大学教員の日記

2000年10月30日(月)  突然の連絡

 県家庭科教育研究大会を翌々日に控えた日である。
 1時間目終了直後、とうとう携帯電話 が鳴った。「母が危篤」と兄からである。授業中に連絡があるのはこの場合のみなのだ。

 「すぐに行くから」と連絡をとる。しかし、1日の授業の前時は終えなければいけない。算数の授業をしながら、混乱する頭の中で今後のことを判断する。5時間目の予定だ った家庭科を、急遽3時間目に行う。子供たちにも事情を話し、2時間目のうちに大会までの連絡を済ます。

 3時間目の家庭科の授業を終えて、すぐに母のもとに行きたかったが、大会当日の 準備物を済ませなければいけない。他校に行っての授業なのだ。仕方がない。子供 たちにも大いに手伝ってもらう。「先生、残りはやりますよ」とM。子供心に担任の窮状 を気にかけてくれているのだ。心の中で涙である。

 その準備の最中だった。11時40分ごろ。兄から2度目の電話。「亡くなった」と。すぐに移動。

 埼玉の母のもとについたのは11時近くであった。傍らには父。すっかり憔悴しきっていた。私を見ると、深々と礼をして、母親の耳元で「母さん、正寿がきたよ」と涙声で叫ぶ。むろん答えるはずもない。「お嫁さんに来た顔のまんまだ」とも言った。

 46年という生活。常に一緒だっただけに痛いほど父の気持ちがわかった。その夜はろうそくと線香の火を消さずに見守る。県家庭科研究大会で睡眠不足の自分のことも頭をよぎるがそんなこと、言っていられない。


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