Opportunity knocks
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ここ2、3日、戦争についての新聞記事や終戦に関するテレビ番組などを見ているのだけど、何となくこれでいいんかいなというようなことが書かれていたり放映されていたりして、戦争に対する意識というのが少しずつ変わってきているなということを感じた。わたしの友達の中にも、日本は戦後、米英から加害者的な意識を植えつけられ、ひたすら自省することを無意識のうちに強いられてきたという考え方の人がいて、太平洋戦争に関しても決して侵略戦争などではなく、諸外国の植民地支配からアジアを解放するための正しい戦争だったというようなことを言ったりする人がいる。最近では広島の原爆の記念碑に刻まれていた、二度と過ちを繰り返さないように、という文の中の「過ち」という部分を傷つけて読めなくしようとした男がいたけど、そういう偏ったナショナリストまでは行かなくとも、何で日本はそんなに自省しなきゃいけないんだ?というやや右寄りな疑問を持った人間は思ったより多いのではないかという気がする。 で、そういう人が戦時の言論統制や治安維持法、日本が他国で行った数々の軍事行動というか加虐をしっかり理解しているかというと、決してそうではなく、ようするに、何故日本ばかりが責められなければいけないのか、原爆という大量破壊兵器を使ったアメリカはどうなのか、自国民を守るために戦った人達(戦犯と呼ばれる上層部の人間も含まれるのか?)を否定していいのか、というような感情論みたいなものがそう言う人達の中心にはあるように思う。
身近な人、大切な人を守るために戦った人達のことを否定するつもりはないし、自分も同じ立場になれば同じように戦うと思う。だけど、そこに至るまでに、幼少から軍事的な思想を植えつけられ、考えることも異を唱えることもできずにただ操り人形のごとく戦争をやらされるのと、自分が自分の頭で判断し納得し、国のためでも天皇陛下のためでもなく、自分の大切な人たちのために戦うのとでは当然のごとく大きな違いがあると思う。
村上春樹氏の短編の中に「沈黙」という短編があるのだけど、あの中で書かれていた顔のない人たち、自分ではなにも生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中、が実はあの戦争を一生懸命やっていたような気がする。
彼らは間違った事をしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分達の行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任もとりやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして、僕が真夜中に夢をみるのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出て来る人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙の中でなにもかもがどろどろに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです。
歴史修正とか言われてるけど、何が正しくて何が正しくないか、南京大虐殺や731部隊の人体実験はあったのかそれともなかったのか、それをほんとうの意味で知ることはできない。過去に戻って事実を確かめることなんて誰にもできないのだから。でもだからこそ、今残っている書物や生き残った人達の言葉に耳を傾けて、何が正しいのかを自分で考えることが大切なんじゃないかな。
いろいろ書いたけど、一年に一度くらいはこういうことをこれからもきちんと考えていきたいなとおもう。二度と同じ過ちを繰り返さないように。
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