いただきます。...じゅん

 

 

今年の雪・去年の雪 3 ・二人の賜物 - 2001年12月06日(木)

春。
まーさんは別れて、仕事を無くし、芯からの休養も兼ねて
東京、私のすむ街へやってきた。
まーさんは当初、私を札幌へ連れて帰る気でいた。
だから、丁度そのころ切れた長期の派遣契約以降、短期のみを受けていた。
しかし思うように仕事が見つからなかった。
私の貯金がそこをつきかけた。
子宮外妊娠の検査や治療、その後の通院、
検査で予想以上のお金がかかっていたのだ。
それで一番不本意な形で私は事実を切り出した。
だから、お金を貸してください。と。

まーさんは疑う事は無かった。
少なくとも私にはそう見えた。
淡々と、私だけで宿した命ではないのだと諭して、
お金を渡してくれた。
ほっとして、今までの苦しかった思いが溢れて
涙が止まらなかった。
彼はただ、言ってくれなかったことが悲しいと、
これからは何かあったら必ず言ってほしいと私に念を押した。

そして、ぽつりぽつりと語った。
子供がほしかったこと。自分自身も検査を受けたこと
だから
「悪いとは思うけど、嬉しかった」
「これから先子供ができないなら、多分最初で最後の俺の子だから」
多分それは本気の言葉だと思った。
妊娠が判った時、子宮外だと判ったとき。
言っていたら彼も多分恐ろしく苦しんだに違いない。
でも、彼もつかの間、自分に続く命をいとおしめたに違いない。
「治療」をする辛さを少しでも判ってくれたに違いない。
私は、彼からそのチャンスすら奪ったのだ。

「二人でなくちゃ、作れないものだよ」
まーさんの言っていることは、とても当たり前のこと。
だけど、私にはとても大切な、重たい言葉だった。

いまでも時折、姿の無いはずのあの子の夢を見る。
「忘れないでいてあげればいい、その分も幸せになればいい」
それは本当はとても強さがいることなのだと思う。
罪悪感に負ける方がきっと楽。
それをしないでまっすぐ生きていく強さを
きちんと手に入れた人間になれたら、
私は再び子どもを欲してみようと思っています。

その時までにまーさんの仕事が落ちついて、結婚できてますように(笑)





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