Opportunity knocks
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職場にひとつ、頭蓋骨が置いてある。 模型、ではなく本物。 先々代の(わたしの職場は三代続きの歯科医院)頃から置いてあって、 どういう経緯でここにきたのか誰も知らないとのこと。
静脈や動脈、洞溝や縫合の名前など、細かい字で書きこみがしてある。 ぱっと見た感じはただの模型に見える(大抵の人は模型だと思って何の気にもとめない)のだけど手に取って見るとまぎれもなく本物の骨だとわかる。 それは持った感じの感触とか色とか質感とか、骨小柱の緻密さなんかを見れば何となくわかる。それにその頭蓋骨には特徴がある。かなり歯が前にでている。つまり出っ歯であるということ。出っ歯の模型をわざわざ作る必要もないから、たぶんかなりの確率でそれは本物の人間の頭骨ということになると思う。
かなり歯の丈夫な人だったみたいで、親知らずまで綺麗に生え揃っている、欠けた歯もなく、みたところ虫歯になっている部分もない。でも、だからこそこの頭骨はこうして骨見本となってここにくることになったのかもしれないなと思う。昔は本物そっくりの模型を作る技術などはたぶんなかっただろうから、歯並びのよい人間の頭骨を模型代わりに使ったのかもしれない。あくまで推測だけど。
その頭骨は窓際の良く日があたるところに無造作に置かれている。 その頭骨に皮があり肉があり血が通っていたときのことを、その頭骨をみるたび考える。どんな人間だったのか、とかどんな死に方をしたのか、とか。 まさか死んだのち、自分の頭蓋骨が名もない歯科医院の窓際に置かれるとは思わなかっただろうな。
皮も肉も血も骨も、生命がなくなればただの物質すぎない。誰でも生命が無くなればただの物質になってしまう。でも生命があるうちはただの物体じゃない。生命と一体になって、皮も血も肉も骨も動く。神経も細胞もランゲルハンス島もランビエ絞輪も松果体も。 そう考えると今自分がこうしてそれらのものを総動員して生きているのが途方も無い奇蹟のように感じる。自分が今生きていること、そしていずれは生命が消え、ただの物体になる日がくるということ。
うっすらと積もった埃を払いながら、今日はずっとそんなことを考えていた。
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