Opportunity knocks
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夏目漱石 「硝子戸の中」
小説ではなく新聞に連載していた随筆をまとめた本。 時期はすでに晩年にさしかかり、持病である胃腸の調子もおもわしくない中での執筆。 前半は時事に関することが書かれているが、次第に自分の幼少時の記憶を思い返したり今まで関わった人たちとの出来事を回顧したりという内容になっていく。 この連載が終わって翌年に漱石は胃潰瘍で病死するわけだけど、そういう予兆を知ってか知らずか、文章のトーンは静かで、深く、澄んでいる。
特に心に残った文章。
もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪いて、私に毫髪の疑いを挟む余地のない程明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来る凡ての人を、玲瓏透徹な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。 今の私は馬鹿で人に騙されるか、或いは疑い深くて人を容れる事が出来ないか、この両方だけしかない様な気がする。 不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。
人の心が不可視であることは不幸なことなのだろうか。 馬鹿で人に騙されるか、疑い深くて人を容れることができないか、 そのどちらかを選ぶに選べず、だけど、選ばざるをえなかった漱石の人生を思わず考えてしまう。 そういう人間的な部分にひかれて、わたしはきっと漱石の小説を読むのだろうな。
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