだってこと。無意識にずっとあの靴を追い求めてたんだ、って気がついて、ストンと納得したような感じがした。

逃避願望のメタファー、ではなく、特別な女の子が履く靴、が欲しいんだと思う。自分が平凡であることは十分自覚しているし、もはや女の子でもないんだけど、それでも「わたし」は自分にとっては特別な存在だから。自分の生の主人公たるわたしに、主人公にふさわしい靴を履かせたいという思いがあるのだと思う。

わたしは自分が嫌いで、どうしてこんなに冴えないんだろうってずっとずっと思っているけれど、その反面、それでもやっぱり大切にしてあげようって思う気持ちもちゃんと持っているのだ、ということを知った。必要以上に自分に辛辣で批判的な反面、可愛がる思いもちゃんと持っているんだということを。そしてそれは、両親の私に対する態度と全く同じなのだ。子供は両親から、人の愛し方だけではなくて自分の愛し方までも受け継ぐのだなあ。

好きっていうだけではない赤い靴に対する何かが、わたしの中にあるはずだ、と前々から思っていたから、なんとなくスッキリ。


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