Opportunity knocks
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誉められること。正直言ってあまり得意な方ではない。もちろん誉められればうれしいし、喜びもするのだけど、何となく自分が誉められることに対する違和感が後に残ってしまう。こんなに誉められていいんだろうか?誉められるべきものを自分は持っているのだろうか?なんて。 誉められること=そうあるべき姿を期待される→それが負担(あとでがっかりされるのが嫌、期待にそえないであろう自分が嫌)、そういう図式が自分の中にはあるのかもしれない。我ながら穿ち気味な考え方だとは思うのだけど。
思い返せば親に誉められたという記憶がまったくない。というとすごく出来の悪い子供だったのかと思われるかもしれないが(いや実際に出来の良い子供だったわけじゃないが)出来の悪い子供だったからというよりは、親がわたしの所業にあまり関心を払っていなかったという方が近いと思う。 良い成績をとっても特になにも言われなかったし、何かで賞状をもらったときもがんばったね、などという言葉はかけてくれなかった。その結果、無気力で受動的で事勿れ主義のわたしという人間ができあがってしまったのだ、たぶん。
そういう人間なのでたまに誉められたりすると自分がなぜそんなふうに誉められるのだろうと、とても懐疑的になってしまう。素直にそれを喜んで自分のエネルギーに転換する事ができない。考えてみれば損な性格だなあと思う。
だから、というわけでもないのだけど、わたしはコドモが良い事をしたときにはかなり誉める。ちょっとしたことでも必ず誉めてあげるようにしている。誉められて嬉しそうにするコドモの笑顔をみるのが好きだし、そんなふうに誉めてあげられる人間は親であるわたししかいないだろうと思うから。
そのかいあってコドモはわたしみたいに誉められることで困惑したりしない。素直にそれを受け入れ次もがんばろうとする。そんなふうに育ってくれてよかったと思う、ほんとうに。
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